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雪花滾々。

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雪花滾々。
雪花滾々。 雪花滾々。

リアクション



3


 いつもより早くに目が覚めた。
 空気が冷たい。
 ベッドから出るのが一瞬ためらわれたが、すぐにあることを思い出してノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)――通称ノルンは窓の傍に寄った。
 わくわく、わくわく。
 期待に胸を膨らませ、窓の外を見ようと奮闘。……しかし、ノルンは背が低い。窓の外が、見えない。
 どうしたものかと困っていたら、神代 明日香(かみしろ・あすか)に抱き上げられた。
「ノルンちゃん、今朝は早いですね〜」
 明日香が、くすくすと笑う。内心を見透かされているようだ。何か一言言ってやろうかと思ったけれど、
「……!」
 目の前に広がった景色を見て、言葉を失った。
 思い描いたとおりの光景が、銀世界が、外に。
 はぁっ、と感嘆の息を吐いた。明日香がノルンを床に降ろす。
「直接見てきます」
「遊んでくるんですね?」
 微笑ましい、と明日香が笑うので、
「いいえ。雪かきに行くんです」
 胸を張って答えた。
「決して、雪遊びではないのです。そんな子供っぽいことはしないのです。だからするのは雪かきなのです。雪遊びではありませんよ」
 間違えなきよう、と念を押す。
 そう、遊びに行くのではない。雪かきをするのだ。なんとなく気持ちが弾んでいるのは、雪かきなんて滅多にできることじゃないからだ。うん、雪遊びのせいではない。
「明日香さんは家事があるので雪かきは私に任せてください」
 さらに言葉を重ねると、明日香は「はい」と頷いた。これっぽっちも疑われていないようだ。
 ……実際のところ、行動の全てを読まれ、予測されていたからこそ明日香は何も言わなかったのだが。ノルンがそれを知る術はない。
「雪かきをするなら、きちんと暖かくしていかないと」
 セーターやらマフラーやら手袋やらコートやら。
「明日香さんは過保護ですね」
 たくさん着せてくるものだから、遊びに行きたい気持ちばかり逸ってしまう。
 ――早く遊びに行きたいです。
「はい、どうぞ。行ってらっしゃい」
 心の声に答えるように。
 明日香がノルンの背を押した。駆け出す。
「お昼までには帰ってきてくださいね」
 はーいと心ここにあらずな返事をして、雪の積もった世界へ飛び出した。


「…………」
 エイム・ブラッドベリー(えいむ・ぶらっどべりー)が目を覚ましたのは、朝と言うには少し遅い時間。
 朝ではないけれど、室内は寒い。カーテンを開けて窓の外を見ると、案の定の積雪。
 満足げな笑みを浮かべてから、エイムは部屋着のまま自室を出た。
「エイムちゃん。おはようございます」
「おはようございます。雪遊び、してまいりますわ」
 表にこそ出さなかったけれど。
 実は、とても楽しみにしていた。雪が降って、積もるのを。
 なのでふらりと出てきたものの、
「……寒いですわ」
 さすがに部屋着のままは寒すぎた。寒いのは嫌いだ。どうにかしてもらわないと。
「明日香様。寒いですの」
「エイムちゃんは考える前に動きすぎです」
「膳は急げですの」
「急がば回ります」
「むう」
「準備は万端にして行かないと。楽しく遊べませんよ?」
 確かにそうだった。素直に頷き、明日香の用意した防寒着を手に取る。
「寒いからこれにしましょうね?」
 これ。
 二本に分かれた筒に、片足ずつ入れて穿くあれ。
 いわゆるズボン。
「やーですの」
「どうしてです?」
「センスないですの」
「でも寒いでしょ?」
「寒いのもやーですの」
「ならズボンを、」
「センスがないのも寒いのも、どっちもやーですの!」
「…………」
 駄々をこねると、明日香は説得が無理だと悟ったらしい。
「ふりふりひらひらがいいですの」
「うーん…………じゃあこうしましょう」
 と、用意されたものは、厚手のタイツに膝やや上のスカート。
「エイムちゃんが今着ている薄手の寝巻きよりは確実に暖かいですし、動きやすさもありますから遊んでいるうちにぽかぽかしてくると思いますよ」
「むむむ……」
 本当は、タイツも微妙なところだけれど。
 この辺で妥協しておかないと、雪で遊ぶ時間が減ってしまう。
「仕方ないですの」
 着替えて、いざ外へ。
 出て行くと、ノルンが雪の中を走り回っていた。とても楽しそうに。
 一緒に遊びたくなったので、エイムも走り出す。
 追いかけて数歩目、
 どてっ。
「…………」
 雪に足をとられて転んだ。痛くはない。
「雪ですものね」
 当然なのですと起き上がり、付着した雪を払うでもなくまた走り出す。
 いつもと違う音が聞こえてきて、それがなんだかとても楽しかった。


 窓際。
 明日香は雪を堪能する二人を見守っていた。
 自然と顔が綻んでくるのは、とても楽しそうだからだろう。
 かといって、このままずっと見ているわけにはいかない。
 他にもお寝坊さんがいるかもしれないし、部屋を暖めて着替えの用意をしておかなければ。
 それから、お昼の準備も。
 遊び疲れたら冷えてくるだろうから、何か暖かいものにしよう。
 それから、それから。
「ふふ」
 やることはたくさんある。
 今日も一日、楽しめそうだ。


*...***...*


 あの日。
 緒方 章(おがた・あきら)が、林田 樹(はやしだ・いつき)にプロポーズをした日から、早くも半年以上が経過して。
 二人の関係が変わったかと言うと、答えは『No』。
 何も変わらない。
 いつも通り。
 変わったところといえば、章が鼻血を吹かなくなったくらいか。
 それから、林田 コタロー(はやしだ・こたろう)に友達が増えた。そしてコタローを通じて、樹もその友人――伊礼 悠(いらい・ゆう)と仲良くなることができた。
 良い変化だ。
 大きな進展はないけれど、それでも、一歩一歩、幸せに近付いていけている、ような。
 なんてことを、樹はコタローと一緒に作ったかまくらの中で考えていた。
 かけがえのない時間を、大切な人と過ごせている。
「なあ。今日はコタローの誘いに乗って、良かったな」
 章に笑いかけてみた。……上手く、笑えただろうか?
 コタローはかまくらの外で雪遊びをしていて、かまくらの中には樹と章の二人きり。
 少しだけ緊張しながら、樹は章の目を見た。網の上の餅をひっくり返しながら、「うん。そうだね」と柔らかな声で頷く。
 それから、「あ」と突然声をあげ、
「遅くなったけど、これ。ありがとね」
 章は樹へと微笑んだ。
 『これ』とは、二人が揃いで持っている、ハートの機晶石ペンダントのことだ。
 曰く、恋人同士で持っていれば、どんなに遠く離れていても心を通じ合わせることのできるペンダントだとか。
 もちろん、樹の口からその説明が述べられるはずもなく。
「あ、ああ……それは、二人で、持つらしい……から、な」
 と、言うのが精一杯である。
「樹ちゃん、顔が真っ赤だよ」
「! う、うるさい! そんなことはいいんだ、そんなことは」
 無理にでも話を打ち切った。これ以上この話をしていたら、テンパって何を言うかわからない。
 章も察してくれたのか、うん、と頷いて樹の話を促す。
「コタローのことなんだけどさ」
「コタ君?」
「ああ。あの子も随分、行動範囲が増えたなって」
 今日だって、悠が誘ってくれたから、ここ、イルミンスールの森に来ることができた。
「……最近は、一人でもイルミンに来ているらしいぞ」
「うん、知ってる」
「なんだ。知っていたのか」
 やや拍子抜けしながら、章を見る。章はもうひとつ頷き、
「伊礼くんに空飛ぶ箒の上手な乗り方、教わってるんだって?」
 と、聞き及んだのであろう話を樹に振る。
「ああ。最近は箒の強化の話も聞いてきたらしい」
「頑張るね、コタ君」
「だよな。……まったく、成長が著しい」
「コタ君、春には二年生になる年齢だからね」
 確かに。そう考えると、コタローに友達が増えるのも、知識を追求しようとするのも、自然で必然なことかもしれない。
 かまくらの外では、コタローが可愛らしい雪だるまを作り上げ、
「ねーたん! うきだうまれきた! みてーみてー」
 嬉しそうに、樹を呼んでいる。
「そうか、できたか」
 腰を上げ、かまくらを出る。太陽の光が雪に反射して、一瞬目が眩んだ。瞬きを数度してから、コタローが指出す場所を見る。
 ひの、ふの、み、……。
「あれ?」
 数が、多い。
「なあ、コタロー。これは誰だ?」
「う? こえ、ねーたんれしょ?」
「じゃ、これは?」
「こえ、あき」
「じゃ、これ」
「こたらよ」
 うん。そこまでは、想定どおりだ。
 じゃあ、この、もうひとつ、他のものより一回り小さい『これ』は?
「こえね! あかたん!」
 戸惑う樹に、コタローは胸を張って答えた。予想外の答えに、樹は言葉を失くす。
「あ、『あかたん』?」
 とは、赤ちゃん、のことだろうか。
 子供? 誰と、誰の? いや、愚問か? しかし問うてきた相手はコタローで、……。
「あのね、ねーたん。こた、ずーっとまってうんれすお」
「……コタロー」
「こた、おねーたんになりたいんれす。
 いにゅみんのとしょかんれ、ごほんよんらら、『こうのとり』しゃんが、あかたんつれれくうって、かいてあったれす!」
「…………」
 切実な願い、だと思った。
 ……だけど。
「ねえ、おもち焼けたよー……って、何の話?」
 バッドタイミング。章がかまくらから顔を出してきた。
「あ、アキラっ! 来るな!」
「ええ?」
「あ、いや、来ても良いが、あのそのだから!」
「うん、樹ちゃん。まずは落ち着いて? ほら、深呼吸」
 言われるがままに深呼吸をしていたら、
「ねー、あき。いつになったら、ねーたんとこに『こうのとり』しゃん、くうんれすか?」
 コタローが更に爆弾を投下する。
 もはや何も言えない樹に、
「あー。どうしようね、樹ちゃん」
 さらりと、章。
「わっ、わわわ私に振るか!?」
「そりゃ、僕の相手は樹ちゃんしか居ないんだから」
「わーわーわー!!」
 大声を出し、耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。耳まで熱かった。
 ――どうしようって、どうしようにも、どうしようがないじゃないかっ!!
 ぐるぐるする頭の中で、叫ぶ。
「コタくん。僕はね、ゆっくり待っていようかなと思ってるよ」
「どれくらい、まつのれす? いっぱいれすか?」
「それはわからない。けど、僕と樹ちゃんがこのまま仲良しなら、きっと来るよ」
 その発言で。
 いつか、来るかもしれない時のことを考えてしまった。
 ――私は、アキラと……、……。
 これ以上は、恥ずかしくて考えられなかったけれど。
 イヤだ、とは、思わなかった。
「コタロー。……その、……私とアキラは、……仲良くできる、と、思う。そのための努力も、惜しまないつもりだ」
 確約はできんが、という不安を煽りそうな言葉は心中に留めておく。
「だから、……少し、待っていてくれないか?」
 コタローを抱き上げ、目を見て告げる。しばらくコタローは樹の目を見ていたが、
「うー。わかったのれす。らから、ねーたんとあき、ずーっとなかよしれいてくらしゃい!」
 納得したように頷いて、樹に抱きついた。
「一段落、かな? じゃ、焼きあがったお餅でも食べようか?
 樹ちゃんは磯辺餅だよね。コタ君は……砂糖醤油でいい?」
「う! おしゃとー!」
「うん、わかった。じゃ、かまくらに入ろうか。いつまでも外じゃ、寒いから」
 『コウノトリ』がいつ運んでくるのか、なんて。
 やっぱり、まだ考えられないけれど。
 イヤじゃなかったから。
「……きっと、そう遠くはないのだろうな」