校長室
雨音炉辺談話。
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21 イルミンスールと空京の移動の合間。 列車待ちの空き時間が思いのほか長く、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)は、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)、イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)らと共にヴァイシャリーの街を散策することにした。 「あっ。あのお店、可愛いですわ」 ユーリカが雑貨屋を見て足を止め、寄り道をしたりとそれなりに楽しんでいたところ。 ぽつり、ぽつりと空から雫が降ってきた。 「えっ……雨?」 手のひらを空に向ける。雨だ。間違いない。しかも、これからひどくなりそうな、雨。 慌てて近くの店に駆け込んだ。ケーキ屋だった。ケーキの甘い香りが、する。 「近遠ちゃん。あたし、ケーキが食べたいですわ」 ユーリカが言うと、 「ここのケーキ、とても美味しそうでございます」 アルティアも、便乗。 店に入っておいて、何も頼まないわけにはいかないし。 待っていた列車も、指定席で取っているわけでもないし移動期間にも余裕はある。 なら、もう、いっそ。 「ティータイムに、しましょうか」 雨宿りを兼ねて、アフタヌーンティーを。 *...***...* 休みではあるものの、天気は生憎の雨模様。 「洗濯物も乾かないし、出かけるのもちょっとためらっちゃうよね」 遠野 歌菜(とおの・かな)は、窓の外を見ながら呟いた。地面で、水滴が跳ねている。 ソファに座って雑誌を読んでいた月崎 羽純(つきざき・はすみ)が、ちらり、視線を歌菜へと向けた。なあに、と彼の目を真っ直ぐ見返す。 「目を閉じてみろ」 「え?」 「目を閉じて、雨の音に耳を澄ませてみろ」 「??」 意外な答えに戸惑いつつ、言われたとおりに目を閉じた。聴覚に意識を集中させる。 ぽつ、ぽた、ぱたた、さぁあぁあ。 様々な音が混ざり、なんだかまるで、 「音楽みたいだろ」 「うんっ」 「俺は、雨の降る音が好きだ。だから雨は嫌いじゃない」 そうか、こういう楽しみ方ができるのか、と素直に感心した。色々な見方ができる羽純は凄いと思う。 「それに歌菜。この間買った傘とレインブーツ、使うのを楽しみにしていたんじゃなかったか?」 「……あっ」 言われて思い出した。これから梅雨時期だから、と雨具を新調したのだ。買って以降晴天続きだったのですっかり忘れていた。 「よく覚えてるね」 「嬉しそうにしてたからな」 さらり、返された言葉に少し照れた。覚えていて、くれたんだ。喜んでいたことを、ちゃんと。 嬉しい気持ちでいっぱいになって、自然と笑う。「何笑ってるんだ」と言われたけれど、内緒だよ、と踵を返す。しまってあった傘とブーツを取り出すために。 「出かけるのか」 「うん。出かけたくなっちゃった」 「単純」 「う、うるさいなぁ。……駄目?」 「誰も駄目なんて言ってないだろ。出かけるなら俺もいく」 羽純と並んで支度をして、玄関をくぐる。 「どこいこっか?」 「ケーキが食べたい」 「フィルさんとこだね。わかった」 買ったばかりの傘を差して。 ぱちゃぱちゃと、雨を蹴りながら、歩く。 天気のせいか、道を歩く人の姿は一向になく。 しん、と静まり返ったこの世界は、まるで。 「何だか」 「ん?」 「世界に二人だけになっちゃったみたい」 「そうなったら」 「なったら?」 「フィルのケーキが食えないから、困るな」 「あはは。確かに」 まあ、そんなわけないよね。笑い飛ばして、角を曲がる。買い物帰りの主婦らしき人とすれ違った。世界に二人きりなどではないと、確認。ほっとしたような、少し寂しいような。 「フィルさんってさ、羽純くんのこと『はーちゃん』って呼ぶよね」 「呼ぶな」 「私も『はーちゃん』って呼んでみていい?」 「……なんで」 「響きが可愛かったし」 それに、なんだか特別な呼称みたいで。 彼を、そんな風に呼べるフィルのことが、少し羨ましくて。 「……はーちゃん♪」 いたずらっ子のように笑って、呼んでみる。瞬間頬を抓られた。容赦なく両手で。 「い、いたた。いたいよ羽純くん」 「ふざけたこと言ってると、伸ばすぞ」 「もう伸びきってるよ!」 ぱしぱしと腕を叩いて、ギブアップを示す。と、ようやく手を離してくれた。じんじんと、鈍痛。 「うぅ、羽純くん、ひどい」 頬を両手で挟み、抗議するため見上げると。 羽純が、笑っていたので。 「…………」 「頬、赤いぞ」 「誰かさんが抓るからだよ。本当、ひどいなー」 他愛のない話を繰り返し。 雨が傘に当たる音に耳を澄ませて。 ゆっくりと過ぎていく時間に、雨の日もいいな、なんて、思う。 「歌菜」 不意に、羽純の声が後ろからした。隣を歩いていたはずの彼は、いつの間に立ち止まったのか数歩後ろで歌菜を手招いている。 なあにと傍に寄ると、 「あ」 雨に色づく紫陽花の花。 「綺麗」 「いいだろ、雨も」 「うん。好きになれそうだよ」 笑い、再び歩き出す。 『Sweet Illusion』はもう目の前だ。 「こんにちは、フィルさん!」 元気よく挨拶し、入店。フィルを見ると、今日は男の格好をしていた。 「男装の日なんですね」 「そー。似合う?」 「はい、とっても!」 ――ちょっと得した気分だよね。羽純くんには内緒だけど。 何せ、フィルの男装はつい目を奪われてしまうほど格好いい。もちろん、女装のフィルも可愛らしくて素敵なのだけど。 ――男装はまた一段と格好い…… なんて考えていたら、羽純にデコピンされた。 「いた〜い」 額を押さえて羽純を見る。ふん、とそっぽを向かれてしまった。……もしかしてこれは。 「……ヤキモチ?」 ぽつり、零した一言にフィルが「あはははは」と声を上げて笑う。 「二人とも本当面白い」 「えー。普通ですよ普通。それよりフィルさん、羽純くんたらひどいんです!」 「酷いのー?」 「はい! ほっぺつねったり、デコピンしたり! どうしたら羽純くん、優しくしてくれますかね?」 相談に、フィルがまた笑う。歌菜も笑いそうだ。羽純ひとりだけ、むすっとした顔をしていた。 「……フィル。そいつの話は聞き流せ」 「いくらはーちゃんの頼みでもそれは聞けないなー」 楽しそうにフィルが言うので、 「だって、はーちゃん♪」 歌菜も便乗した。フィルと声をそろえて笑うと、羽純がうんざりとした顔になった。 「二人とも笑うな」 「いやー面白くてさー。ごめんごめん、拗ねないではーちゃん」 「拗ねてない。あとフィル、はーちゃんって呼ぶのやめろ。歌菜が真似する」 「いいじゃん、可愛くて。ねえ?」 「ですよねー」 「……ああもういい。何も口出さない。だから早く一番美味いケーキを寄越せ」 簡潔な要望に、歌菜はフィルと顔を見合わせた。これ以上つつくと怒られそうだと判断して、からかうのはやめることにした。 「歌菜ちゃんはどうするー?」 「私も羽純くんと同じもので!」 オーダーを済ませて、窓際の席に座る。 雨音のよく聴こえるこの場所なら、また音楽を楽しむこともできるだろう。 *...***...* 三井 藍(みつい・あお)は、三井 静(みつい・せい)に対して嫉妬することがある。 静は、最近そのことに気付いた。 嫉妬の理由にも。 気付いてしまった。 「…………」 『藍は、静のために存在している』。 そう、思っている。 だから、藍以外の、自分以外の、『静を守れそうな』人が、静の近くにいることを嫌う。 嫉妬だ。 嫉妬している。 だけど、それは。 「嫉妬じゃないんだよ。静」 ぽつり、呟いた自分の声は、ひどく冷たく平坦で。 降りしきる雨の音に紛れて消えた。 この雨は、静の中に渦巻く感情も、消してはくれないだろうか。 流して、全て、なかったことに。 気付けば、雨の中にいた。寮を飛び出していたらしい。 「少しは、落ち着きましたか?」 声がした。ぎょっとする。 「あ、」 ケープの状態の、三井 白(みつい・しろ)だった。無意識に羽織ってきたのか。雨具代わりに。 「ごめん」 意図的ではなかったとはいえ、雨の中連れ出してしまったことを謝る。「大丈夫です」と返された。 「それよりこんな場所では私がいても風邪を引きますよ。どこかで雨を避けてください」 「うん……」 事実、静の身体は濡れていた。逢魔ヶ刻を迎え、気温も下がっている。寒い、と身体を震わせた。 だけど、行くあてはなくて。困って、辺りを見回す。 そんな時目に入ったのが『Sweet Illusion』だった。濡れた身体で訪れたら迷惑かもしれない、と逡巡したが、背に腹は代えられず、ドアを握る。 「……こんにちは」 言ってから、もうこんばんはかな、とぼんやり思った。フィルが、静を見て少し驚いた顔をした。 「どうしたの。雨だよー」 傘を持っていないことに対しての言葉だろうか。「ちょっと」とお茶を濁して、 「入っても、いい……?」 問うた。 「そんな捨てられた猫みたいな目でさー、言わないでよ。断れるわけないじゃない」 おいで、と招かれたので会釈して入る。 「コーヒーと紅茶とココアがあるよ。あとミルク」 「……じゃあ、紅茶で」 「かしこまりました。これ、タオル。使って」 「ありがとう……」 ケープを脱ぎ、タオルで濡れた箇所を拭った。それだけで、寒さが和らいだ気がした。 ふと気付いたら、白が人の姿になっていた。静の傍に、立っている。 「保護者代わりは不本意ですが」 白の手が、静の頭を撫でた。不意に、なぜか、泣きたくなった。俯く。 「人ってさ、溜めるの好きだよね」 フィルの声がした。目の前に、ティーカップが置かれる。 「溜めすぎると、動けなくなるよ」 「…………」 「少し出していったら?」 「……大したことじゃ、ないんだ」 そう、本当に、きっと、他人からしたら、なんてことない。 「ただ、……恋でもないくせに、嫉妬なんてしないでほしいな、って」 「相手のものが恋じゃないって、静ちゃんにはわかるの?」 「わかるよ。……僕のは恋だから」 違うって、すぐにわかったんだ。 それで、悲しくなって。 「……あれ」 涙が一粒、零れた。 いきなり泣いたりしたら、フィルや白が困るのに。 乱暴に拭っていると、白の手が優しく頭を撫でて。 フィルの声が、「いいよ。泣いてきなよ」背中を押してくれた。