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比丘尼ガールとたまゆらディスコ

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比丘尼ガールとたまゆらディスコ

リアクション


chapter.9 Help! 


「……狂ったか、兄者」
 謙二が言うと、間座安はケタケタと歪な笑みを見せた。頭巾で見えないが、少なくとも彼にはそう思えた。
「狂っているのはあなたたちです! 愛がわからないのなら、死になさい!」
 言って、間座安は隠し持っていたと思われる線香の束に火をつけると、それを大部屋へとばらまいた。間座安が部屋を離れると同時、瞬く間に部屋のあちこちで炎が燃え上がる。
「逃げろ!! すぐここから逃げるのだ!!」
 謙二がそう叫んだのをきっかけに、全員が部屋を飛び出した。
「あ、でも待って……これってまだ、中に他の尼僧さんたちが……」
 ふと、誰かが声をあげた。しかし既に広がってしまっている炎の中ではどうすることもできず、各々が身を守るので精一杯だった。
 きっと、中にはまだ火の手があがっていることすら知らず部屋にいる尼僧もいるだろう。そんな彼女たちを救う術は、ないのだろうか。
 否。廊下を抜け、本堂から出て来た謙二たちと入れ替わるようにして、この時、Can閣寺に足を踏み入れようとしている者たちがいた。
「マスター、ひょっとして今からここに乗り込むつもりっすか」
「ああ、そうだ」
 そんな会話を本堂前で交わすのは、アキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)と彼の従者――いや、彼が先日まで開いていたお店「DAN閣寺」のナンバーワンホスト、埼玉県民だ。
「この様子見てくださいよマスター。なんか奥の方でちらっと火事っぽくなってますよ!? それでもいくんすか」
「……ああ、ついでに言っとくと、俺がDAN閣寺をつくったのは、この時のためだ」
「え?」
 県民の問いに、アキュートが答える。
「ずっとあそこで、ヤツらの秘密を探ってきたんだ。接客のふりをしてな。俺は、善人の皮を被って商売するヤツらが許せねえ」
 そう言うアキュートだったが、彼の表情から尼僧らに対する怒りは感じられない。むしろあるのは、彼女たちをどうにかして救いたいという意志だ。
 この時のため、と言ったのもおそらく、このくらいの非常事態にならなければ、尼僧たちの目を覚ますことは出来ないだろうと思ってだろう。
 確かに、住職が寺を燃やした事実、寺が消失する事実を目の当たりにすれば尼僧たちの目は覚めるだろう。だが、寺が炎に包まれてからではそれは遅いのだ。
 心と共に命も助けなければ、尼僧らを救ったとは言えない。
「お前には、騙すような形になっちまって悪かったな。接客、見事だったぜ。元気でな」
 元気でな。それは紛れもない、決別の言葉。アキュートは県民にそう告げると、ごそごそと荷物から衣装を取り出した。この状況でなにか着替える必要があるのか、それは県民には分からなかったが、そんなことよりも彼には、アキュートにぶつけたい言葉があった。
「何言ってるんすか、マスター!」
 驚いて彼を見るアキュート。その視線を真っ正面から受けながら、彼は言った。
「俺、あそこで働けて良かったっす。空京に、東京に負けるか……って、そんな歪んだコンプレックスの固まりだった俺を、醜い虚栄心に塗れた俺を、ここのお客は呼んでくれたんすよ! さいたま、さいたまって!!」
「お前……」
「俺はさいたまなんだ、東京とも、茨城とも比べる必要はないんだって……あそこは、DAN閣寺はそう教えてくれたんすよ!」
 気がつけば、県民の目からは涙が流れていた。そこに、アキュートのパートナー、ウーマ・ンボー(うーま・んぼー)が声をかける。
「わかっているではないか、さいたまよ。『漢が己を磨くのは、他人を映すためではない』ということを。おぬしはもう、紛れもなき漢。自信を持つが良い」
「ウーマさん……ありがとうございます!」
 ウーマに深く一礼した後、県民はアキュートに向かって言った。
「マスター、DAN閣寺はもう終わっちまうけど、最後までお供させてください!」
「……来るなとは言えない。だが、本当に来るのか?」
「お願いします!」
 アキュートの問いにそう答える彼の目は、真剣そのものだった。
 この男に、迷いはもうないのだな。
 アキュートはそう感じ、小さく笑ってみせた。
「……ふっ、悪かったなさいたま。行こうぜ、俺たちの戦場によ」
「はいっ、お供します、マスター!!」
 そして県民はアキュートの持っていた衣装を手に取ると急いで着替え、アキュートとウーマが燃える本堂に入っていくのを追いかけた。

 Can閣寺の中では、尼僧たちがまだ火事に気づかず、ガールズトークをしていた。
 がしかし、焦げ臭い臭いと熱気を感じ取った何人かが異変に気づき、大部屋へと向かう。そこで初めてこの非常事態を知った尼僧らは、大慌てで他の尼僧にも伝え回る。しかし既に、出入り口に向かう廊下は炎に塞がれていた。
「ええっ!? ちょ、ちょっとなんでこんなことになってるのっ!?」
「佳奈子、落ち着いて。とにかく今は、避難路の確保よ」
 寺に残ってお喋りをしていた佳奈子は、完全にパニック状態になっていた。それをエレノアがどうにか落ち着かせる。とはいえ、事態は一刻を争う。落ち着いてばかりもいられない。
 どうすれば、ここから無事脱出できるのだろう。エレノアが辺りを見回す。
 その時、彼女は見た。
 炎を超えてこちらにやってくる、ふたりと一匹のマンボウを。
「あれは……!?」
 驚きと同時に、困惑を隠せないエレノア。それは隣にいる佳奈子や、他の尼僧たちも同じだった。
 なぜなら、アキュートと県民、そしてウーマはどういうわけか、この非常事態にサンバダンサーの衣装を着ていたのだ。さっき着替えていたのは、これのようだ。
「オ〜レ〜オ〜レ〜 さいたまサーンバ〜」
 声を揃えてそんな歌を歌いながら、アキュートたちは彼女たちに近づく。
 一体なぜサンバなのか、なぜ明らかに燃え移りやすい衣装でここに着ているのか。彼女たちにはまったく理解できなかったし、事実アキュートたちの衣装には早くも炎が移っていたが、それでも彼らは堂々と立っていた。
「た、助けに来てくれたの……?」
 おそるおそる、佳奈子が尋ねる。するとアキュートは、なるほどなと何かを納得した表情で、県民とウーマに耳打ちをした。
「俺としたことが、選曲を間違っちまったな。こっちの方が、馴染みのメロディーだろ?」
 言って、アキュートたちは再び声を揃える。
「ダンッダンッダッダンッ! ダンッダンッダッダン! ダッダッダッ ダンッダン!!」
 そう、それはごく一部の者の間ではお馴染みとなっていた、ホストクラブDAN閣寺のテーマソングだった。その懐かしいメロディーに、その場にいたひとりの尼僧が反応した。
「まさか……埼玉?」
 それは、度々DAN閣寺に顔を出していた、酔いどれ尼僧だった。確かに最初は妙な衣装のせいで誰だかわからなかったが、県民の面影がある。
 そんな尼僧に、県民はウインクしてみせた。
「ハニーたち、高級バッグ? 流行りのレストラン? オーケーっしょ。それが愛を伝える手段であるうちは、なんでもオーケーっしょ。でもハニーたち、キュートな胸に手を当てて考えてごらん?」
 びしっと、彼が尼僧たちに人差し指を向ける。尼僧は感動すら覚えた。
 ああ、このどこか間の抜けたダサさ。洗練されているようでされていない、心地よいダサさ。
 尼僧の母性本能は、強烈に刺激されていた。
「いいかい、愛を手段にしちゃダメさ。目的と手段が、入れ替わってないかい?」
 そう問いかけると、県民は手を差し伸べ「ラブアンドピース」と呟いた。
「そのダサさ、やっぱり埼玉県民ね! 埼玉っ!!」
 尼僧がその手を取る。そして彼女は言った。
「この人たちはね、悪い人じゃないの。だから、信じても大丈夫!」
「……信じるも信じないも、この状況だったら手を取るしかないけれどね」
 エレノアが冷静な言葉を言いながら、彼らに近づいた。佳奈子もそれに倣い、他の尼僧らもアキュートたちの元へ集まると、彼らは近くの壁を強引に壊し、新たな避難経路を作った。そこから次々に脱出する尼僧たちを見届けると、彼らも最後に無事外へと逃げ延びたのだった。



 もはや、Can閣寺には誰も残っていないように思われた。
 ――いや、そうではない。
 完全に炎が広がった寺の中、たったふたりだけ、外へ逃げずに留まっていた。
 ひとりは、間座安。どうやら既にその出血量は相当なものらしく、満足に歩くことも出来ない状態だった。ほぼ全員が脱出を果たした今も、間座安はずりずりと這うように廊下を歩いている。
 そして残るひとりは、南 鮪(みなみ・まぐろ)。彼は、そんな間座安の前に立ち塞がるように佇んでいた。
 鮪が、はいているパンツのゴムを引っぱりながら言う。
「ヒャッハァ〜、愛の最終決戦だ!」
 言い終えると同時、パシンとゴムの小気味好い音が鳴った。
 これだけの炎に囲まれているにも関わらず、鮪はいつもと何ら変わりない様子で間座安に告げる。同時に彼は、ハイドシーカーを取り出していた。
「……なんですか、あなたは」
 行く手を塞ぐ鮪に、間座安が言う。が、鮪はそれに応じることなく、ただじっとハイドシーカーを眺めていた。そして、鮪が口を開く。
「やっぱりな! おかしいと思ったぜ、この俺が、いや俺たちが危険を感じるとはな!」
 鮪は、以前同じ場所で、間座安と遭遇した時にかいた冷や汗のことを思い出していた。本来ならそんな汗をかくことなどないはず。にも関わらずあの時鳥肌が立ったのは、互いの愛が強力すぎたからだと彼は導きだした。
 愛の戦闘力の高さを、彼は自負していた。そんな鮪だからこそ、対消滅の危機だと結論づけたのだろう。
 要するに、大きすぎる愛と愛がぶつかりそうになったため、その衝突のエネルギーの大きさに危機感を覚えたということだ。
 それが正しい解かどうかはさておくとして、鮪は少なくともそう答えを出した。
「ヒャッハァ〜、お前の愛闘力もやっぱり測定不能だったな!」
 反応しないハイドシーカーを見て、鮪が言った。おそらく愛の力を測る機能がないだけだと思うが、彼はそれを好意的に解釈する。
「何をわけのわからないことを……どきなさい」
「わけがわからないとは言わせねえ! お前、自分のパンツにあんなに愛を持ってたろう!」
「……?」
 間座安は、眉間にしわを寄せた。彼の発言の意図が掴めていないようだ。無理もないかもしれないが。
 鮪が言うには、尼寺に紛れながらも、堂々と男物のパンツを使っていたことが何よりの証拠とのことだが、おそらく間座安は特に女物をはく理由がなかったからそれをはいていただけであろう。
 しかしそれを知らない鮪は、さらに語りかける。
「ヒャッハァ〜! お前の愛がかなりのもんだってのは充分伝わったぜ! だが俺も今や愛の道を歴史に刻んだ男! あの時とはひと味もふた味も違うぜ!」
 おそらく彼の言う「愛」とは間座安のいうそれとは異なっているが、この微妙にすれ違った会話が、予想外の展開へと彼らを導いた。
「……ふ、ふふ」
 間座安が、小さく笑い呟く。
「まさか、こんな火の中へ来てまで、私と愛を比べ合おうとする者がいるとは……」
 その顔には、消えかけていた生気が戻っていた。
 生き延びなければとは思っていても、自らの状態を悟り死がちらついていた。しかし、愛で張り合われたら、意地でも生きなければならないだろう。
 それが、間座安にとって最上のアイデンティティなのだから。
 鮪と間座安が互いに視線をぶつける。まるで、好敵手を見つけたかのように。
 そんなふたりのそばで、ごう、と一際強い火が吹く。
 火はちょうど鮪と間座安の間にあった大きな柱根を燃やし、ぐらりと崩した。これが引き金となったのか、Can閣寺はガラガラと崩壊していった。