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リアクション
3
何気なく見ていた朝のニュースで、今日は一番月が大きく見える、地球の日本で言うところの中秋の名月です、とアナウンサーが笑顔で告げた。
そうか今日か、と茅野 菫(ちの・すみれ)は空を見上げる。雲がほとんどない、秋らしい淡青が広がっていて清々しい気分になった。
「さ、て」
無意識に呟いて、菫は腕を組む。中秋の名月。といえばお月見だ。すすきを調達して、団子を作って、みんなで秋の夜空を見物しようか。
自らの思い付きにくすくすと笑いながら、菫は夜に向けて準備を始めた。
夕焼けも通りすぎて、空に群青色が混じってきた頃。
「やっほ」
菫はパビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)を連れて、人形工房へ来ていた。
「どうしたの、こんな遅くに」
もう今日の作業はあらかた終わっていたのか、クロエと一緒に本を読んでいたリンスが顔を上げ、問う。遅れてクロエも顔を上げ、「すみれおねぇちゃん、パビェーダおねぇちゃん!」と歓迎の声を上げてくれた。菫は大股で二人に近付き、持ってきた荷物を机の上に広げた。何事かと、リンスとクロエが覗き込む。
「団子、すすき、果物……」
「ねぇ、これって、もしかして!」
「そう、お月見よ。今から準備するからあなたたちは待ってなさい」
ぴしっと指示を出すと、リンスとクロエは同時に顔を見合わせて、それからまた同時に頷いた。長い間家族をやっていると、どうやら反応が似てくるらしい。そんなことに気付き、ちょっとおかしくなった。ふっと笑ってから菫は月見のセッティングを始めた。
人の家ではあるが、そこは勝手知ったるなんとやら。菫はてきぱきと鮮やかな手並みですべきことをこなし、あっという間に月見の準備をやってのけた。
「出来たわよ!」
と声をかけ、窓際へと全員を手招きする。クロエが真っ先に駆け寄って、次いでリンスが、最後にパビェーダがおずおずといった様子でやってきた。
「ほら、ここから月が見える」
「あ! ほんとだ、みえたわ! まんまるいの!」
クロエは満月に興奮したようで、すごいすごいとしきりに声を上げた。その反応を見たリンスも外を見て、「…………」しばらくの間、黙り込んだ。きっと、何か感じ入ることがあったのだろう。パビェーダはというと、一度月を見て、その後はちらちらと横にいるリンスの横顔ばかりを見ていた。
「こんだけわかりやすいのに、気付いてもらえないんだよなー」
つい呟いてしまった言葉には誰も答えなかった。それぞれがそれぞれ、見たいものを見るのに忙しいからだろう。
ひと通り月見を楽しんだ後で、菫は大きな器や盃を用意した。
「これは? なにをするの?」
クロエが無邪気に聞いてくる。菫は、「これはねー……」ともったいぶった言い回しで答えながら、器に、盃に、酒をなみなみと張った。
「こちら、月を見ながら呷るのも乙ですが、その前にもう一手間」
器や杯を持った菫は、窓際に立ち、場所を調整してみせる。
「わぁ……!!」
上手いこと置けた瞬間、クロエの感嘆の声が響いた。
器に、月が映り込んでいたからだ。
「手の届く距離にある月を愛でるっていうのも、いいものでしょ?」
「うん。なかなかいい」
リンスも気に入ったようで、器の中の月や、本物の月を交互に見たりして、時折楽しそうに口端を上げていた。
「さて……と」
ここで再び、菫はぽつりと独り言を呟いた。
「頃合いかな」
この呟きも、誰かの耳に入ることはなかった。各々は、風情のある月の見方を楽しんだり、団子をつまんだり、自由な時間を過ごしている。
ただ菫は、パビェーダがリンスの傍に行けないのをもどかしく思っていた。
好きな人と一緒なんだよ? と、隣に行って発破をかけてやりたいくらいだ。そんなことをしたら逆効果なのはわかっているのでやらないが。ただ、やはり、やきもきしてしまう。
今、傍に行かなくてどうするの。
菫の気持ちが伝わったらしく、パビェーダがぱっと顔を上げた。それから、おずおずとリンスに近付いていくのを見る。
ちょっとお節介だったかと思いつつ、菫は次の行動に移る。
「ねえ、クロエ。ちょっと、外からの景色も見てみない?」
菫の思いつきは、いつものことだ。
巻き込まれるのも、いつものこと。
今日は、ここしばらく来ていなかった人形工房への突撃とお月見。
「……こんにちは」
あの人が傍いる、と思うと、パビェーダは少し、意識してしまう。
きっと向こうはなんとも思っていないだろうし、この想いに関しては、全くの不毛なものだろうけれど。
「こんにちは」
リンスはいつもと変わらぬ平淡な声で、パビェーダの挨拶に返事をした。
「いつも菫が突発的でごめんなさいね?」
「いいよ。多少の賑やかしがあった方が、楽しく過ごせる」
「そう言ってもらえることだけが救いだわ」
できるだけ自然に隣に腰を下ろすと、リンスと一緒に月を見上げた。
「……綺麗」
「うん。すごいと思う」
「盃に写った月も、素敵ね……」
呟きながら、パビェーダは手元にあった盃を呷った。途端に、喉が、胃が、カッと熱くなる。
「あれ、これ……?」
くらくらする頭で盃を見る。水だと思って飲んだのだが、どうやらそこにはお酒が注がれていたらしい。菫が悪戯でやったのだろう。本当にこういうことが好きね、と熱を持った頬を押さえる。
「菫」
注意の一つでもしようと思ったのだが、菫はもう、クロエを連れて工房の外へと行ってしまった後だった。
「まったくもう……勝手なんだから」
口にしつつ、パビェーダは少し期待していた。
菫はいない。クロエもいない。今、ここには、パビェーダとリンスしかいない。
どきどきする、とパビェーダは心の中で呟いた。
二人きりの部屋で。
肩を並べてソファに座って。
月を見上げて。
お酒も飲んで。
「顔、赤いよ」
なんて、リンスからの指摘も受けて。
「お酒のせいよ」
と誤魔化して。
それからパビェーダは、そっ、とリンスの肩口へと頭を預けた。
「フィヴラーリ?」
「…………」
言うべき言葉が思い浮かばず、ただ、黙って寄り添った。
伝えたい想いはあるのに。
知っていてほしい気持ちはあるのに。
「眠いの?」
違うの、と頭を振りたかった。
そんな気持ちじゃないの、と。
けれど、違うと言ったら、私の想いを言ったら、きっと、今の二人の関係は終わってしまうのよ。
だからパビェーダは、リンスの言葉に頷いた。
そう、私、眠いの。眠くて眠くて仕方がないの。
だから、ねえ、あなたの肩、貸して。
勘違いしたまま、何も気付かないままでいて。
「あと少し、このままでいさせて」
それだけ言うと、パビェーダは目を閉じた。
菫とクロエが外から戻ってきたのは、それから三十分ほど後のことだった。
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