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リアクション
1.戦支度・1
タングートの乾いた大地に、いくつもの煙があがっている。
それは戦いのためではなく、その準備のためのものだ。
都に住むものは慌ただしく荷物をまとめ、珊瑚城に貴重なものを運び込んでいる。その一方で、腕に覚えのあるものは武具の支度に余念なく、火の手のあがるときを今か今かと待ちわびているようですらあった。
そんな折だ。都の中央部、珊瑚城の片隅につなげられたゲートから、一人の人物が姿を現した。
上品な濃紺の生地に、白い薔薇と龍が繊細に刺繍された長い丈のロングチャイナドレス姿の黒崎 天音(くろさき・あまね)だ。
「黒崎……」
迎えに出ていた鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、思わずその姿に見惚れた。タングートの土地柄を鑑みて、女装姿で行くとは聞いていたが、想像以上に綺麗だと思った。
「おかえりなさい」
続けられたその言葉には万感の思いもこめられていた。タングートという土地でこの言葉を口にするのもおかしな気もするが、それがどこであろうとたいした問題ではなく、尋人にとっては黒崎が薔薇の学舎に戻ってきたということのほうが大事だったのだ。
気持ちを抑えきれず、尋人は両手を伸ばすと天音を抱き締める。寄せられた唇を、天音もそんな尋人の意を汲んで、自然に受け止めた。
ここにいることを確かめるための、そんな触れあいのキスだった。
「ただいま。その格好可愛いね」
「え? あ、……ありがとう」
尋人は若干まごついた。尋人のほうもまた、ここでは女装のほうがなにかと便利だということで、スカート姿だ。しかし、問題は、それがメイド服だということだろう。
着替えた時は、自分で絶句してしまった。幼い頃ならばそれなりに似合っていただろうが、健やかな成長期を経て、尋人も今はそれなりの青年らしい体格になっている。顔立ちは中性的な分まだ見られるが、いかんせん肩幅や筋肉のついた手足は隠しようも無い。
「努力だけは認めてもらえるかな」
「もちろんだよ」
天音に言われ、ほっと安堵しつつ、尋人は頼まれていた地図を天音に渡した。
事前に共工への書簡を預けられた尋人は、それを相柳に届けた時に、タングートの地図を手に入れていた。
「ありがとう。ブルーズに調査も頼んでいたのだけど、やっぱり自分の目でも確認したくてね」
タングートと、その都の郊外の案内を、天音は希望していた。そのための準備を、尋人のほうで整えていたのだ。
「たしかに、まずはこのタングートのことを色々知る必要、あるよね」
尋人には、迷いがあった。
突然、『世界が滅ぶ』などと聞かされれば、当然のことだろう。
もちろんそれを止めたいと思っている。けれども、そのためにどうすればいいかが、まだ尋人自身はっきりと見極められないでいた。
「約束までは、まだ時間があるようだね。先に案内をしてくれる?」
「ああ。ただ、もう外にはソウルアベレイターの軍勢が集まっているから、あまり遠くまでは行かれないよ」
そう前置きをして道を案内しつつも、尋人は考えていた。
今は彼の手伝いをしつつ、自分ができることを探そう、と。
道案内をしているようでいて、本当はその背中に随行しているのが自分のほうなのだと、尋人にはわかっていた。
「ところで、ルドルフ校長はなんて?」
「ああ……親書は預かってきたよ」
天音は頷き、その際にルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)と交わした会話を思い出していた。
「少し気になっている事があるから、それが解決するまでイエニチェリは保留にして貰えるだろうか?」
校長室でルドルフと向かい合い、天音はそう告げた。
薔薇の学舎に復学はするがしかし、イエニチェリについてとなると話は別だ。
「それはかまわないよ。君にも、色々と考えることがあるだろうから」
「そうだね。たとえば……、僕らに隠してる事あるでしょう? “ソウルアベレイター”の事とかね」
不快感を微かににじませて天音が尋ねると、ルドルフはわずかに怪訝な様子を取り、そして、ややあって得心したように続けた。
「ナラカの太陽。あれが“一体なんなのか”について疑問を持ってみれば、ソウルアベ
レイターとの関連は想像の一つにあった。そして、イーダフェルトを襲ったソウルアベレイターの件を鑑みれば、彼らが近々タシガンに対し何らかの動きを見せる可能性もね。あったのは、確証では無く、予感に近いもの。それだけだ。僕が彼らについて知っている事は君が想像しているほど多くはない」
「“彼ら”は君のことを知っているようだった」
「目を付けられていたのだろうね。――僕にも闇の声があった」
ルドルフは初めてそれを口にして、わずかに自嘲めいた笑みを浮かべた。
思えば、もっとも力あるものを引き入れようとしたのならば、ルドルフを真っ先にスカウトしたとしても不思議な話でもないのだ。
「……どんなことを言われたんだい?」
天音は彼の表情を見ないでやるように、わずかに視線を落として訊いた。
返ったルドルフの声には努めたような冷静さがあった。
「ジェイダス様を超える力が欲しくないか、と」
それは、現状のルドルフにとって、心の奥底へ毒針を突き立てられるに等しい恥辱と痛みを持った言葉だったろう。
天音はルドルフの方へ視線を上げた。
「こうしているということは、君はその声に逆らうことが出来たというわけだ」
彼がどんな言葉をもって暗闇からの声を振り払ったのかは分からない。
しかし、その結果自体は目の前にあった。
ルドルフは天音の言葉に無言の肯定を返し、切り替えるように軽く息を落とした。
「あの三人のソウルアベレイターについて、僕から改めて言えるのは、彼らが単純に強大な力を持っているだけの存在ではないということだ。永く冥府の虚無を彷徨い、生き抜いて来ただけの狡猾さを持ち、また、人の業と絶望……“弱さ”を知り抜いている。声に従ってしまった者が居ても、強く責められるものではないだろう」
そして、それからルドルフが告げたのは、三人のソウルアベレイターの名前だった。
ニヤン、ナダ、ラー・シャイ。
いずれも、闇の声が聞こえた際にルドルフに告げられたものだった。
「三人組なら、オレもちらりと見かけたよ。なんだか、不気味な感じだった」
三人が珊瑚城を訪れたときのことを、かいつまんで尋人は天音に語った。
「なるほどね……」
そんなあれこれを語るうちに、喧噪を抜け、二人はタングートの郊外へとたどり着いた。今はまだ、嵐の前の静けさに包まれてはいる。だが、乾いた砂漠の向こう、地平線のあたりには、黒い瘴気が漂い、空へと黒く立ち上っているのが見えた。おそらくあれが、ソウルアベレイターの軍勢だろう。
ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)から届けられた調査報告書には、砂漠化が進んでいるものの、地下水脈は豊富に存在が確認できたとあった。おそらく、それをタングートの都に集めているのが共工の力なのだろう。
しかし、だ。以前は森林地帯だったこの土地が乾いた砂漠になったことは、共工の力の衰えの証明のように天音には思えた。
その目で実体を確認すると、天音と尋人は珊瑚城にとって返した。
「書状、たしかに受け取ったぞ。大義であった」
共工はいつものチャイナドレスに胸当て状の鎧と甲をかぶり、すでに荘重な戦の装いであった。それでいて、その色香には毛ほどの遜色も無い。
「こちらは、薔薇の学舎校長、ルドルフ・メンデルスゾーンよりの親書です」
天音は優雅な物腰で共工に挨拶を済ませ、さっそく親書を手渡す。同じく大広間にて控えていた相柳が天音より受け取り、共工へと手渡す。
白くなめらかな紙をはらりと開き、共工は文面に目を通す。
そこには、今回の戦に関して、薔薇の学舎および各学校からの生徒が義勇兵として参加しているが、正式に協力関係を結ぶことで、彼らに対しての保護を求めるものだった。
「ふむ……」
「いかがでしょうか。共工様にとって、不利益はないかと存じますが」
「そうじゃな。助太刀しようという心がけには感謝する。そして、感謝には実利をもって報いるのが我の流儀じゃ。……糧食や万が一の治療など、我が軍と同等の処遇をもって迎えることを約束しよう」
「感謝いたします」
深々と天音は頭を下げ、それから、先ほどから感じていた疑問を口にした。
「ところで、共工様は水を操る力をお持ちとか……なのに、このタングート周辺が砂漠化している理由は何なのでしょう?」
「……では問おう。そなたらが住んでおったと申す地球とやらで砂漠化がすすんでいるのはどのような道理じゃ?」
「それは、自然的要因と、人為的要因のふたつがあわさった結果ですね」
「ならばタングートも、そのような変化からは逃れられぬということじゃ。……たしかに我の力をもってすれば、水を呼び寄せることはできよう。しかし、完全な無から有を作り出すことはできぬ。すべてを森に戻すほどの水を呼び込めば、その分どこかに巨大な歪みが生ずるは必至。我はただ、それを望まぬだけじゃ」
「……なるほど。大変ぶしつけな問いかけ、失礼いたしました」
「しかし、ナラカの太陽。あのエネルギーがあれば、それも可能やもしれぬな」
どこか挑発的にそう言葉を結び、共工は口の端に笑みを浮かべた。
決して、彼女にしても善意だけで動いているわけではないということなのだろう。
天音はそれに対しては返答を避け、改めて礼を述べると、大広間を辞去したのだった。
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