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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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 やがて完全に日が落ちて。しんと静まり返り、人どおりも絶えた道をひたひたと歩く者がいた。
 コートと帽子で体のほとんどは隠れていたが、輪郭線から男であると分かる。背丈はそんなに高くない。どちらかといえば小男の部類だ。老けているのか心持ち猫背で、両腕にはそれぞれ中ぐらいのトランクを提げている。
 やがて公園に入り、街燈のあかりの届かない真っ暗な木の影でトランクを下ろして鍵を開けた。そっと大事そうに中の物を取り出して掲げる。
「出てこい、おまえたち」
 呼び声に呼応するように、ゆらゆらと巨大な黒い影が2つ、まるで地面から染み出してくるように現れた。ただ、どちらも真っ黒というわけでなく、片方は灰色のようで、もう片方はさらに白色が増している。人の顔でいうなら口のあたりに横一線のひび割れのような陰影があり、今にもぱっくり開きそうだ。
(……これもマガツヒになりかけているな。ミサキは強力なだけに間隔が短い。やはりもうそろそろ替えるころあいか)
 そんな考えはおくびにも出さず、男は命じた。
「さあ行け。ハ・ヅチの者を連れて来い」
 男からの命令に、ミサキガラスは地面にもぐり、目的のハ・ヅチ家に向かって走る。その姿に男は「やれやれ。まだ言うことはきくようだ」と肩を竦めると、もう1つのトランクから小さめの頭がい骨を取り出して先の2つの横に並べた。
「おまえはここでいつものようにわたしを守るんだ。だれも近づけぬように、しっかり見張っているんだぞ」
 現れたミサキガラスは男の命令にこくんとうなずき、ゆらゆら揺れながら少し離れた場所へ移動していった。
 先の2つのミサキガラスは競い合うように地や壁を疾走し、ハ・ヅチ家へと迫る。しかし壁に到達する1メートルほど手前で突然バチッと火花を散らしたかのような抵抗にあった。思わぬ反発に驚いてか、はじかれるように地面から飛び出す。
「――きた!」
 室内のリンゼイと庭に身を潜めていた歌菜が同時に反応する。
 真っ先にミサキガラスと遭遇したのは、やはり歌菜だった。紅焔と月光の槍大空と深海の槍、2槍をそれぞれ手に握り、しげみから飛び出す。ヤタガラスは壁伝いに内側へ入ってきたところで、家屋の軒目がけて地面のなかを移動しようとする影目がけ、歌菜は思い切り槍を突き込んだ。
「やあっ!」
 槍はたしかに影を捉えたが、影は槍を避けるように左右に分かれ、地面を泳ぐように走っていく。
(もう撮影は十分だ)
 その光景に、小次郎は撮影をやめてデジタルビデオカメラをしまうと、代わりに曙光銃エルドリッジとレーザーガトリングを握った。屋根から飛び下りざま、二丁拳銃で地面の影目がけ五月雨撃ちを仕掛ける。不安定な体勢ながらも射出された光弾は正鵠を射て、地面ごとえぐるようにミサキガラスを散らしていく。
 もしもヤタガラスが叫べたならば、悲鳴が響き渡っていたに違いない。
 地面に着地した小次郎は、その瞬間の一番無防備なときが狙われると承知で、ひざを着いて衝撃を吸収すると同時に横へ転がる。そうする間も攻撃の手は緩めず、影がまとまろうとするたびにその空間をねらい撃ち、散らした。
 しかしミサキガラスもむざとやられてばかりではいない。1体ずつ、それぞれ180度離れた位置で集束し、小次郎の銃撃の精度を落とそうとする。
「ちッ」
 迷ったのは一瞬だった。片方に絞って銃撃した彼の後ろで、庭に出てきたシャオの放ったバイタルフラッシュがもう片方のミサキガラスに命中する。それでも完全に散らしきれない部分を、リンゼイの悪霊退散の光が焼いた。
「ここは私たちが引き受けたわ!」
 シャオの言わんとする言葉に、歌菜は「うん」とうなずくと、背中の虹色の翼をはためかせて音もなく空へ舞い上がった。そしてそのまま身を翻し、ハ・ヅチ家を離れて外法使いヤ・トを探しに行く。
 ヤタガラスを倒すには影をいくら攻撃しても無駄。外法使いが持つ、本体である憑り代の頭がい骨を砕かなければ。
(きっとこの光景をどこかで見ているはず!)
 ハ・ヅチ家が見える位置で人目につかない場所を重点的に探そう。歌菜は蝶の翼を夜気に乗せてひらめかせた。
「さあ、あなたたち。ハ・ヅチさんたちがいるこの屋敷のなかへは、一歩も入れないわよ」
 もしかしたらこちらの言葉は敵に伝わっているのかもしれない――その疑いからシャオは目の前のミサキガラスに向け、ハッタリをかます。
 その間にも小次郎、リンゼイ、シャオによる攻撃の手は緩まず、散った影が集束しようとするたびにその地点を散らしていた。ミサキガラスが攻撃できる状態にまで持っていかず、その前で砕くのだ。そうしていれば、いずれ回復が追いつかなくなるか、あるいは歌菜たちが外法使いを見つけてどうにかしてくれるはず。
 だがしかし――……。
(なんだ?)
 その変調に真っ先に気づいたのは小次郎だった。
 もともと白っぽかった1体が、散らされるたびに白化を増していた。やがて完全な白い影となる。そして人でいうなら頭部で、口のある部分にはっきりと横一線の切り込みが入ったのが分かった。
 その異様さに軽く息を飲んだ小次郎の気配を察してそちらを向き、すぐにリンゼイとシャオも異変に気づいた。
 何かが起きようとしている――そのことに目を奪われ、知らず攻撃の手が緩んでしまう。
 光に体の一部を散らされながらもむくむくと巨体化した白い影はぐいんと片腕を伸ばし、もう1体のミサキガラスを掴む。横一線がばりりと上下に裂けて、その下からのこぎり刃のような歯が見えたと思うや、暴れるミサキガラスの抵抗などものともせず、バリバリと頭からかじって食べてしまった。
 目の前で起きた出来事に、わが目を疑う思いでいる3人の前。白い影はケタケタと声も出さず嗤った。



「!!」
 突然目の前でバキっという音をたてて割れた頭がい骨に、男――外法使いヤ・トは反射的、一歩後ろに飛び退いた。
「……くそ。変化(へんげ)しやがったっ」
 癪に障るものを見る目で割れていないもう1つの頭がい骨を見つめる。
 ああなってしまってはコントロールは無理だ。マガツヒは到底人間の手に負えるものじゃない。
「まさかあんなやつらが守っていたとはな……。ええい、いまいましい」
 頭がい骨を砕くべきだろうか? しかしそれでマガツヒを抑えられるのか? ヤ・トはそれについて知らなかった。マガツヒに対しては外法使い間ですら情報がほとんどない。もしかしたら激怒して、こちらへ向かってくるかもしれない……。
 ためらい、短い逡巡のあと、とにかくトランクへ戻してその場から立ち去ろうとする。
 そこにキラキラ輝く虹色の鱗粉をきらめかせながら歌菜が降下した。
「見つけた!」
 蝶の翼をつけた女性が空から舞い降りてくる光景にヤ・トがあっけにとられている隙に、サザンクロス☆スターからまばゆい光を放つ。
 夜の暗がりに慣れた目にその光は強烈で、思わず目をつぶってしまったヤ・ト目がけて槍を突き込もうとした歌菜だったが、2人の間に割り入った黒い影に邪魔をされた。
 ミサキガラスは歌菜を真似て、両腕の部分を槍に変形させている。それでなくとも覆いかぶさらんばかりの巨躯だ。
「羽純くん!」
「ここにいる」
 すぐ後ろで応じる羽純の声が聞こえた。羽純がいる。なら、何も怖くない。
 聖槍ジャガーナートの2槍を携えた羽純と連携し、歌菜は果敢にミサキガラスへ向かっていく。ミサキガラスの攻撃は羽純がアブソリュート・ゼロで防ぐ間に、2槍の乱撃で影を削るように散らした。
 彼らが戦っている後ろでは、ミサキガラスが2人の相手をしているうちにとヤ・トがトランクを抱えてあたふたとその場から走り去ろうとしていた。
 その手に突然激痛が走って、トランクを落とす。
「なにっ!?」
 驚きに目を瞠るヤ・トの前で、空間がぐにゃりと揺れた。ゆがんだ風景のなかから少年の顔が現れ、次に肩、胸、腕と現れていく。手には槍が握られていて、先端に少し血がついていた。
 光学迷彩を解いたセルマは、ヤ・トにとって唐突に目の前に出現したように見えただろう。すっかりおののいているヤ・トから視線を下にずらし、足元に転がっているトランクを見つめる。トランクは地面の石にぶつかった拍子に全開していた。中身は2つの頭がい骨だ。
「あっ、待てっ!!」
 槍を持ち上げたセルマの意図を悟り、あわててヤ・トが手を伸ばす。しかしその手が頭がい骨へ届くより早く、セルマの槍が貫いた。
 瞬間、歌菜たちと戦っていたミサキガラスがパッと霧散する。
 残るはもう1つの頭がい骨だ。
 セルマはこのとき、ハ・ヅチ家のミサキガラスがマガツヒに変貌を遂げていることを知らなかった。そして、ヤ・トのような知識もなく、もしかしたらとためらう要素が思いつかなかったことが幸いした。
 何の躊躇も見せずに槍を突き込む。頭がい骨がセルマの槍によって砕かれたとき、ハ・ヅチ家で暴れていた白い影――マガツヒもまた、消失したのだった。



「さあ話してもらおうか」
 羽純のテレパシーで居場所を伝え、集まった全員でヤ・トを囲む。
「一体おまえの後ろにはだれがいる? だれの命令でおまえはミサキガラスをつくっているんだ」
「お、おまえこそ、何者だっ。こ、こいつらは……」
「おれか? おれはおまえが10年前襲ったハ・バキ家の者だ。覚えてないのか? あれは外法使いの仕業だと、再調査を陳情に行った者のことを」
 クインは魔女だ。10年前と変わらない姿に、ヤ・トは遠い目をしたのち、ハッとなる。
 ヤ・トを見下ろし、問いただしているうちにクインの脳裏にはツ・バキの姿と当時の出来事が津波のように一気に押し寄せていた。感情が高ぶり、乱暴に胸倉を掴んで引っ張り上げる。
「一体だれの命令であの家を襲った! それともきさまが使役するためか! ツ・バキお嬢さまをミサキに変えたのか!? さっきのあれがそうだったのか!!」
「ひっ、ひいっ……ひいっ……。ちがっ……、おれじゃない……」
 クインの剣幕に押されて、ヤ・トは宙に浮いた足をじたばたさせ、手を振って、できる限りクインを遠ざけようとする。
「あっ、あれは――」
「言え!! だれがやらせた!!」
「くっ、クク・ノ・チさまだ!!」
「……なに……?」
 まさか太守クク・ノ・チの名前が出るとは。驚きのあまり、ヤ・トを掴む手の力が抜けた。
 ちらとも疑ったことのない相手だった。肆ノ島太守クク・ノ・チは肆ノ島だけでなく、全島の民から尊敬を受ける優れた男だ。真面目で礼儀正しく、品行方正、頭脳明晰で優秀な法術使いでもある。
 たしかにツ・バキとは婚約していたが、ツ・バキをそんな相手として見ている様子は皆無だった。どちらかというと法術の探求に余念がなく、女性など二の次。ツ・バキとは公式の場以外で顔を合わせたこともなく、その存在すら覚えていたかどうかあやしいという間柄だった。どう考えても、クク・ノ・チに婚約を解消された痛手があったとは思えない。
「きさま、この期に及んでそんな言い逃れを――」
「クインさん、落ち着いてください!」
 殴りかかろうとこぶしを引いたところで、あわててセルマが止めに入る。
「い、言い逃れじゃないっ」
 ヤ・トはすっかりおびえていた。そして、一度口に出したことでもう隠す意味はないと観念したのか。逃げる意思は消えたという様子でぺたりと尻をつき、ぼそぼそとしゃべりだした。
「おれはべつにどこでもよかったんだが、クク・ノ・チさまが次はハ・バキ家だと指示したんだ。彼らを使って試してみたい術があると――ぐっ!?」
 そこまで口にして、突然ヤ・トの体がびくりと跳ねた。のどに小型のナイフの刃が深々と突き刺さっている。
 驚きのあまりとっさに行動できずにいる彼らの前、ヤ・トは白目をむき、そのままそっくり返って倒れた。
「だれだ!!」
 誰何する羽純の声に金縛りが解けたように、ナイフが飛んできた方角へ向け、全員がかまえをとりながら振り向く。そこにいたのは、顔の上半分を覆う黒仮面をつけた女だった。
 黒い法術使いとしての服をまとっていたが、その上からも女性と分かる体つきをしている。
「まさか!?」
 クインが驚愕の声を発した。
「知り合いなんですか?」
 声に驚きと、そして恐怖を感じ取って歌菜が訊く。クインは一瞬で蒼白していた。そして謎の女を凝視し続けたままにつぶやく。
「ツ・バキ……」
「ええっ!?」
「何言ってんだよ、ハヤ・ヒ。ツ・バキさまは10年前に亡くなられて――」
 そこまで口にして、クラ・トはハッとなって言葉を止めた。
 だれもその生死までは確認していない。公的には死んだことになっているが、外法使いに連れ去られたのが真相だ。
 あれはヤタガラスに変えるための襲撃だった。だから当然彼女は死んだものと、クラ・トもクインも考えていた……。
 しかしツ・バキを見間違えるはずはない、とクインは確信していた。
 この10年、折に触れて胸によみがえらせてきた女性だ。
「ツ・バキお嬢さま! お嬢さまでしょう!?」
 クインの必死の訴えに、けれども女性はにこりともせず、目的は果たしたというように背を向けるとまるで闇へ溶け入るようにその場から消えた。
 もしやと思い、小次郎はヤ・トの死体に刺さったナイフを確認したが、犯人へと通じるような紋章なり、特別製の品であると思わせるようなものは何もなかった。そこらへんで手に入るナイフだ。分かってはいたが、と息を吐き出しつつ身を起こす。
「どうやら彼女はこの外法使いを始末することが目的だったようですね。
 ということは、やはり黒幕はそのクク・ノ・チ、ということでしょうか」
 確認をとるような小次郎の言葉に、クインもクラ・トも暗い目をして複雑な表情を浮かべるばかりだった。