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リアクション
「ラルク頑張れー」
剛健な肉体を有する故に効き目が薄いのか、イリーナの声援と共に、ラルクはすぐに次なる獲物へと向かっていった。
そこから少し離れた場所では、別の騒動が巻き起こっている。
「いやーん、助けてー」
演技じみた声を上げながらもべっとりと絡み付く赤タコを振り払おうともしないシャミア・ラビアータ(しゃみあ・らびあーた)に、リザイア・ルーラー(りざいあ・るーらー)は呆れたように眉尻を下げながらも剣を振るった。彼女の脚に絡み付く子タコを切り払い、返す刃で己へ迫るタコを切り刻む。その隣ではクェンティナ・レンティット(くぇんてぃな・れんてぃっと)の火術がタコを焦がし、焼き払い、もともと数の減りつつあった周囲の子タコは粗方駆除し終えた形となった。
残ったタコを堅実に駆除していくリザイアの傍ら、シャミアはにやりと口角を引き上げ、邪な笑みを浮かべた。おもむろに一匹の白タコの切れた脚を掴み上げ、切断面を口に含む。ぬるつくそれを咥えたままに強く吸い上げると、滲み出た血液が彼女の口内へと溜まり始めた。ちらりと視線を向けた先では、同様の笑みを湛えたクェンティナもまた赤タコの脚を咥え込んでいた。
そんな事は知らないリザイアが周囲のタコを倒し終え、ふう、と一息を吐き出す。それを合図にシャミアとクェンティナが何も知らないリザイアの肩をそれぞれ抑え付ける。二人の浮かべる笑顔に不穏な気配を感じ取った彼女が一歩身を引くのと同時、二人は共に彼女へと口付けた。
「んんっ!? んー! ん……っ」
拒む彼女の唇を二人がかりで割り開き、舌先と共に血液を流し込む。自分たちには触れないようにと留意して、こくんとリザイアが喉を鳴らすのを待つ。後に名残惜しげに粘膜から舌を引き抜くと、とろんと蕩けたリザイアの双眸が目に入った。
「あ……シャミアさん、わたくし……」
ぼうっと魅入られたように向けられるリザイアの熱い視線を受け、衣服を溶かされ晒された胸を隠しもせずに、シャミアはリザイアへ抱き付いた。のぼせたように言葉を失うシャミアの耳元へ、そっと囁きを吹き込む。
「……何?」
「ふふ、私も混ぜてよ」
そんなリザイアへ背後から抱き付いたクェンティナが、彼女の耳朶を食みながら囁く。困ったようなリザイアを挟んで満足げに抱きあう三人の傍では、手に入れた惚れ薬を意気揚々と掲げるトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)の姿があった。
「出来た……っと。これを誰か女の子に飲ませれば……」
にやにやと笑みを浮かべるトライブの背後に、ゆらりと佇む影がある。彼のパートナーである千石 朱鷺(せんごく・とき)はおもむろに背後から抱き付くようにして、彼を抑え込んだ。
「……あれ? 朱鷺、なんで俺を抑え付けて……あ、惚れ薬返せ!」
ばたばたともがくトライブを体格差を利用して押さえ付け、朱鷺はそれを無理やりトライブの口元へ運んだ。嫌がるトライブの口へ、力任せに流し込む。
「お仕置きです」
「あっテメェ、んぐっ……」
咄嗟に吐き出そうとしたトライブの口元を抑え込み、彼が嚥下するのを待って、ようやく朱鷺は彼を解放した。ぜいぜいと肩で息をするトライブが顔を上げると、そこには三人で何やら甘い雰囲気を築くシャミアたちがいる。
「惚れられるよりも惚れる方がトライブらしいと思いますよ」
微笑みながら宥めるように掛けられた朱鷺の言葉が聞こえているのかいないのか、トライブはふらふらとシャミア達へ歩み寄っていく。リザイアを弄ぶことに夢中だった二人は、足音に気付きふと顔を上げた。
「あら、何か用?」
トライブの蕩けた瞳に気付いたシャミアは、愉快気な笑みを浮かべた。豊満な胸をわざとらしく見せ付けるように揺らしながら歩み寄る彼女に、しかしトライブは反応を返さない。彼の視線は、真っ直ぐ呼吸を荒げるリザイアへと向けられていた。
「俺と一緒に、美味いタコを食おうぜ!」
きらりと歯を輝かせるトライブのやや稚拙な誘い文句に、しかしシャミアに惚れているリザイアは何も言わず目を落とす。くすくすと喉を鳴らしながら彼女から離れたクェンティナは妖艶な肢体を揺らしながら、誘うようにトライブへ向かっていく。
「私ではいけないかしら?」
ヒロイックアサルトまで絡めた彼女の誘惑に、しかしトライブは屈しなかった。 じっと見詰める彼の視線に躊躇いがちに一瞥を向けたリザイアは、すぐに照れたように目を伏せる。
「ごめんなさい……わたくし、シャミアのことが……」
「……厄介なことになってしまいましたねぇ」
そんな光景を少し離れて眺めながら、朱鷺は空になった容器を揺らしつつ困ったように呟いた。
「ったく、俺は全然吸ってないのにおまえは……!」
両手で捕らえた白タコを握り締め、がぶりと牙を立てながらカシス・リリット(かしす・りりっと)は不満げに愚痴を呟いた。腹いせにタコの血液を吸い上げると、独特の生臭い風味が口内へ広がる。ただでさえ貧血で苛立つカシスは眉を顰めながらも血を吸ってはタコを放り捨て、また吸っては投げ捨てと、白タコを襲い続ける。
「ねー。こいつの粘液持って帰ってー、ナンパした可愛い子と服溶かしプレイとかいいんじゃない?」
傍らではカシスに白タコを食われ一人ぼっちになった赤タコを摘まみ上げたヴァイス・カーレット(う゛ぁいす・かーれっと)が軽い声音で提案を発し、満更でもないとばかりに振り返ったカシスの口に、不意に液体が流し込まれる。
「んぐっ!?」
駆け去る歌留多の後姿を捉え切れず、カシスは口元を押さえて蹲った。呑み込んだそれが何か分からず、やや心配そうに駆け寄ったヴァイスと目が合うと、カシスはぴたりと動きを止める。
「カシス? 何、大丈夫?」
戸惑うヴァイスへ上気した顔を向け、カシスはゆらりと立ち上がった。
「何だろう…お前を見てると胸がドキドキして……何だか凄く……、……張り倒したくなる」
「そう、それは恋さ…って痛っ痛い! 殴らないでそれ何か違う! 後半おかしい!」
笑顔でサディスティックな発言をかましたカシスに前半はノリノリで頷いていたヴァイスは、拳を振るわれた瞬間に悲鳴を上げた。ぎゃあぎゃあと喚く彼のにも、惚れ薬の魔の手が迫る。折り返し駆け抜けた歌留多の惚れ薬を大人しく呑み込むと、カシスの攻撃から頭を庇いながらも、ヴァイスは徐々に頬を赤らめ始めた。
「あ、いい……かも……」
訝しげに首を傾げるカシスの両手を掴み、きらきらと目を輝かせて、ヴァイスは声を上げる。
「どうしよう、俺……凄く今、蹴られたい! ねえ、蹴って!」
ヴァイスへ微笑みながらもカシスが脚を振るうと、ヴァイスもまた恍惚と笑みを浮かべた。
「ありがとう、カシス、大好き!」
「……俺は、てめぇの事、好きだぜ」
そこから少し離れた場所、辛うじて声の届く程度の距離で、ベルリック・ゼブモンド(べるりっく・ぜぶもんど)は目の前の猫神 ねんか(ねこがみ・ねんか)へ告げた。彼の口元からは、飲まされた惚れ薬の滴が一筋零れ落ちている。静かに双眸を閉ざし、猫のような笑顔でその言葉に聞き入っていたねんかは、うーん、と考え込むように顎に手を当てた。
「あっちの人たちみたいに、もう少し情熱的に言ってほしいわね」
猫の耳のような髪を掻き上げ、ねんかは悪戯な笑みを浮かべて言葉を返した。望み通りパートナーへ惚れ薬を飲ませることには成功したものの、いやに過激な悲鳴さえ聞こえる彼らに比べるといまいちインパクトに欠けるように思える。
「うるせえ、黙って俺に食われろ」
照れたように告げるベルリックの言葉には「まあ合格」と及第点を出し、ねんかは甘える猫のように彼へと抱き付いた。
「……悪いタコを倒すことが目的じゃなかったのか?」
倒れ伏したタコへペットのスライムを向かわせる霧島 玖朔(きりしま・くざく)に、伊吹 九十九(いぶき・つくも)は怪訝と声を掛けた。玖朔はと言えば、なかなか思う通りに動かないスライムの扱いに四苦八苦しているらしい、眉根を寄せて指示を飛ばしている。
「違う、タコの血を吸い上げるんだ。……駄目か」
スライムとしては魔物の血を取り込むことは好ましくないらしい、拒むようにタコから離れてしまうスライムに、玖朔は短く唸る。落胆したように肩を落とす玖朔の様子を不思議そうに眺めながら、半ば衣服を溶かされながらも平然とした様子の九十九は問いを重ねる。
「ほら、終わったなら帰るぞ。この辺りにはもう敵もいない」
粗方のタコを倒し尽くした九十九が不満げな声を上げ、返事も待たずにその場を去ろうと背を向けてしまう。このまま逃してなるものかと短く舌打ちした玖朔は、スライムに次なる指示を飛ばした。
「仕方ない……九十九を襲え、スライム」
「何っ!?」
指示を聞き留めた九十九が驚愕の声を上げるのとほぼ同時に、スライムは本能と命令の双方に従って彼女へと襲い掛かった。先のタコとの戦いで溶かされた衣服の隙間から侵入するスライムに、堪らず九十九は背中から地面へ倒れ込む。
「冗談じゃない……!」
気丈に双眸を細めた九十九が苦々しげに声を発し、スライムを振り払おうと必死に足掻く。しかしするすると器用に侵入するスライムを捕らえられない。徐々に下肢や胸にまで範囲を広げるスライムに、徐々に恐怖を煽られ始めた九十九は、「あ……」と悲鳴めいた声を漏らす。
「嫌……っ、やめて……!」
遂に強気に窄めていた双眸を丸め、堰を切ったように上げられるか細い悲鳴に、玖朔はぴくりと片眉を跳ねさせた。日頃の彼女の振る舞いに辟易しての仕置き的な行動ではあったが、恐怖を露にする彼女の様子を眺めるうちに、罪悪感に似た感情がじわじわと込み上がる。
「戻れ、スライム。……悪かった」
大人しく指示に従い九十九から離れたスライムを背後へ遣り、玖朔は震える九十九の上体を抱き起こした。縋るように身を寄せた彼女の様子に流石に眉を下げて謝罪を零すと、僅かに潤んだ九十九の双眸がきっと吊り上げられる。
「……許してほしければ、タコ焼き」
先程から漂い始めた香りに惹かれるまま、九十九は呟くように言った。日頃の言動に一応思うところがあったのだろう彼女の様子に、「勝手に取ってこい」とだけ返し、裏腹に玖朔は用意していたタオルを九十九へ差し出した。
「俺はソーマを振り向かせるため、惚れ薬を作る!」
そんな中、最早タコもまばらになった戦場のど真ん中で高らかな声が上がった。
声の主、久途 侘助(くず・わびすけ)は恥じらいもなく宣言すると、早速それを実行に移すべくタコの血液を採取し始めるその最中で溶けた己の服に気付き「これがあれか、チラリズムってやつか!?」などと驚愕の声を上げる彼に、呆れを露に歩み寄った香住 火藍(かすみ・からん)は、用意していた着替えを彼へ投げ付けた。
「あんたの裸を見ても誰も喜ばないんで、早く着替えて下さい」
「そんなこと言ってると、火藍で試すぞ」
不満げに呟きながらも大人しく服を着替える侘助へ、火藍はさらりと言葉を返す。
「俺はもともとあんたに惚れてるんで、効果無いと思いますよ」
やれやれと肩を竦める火藍の向こうに早速目的の人物を見付け、侘助は目を輝かせた。見れば、ソーマはパートナーの北都と共にタコ焼きを食べている。笑みを浮かべて駆け寄る侘助へ、ソーマはあからさまに疑いの眼を向けた。
「……久途、貴様なんか怪しいぞ」
タコ焼きを頬張りながら向けられるソーマの言葉に、侘助はぎくりと面持ちを引き攣らせた。わざわざコップに移した惚れ薬を差し出しつつ、平静を装って声を掛ける。
「いやあ、飲み物が欲しいんじゃないかと思ってな」
「誰が引っ掛かるか」
呆れたようなソーマの返答に肩を落とす侘助のコップを、横から伸びた手がひょいと奪い取る。タコ焼きに意識を向けて全く会話を聞いていなかったらしい北都は、水分を欲するまま一気にそれを飲み下した。
「ん……何?」
呆気に取られた三人の視線を受け、北都はのんびりと首を傾げた。きょとんと丸められた瞳が次第に熱を帯び、ソーマは慌てて彼を自分へ向かせる。
「久途、よくやった!」
「俺は嬉しくねぇよ!」
嬉しげなソーマの声には僅かながら歓喜が生じるものの、侘助は落胆を露に声を荒げた。その背後では、火藍がやれやれと首を揺らしている。おもむろに侘助の首根っこを引っ掴むと、火藍はぐいぐいと彼を引っ張った。
「ほら、お邪魔になる前に行きましょうよ」
「納得がいかない……何のために俺はタコを倒したんだ!」
「学舎を守るためでしょう。ほらくっつかないで下さい気色悪い」
抱き付く侘助を引き剥がしながらも、火藍は彼を連れて折角だからと屋台へ向かっていく。
「ほら、北都、イイコトしようぜ?」
わくわくと声を弾ませたソーマが北都の肩を抱き寄せ、抗いこそしないものの、北都は視線を逸らした。微かに頬が紅潮しているが、惚れ薬の効果を認めるつもりは無いらしい。
「……次は明石焼き、食べに行くよぉ」
殊更にのんびりとした口調で強がるように言い放ち、すたすたと立ち去ってしまう北都の後姿を暫し呆然と眺め、ソーマは苦笑交じりに後頭部を掻いた。簡単に惚れ薬に屈しない北都の様子により惹かれるものを感じながら、ソーマは早足で彼の後に従った。
「ふふふ……出来ましたわ、惚れ薬……」
容器に収めた怪しい液体を恍惚と眺めながら、冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)は呟いた。怪しいタコの噂を聞き付けはるばるやって来た彼女は、狙いの物品を手に入れたことに満足げに頬を緩める。
「しかし……普段肌を晒さないだけに、少し恥ずかしいですわね」
日焼けを嫌い露出を控える傾向にある彼女は、それ故日に焼けていない白磁の肌を晒し、薄く頬を色付かせた。腕、太股、背中、飛び散ったタコの粘液で服のあちこちが無残に溶かされ、彼女の白い肌を晒している。彼女は周囲に蠢くタコを一掃したことを確認すると、傍らへ瓶を置いてトランクを漁り始めた。溶けた服の上から上着を羽織り、ひとまず安心したように吐息を吐き出した彼女は、再び手を伸ばした先でいつまで経っても指先が瓶へ触れないことに怪訝と目を瞬かせる。
「あら……あっ!」
慌てて視線を彷徨わせた彼女の目は、瓶を持って素早く駆け去る鬼灯 歌留多(ほおずき・かるた)の後姿を捉えた。瞼を伏せたまま超感覚で駆け去る彼女に、慌てて声を掛ける。
「待ちなさい、それは私の……!」
追い縋ろうとした彼女へ、しかしタコの残党が襲いかかる。思考を切り替えた小夜子はくっと息を詰め、鉄甲を握る指先に力を込めた。八つ当たり気味の力で、手当たり次第にタコを殴り飛ばす。
「薬の為、あなたたちには生贄になって頂きましょう」
再び衣服を溶かされながらもタコとの交戦を始めた彼女から無事に逃げ切った歌留多は、口元にうっすらと笑みを浮かべた。自前で用意した惚れ薬は、既に多数の生徒達へ飲ませてしまっていたのだ。新たな惚れ薬を手に入れた歌留多は、獲物を求めるように耳を澄ませる。
「あー服無くなってもうたわー」
からからと笑いながら声を上げたミゲル・アルバレス(みげる・あるばれす)の裸体を庇うように立ち、ドミニク・ルゴシ(どみにく・るごし)は離れた位置で粘液を撒き散らすリナリエッタを鋭く一瞥した。しかし平然と駆けていこうとするミゲルを放置も出来ず、慌てて持参したブランケットで彼を包み込む。
「こんなこともあろうと、用意しておいたのだ」
「ドミニクー、これ透けてんでー」
ふう、と安心したように額を拭うドミニクに、ミゲルは可笑しそうに声を掛けた。彼の手編みのレースのブランケットは、透けこそしていないものの隙間から微かに中が見える。
「その程度なら大丈夫だろう、ミゲル、私から離れないように……あ」
告げるドミニクの視界の中、不意に現れた歌留多は愉快気な笑みを浮かべながら、ミゲルの口へ惚れ薬を流し込んだ。全く警戒する様子の無いミゲルはごくりとそれを飲み下し、止める間もなく歌留多は次なる獲物の元へと向かってしまう。
「ミゲル……!」
咄嗟にミゲルの頭を掴んで自分へ向かせたドミニクは、彼の緑の瞳が熱を孕み揺れるのを見た。
「今日のおやつはカラマレスフリトスやなー、ドミニク」
「それはイカ、これはタコだ。……ミゲル?」
しかし特に変化もなくそんな事を述べるミゲルに、ドミニクは訝しげに彼の名を紡ぐ。しかし呼ばれた名を聞き留めたミゲルが嬉しげに破顔するのを見た途端、どきりと鼓動が跳ね上がるのをドミニクは感じた。
「ドミニクが作ってくれるんやろ?」
気色を滲ませて紡がれる言葉がおやつのみならず作り手への期待をも帯びている事にようやく気付き、ドミニクは目元を綻ばせた。酷く鈍感なミゲルなりの、これが行為の表明らしい。
「勿論だ、ミゲル。……さあ、帰ろう」
惚れ薬の効果がいつまで続くのかは判らない。冷めてしまえば、ミゲルのこの言葉は再び単純におやつを期待するものへと戻ってしまうのだろう。
穏やかに言ってミゲルの手を取り、反対の手にタコの骸を掴んで、ドミニクは促した。頷き掌を握り返すミゲルを見遣る。彼の瞳が純粋に自分のみに向けられている事が、たとえ一時の儚い夢であるとしても、ドミニクには酷く幸福なことに感じられた。
「そうねー、次は喉が渇いたかしら」
最高級のドレスを身に付けたリリィ・マグダレン(りりぃ・まぐだれん)の要求に、ジョヴァンニイ・ロード(じょばんにい・ろーど)は嫌な顔一つせずに頷いた。即座に淹れた紅茶を差し出し、「好きだ、リリィ」と甘い言葉を添える。
事の発端は、惚れ薬を手に入れたリリィが悪戯心でジョヴァンニイにそれを飲ませた事だった。紅茶に混ぜたそれを服用したジョバンニイが蕩けた瞳を輝かせて好きだ綺麗だと言い始めたことに好都合とばかりほくそ笑んだリリィは、短い時間の中で我儘放題を堪能していた。現在身に纏うドレスも、靴も、何から何までジョバンニイが素早く購入して来たものだ。それで一層恍惚と双眸を緩めるジョバンニイの姿に始めは愉快さと満足感ばかりを得ていたリリィは、次第に罪悪感が込み上がるのを感じていた。
彼の淹れた、非常に美味な紅茶を傾ける。次の指示を待ち望むように跪き己を見上げるジョバンニイを見下ろし、リリィは暫し躊躇った末に小さな声を発する。
「……夕飯は、あんたの好きなもので良いわよ」
「何?」
意外そうに双眸を瞬かせたジョバンニイに、「作るのはあんただからね!」と言い添えて、リリィは紅茶を飲み干した。我儘も全てがまかり通ってしまうと、それはそれで不満が蓄積するものなのだと、リリィは思い知らされた。
「ありがとう、リリィ。貴様はやはり心も美しいな」
ジョバンニイがその言葉を発したのは、惚れ薬の効果が切れる五分前のことだった。
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