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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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第16章 またね、皆さん

 弓子が落ち着く頃には、すでに夕日は沈み、辺りは闇が支配しようとしていた。そうはいくまいと、ヴァイシャリーの町は街灯で道を照らし、家々はその中を明るくして、いくらかを外へと逃がす。
 涙は止まり、大声を出すことも無くなったが、弓子はまだその場に座り込んでいた。
「弓子さま……」
 弓子が落ち着いたのを見計らい、悠希が優しく声をかける。
「弓子さま、少しだけ……、聞いていただけますか?」
「…………」
 泣き腫らした赤い目を向けて、弓子は先を促した。
「弓子さま……お別れというのは寂しいですが、もし、生まれ変わりというのがあったら……」
 弓子の冷たい肩を抱いたまま、悠希はゆっくりと続ける。
「例えば……、縁のある静香さまたちの子供として生まれ、百合園に通う日が来るかも」
「ん……」
「ボク……、弓子さまのおっしゃった通り、歩さまたちも一緒にいてくださいますし、時々は、力、抜いて……」
 弓子に話しかける間、悠希は努めて笑顔を保っていたが、その内に目に涙が浮かんでくる。
「ボクやっぱりダメですね。こんな泣き虫で……弱くて……」
 いまだに乗り越えられず、いまだに立ち直れない自分の無力さに対する悔しさ。そして目の前の女生徒との別れへの寂しさが入り混じったそれを、弓子は先日のように指でぬぐってやる。
「けど……、弓子さまが生まれ変わって、物心がつき再会出来るかも知れない未来には……」
 立派な大人になり、皆を幸せにできる人になっていたい。
 それは、真口悠希の誓い。1度夢破れた、1人の男の娘の誓い。
 その言葉を、1人の幽霊が聞き届ける。
「だから……、ボク貴女に会えて、本当に良かったですっ……!」
 目じりに当てられる冷たい手を、悠希は握り締める。
「ですから、お別れは……さよならじゃなくて、行ってらっしゃいって言いますね。弓子さま」
 その言葉に、弓子はあえて多くを返さなかった。だから彼女は、たった二言だけを返した。
「はい、悠希さん。行ってきます」


「今度こそ、行っちゃうんだね……」
 心を落ち着け、立ち上がった弓子に静香が名残惜しそうに声をかける。
「でも、本当にいいの? とりあえず未練は晴れたけど、今度は別の未練とかあったりしない?」
 静香の言葉に、弓子は笑って返した。
「校長先生も、ちょっと意地悪なところがあるんですね。もしそうなったら、これからも校長先生の背後霊(フラワシ)をやってなきゃいけないんですよ?」
「あ、そうか……。それは確かに困るね」
 主にラズィーヤ絡みの日常生活において、弓子が静香に取り憑いている状態というのは問題である。全力でラズィーヤとケンカした場合、ほとんど戦闘力の無い弓子が負けるのは必至であるし、それ以前に取り憑かれている静香自身の行動に支障が出るからだ。
「それに、私がここでするべきことは、もう何もありません。幽霊としての人生を送るというのも魅力的ではありますけど……」
 だがそれでも弓子はここから消え去らなければならない。死んだ者はナラカへと落ち、そこでの生活を経て再び転生するという魂のサイクルは、必要の無い時に、みだりに捻じ曲げていいものではないのだから。
 右手の中指にヨーヨーの紐を巻きつけ、本体をセーラー服の右袖に挟み込む。手首と中指をうまく動かせば、袖から飛び出してくるヨーヨーが彼女の手の中にすっぽりと収まった。
「うん、やっぱり私はこうでなくっちゃ」
 右手の準備を済ませ、家族や友人からの寄せ書きを胸に抱き寄せる。セーラー服の上から着ている百合園女学院の制服、そのポケットには「Naraca」が入っている。
 それら全てを確認した時、ふと弓子は1人の男と目が合った。猫にリタイアさせられ、復活したら今度は【パンダ隊】にリタイアさせられそうになったはずの弥涼総司である。
 1歩前に進み出て、弓子は総司の正面に立つ。
「ところで総司さん。一昨日といい今日といい、やたら私に絡んでくれましたけど、……やっぱり私がいなくなったら『寂しい』って泣きますか?」
 挑戦的な目を向ける弓子だが、向けられた方はすまして言った。
「バカ言えよ。なんでオレが寂しがるんだ? お前は3日も前にすでに死んでいるんだぜ。今まで誰にも言わなかったが、この世の未練とか何とか言ってないで、さっさとナラカへ行くってのが正しい幽霊のあり方だってのが、オレの思想なんだぜ」
 鼻を鳴らして総司はそっぽを向く。そんな彼の横顔を弓子は見つめる。その目と口は奇妙にニヤついていた。
 弓子は期待しているのだ。次に総司が言うであろう「あの言葉」を。
 そして総司はその期待に応えた。
「ああ! わかったよ! 最後だから本心を言ってやるッ! さびしいよ! オレだって行ってほしくはないさ!」
 期待通りのセリフだった。弓子は涙を流す代わりに、総司に頭を下げる。
 半ば期待していた展開を体験し、満足げな表情を見せる弓子は、ゆっくりと静香に背を向け、離れていく。
 1メートル。
 2メートル。
 そして……、3メートル。
「あっ……」
 そこまで歩いて弓子は振り返る。未練が晴らされ、静香に取り憑く必要が無くなったために、距離制限が解除されたのだ。
 2人は互いに確信した。もう、別れはすぐそこまで来ている……。
「…………」
 それを見たテスラ・マグメルは、手向けとして準備してきた「幸せの歌」を歌おうとする。だがそれは全く表に出てこなかった。サングラス越しに光る涙が邪魔をして、テスラはその喉から歌声を紡ぎだすことができなかった。
(これからの幸を祈るつもりでしたけど……、ダメですね、私……)
 だがそれでもいいと思った。弓子の顔からはもう寂しさは微塵も無かったのだから。
「あれ? 誰か来るよ?」
 誰がそう言ったかわからない。だからその場にいる全員が、その声が指し示す方を見やった。
 やってくるのは20人前後の若者たち。
 それは先日、静香や弓子と共に泥棒退治に参加した面々だった。
 百合園女学院にて放課後が過ぎたため、見送りに来たのである。
 全員が集まったところで、静香が別れを告げ、様々な学生がそれぞれの別れの言葉を紡いでいった。

「じゃあね、弓子さん」

「成仏しても百合園の皆の事、忘れないでね」

「ボクはわすれないです。こんどはあえたらいっしょにがっこうにいくんです!」

「死んだ人に言うのもおかしいですけど、元気でね」

「成仏しちゃってもさ、皆と過ごした時間の事は忘れないで欲しいんだよ」

「心おきなく行けると良いアルね……」

「名残は惜しみません。どこかでまた会うでしょうから……。その時は弓子さんから声をかけて下さいね。私からじゃ見えないので……」

「死んでないよ! 確かに出会ったのは弓子さんが死んでからだけど、一緒に過ごした時間は死んでいないからねッ!!」

「再会出来る日を……皆でずっとお待ちしてます。また……いつか……!」

 大勢の人間に見送られ、弓子はその足に軽く力を入れる。地面が蹴られ、彼女の体はまっすぐ上がっていき、だんだんと光に包まれていく。

「ありがとう、皆さん……」

 5メートルほど上がったところで、彼女の体を包む光が強くなる。

「…………」

 何かを言おうとして、ふと思いとどまる。
 光が完全に包み込む前に、彼女は笑顔を見せた。

「またね……、皆さん……」

 光がいっそう強くなり、やがておさまったかと思うと、弓子はそこから姿を消していた。

「ああ……。行っちゃった……」
 見上げていた静香が、全員を代表して思いを口にした。
「ん?」
 そこで静香は奇妙なものを見た。弓子が消えた場所から、何かが落ちてくるようだった。
「なんだろ……?」
 落ちてくる物は複数あり、それぞれが違う速さで地面と、そこにいる全員に迫る。
 最初に落ちてきたのは丸いプラスチックの塊――弓子が右手にしまい込んだヨーヨー。
 次に落ちてきたのは、複数の四角く分厚い紙――寄せ書きの色紙。
 そして、1着の服――百合園女学院の制服だった。
「これ、弓子さんの……。ま、まさか……?」
 皆まで言わずとも全員が理解した。
 成仏の際、「彼女が渡され、外から身につけたもの」の類全てをナラカに持っていけなかったのである。
「その服さ……」
 静香の後ろから小鳥遊美羽が服を覗き込む。
「その服、静香が持っててあげてよ。弓子の思い出の品として、さ……」
「……うん」
 受け止めた百合園制服を、静香は抱き締める。
 霊体の冷たさで冷やされていたはずの制服は、なぜか温かかった。

 学生たちが落ちてきた色紙等を拾い集めている最中、彼女たちから見えない物陰にて、葛葉杏もまた弓子の成仏を見届けていた。
(……まぁいいわ、いつになるか解らないけど次にあった時こそ、化けの皮を剥いであげるんだから)
 いつ訪れるかわからないその日を胸に、杏は誰にも知られないまま、その場から姿を消した。