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レッテの冒険

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レッテの冒険

リアクション

 翌朝。
 黒崎天音は、いつものように、子ども達に簡単な計算を教えている。といっても特別なことはしていない。
「このスープは、5リットルの水で作られている。人数分分けると、一人何リットルだ?」
「わかる!」
 駆け寄ってくるのは、常にテアンだ。
「俺ら、朝から、数字考えると、頭ガンガンするんだ」
 ハルは、天音の問題!という声を聞くとすーっといなくなってしまう。
「天音にーちゃん、普段は楽しいんだが、問題が惜しいよ、俺、ぜってー解けないよ」
「そんなことないよ、ハルはいつも無造作に正解を出しているんだ、ハルが飯を配ると、誰も残さない。みんなの食べる量をきっちり分けて配れる。ハルのほうがすごいよ」
 テアンは、天音の出す問題を解くときに、いつもハルの腕を引っ張って、一緒に考える。
 ハルが、本当は勉強したいのをテアンは感じているのだ。
「すまない、少し話をしたいんだ」
 オーナーである安が、顔を出した。
 天音を手招きしている。
「俺らも言っていいか」
 テアンとハルが、天音の顔をじっと見ている。大人の顔色を見ることに長けているテアンは、安の顔が緊張していることに気がついていた。きっと特別な話に違いない。
「いつか、自分たちで全てやらなければならないときが来る」
 少しづつ大きくなる仲間を見てテアンは漠然とそう思っていた。レッテがいなくなって、それはそう遠くない未来だと感じることが出来る。
「子どももいていいのか」
 安は自室のテーブルに座るなり、天音に聞いた。
「ああ」
 天音は付いてきたテアンとハルを隣に座らせて、
「さぁ、折角だし大人の仕事を見学させて貰って、分からない所は質問してみると良い
 知識は君たちの糧になり、未来の選択肢を広げてくれるよ」
「昨日、イーオンと話したんだが…」
 安は話を切り出した。
「で、皆はどう思っているのだ」
「10年契約で土地を貸してもらえませんか?」
 天音は地域から浮き上がっている今の農場を、なんとか馴染ませる方法を考えていた。域住民の憩いの場として今までの農場の一部を利用した動物広場や、近所で飼っている犬たちの為のドッグラン移転した安の農場の手伝いやそこから届く肉や加工品の販売を行うショップ経営し、そして勿論子供達の住居として孤児院も建設させて貰うというプランだ。
「10年か、長いな」
 安は腕を組んで考え込んでいる。
「さて、テアンに問題。ここ一年の上昇率と同じ%で地価が上昇した場合、10年後にこの辺りの土地の価格は現在の何倍くらいになると予想されるかな?」
「分かる!」
 テアンは天音が差し出した紙に鉛筆を走らせて、計算式を書いている。
「我々はあなたに損はさせませんよ」
 天音は、静かな室内に響く鉛筆の音を心地よく聴いている。


「おっちゃんはどうするんだい」
 いつもは子ども達と一緒に農作業をする安だが、今日は少し離れた場所でタバコをふかしている。
 大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は、同じ薔薇の学舎の天音からおおよその話を聞いている。
「ここを買いたいって奴はごまんといるんだよ、奴らに俺が売ったら、この土地は全部家になっちまう。緑もなんにもない、全部、ビルと家だけの街になるんだよ、だから、値段を釣り上げてきった」
「おっちゃん、この土地を離れてどこいくんや?」
 安がここを誰か売った場合は、この豚と一緒にどこかに移転するつもりつもりじゃないか、泰輔は睨んでた。
「どこか、もっと田舎に引っ越して、また土地を耕して、豚を飼って…。それとも地球に戻るか、ただ、そうすると…」
 安にもパートナーがいる。
「おっちゃんは、売りたいんか、貸したいんか?」
「あんたらはどっちがいい?不動産を所有すると、今みたいな根無し草じゃなくなるぞ、いろんな面倒も出てくる、それでも、いいのか」
 安は歩き出す。
「飯でも食いながら話そう」
 泰輔も着いてゆく。暫くして、フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)が、たくさんの書類を抱えて走ってくる。
「あれはなんだい?」
「世話になってるさかい、安さんに損はさせたない。そのための書類や。売るにせよ、貸すにせよ、考えることはたくさんあるさかいなぁ」

 三人は農場を離れて、小さな喫茶店に入る。
「安さん、いらっしゃい」
 常連らしくカウンターから声がかかる。
 安は一番奥のボックス席を選んだ。
「どうだ、いい店だろう。ここに来たときには考えられなかったよ、農場から歩いて、こんな洒落た店でコーヒーが飲めるとは」
 店内は空調が聞いていて、静かな音楽も流れている。
「貸した場合の賃料については、朝、黒崎さんから聞いたよ。売るとどうなるんだい?」
 安は泰輔に尋ねる。
「とりあえず、今の相場で、農地として利用されていた土地を通常の宅地に転用するために必要な経費も差し引いて計算・清算し、3分の2を当座の移転費用として即金で支払い、残りの3分の1については、半年後に、半年後の相場価格で以て支払うってことでどうやろ?」
 泰輔は安の顔色を窺った。
「おもろい案だな。半年後、不動産価値が今より上がっていれば儲かるし、下がっていれば損するのか」
「この場所の不動産価格は値上がり傾向や、安さんはもう少し待って売りたいんだろうが、今売っても損ない仕組みや」
「いい案だ」
 安は腕組みをして頷いている。
 フランツが、持ってきた書類を見ながら説明する。
「現在の農地をめぐって発生するのは、まず、土地の売買代金、次に、土地を農地ではなく宅地とするために発生する費用です。農地のまま、ほっぽり出して行くのなら、買い叩かれれます。宅地にするには結構骨が折れる作業がありますから…」
 安は黙って聞いている。
「ありがたい、多分、子どもらが来てすぐなら、あんたらの言うように売って、田舎に越していたよ」
「というと・・・」
 フランツが、ゆっくりと、真意を確かめるように、問う。
「情がわいちまった、困ったことによう」
 暫く安は黙っている。
「しかし、売ったほうが子どもらのためだろう、なあ、にいちゃん」
 にいちゃんと話しかけられた泰輔は、にっこり笑った。
「おっちゃん、何いってるねん、子どもらにも損はさせない、おっちゃんにも損はさせない、それが僕の理想やけん、なあ、フランツ」
「ええ、皆の知恵を絞っていい案を考えましょう」
 コーヒーが運ばれてくる。
「なんだい、安さん、いよいよ売るのかい」
 書類を見て、喫茶店の店主がからかうように声をかける。
「いえ、安さんはずっとここにいますよ」
 フランツは一口飲んで、
「美味しいです」
 にっこり笑顔を店主に向けた。


 安との契約を仕切ったのは、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)だ。
 黒崎天音や大久保泰輔が立会人として同席している。
 ルカルカの隣には、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がいる。
「ルカルカ・ルーです、宜しく」
「ダリル・ガイザックだ」
 二人は安と固い握手をする。
 ルカルカは、教導少尉の身分証とロイガーエンブを差し出した。
「これまでの皆さんの意見から考えて、賃貸契約を行いたいと思います」
 ルカルカは、土地契約、土地利活用手続き、戸籍住民票等の補完作成の書類を用意している。子どもたちはここに戸籍を持つことで、学校などに通うことも出来るようになる。
「不動産は10年契約で賃貸、賃料に関しては、別記にあるとおりです。土地の利用方法は黒崎さんから提案のあった、農場の一部を利用した動物広場、安さんの新しい農場で作る製品の販売などを行い、収益を上げる努力をします」
 それに。
 ルカルカは新しい書類を出す。
「これは、安さんの新たな農場の契約書です。ここは地権者が先住民であり、宅地開発が進む場所ではありません」
「俺が見つけてきた土地だ!」
 急に、王大鋸が顔を出した。
「安心して住める土地だ、ここからもそう遠くない。こっから通ったっていいぐらいだ。ぐたぐた言いがかりをつける奴がいたら、俺が出て行くから心配すんな」
 王は安に右手を差し出す。
 二人は固い握手を交わす。
「いくぞぉー」
 外でナガンの声がする。
「すみません、書類の注意点はダリルが行います」
 ちょっと席を外します、ルカルカはそういうとナガンのもとに駆け出す。

「ナガーン!」
「これから町に行くんだ」
 子ども達がナガンを取り囲んでいる。
 スイートポテト満載の箱を差し出すルカルカ。
「ごめん、さっき、これ届いてて」
「うまそー!!」
 箱を開けると、子どもたちから歓声が上がる。
「で、ここにサインして」
「宅急便かー」
 ナガンは、ルカルカが差し出した、賃貸契約書にサインをする。
「えーと、印鑑も一応」
「そんなもんない」
 えいっ、と指先を噛み切ると、血判を押すナガン。
「ありがと!」
「いくぞー!」
 子ども達を引き連れて、ナガンは走り去る。
 残されたルカルカの手元には、乙と書かれた場所にナガンのサインがある賃貸契約書が残された。

 室内ではダリルが、皆に細かな説明をしている。例えば、テーマパークにしたり料理を提供する場合、食品営業許可を筆頭に許可が複数必要だということ、法人格の取得には、小さくとも定礎認定と法務局登記が必要ということなどだ。

「安さん、この甲の欄にサインお願いします」
 ルカルカは少し息を切らせて戻ってきた。
(ナガン、ごめんね。説明すると拒否されそうだし。だけど、この契約書にはナガンの名前が必要なの)



6・父親


 「で、銀座には何かあったの?」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が合流したロザリンドに聞いている。円はレッテと出かけてまだ戻ってきていない。
「パラミタが現れたとき、日本の高級品をあっちで売ろうって話があったらしいんです。だけど、どうせ、よく分からないだろうからって」
 プロではないが絵心にある若者に頼んで、日本らしい絵柄を描き、販売した。レッテが持っていたのは、そんな絵柄らしい。
「ただ、生地は高級品だから、特別なものかもしれないって」
「そっかー」
 歩がいる宿には、続々と情報が集まってくる。
「明日、円ちゃんと銀座に行ってみる。だけど、なんとか合わせてあげたいけど、手がかり少ないよねぇ」
 歩は溜息をつく。
「レッテのお父さんって、奥さんとも生き別れてたんだっけ?奥さんと子供一緒に別れちゃうなんて辛かったろうなぁ…」
 気晴らしに歩いてくる、歩はロザリンドにそう告げると、浅草の町へと出てゆく。休日でもないのに、浅草には活気があった。
 いろいろな国の、いろいろな肌の色や瞳、髪をした観光客であふれている。
「もう、空京も日本の変わらないね」
 歩は、のんびり平和な町の様子を眺めている。
 家族連れも多い。
(もしかしたら、レッテのお父さん、もう別の家族がいるのかも…)
「歩ちゃん…!」
 誰かが呼んでいる。
 円だ。横にはレッテがいる。
「歩ちゃん。びっくり、なんでここに?」
「ちょっと散歩!」
「…」
 円が周囲を気にしながら、歩の横に来る。
「後つけられてる」
「え?」
「あのおじさん、青いシャツ」
 円が見る方向に、30代後半ぐらいの長身の男性が立っている。
「ね、聞いてよ」
「なんて」
「任せる」
「任せるって…」
「違ってたら、レッテが傷つく」
 円は男性が父親かも、と少し思っている。これだけ、いろんな人があちこちで聞いているのだ、レッテの父親探しの話が本人の耳にも届いているのかもしれない。
 円とレッテはそのまま宿へと向かう。歩はその場で留まって、そして思い切って声をかけた。
「あの…少しお話よろしいでしょうか?」」


 弁天屋 菊(べんてんや・きく)が歩に呼ばれて、浅草の雷門に現れたのは、それから数分後だ。
「菊さん、この人も生き別れた空京で生き別れた子どもがいるの。だけど男の子なんだって」
 歩は困った顔で、菊を見る。
 菊は、男の顔をまじまじと見た。
 武尊が念写した男が目の前に立っている。
 レッテに似ている。
「空京から父親を探して来た孤児がいると。・・・あちこちで聞き込みがされていると聞き、それらしい子を見かけ後を追いかけたのですが、我が子とは違うようです」
 男は菊を見ている。
「少し歩こうか」
 菊は男に話しかけた。歩はすっと姿を消している。
「あんた、仕事は」
「同じようなものですよ、刺青はありませんが」
「同じってどういうことだい?」
 菊の口調が荒くなる。
「ドロップアウトしたんです、いろんなものから。それで妻も子も失いました。…あの子は…さっき見かけた女の子は幸せなんでしょうか」
 男は、振り絞るように問いかける。
「幸せかどうかなんて、わかんねーよ、みたまんまだ。」
「華僑のネットワークは最強です。そのうち父親は見つかるでしょう、しかし、その前に戻ってください、空京に」
「なんでだ?」
「父親は、そのうち彼女の前に顔を出します。きちんと…全てがきちんとしたら…」
「あんたはそれで良くても、レッテはどうなんだ。わざわざ来たんだぞ」
「父親はいつか必ず、迎えに行くと、それだけ伝えてください」
「あたしらは、どうすればいい?あんたを探すために、みんなで苦労して、ここまできたんだ」

 いつのまにか、男は人の波に消えている。