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誰がために百合は咲く 前編

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誰がために百合は咲く 前編

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 第4章 おもてなしの極意


 窓のカギ、よし。
 ロッカーの鍵、よし。
 廊下、よし。左右の角には海軍の軍人が見張りをしてくれている。
「こちらは異常なし、ですよぉ」
 女子更衣室から出たルーシェリア・クレセント(るーしぇりあ・くれせんと)は、前で待っていた軍人に声をかけた。
「ありがとう、助かるよ。俺も野郎の更衣室なんかには興味無いんだけど、こればっかりはね」
 普段は軍医をしているというその青年は、ルーシェリアの肩にさりげなく手を回しながら歩き出した。
 が、その手を叩かれて引込める。
「……食事の量、減らしますよ?」
 背後から彼を叩いたのは、こちらはひょろっとした陰気な印象の青年だった。主計長(経理と食料品などの荷物の管理配給を担当する)だと言っていた。
「そんな汚いことをまさか本気で言ってるわけじゃないよね? っていうか君がこんなところにいていいのかな? 仕事あるよね?」
「これから仕事に向かうんですよ。方向がたまたま同じなだけです。あなたと違って遊んでいるヒマはありませんから」
「そんなことだと女の子にモテないよ?」
「放っておいてください。だいたい、あなたが女の子に声かけてるのは見たことがあっても、モテてるところなんて見たことありませんね」
「あー、こいつらいつもこんな調子だから。気にしないでいいよ」
 少々困惑するルーシェリアの横を、小柄な少年が通り過ぎていった。
 軍人というと厳しげなイメージがあったが、そういう人ばかりでもないようだ。
 少し歩くと、先ほど言った通り主計長の青年は角を折れて行ってしまった。少々の不安を感じつつ行く先には、会場のホールがあった。
 お茶会担当の警備と連絡を取るために、二人はホールに入っていく。
「11時の見回りですがぁ、半周終わりましたぁ」
 ルーシェリアは、菅野 葉月(すがの・はづき)と、ミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)に声をかける。
「了解です。折を見て百合園生さんにも伝えます」
「ここはお願いしますねぇ」
「はい。……ミーナ、聞いてる?」
「……うん」
 部屋の隅で壁を背にして、周囲が良く見える位置に。
 ……よく見えるせいか、みーなはテーブルに並ぶ、美しく美味しそうな昼食とお菓子に視線を奪われているようだ。
 来賓はもとより、ラズィーヤや生徒会長や、談笑を楽しむホステス役の生徒はそれを優雅に摘まんでいる。
(うう、ワタシは警備だからなぁ。我慢しないと。……後で何か食べさせてもらおうかなぁ?)
「やれやれ。もうすぐ僕たちも昼食の時間だから、それまで我慢だよ。先に行ってきた生徒によると、結構いいものが出るらしいよ」
「そっかぁ。お嬢様学校だもんね」
 ミーナは頷く。葉月と二人、再び警備に集中した。もう一つの興味、来賓と生徒会役員候補者に視線を戻す。
 帝国の老商人──六十は超えているだろう──アダモフとハーララは、それぞれヴァイシャリーの商人たちとの細かい商談に入っているようだ。
 その娘・ヤーナは少し離れたところで、生徒達を相手にしている。
 ラズィーヤと生徒会長は今、他の商人たちと話していた。
 役員候補達はその間を行きかって、お茶やお菓子を勧めたり、談笑したりしている。が、単に仕事をしているだけでは、ラズィーヤの出した試験に応えるものではないと分かっているだけあって、皆真剣だ。
 そんな候補者の他に、SP──要人の警護を務める桜月 舞香(さくらづき・まいか)もいた。
(軍人は政治に関与すべきでない。 昔、偉い人がそんなことを言っていたそうだけど、同感ね)
 舞香は、選挙には立候補していない。白百合団は執行部で、軍人ではない。けれど戦うこともある部隊の班長でもあるのだ。
(白百合団班長としての今日のあたしの任務は、ヴァイシャリーの大事なお客様を乗せたこの船の乗員を守ること)
 そして、自然に、お茶会を壊さないように警備をすること。
(──殺気は、ない、か)
 お茶会といっても、ここは交渉の場。表面上の和気あいあいとした雰囲気だけではない。けれど、今明確な刃のような殺意を持っているような人はさすがに見当たらなかった。
 何となく違和感のようなものは感じるのだが……それが何だかは、分からない。
(でも、何かあったら背後に回り込んで、一撃で鎮めるわ)
 いや、むしろ、何かあったら武力行使する気の舞香自身が、この会場内では一番物騒だったかもしれない。
 そして、実は結構、暇でもあった。
(立候補のテストを兼ねているお茶会だから、あまりでしゃばるわけにもいかないし……)
 といって離れるわけにもいかない。舞香はあちこちに置いてある美術品に異常がないか、フリーのドリンクが足りているかなど、細かいところをチェックすることに努めた。
(……うん?)
 彼女は一人の、トレイにティーポットとお菓子を乗せて、客の合間を歩くウェイターに目を留めた。いや、わざわざ目を留めるまでもなく、女性ばかりの中に男性給仕の姿は、会場では目立っている。
 閃崎 静麻(せんざき・しずま)だ。アダモフに呼び止められている。
 舞香はさりげなくそちらへ近づいた。
「──ええ、皆さんも女生徒には力仕事など頼みづらい、と思いまして。こういった美術品を動かすこともあるでしょうとの、主催者側の配慮です」
 静麻は側の壺や絵画を示して答えながら、アダモフをさりげなく観察した。
 時折咳き込むのは体調が良くないのだろうか。老いて細く小さくなった体を、たっぷりゆったりの服で包んでいる。
(いかにもってカンジの指輪が目に着くが、服も靴も上等の仕立てだが、こっちは割と大人しめだな……っつっても、金糸だの銀糸だの使ってあるが)
「美術品は、一旦受け入れられれば、富裕層が金に糸目を付けないからの」
「シャンバラの美術は如何ですか? 各地方に特色があって面白いと思いますが」
「ピンキリといったところかね。古王国時代のものと現在のものとあるが、技術継承の断絶が深いように思う」
 まぁ掘り出し物を見つけるのも仕事のうちだし、今日はいいものを見せて貰えると思って来た、とアダモフは言った。
 静麻は彼に、シャンバラの情勢などの情報を手札として小出しにして様子を伺ったが、一通りのことは彼は知っていた。というのも、ヴァイシャリーと帝国は多少ならず結びつきがあったからだ。
 それに何か彼から情報得られる、ということも今は特になかった。彼が手広く(美術品から香辛料から、海上交易を中心に)商売をやっていることが分かった程度である。
 アダモフの交渉相手は百合園側だったし、静麻自身が何か彼女たちより深い情報を持っていて、具体的に何かを聞き出そうとすれば別だったかもしれないが……。
「──お茶は如何ですか」
 雑談をする二人の前に、ワゴンを引いて現れたのはネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)だった。
 ワゴンの上には、ポットとカップ、それにたくさんの瓶入りの茶葉とスパイスが並んでいた。
 アダモフは彼女の容姿(小学生低学年くらいにしか見えない)に少し驚いたようだったが、外見よりも大人びた態度に、
「ああ、貰おうか。どんなお茶があるのかね」
「私がブレンドさせていただきます」
 お茶の種類は、多岐に及ぶ。アールグレイ、アップル、ベルガモット、ラベンダー、ローズ、ミント、レモングラス、ジャスミン、シナモン、バニラ、オレンジ、鉄観音、プーアル等々。
 カレーで鍛えたスパイス知識を活かし、相手と場に会ったブレンドをその場で行うという趣向だ。
(もし生徒会の役員になれば、こういう場での仕事も増えるんだよね……)
 ネージュは生徒会の庶務に立候補していた。いずれ家業の系列会社を任されることになる、その前に経験をしておくのもいいのではないか、と、考えたのだった。
 スタンスは中立。革新にも保守にも、それぞれいいところがあるのだから、お互いに歩み寄れば理想の学び舎が実現できると思っている。
(そろそろ紅茶は飲み飽きたころかな。お年だから胃に負担が少ないもので……さっぱりブレンドでいこう!)
 セイロンにミントとレモングラスをブレンドして、手早くお湯を注ぐ。
「夏らしくさっぱりしたお茶にしました。胃腸を整える効果もあるんですよ」
 抽出したお茶は、ミントのさっぱり感にレモングラスの、レモンに似た風味が楽しめるお茶になった。
「お茶やスパイスに詳しいのかね?」
「はい、普段から触れていますから」
「うちの店でも扱っていてね。良かったらシャンバラ特有のものについて聞かせてくれないかね?」
「はい!」
 ネージュは話しながら、逆にアダモフが各地から取り寄せているという珍しい葉っぱやスパイスについて話を聞き出していった……といっても、半分趣味のようなものである。