リアクション
* 時は飛んで──これはその船が港に帰還してからの話だ。 「昼はたっぷり遊んだから、ここからは夜の楽しみかな……折角だし、美味しいものでも食べに行こうか」 そんな一言を切っ掛けにして、一人の青年とドラゴニュートは遅い夕食をとりに小さな別荘を出た。 ヴァイシャリーの商人が別荘兼仕事場にしているというその建物は、港のはずれにあった。 黒崎 天音(くろさき・あまね)の視線の先には、夜の港街が広がっている。 「照明よし、火の元よし、鍵よし、イルカもペンギンも……よし。……うむ、行こう」 「心配性だねぇ。生活感溢れるというか……」 窓を見て、記憶を辿り、ドアノブを回し、庭のプールで遊ぶイルカとペンギン、それにスクィードパピーたちの数を確認して。それからやっとパートナーに向き直った、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に、天音は肩をすくめた。 ここまで来た道すがらに見えた、真夏の光で眩しく輝く風景も、今は夜の帳が幾重にも港を包み込み、雰囲気が一変していた。 夜の密やかさ、しっとりとした風に、南国めいた潮の香りと港町の喧騒と、華やかさと。そんな空気は、ブルーズの生真面目さとどこか不釣り合いだった。 「生活力があると言って欲しいものだな。もし盗みにでも入られたらせっかくのバカンスが台無しだろう?」 言いながら、天音のドレスシャツに指を伸ばし、襟元と、銀の薔薇を模ったカフスボタンに指を伸ばした。 「襟を整えろ……だらしないのは好みじゃない」 「分かったよ」 ブルーズはまるで母親みたいだが、されるがままの天音も、こんな時はいつもの微笑に、少しだけ少年らしい色がさす。 二人は連れ立って、小さな街の中心部へと向かった。 道すがら、夜の街に繰り出したと言った風の海軍の軍人に声をかけ、良さそうな店を教えてもらう。 ……とは言っても観光地ではない。タシガンのように上品に、ワインや珈琲をいただく店はなかった。二人が扉をくぐったのは、今後の発展を当て込んで店を開いたシェフの、お洒落ながら家庭的な雰囲気が漂う一軒だった。 モチーフは海上の孤島に建てた隠れ家、といった趣。階段脇の中二階に二人は腰を下ろし、木造りのテーブルに早速料理を並べてもらった。 まずはヴァイシャリー産のワインと、ハーブ入りのパンとオリーブオイル。トマトとバジルにフレッシュチーズを乗せたサラダ。蟹やトマトと野菜が入った、オレンジ色の海老のビスク。 海が間近ということで、頼んだの料理は夏が旬の岩牡蠣。アワビやサザエ。丸ごとの伊勢海老を塩とハーブで蒸し焼きにした料理。本日お勧めだという、採れたての白身魚と貝を、水と白ワインで煮込んだアクアパッツァ風の料理。 二人は、素材の味が活きた料理に舌鼓を打った。 勿論、その味を引き立てているのはハーブやスパイスだけではない。酒場のざわめき、グラスが打ち合わされる音、ウェイトレスの笑顔、頭上から吊り下げられたランプの暖かな光とほの暗い室内の雰囲気──そして少し影になり、或いは照らされ、薄暗がりに浮かび上がる客の男性達の精悍な横顔。 「ふふ。海の男も結構良いね」 逞しい腕に日に焼けた肌。肩の筋肉からすっと伸びる首筋からうなじのライン、そして浮き出た鎖骨──オリーブの塩漬けを口に運びつつ、天音は微笑んだ。 ブルーズはパートナーの視線に物色するような気配を感じ、思わずワインを噴きそうになる。 「……その視線は止めろ」 「──静かに。ちょっと噂話を聞いているだけだよ」 唇に指を当てる天音。真面目にやっているのなら、と黙るブルーズ。 天音は隣のテーブルから漏れ聞こえる会話に耳をそばだてた。彼らの制服は、白に金の縁取りがされたもの。海軍ヴァイシャリー艦隊の──おそらくは、例のお茶会会場警備の面々だ。時間が時間なので、既に船はナイト・クルーズから戻ってきていた。 上官である海軍提督フランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)の名や、原色の海(プライマリー・シー)という単語が漏れ聞こえる。 天音は、席を立った。 「おい、何処へ──」 彼は再び唇に人差し指を当てて微笑し、男たちの前に静かに立った。 「良ければ、その話もう少し詳しく聞かせて欲しいな。勿論お礼はするよ──ああ、この店で一番お勧めのワインを持ってきてくれないかな」 ウェイトレスから白ワインを受け取った天音は、それを海軍の軍人の一人に手渡した。 「……ね?」 ──天音にとって、“知的好奇心”を満たす情報は、一種の食事のようなものだった。たとえ美味しい食事が並んでいても、それが満たされなければ空腹も気にならない程度には。 彼は海軍の、小柄な少年の横に座る。ブルーズから僅かな苛立ちのこもった視線を感じる、ような気もするがこの際気にしない。 少年の名はセバスティアーノと言った。曽祖父の代から海兵隊で、今はフランセットの部下だという。 ライスコロッケを口に詰め込みながら、そしてとろけ出た熱々のチーズに舌を火傷しそうになりながら、彼は気前よく話してくれた。 「原色の海はさ、パラミタ内海の、まぁ地図でいうと丁度真ん中あたりをそう呼んでるんだよ。一、二度行ったことあるけど、すげー綺麗な海が広がってんだぜ。 あそこはどこの国にも属さない、いわゆる部族の自治っていうの? それで長いことやってるんだ。赤青緑の、三色の旗を掲げる三つの部族があってさ」 セバスティアーノは、エールをあおった。 「赤の旗を掲げるのは、列島に住んでる。族長はカバのマスコットで、多くの住民もゆる族。商工業が盛んで、ゆる族になりきるための着ぐるみや、ぬいぐるみなんかも沢山売ってるけど、何せゆる族って中の人が正体不明だからなぁ。ちょっと不気味といやぁ不気味かも。知らないマスコットだらけだし」 売ってるマスコットって、ゆる族が混じってるって気がしない? と彼は言って、話を続ける。 「青の旗は、海底都市で、獣人なんかが住んでる。──あ、海の中に塔が付きだしてて、俺らもそこから入れるらしいぜ。でも行ったことあるやつはそういないんじゃないかな。自給自足……なんつーの、そこで社会がカンケツしてて、割と閉鎖的だって。 緑は……見れば分かるけど、海から生えてる森の、樹上に家を作ってる。花妖精の族長が治めてて、守護天使が補佐してる。マム──うちの提督の専属メイドも花妖精なんだけど、そこ出身だって聞いたことがあるな」 それぞれは例によって仲が良くもなく悪くもなく、ライバルって感じかな、と彼は言った。 「でさ、その部族と取引に来た商人が、それじゃ効率が悪いってんで、丁度真ん中に自治都市を作って中立地帯にし始めたわけ。今は一番金持ちかも。……こんなとこでいい?」 「ふぅん……面白い話しだね、友人に良い土産話が出来そうだ。ありがとう」 天音は微笑んで、暫くお酒に付き合い、それから、機嫌を損ねたブルーズのために、新しいワインを手に、席に戻る。 「彼、年上の女が好みなんだって」 「……そうか」 「さぁ、もう一度飲み直そうか。次のスープが冷めないうちに、ね」 |
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