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ピラー(後)

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【五 闇への追及】

 領都バスカネアは、バスケス領の中心都市であるだけに、様々な施設や街並みが揃っている。
 そして驚いたことに、カルヴィン城の近くには、近代的な医療設備を整えたバスカネア中央病院なる医療施設までが存在していたのである。
 このバスカネア中央病院はクロカス家の主導で設立された病院で、出資者もクロカス家である。ヴィーゴがこの病院の設立を認めたのは、ひとえに領都としての機能向上を内外にアピールする為に過ぎなかったのだが、皮肉にもそのヴィーゴの功名心が、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)には幸運となった。
 彼は前回のピラー出現の直前に、F4クラスの群発性衛星竜巻に、ほとんど生身のまま突撃を敢行するという命がけのエンターテイメントに興じたのだが、ものの見事に弾き返され、全身を激しく強打して、全治一週間の重傷を負い、この病院に担ぎ込まれたのである。
 流石にコントラクターだけのことはあって命に別状は無かったのだが、しかしまともに動けるようになるまでは矢張り数日を擁した。
 アキラと一緒に衛星竜巻に突っ込んだアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)は、僅かな損傷程度で済んだから、翌日にはもうぴんぴんしていたが、アキラは運び込まれた直後から一両日は寝たきりの状態で、下の用を足すにもひとの力を借りなければならないという惨状であった。
 そんな訳で、アキラはバスカネア中央病院の集中治療室から出た後、現在は一般病棟に移り、個室で絶対安静を命ぜられていた。
「ルーシェさんとアリスさんは、無事に潜入出来たのでしょうかねぇ〜」
 アキラの付き添いとして彼の個室に入り浸っているセレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)が、病室の窓から見えるカルヴィン城の威容を遠巻きに眺めながら、誰に語りかけるともなく呟いた。
 現在、アキラのパートナー達の中では唯一といって良い、常識と行動力の双方を兼ね備えた人物であるルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)が、アリスと共に臨時応対スタッフに応募して、カルヴィン城内に入っている。
 本来であれば、アキラがその任に就きたいところであったが、現在のこの体たらくでは、とても務まる筈も無かった。
「あれだけ元気に俺の頭をハリセンではたき倒したんだ。上手くいってんじゃないかな〜?」
 入院直後、アキラはルシェイメアに散々説教された挙句、ハリセンで何度も頭をどつき回されたことを、未だに根に持っているらしい。
 口にしている内容だけを聞けば、ルシェイメアの行動力に信頼を置いているようにも取れるが、本人は結構、腹に据えかねている部分もあるようであった。
「まぁまぁ……ルーシェさんはあれでも心配してくださってたんですから」
「いや、別に良いんだけどね……そりゃそうと、俺が突っ込んだあの竜巻って、ピラーじゃなかったんだよな……今度こそはぜってぇ、成功してみせるかんな」
 セレスティアは、リンゴの皮を剥く手を止めて、心底呆れた表情をアキラのやる気満々の面に向けた。
 性懲りも無い、とはまさに、今のアキラの為にあるような言葉であろう。

 さて、アキラとセレスティアを病院に残してカルヴィン城に入ったルシェイメアとアリスの両名だが、彼女達以外にも、ヴィーゴの陰謀を暴いてみせようという意気込みで城内に潜入しているコントラクターの数は、予想外に多かった。
 早い段階から臨時応対スタッフとして入城していた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)七瀬 歩(ななせ・あゆむ)七瀬 巡(ななせ・めぐる)冬蔦 日奈々(ふゆつた・ひなな)、そして四条 輪廻(しじょう・りんね)といった面々は、ルシェイメアとアリスがやっとの思いでカルヴィン城に入ってきた時には、既に城内の相当奥深くにまで捜査の手を伸ばしつつあった。
「いやしかし……想像以上に大きい城じゃのぅ」
 まだ昼間だというのに、カルヴィン城の居館奥はほとんど陽が射さない為、ただでさえ広い空間が余計に暗く見えてしまう。そんな中でルシェイメアが、自身の声が殷々と響くのも気にせず、酷く感心した様子で地下に繋がる傾斜した広間をまじまじと眺めていた。
「この奥に……ミリエルちゃんが、居るのかな……」
 日奈々の幾分沈んだ声が、ルシェイメアの隣から静かに漏れ聞こえてきた。ミリエル同様、その双眸から光を失った日奈々ではあるが、この広大な空間の奥に広がるぬめるような漆黒の闇には、肌で何かを感じるのか、随分と怯えた様子を見せていた。
 それでも何とか、気丈に両足を踏ん張って真正面に面を向けているのは、ひとえにミリエルの安否を強く気遣っているからに他ならない。
「でもさ……そのミリエルちゃんっていう女の子も、例のオブ何とかっていう怪物と、何か関係があるんだよネー?」
 ルシェイメアの肩口から、アリスが全く空気を読まない無神経さで甲高い声をあげた。するとその小さな体躯を、ルシェイメアが無理矢理押さえつけて、アリスの口を力ずくで封じた。
「全く、少しは気を遣わんかい……すまぬな、うちのチビが要らぬことを口走ってしもうた」
「気にはしてません……大丈夫です」
 日奈々の力無い笑みに、ルシェイメアはより一層、申し訳ない気分になった。便利だからとはいえ、矢張りアリスを連れてきたのは問題だったか――思わず内心でそう、ぶつぶつとぼやいたルシェイメアだが、連れてきてしまったものは仕方が無い。
「それじゃ……皆は後についてきて」
 先頭には、美羽が立った。
 小さな体躯の彼女が先陣を切って闇を突き進んでいくというのは、一種異様な光景ではあったが、これはこれで道理に適った話でもあった。というのも、この中でオブジェクティブと直接、対等に戦えるのは、美羽を措いて他には居なかったのだ。
 オブジェクティブ・オポウネントの何たるかについては、既にコハクから連絡を受けてよく理解している美羽である。
 何が飛び出してくるか分からない闇の中で、ひとり先頭に立つ恐怖は並々ならぬものがあったが、それでも彼女は自身の精神力で湧き起こる恐怖心を抑えつけ、力強い足取りでどんどん奥へと進んでゆく。
 その猛然たる姿に、歩のみならず、巡や輪廻といった面々も、ただただ感心するばかりであった。

 一行は、先頭の美羽が手にしたランタンの僅かばかりの光を頼りにして、どんどん闇の中を進んでゆく。
 ところが、五分も進まないうちに、いきなり分岐点にぶつかった。
 どちらに進むべきかと美羽が迷いを見せていると、輪廻がメモ書きを手にして、ランタンを掲げる美羽の傍らへと身を寄せてきた。
「俺は左へ向かう。この見取り図によれば、こちらにカニンガム氏の貯蔵庫がある筈だ。元々俺はカニンガム氏の足取りを追うつもりだったが、それ以前にまず、こんな地下の、非常に便の悪いところに態々カニンガム氏が貯蔵庫を造営するという事実にも、どうにも引っかかるものがある」
 ランタンが放つ仄かな薄明かりの中で、輪廻は表情を引き締めて一同を見渡した。
 輪廻が緊張を見せるのも当然で、カニンガムの貯蔵庫に向かう役を請け負うのは、実は彼ひとりだけだったのである。
 この先、何が待ち受けているか分からないという危険性を考えれば、単独行動は危険に過ぎるというものであった。
 しかし、もともとが最小限の人数での突入である上に、ミリエル捜索にはオブジェクティブとの遭遇の可能性も考慮しなければならない。そうなると、必然的に輪廻は単独行動を強いられることとなるのである。
 尤も輪廻自身は既に腹を括っており、今更ひとりで進むのが怖いなどというつもりは、毛頭無かった。
「輪廻さん……どうか、くれぐれも警戒だけは怠らないでね。もし危ないと思ったら、すぐにでも捜索を中断して脱出することを考えてね」
 歩の言葉に、輪廻は軽く頷いた。が、本当のところをいえば、輪廻は己の身の危険よりも真実の探求に重点を置いていた。
 仮に何か重大な危険が迫ったとしても、輪廻は身の安全より、まずは調査を第一に優先すべきと考えていたのである。
 しかしこの場では、輪廻は歩の言葉に従う振りを見せた。
 ここで変に言葉を返してしまっては、歩達に無用の心配を植えつけるだけである。輪廻としては、それは不本意な状況であった。
「輪廻兄ちゃん、もしどうにもならなかったら、ボクだけでもすぐに呼んでよね。なるべく早く、駆けつけるようにするから」
「あぁ、そうさせて貰うよ」
 巡の念押しにも、輪廻は素直に従う素振りを見せた。内心では申し訳無いと、両手で拝んではいたのだが。
 かくして、一同はカニンガムの貯蔵庫に向かう輪廻だけを残して、右へ折れる通路へと進路を取った。
 先頭を美羽が進み、しんがりには巡が立つという陣形はそのままに、間の人数からは輪廻だけを減じて、歩、ルシェイメア、アリス、そして日奈々と続く。
 用意していた予備のランタンに火を入れてから、去り行く集団をしばらく目線だけで見送った後、輪廻は踵を返してカニンガムの貯蔵庫へと足を向けた。
(さて……鬼が出るか蛇が出るか)
 輪廻としては、カニンガムの足取りが分かりそうな手がかりがひとつでも得られれば御の字と考えてはいたのだが、最良はカニンガム自身と遭遇出来れば一番良いとも考えた。
 ヴィーゴが何らかの理由でカニンガムを地下に捕らえているケースも十分に有り得る、と予測してのことではあったが、しかしこの後、輪廻は彼の予測を遥かに上回る、驚くべき事態に遭遇することとなる。
 勿論、今の時点ではまだ、自身が目の当たりにする驚愕の真実が行く手に待ち受けていようなどとは、微塵にも思っていない。
 ただただ、闇の中を警戒に警戒を重ねて、ゆっくりと突き進むのみである。そして――。
「……あれか」
 ものの数分もしないうちに、古びた木製扉が出現した。
 輪廻は立ち止まってごくりと喉を鳴らし、自身の呼吸を整えるようにひと息入れた。