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春をはじめよう。

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春をはじめよう。

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●桜並木に春が降る(1)

「引っ越しかぁ。春らしくていいな。うん!」
 山と積まれた大八車を見上げて、柿之木 猿次(かきのき・えんじ)は感心したように声を洩らした。
 無人の大八車かと思いきや、路傍の石に座っていた少女が気がついて苦笑いした。
「数回に分ければこんな山にならないで済んだんだけど、あいにく面倒くさがりな家主なもんでね〜………ってあなたは?」
「おっと」
 猿次は柔和そうな目を笑み崩し白い歯を見せた。
「わしは柿之木猿次という者だ。ここらに来たばかりでまだ慣れないが、今後もなにか縁があるかもしれねぇ。最近は青竹踏みに凝ってる。よろしく」
「茅野瀬朱里(ちのせ・あかり)よ。最近好きなテレビ番組は『お姫様のブランチ』、よろしくね」
「あと、わしの連れだが……あれ?」
 猿次はパートナーを紹介しようとして、その姿が忽然と消えていることに気づいた。
 すると桜の大樹の陰から、なにやら貫禄のある声が聞こえた。
「桜の木の下にはラノベが埋まっていると言いますな……嘘ですが」
 姿を見せたのは大きな男だ。比較的小柄な猿次と比べると、なんともその巨体は目立つ。二メートルを軽く超える背丈に骨太の体格、静観な面構え、だがなんとも朗らかな口調で彼は朱里に一礼した。
「申し遅れました。それがし、猿次殿のお供で蟹江 おむすび(かにえ・おむすび)と申します。以後お見知りおきを」
「どうもよろしく。ところで桜の木の下にラノベ云々って?」
「はは、戯れです。一時的に咲き誇るも、たちまちはかなく散る桜の花を見ていて、熱いブームを巻き起こすもやがて短いブームが去り、忘れられるライトノベルを連想した次第でしてな。ですが春がくるたび桜はまた咲き、ラノベもまた新たなブームを起こすものです。桜の花を愛でながら、桜咲く季節が舞台のラノベを読むのもまた一興、良書があれば教えていただきけませんか」
「う〜ん、良書ねえ……どっちかといえばそういう方面は衿栖……あ、衿栖ってのは朱里の相方ね……のほうが詳しいと思うわ」
「ひゃ〜、おむすび、初対面の人に何頼んでんだ」
 まあいいか、と猿次は笑って、
「じゃあ、わしら用事があるのでこれで」
 と手を振って朱里と別れ、並木道から外れて桜咲き誇る野に入っていった。
「桜は地球と同じなんだな。いい匂いだ……桜餅食いたくなってきちまったなあ」
 悠然と猿次は歩む。のしのしとこれに従いながら、おむすびが言った。
「猿次殿、桜を求め野を散策というわけですな。それがし、本日は萌え系四コマ漫画を堪能し頭のなかを花で一杯にする予定でしたが、これもまた風流というもの。自然を愛でるのは良いことでありましょう」
 だが猿次は、おむすびの言葉を聞いてくるりと振り向いた。
「風流? 今日は食費をちょっとでも浮かすため……いや、旬を味わい尽くすために、春ならではの野草を採集しに来たんだぞ」
「なんと!?」
「野外だけに採り放題というわけだ! わしが知ってる範囲だと、つくしにふきのとう、よもぎの新芽、くらいかな」
 などと言いながら猿次は目を光らせていた。すぐに、
「おおっ、あの辺、つくしいっぱい生えてねぇか!? おむすび、行くぞ!」
 つくしの群生地を見つけ駆け出す。
「猿次殿はいつまでたっても花より団子ですな……」
 併走しつつ思わず溜息するおむすびだが、
「食費がかかるのでな。毎月……」
 猿次がもっと大きな溜息つくのを聞いて、むむと口をへの字に結んだ。
「まさか、それがしが人より食うせいですとおっしゃるのですかな!? おかわりの三杯目はいつもそっと差し出しているというのに理不尽な」
「その一杯一杯がどんぶり飯ではなあ……」
「むむむ、ならば本日はそれがし、もうウンザリというくらい、つくしを採り集めてみせましょうぞ!」
 くわと目を見開き、おむすびはつくしに挑みかかった。彼が大きな手でわしわしと、小さなつくしを摘んで集める様はなんとなく可愛らしい。
「その意気だ!」
 ガッツポーズの猿次であるが、ほぼ同時に、
「ならばわしはキノコ集めを……」
 と、なにやら蛍光ピンクしている不気味なキノコに手を伸ばそうとしていた。
「あっ、それはどう見ても毒キノコですぞ!」
「そうか? 案外珍味かも」
「トリップしたら珍味どころではありませぬ……だから触れるのもおやめなされい! 手がかぶれてもそれがし知りませんぞ!」
「じゃあ、おむすびが触ってくれねぇか?」
「なるほど、これで猿次殿の手がかぶれる畏れはなくなりましたな。ではでは……ってそれがしもこればっかりはご勘弁ですぞー!」
 などと和気あいあい、春の味覚を集めて回る二人なのであった。