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●桜並木に春が降る(2)

 花冷えというのか今年の春は随分と冷えたが、ようやく暖かく気持ちのよい日々が訪れつつあった。
 もうコートの季節は終わりだ。
 しかも本日は、眩しいくらいの好天である。
「ん〜いい天気だし〜息抜きにお散歩に出かけようかな〜」
 遅めの朝食を終えた秋月 葵(あきづき・あおい)は、春に誘われたかのように桜並木の下に出たのである。
 歩くと、思っていた以上にすがすがしい陽気だった。暑くはなく風も穏やか、加えて桜はまさに満開だ。並木道をゆく足取りも軽くなる。
 葵は思いついた。
 この気分、一人だけで味わうのはもったいない。みんなで味わいたい。
 ここはひとつ、パートナーたちを集めてお花見というのはどうだろう。
「思いついたら即、行動だよね」
 携帯電話を取り出すや、サクランボのストラップを左右に揺らしつつエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)に電話した。
「桜並木を散歩してたんだけど桜が綺麗に咲いてるよ〜エレン達も一緒に見ない?」
「それは結構なことですね。すぐ、サンドイッチを作って持っていきます」
 以心伝心、さすがエレンディラだけあって、詳しい事情を説明せずとも葵の求めることを理解している。携帯を切るやすぐさま彼女は湯を沸かし、紅茶用の魔法瓶を洗うとパンの耳を切り始めた。
 さて並木沿いの桜はどれも見頃だが、適度に大きなものの下に陣取った。ちょうど小高い丘になっているような場所で、行き交う人の姿も上から眺めることができる。
 葵は座って桜を見上げた。
 優しい色だ。
 こうやってぼんやりしているだけで気持ちが良かった。
 ところがやがて、ここのところ忙しくてつい睡眠不足がちになっていたことを、葵の頭よりも身体が先に思い出したらしい。力が良い感じで抜けていく。
(「なんだか眠く……」)
 なってきたかな、と思ったときにはもう、葵は静かな寝息を立てていた。
 彼女の眼下を、車椅子の少女とこれを押す男性が通り過ぎていった。
 しばらくして、大きな荷を積み上げた大八車も通り過ぎていった。
 春の味覚を探す主従も。
 葵は夢の中で言葉を聞いた。
「あら、寝てますね。……無防備な寝顔も可愛いですね」
 聞き馴染みのある声。
 いま、一番聞きたい声だった。
(「エレン……?」)
 エレンだったらいいのにな、と思った。
 エレンだったら、ぎゅーっと抱きついてみたい。
 彼女の白いブラウスは、いつだって春の匂いがするのだ。
 満開の桜の下でもやっぱりそうなのか確かめたかった。
 桜の香り――ふと、葵が目を開けると、本当にそこにはエレンディラの顔があった。
「起こしてしまいました?」
 エレンは微笑して小首をかしげた。
 慌てて葵は起き上がる。ほんの数秒、意識が落ちたかと思いきや、いつの間にやらエレンが準備を終えて来るのに丁度良いくらいの時間が経過していたのだ。
「……あ、エレン……えっと……」
 なんだか気恥ずかしくなって、葵は言葉を探しながら言った。
「そういえば皆は?」
 エレン一人しかいない。他のパートナーも呼んでと言ったのに。
「折角の葵ちゃんのお誘いなのに、皆さんお留守さんでした。今日はいい天気ですし葵ちゃんのようにお出かけしたくなったのかも」
 言いながらエレンは、葵のすぐ隣に腰掛けている。
「あら、葵ちゃん?」
 エレンの美しい顔が、葵の間近に来ていた。
 まるで、これから抱きしめてくれるかのように。
「花びらがついてましたよ。髪に」
 エレンは葵の髪より、春の証拠をひとひら、つまんで指に乗せ見せてくれた。
「ありがとう」葵は微笑んだ。
「どういたしまして」と、やはりエレンは最高の笑顔で。
「簡単なサンドイッチを作ってきました。こちらの水筒は紅茶ですよ」
 さあ、二人で春のはじまりを分かちあおう。