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●笑う門には……

 渦を巻いている。ユマの頭には、藤谷天樹の言葉がまだ渦を巻いている。
 そのせいか心から花見を楽しむことはできなかった。宴たけなわのころさりげなく席より抜け、ユマは桜を見上げながら歩いていた。
「ユウヅキ様、ワタシたちの座にもいらっしゃいませんか?」
 と声をかけられたのはちょうどそのときだ。
「ええと……」
 呼びかけたのはジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)である。同じ学校ゆえ面識くらいはあるが、それほど親しいというわけでもない。実際、直接話したことはなかったはずである。その考えを見越したかのようにジーナは続けた。
「あの、今までお忙しそうでしたので、話しかけられなかったもので……」
「そうしましょう」
 殻に閉じこもっていては駄目――そう考えてユマは頷いた。
 大きな席だった。そこには、空大のアクリト・シーカー教授やティフォン学長と会話していた永井託の姿もあり、福寿幸が、すやすやと眠る無銘ナナシの面倒を見たりもしている。
 そして真っ先に、ユマを迎えてくれたのが林田 樹(はやしだ・いつき)だった。
「急にすまないな、ジーナがどうしても話したいと言ってな」
 反射的にユマは敬礼の姿勢を取った。樹は士官、それも中尉の階級である。気心の知れた士官ならばユマにもいるが、こうやって喚び出されたからには上官命令かと身体が反応したのだった。
「よしてくれ。今日は仕事じゃない。オフだオフ」
 屈託なく樹は笑って、ジーナを始めとする自分のパートナーたちをユマに紹介した。ジーナの他は林田 コタロー(はやしだ・こたろう)緒方 章(おがた・あきら)だ。コタローは、
「ゆまたん、こた、たまごまきつくったお、のーぞ」
 と、いそいそと何やら弁当箱を出して指し示す。
「たまごまき?」
「それは玉子焼きのことだよ」樹が解説を加えた。「まあ、巻いているのは事実だからそう間違いでもあるまい」
 あい、と嬉しそうに返事してコタローは、樹の皿にも玉子焼きを乗せるのである。
「ねーたんも、のー」
「コタロー……有り難うな」
 そのときコタローは、樹の顔をまじまじと見上げたまま手を止めた。
「………あぇ、ねーたん?」
「どうかしたか?」
「こた、ねてうとき、ねーたんのおかお、ふんだった?」
 コタローは片手で、樹の目尻のあたりを指し示した。
「って何だ? 目尻に何かついてるのか?」
「らってここに、こたの足あとが……」
 このとき、まさしく『仰天』としか言えないようなオーバーアクションで、びょーんと飛びあがって転がるようにしてジーナがコタローの肩をつかまえ、くるりと託たちのほうに向けた。
「こぉここここここたちゃん? そんなことより永井様にも卵焼き届けないんですか?」
「う? たくにーににも、たまごまき、もってくお?」
 事情がよくわかっていないコタローは首をかしげるばかりだ。それを、
「はい、はい……いってらっしゃーい」
 といった感じで押し出すようにしてジーナはコタローを託のほうに追いやった。
「こた、みんにゃにおすそわけしてくうれす!」
 とりあえず、コタローはマーチのようなステップで去っていった。
 やれやれ、といわんばかりにして章がジーナをたしなめた。
「ったく、バカラクリは誤魔化すのヘタなんだから」
「しーっ、誤魔化すだなんて!」
 その発言を無視して彼は樹の目尻を指さす。
「ほら、ここ『笑い皺』」
 瞬間、章の眼から火花が散った。樹の鉄拳制裁ツッコミが炸裂したのだ。
「な、ななななな、ナニを言うかぁ、アキラぁ!」
「……って、そのツッコミは止めた方が良いと思うよ、樹ちゃん」
 くらくらしつつも章は言う。なお現在、彼の鼻からは朱い血が一条、まっすぐに伸びているのだった。
「し、しかし、シワが出てるって言うのは……言われた本人としては……衝撃的だぞ!」
「ふむ、そこが僕の考え方と違うところだね」
 彼は鼻血を拭わない。それより先に、はっきりさせたいことがあるから。
「僕はね、皺ってのは『その人が取ってきた行動の結果』って考えてるんだ。どうあがいたって、命あるものには老いがあり、寿命があるんだ。それは仕方のないことさ」
 コホン、と咳払いして続ける。
「でもさ、限られた時間の過ごし方は、その命を持つものに委ねられるんだよね。
 ここで一句。
 『つけるなら 眉間の皺より 笑い皺』
 眉間に皺を作るほど悩むより、目尻に皺を作るほど笑った方が人生得だと思わないかい、樹ちゃん?」
 思わずジーナは溜息した。
「……まったく、たまには良いこと言いやがるんですから、バカ餅も」
 悔しいがこればかりは認めざるを得ない。自分の失言をうまく章が補ってくれたように思う。それに実際、うなずけること大なりの発言である。おそらくこれは章が日頃から思っていることなのだろう。その場しのぎの口八丁とは明らかに違った。
「す、すまん、鼻血を出してしまったな……」
 自分のパンチ力に気づいたか、樹はいくぶん慌て気味にヒールで彼の出血を止めた。
「……それに、早合点したことも謝る。そうか……今まで生きてきたこと、それが体にも蓄積されるという訳か。どうせ同じ時間生きるのであれば、幸(さち)多い方が良いであろうな。その幸は……人それぞれなのかも知れんがな」
「なに。わかってくれればいいんだよ」
「アキラ、有り難う。お前のおかげで、私は様々なことが明らかになっているような気がするよ」
「……どういたしまして」
 鼻血が消え、すっきりハンサム顔に戻って章は微笑した。
 過激だが心温まるやりとりだ。とはいえ初めてこれを見るユマは、ひたすらあっけにとられていた。そこで、そっとジーナが伝える。
「……ユウヅキ様、樹様はワタシ達と契約してしばらくは、表情がなかったんですよ。それが……ここ最近です、嬉しそうになさることが多くなったのは。そんな姿を見ると、ワタシまで嬉しくなってくるんです」
「ええ、楽しそうですよね」
 大げさなところもあるものの、林田一家はこうやって、互いを補い合いながら営みをつづけているのだろう。ジーナと章は悪態をつきあっているようにも見えるが、その実は太い絆で結ばれているに違いない。羨ましい、と率直にユマは思った。
「ねーたーん、じにゃー、あきー、ゆまたーん!」
 コタローが戻ってきた。ぺったぺたと駆けてくる。その嬉しそうなこと。
「おすそわけしたら、おすそわけもらってきたお! こえもたべおー!」
 呼びかけながらコタローは、本日寝る前に打つつもりのメール文面を決めていた。
 タイムカプセルメールにしよう。cinemaという特殊な携帯電話を使えば、一年後にこのメールを樹が受け取るようにもできるのだ。
 こう書くつもりである。

『今日はみんなで、おべんとうをたべました。
 とても、おいしかったです。』