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血星石は藍へ還る

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血星石は藍へ還る

リアクション

【16】


 悲哀の糸に絡めとられた結果、セイレーンの動きはとびきりのろくなった。
 合間合間を見てはゲーリングを回復させる歌をうたい、必要であれば健気にも身体を張って迄守ってきたセイレーンだったが、今はジゼルの意志に歌をうたうことを邪魔され、傷ついた羽根と又吉に狙われ続ける恐怖から上手く中空を舞う事すら出来ない。
 それは刹那だった。
「ジゼルさん、覚悟!」
 ベルクの手によって潜在解放されたフレンディスがジゼルの喉元に向かって刃を突き立てようとする。
「セイレーン!!」
 動揺で飛び出して行ったゲーリングの気配を感じて、フレンディスは逆手に持っている忍者刀の刃をその場でこちらへ返しセイレーンの鎖骨に向かって柄頭をぶつけた。
 セイレーンは折れ易い場所を打たれて激痛に悲鳴を上げたが、それだけだ。
 任務対象や敵になれば躊躇が無くなってしまう。
 一瞬『友人のジゼルさん』ではなく、『敵のジゼルさん』と捉えそうになったフレンディスだったが、アレクの言葉を思い出して頭ごと攻撃を切り替えたのだ。
 最終的に手加減抜きの殺気は、ゲーリングに動揺を与える意味合いだった。
 これを好機といち早くがら空きになったゲーリングを捉えたのは壮太だった。
 速攻でマウントをとって拳を振り下ろすと、その度にカエルが潰れるような声を上げてゲーリングが叫ぶ。
「うるせえな叫びてえのはこっちの方だっつの!
 こちとら痛えの大嫌いなんだよクソッタレ、ああ痛ぇ」
 痛いのは拳や、やられた傷だけの所為では無い。
 先ほどから肩が、腕が、足が、異常な力で反対側へ引っ張られている。
 傷ついた自分と、数の居ない傭兵部隊では最早守りきれないと踏んだセイレーンは、だれもがその優しい声に安心しきって眠ってしまうような歌声で恐るべき内容をうたいあげていた。
 強力なその歌は失われた魂をも復活させる。
 壮太を襲っているのは血を身体にべったりとつけた傭兵達と、舞香の覚醒光条兵器リボンソードに切り刻まれプラヴダの隊士に撃たれた鏖殺寺院のコマンダーだった。そう、彼等はすでに死んでいたのだ。
「さっさとジゼルを返せ!!」
 振り上げた腕を掴まれて、壮太の背中に気持ちの悪い汗が流れて行く。痛みに、骨が折れて行く感覚に身体は悲鳴をあげている。もう軽口を口から出す位でしか平静を保つことは出来ない。
「糞、やばすぎだろ。
 ミミが春物の服見たいっつーから立ち寄った先でまさかのゾンビ集団遭遇とかおまオレ死んじゃう。どうすんの、どうすんの俺。誰か助けてくんねーかな、いっそ俺も言ってみるか? 助けておにーちゃん! なーんて……」
 なーんての瞬間に、目の前で壮太の喉元目掛け噛み付こうとしていたゾンビの首が横にずれ、ずるりと地面に落ちた。開けた背景にあったのは首を傾げているアレクの顔だ。
「あ? 弟はいらねぇんだけど」
「ほんとにきた……」
 疲れた顔で笑う壮太から視線を外さずに、アレクは返す刀でもう一匹のゾンビの首を落とす。
「お前――」
 今度は上段から斜めに振り下ろし矢張り首を落とす。
「古今東西リビングデッドは取り敢えず首落とせって先生に習わなかったのか?」
 もう一匹は下から上へ。降り続ける赤い雨で血まみれの壮太の周りに首塚が出来て行く。
「まさかそんなナリしてビビって観れないとかじゃねぇよな。
 ん? 今度お兄ちゃんが一緒に観てやろうか?」
 最終的には後方に居た一匹の胴に回した刃を突き刺し、半回転してゾンビの頭を蹴り上げ粉砕した。
「よし。ポップコーンとコーラ用意しとけよ、夜通し三部作だ」
 血振りをして刀を背中に納めると、アレクは何も言えずに倒れたままの壮太の上にまたがった。伸ばされた腕に、起こしてくれるのかと手を伸ばした壮太だったが、激痛に妙な動きになってしまう。
「――なんだ腕抜けてるのか」
 アレクは手を掴んだままのひじの関節を掌が上向きになるように捻って、それを簡単に治してみせた。
「全く……あとは何処怪我してんだ?」
 どうもこのアレクは顔の表情パターンが極端に少ないらしい。無表情のままで何を考えているのかまったく読めないが、助けてはくれたのだ。
「(思ったより優しい奴なのかもしれねえな。首塚作ってたけど。)」
 気を許していた壮太は足を掴まれてもはてなとしか思わなかった。そこは折っていただろうか。考えている間に、アレクは壮太の膝裏に自分の足を差し込んでいる。そして次に壮太の足を折りたたみ、

 膝と足首を極めた。
 要するにスピニングトーホールドだった。
「ふぎゃあああああ!!」
「ぎゃははバーカバーカ! 男の分際で俺に助けを求めようなんて百年早ぇんだよ!」


 タコ殴りにしてきた壮太がゾンビに捕まったことで、ゲーリングは酷く不格好な四つん這いの姿でそこから逃げ出していた。
 しかしその視界に星の瞬きのような一瞬の光りが訪れた瞬間、ゲーリングはその場に無様に倒れてしまった。
 倒れたまま手にしていた金色の銃を乱射するが、その攻撃は呆れをもって返される。
 託が、そこに居る。
「無駄無駄。
 自分でさっき言ってたじゃないか。君は僕ら『野蛮人』とは違うんだろう?
 ま、いくらお上品でもこんな僕も倒せないんだから本当に高が知れてるよねぇ」
「ホントだよねぇ」
 託の独特の口調を真似た声に立ち上がったゲーリングが振り返ると、瞬間見えたのはアレクの顔で、気づけば宙を舞っていた。
「違うぞ、ステージはあっちだゲーリング」

 最上階層から最下層の水の広場に蹴り落とされたのだ。

 地面が揺れた衝撃に、視線だけそちらへ動かすと落ちてきたのはアレクだった。
「やあ、生きてた生きてた」
 パンパンと手を叩きながら、軽薄な笑顔を浮かべて近付いてくる。
 立ち上がれない。立ち上がれる訳が無い。
 全身の骨を折ったゲーリングの頭を、アレクは容赦なく踏みつけた。
「殴るっていうのはボコられるって事で、唾を吐きかけたらゲロで返されるんだ。
 分かってねぇ奴はカウンターアタック(逆襲・反撃)も考えずに行動しやがる。
 失敗も怪我も自尊心と名誉が傷つくのもひっくるめて『リスク』だ。
 『What I’ve Done』? 笑わせんな。後悔して謝るぐらいなら先に手ぇ出すなっつーんだよ」
 ゲーリングを足で転がして顔をこちらへ向けると、背中にもう一人ここまでおってきた気配を感じてレディファーストで、アレクは横へ退いた。
 全身が凍るような気配を纏って、美羽はゲーリングの首を掴み、自分の頭よりも高く高く持ち上げる。
「……命令をやめさせて」
 低い声はゲーリングに言うが、ゲーリングは最後に残されたプライドで「Nein」と答える。
 ギリギリ締まっていく喉元に咳き込んでいるゲーリングの耳に、アレクの笑い声が入ってくる。
「バカだなあんた、彼女のしてるのはお願いじゃないよ。『オーダー』だ。Neinじゃねえよあんたには選択肢なんて無い無い頭で理解しろお前が今彼女に答える返事は一つだ、許されてんのはJa wohl!だけだ」
「――やめさせて。私達のジゼルを――『友達』を返して」
 そこまで言われてもゲーリングは出したのは「Nein」の一言だった。
 美羽の中に殺意に近いどす黒い怒りが沸き上がった瞬間、ゲーリングを締め上げていた腕に、黒い手袋を付けた手がそえられる。
「小鳥遊 美羽、こういうプライドが高い相手には痛みよりも有効な方法がある」
 美羽の拘束が解けると、再び地面に落ちたゲーリングの髪を掴んでアレクは言った。
「で。答えを聞いてないぞ」
「……何の、話だ……」
「さっきも言っただろうが二度も言わせんな何時迄待たせる答弁だ回答だ弁明ださあ答えろ! Answer me!! オスヴァルト・ゲーリングてめぇが手を出したのは『誰』の『何』だ!?」
「お前……」
「Hah?」手の甲がゲーリングの頬を張る。
「Watch your mouth? (口の聞き方に気をつけろよ?)
 ほら、やり直しだ。今度はA判定取れよ?」
「調子に乗るなよ、餓鬼が」今度は反対側の頬が張られる。
「ん? あんたもしかして馬鹿なのか? Can you speak English? それともニホンゴワカリマセンカ?
 だらしねぇ奴だな。待てよ、思い出す、俺ドイツ語苦手なんだよ」
 額に指を当てたのは文字通りポーズで意味は無い。思い出すのではなく切り替えるだけなのだからそんな事しなくたっていいのだ。
 時間稼ぎのそれの間、様子を見ていた美羽の頭にテレパシーの声が響く。
『お上品な連中に有効なのはこういう罵倒だよ。さっき上で永井託がやってたのが正解。
 適度な痛みを加えるとなおいいな。あんたちょっとそこで頭冷やしとけ。
 もうすぐ終わりだからな。良かったな。明日からお友達とまた楽しく学園生活だよ』
 呆気に取られた美羽が何時ものような表情に戻る中、アレクはゲーリングに向かって聞く。
「Wer glaubst du, du sprichst?
 (誰に向かって口聞いてんだ?)
 Wer zum Teufel denkst du ich bin!?
 (俺を誰だと思ってやがんだ!?)」
「……ミロシェヴィッチ、大尉」三発目は拳だった。
「外れだバーカ! バーーーーーカ!! 俺はジゼルのお兄ちゃんだよ! 脳に、刻め!!」
「これで……終わり……?」
「いや、未だだ。
 賭けるんだろ、あの石ころに。折れないプライドを。
 あんたはバカだ。虫以下の下等生物だ。でもそのプライドの太さだけは評価してやる。だから乗ってやるよ。俺もそれに賭けてやる。
 あんたの望み通り俺が一人で犬死にするか、それとも彼女を道連れか。
 一発やろうぜ、楽しいショーの始まりだ。特等席で見せてやるよ」
 ゲーリングの襟を掴むとアレクは向こう側へと無造作に放り投げた。
 上階層から降りてくる契約者たちに目を奪われていると、水が跳ね全身をぐっしょり濡らす。

 セイレーンが堕ちてきたのだ。
 頂でエースのエバーグリーンに絡めとられ、水と吹雪で凍らされた翼は、少しも動かずもう飛べなくなってしまったのだろうと分かる。
 水中の尾は陸上では役立たない。
 足は傷だらけ、空中の翼の翼は凍り付いた。
 芸術的な姿だと酔いしれた生物兵器はボロボロになってしまった。
『幾ら力を誇ろうと、その優れた血を残せなかった獣は何れ滅びる』
 ローザマリアに告げられた言葉通りになってしまった。
「セイレーン、セイレーン!」
 呼びかけに彼女は答えない。
 敵が前に立ち塞がっているのだ。
 赤い髪を風に揺らしながら、ポケットに手を突っ込んでいる陣が、眉をひそめたその刹那――爆発のように水蒸気が立ち上った。

 それは開幕のベルだ。

 霧の様に立ち上った水蒸気はスモークマシーンから出たようで、作りかけの庭園を照らす青い照明の所為かそこはまるで舞台のようだった。
 星空に浮かぶ白銀の月を背景に、二人は立っている。
 水妖と人間。擦り切れる程使い古されたモチーフは、何時でも悲劇で終わるのだ。
 終幕の予感に誰もが静止し口を開く事すら出来無い中、舞台の上の『王子』は『水妖』へ向かって歩みを進め掠れた声で彼女の名を呼んだ。
「……ジゼル……」
 水妖の顔はシルクの様に輝く長い白金に隠されたままで、客席から表情を窺い知る事が出来ない。
「許してくれ、君を傷つけて、苦しめた俺を。浅はかだった。他人に惑わされて、君を失ってしまった」
「逃げて下さい!」
 ただ一人の輩だけが王子の身を案じて叫ぶ。
「今彼女の瞳を見たら、歌を聴いたらあなたはもう死ぬしかない!」
「それでも構わないんだ加夜。もう彼女から離れたくないんだ」
 輩の声は最早、絶望へ向かう覚悟を決めた王子の心へ届かない。水妖の瞳は彼を捉えて放さず、白い指先は頬を伝い柔らかな胸へと導く。
「アレクさんやめて!」
「この口づけこそ喜び、幸いのうちに俺は死ねる」
 珊瑚色の唇が紡ぐ歌声を届ける為に、受け止める為に、どちらともなく近付いた二人は、月明かりの中弱い光りの中、まるで口付けている様に見えた。

 音楽の消えた沈黙の中で、二人が水の中に崩れる音だけが鳴り響いた。



 悲劇の終わりに誰一人動こうとしない中、ゲーリングは目を閉じもせずに靄の晴れた水の庭園と水底に沈んだ二人を見つめている。
「……何て事だ……。
 いや違う。私のブラッドストーンは、セイレーンは完璧だった筈!
 それなのに何故彼女迄――」
 静かに取り乱すゲーリングの後ろから、少女の声が飛んでくる。
「彼女、ジゼルは誰も受け入れない『セイレーン』『パルテノペー』では無い。
 人を愛し、人の魂を選んだ『ルサールカ』だったのですよ」
「ま、まだ終わっていない!!
 あの身体が有れば幾らでもクローンは作れる。そしたら新たなブラッドストーンでもっと完璧なセイレーンを――!!」
「ははは! お前はとんだ道化者ですねぇ。
 彼女を何人用意したところでその数の新たな悲劇が生まれるだけ。
 セイレーンを愛していると謳いながら契約のリスクを恐れ、逃げ、意志すらねじ曲げて従わせる事しか出来なかった『偽物の王子様』のお前は選んで貰えず指をくわえて見ていくだけなのですよぅ。

 オスヴァルト・ゲーリング。こんな言葉を知っていますかぁ?
 『愛は盲目』、そして『恋人達は自分達が犯す愚行に気づかない』。
 お前のような偽物に、運命に引き裂かれる位ならば、最大の過ちである死を選ぶ者の上には『どんな犠牲も無駄』なのですよ」
「…………あ……」
 なんの言葉も言えないままただ膝を震わせているゲーリングの後ろから何かが近付いたかと思うと、唐突にその腹からギフトの、シーサイド ムーンの持つブレードが生えた。
 口から溢れ出した血が止まる前に闘気を纏った細い、しかし拳聖の足が、ゲーリングの銃を持っていた腕の骨を粉々に砕く。溢れ出る血が喉に絡んで悲鳴が出せないゲーリングの目に映ったのは、蒼空歌劇団の団員として舞台に上がる日々を送る役者、リカインの姿だった。
「演者で無い者が舞台に上がるなんて、この恥知らず」
 絶え絶えの息の中、リカインへ答えると言うよりも自分に言い聞かせる様にゲーリングは言葉を吐き続ける。
「違、ぅ……私は……王子様で……セイレーンの、彼女の……王子様、本物の……王子様…………その為に、全てを……捧げて……だから、私が……私こそ…………」

 ゲーリングの青い硝子玉は白銀の月を見上げ、地へ堕ちた。