リアクション
…※…※…※… 美羽の悲鳴は集中治療室にいる宵一やリイムたちも耳にしていた。 しかし正直なところ、今の宵一は暗闇のなかで光術によるあかりを生み出すことに必死で、それどころではなかった。 なぜ暗所恐怖症の宵一がそんな状況に陥っているのか? それは、数分前にさかのぼる。 廊下の先、受付・事務室へ最初の探索に向かった宵一もそこで酸入りの注射器を持った看護師たちと遭遇していた。だがすばやく消火器を室内に噴射して、それが煙幕の効果を発揮しているうちに一目散に元来た道を戻り、初療室へ飛び込み、緊急検査室、救急処置室とスルーして集中治療室まで行って、ようやく足を止めることができたのだった。 「これで彼女たちをまけただろう」 「そうでふね。 ところでリーダー、大丈夫なんでふか?」 「え?」 と我に返った瞬間、宵一は自分が真っ暗闇のなかにいることに気づき、激しい暗所恐怖症の症状に襲われた。 心臓がこれ以上ないほど打って、その強さは満足に息ができないと思えるほどだった。浅く、不規則な呼吸のせいか、ぐらぐら頭が揺れてめまいがする。 ああ気分が悪い……集中できない……。 「あかり……あかりだ……あかりがいるんだ、ちくしょおッ!!」 「リーダー、落ち着くでふよ」 まるで極寒の山にでもいるかのようにガタガタ震える体を縮められるだけ縮めて、宵一は指の先に光を生み出そうと懸命になっていた。それだけが唯一命をつなぎとめられる生命線であるかのように、ただひたすらに意識が集中し、リイムの声が届いている様子はない。 宵一がつなぎとめようとしていたのは命でなく、もしかすると正気だったかもしれなかったが、リイムの目から見て、今の彼はどう見ても正気とは思えなかった。 「リーダー、大丈夫でふ。大丈夫でふよ」 こんなとき、自分まで取り乱してはいけない、自分こそしっかりして宵一の助けになるのだと、宵一の様子に泣き出したくなる怖さを感じながらも懸命にそれを隠し、リイムはなるだけ穏やかに声を保ってゆっくりと話しかける。 「リーダー、お願いでふから……」 そのとき、ドアの向こうの救急処置室のドアが開く音がした。自分たちのいる集中治療室との間を遮る壁の擦りガラスにぼんやりと小さな光が浮かぶ。 ついにあの看護師たちがやってきたのか。それともまた別の敵か。 息を殺してドアを見つめる。開きませんように、そのままいなくなってくれますように、と祈るリイムの前、しかしドアノブが回る音がして、ドアは開いた。 蝋燭のあかりとともに入ってきたのは、同じ蒼空学園生の霜月とクコだった。 よかった……! 思わず止めていた息を吐き出したリイムのたてた音に、超感覚を発動させていたクコが敏感に気づいた。 「だれ!」 「ぼ、僕は敵じゃないでふっ」 あわてて顔の前で両手を振って見せる。小さくて愛らしい花妖精の姿にクコもすぐに警戒を解いた。 「あ、あかりだ……!」 クコが彼らをよく見ようと掲げた蝋燭の火に、宵一の表情が目に見えて輝く。 小さいながらもあかりはあかりである。宵一は少しずつ理性を取り戻し、光術を生み出そうとする行為をやめて、そちらへ近づこうとする。 「きみたちもここに――」 「それ以上近づかないで!!」 激しい拒絶に宵一もリイムもびっくりして、ぴたっと足を止めた。 「ああ、ごめんなさい……。あなたたちが悪いんじゃないのよ」 「どうかしたのか?」 「ちょっと、問題が……」 クコはためらいがちに肩越しに振り返り、自分の影でぶるぶる震えている霜月を、そっと彼らの視界に入れた。 「――そうか、対人恐怖症か」 「ええ。どうしてかは分からないんだけど……。だからなるべくこちらに近づかないでほしいの」 事情を聞いた宵一は、考え込むようにあごに手をあてる。 「俺もなぜかここへ来て急に暗闇が怖くてしょうがなくなったんだ」 「リーダー! リーダーだけでないってことは、おかしいでふ。これってもしかすると、あの白衣の男が何かしたんじゃないでふかね?」 勢い込んで言うリイムに、宵一も同意するようにうなずいた。 「やはりあの白衣の男がこの事件の鍵のようだな。なんとか見つけて聞き出さなくては」 「そいつが霜月をこんなふうにしたっていうんなら、私も協力してもいいわ」 ここにきて、ようやくクコは怒りのはけ口を見つけだせたようだった。表情が生き生きとしたものに変わる。 同じく宵一もじっと蝋燭のあかりを見つめていることでかなり回復できたらしく、普段の彼に戻ったようである。 「よし。では捜しに行こう」 上げた腰についた埃をぱたぱた払っていたときだった。 異変を察知したリイムとクコが同時に振り返って部屋の隅を見つめる。 「どうした」 「リーダー、あれを見るでふ!」 リイムが指差した場所には、ぼうっと白い光が浮かんでいた。最初、ハンドボールくらいだった光はすぐにバスケットボール大になり、なかに小さな子どもの姿を浮かび上がらせる。 子どもは4人のいる方に背中を向けて座っていた。 ――ママ……パパ……どこにいるの…… 子どもは下を向いて小さな肩をふるわせ、しゃくりあげる。泣いているようだ。 ――ママ……パパ……パパ……パパ……っ。見えないよう…… 「り、リーダー。あ、ああ、あれってあれって……」 「言うな、リイム……」 ぐっと言葉を飲み込んだリイムのかわりのように、クコが言った。 「あれって幽霊なの?」 「ここ、集中治療室だもんなあ! 廊下挟んでとなりが霊安室だからなあ! そりゃ幽霊の1人や2人、出ておかしくないよなあ!!」 うわああああ! 頭を抱えてパニックを起こしそうになった宵一は、次の瞬間ぎくりとなった。 ほんの数秒目を離しただけなのに、子どもの幽霊は距離を詰めて、宵一の体に向かって手を伸ばしていたのだ。 ――パパ……ここにいたんだね…… 子どもは真っ黒い穴のような両目で宵一を見上げ、にこっと笑う。 「……いや、俺は――」 「リーダー!!」 リイムの切羽詰まった声に、はっとなって顔を上げる。子どもが最初に現れた位置に複数の光が浮かんで、そこからぞろぞろと幽霊が現れていた。歳は幼い子どもだけに限らず、中学生、高校生、大学生や成人、老人までさまざまだ。それが一様に四つん這いになり、宵一へ這い寄ってきていた。 ――タスケテ…… ――熱い…… ――痛い……熱い…… ――熱いの……息ができない…… ――助けて…… 「う、うわ……うわ……」 「リーダー逃げるでふよ! リーダー!!」 しかしすでに遅かった。 宵一は這い寄る幽霊たちに取り囲まれ、すがりつかれてしまっていた。あとからあとから現れる幽霊たちは先の幽霊を踏台とし、さらに宵一の体を這い登って、「熱い」「助けて」と口々に訴えてくる。あっという間に宵一の腰から下は彼らに埋もれて見えなくなった。 リイムは彼らに向かって光術を投げようとしたが、思ったような光は現れなかった。現れたのは豆電球のように小さく頼りないあかりで、目くらましにも使えそうにない。 そうこうしているうちに、宵一は胸元まで這い上がられて、埋もれていた。よじ登ろうとする幽霊の伸ばした手は宵一の顔に触れ、頭を掴んでいる。 「リーダーから離れるでふよ!」 光術、風術、火術、ライトブリンガーと次々試してみたが、発動しないか、発動してもほとんど役に立たない弱々しいものでしかないことに業を煮やして、リイムはとびかかり、直接宵一から引きはがそうとする。 「リイ、ム……にげ……ろ……」 ――熱い……熱い……あつぅい…… ――火が……痛い…… ――ドアが開かないの……タスケテ、パパ…… 埋もれた宵一の胸元から、そのとき、ボッと炎が吹き出した。炎はあっという間にリイムのもふもふの毛皮に燃え移って、一緒に炎上する。 「うわあああああああああああああああああああああ!!」 「……なんてこと! これ、本物の炎だわ……!」 肌をあぶられる痛みに、クコはよろよろと後退した。 彼女の目の前で宵一とリイムは炎を生み出す幽霊たちにしがみつかれ、さながら松明と化している。天井近くまで吹き上がる炎から舞い散る火の粉まで、本物としか思えなかった。 「逃げなきゃ……」 消し炭となった宵一にしがみついている幽霊たちの目が自分たちの方を向いたことに気づいたクコは、彼らから目が離せないながらも背後の霜月に手を伸ばす。 彼女に霜月は苦しげな声で告げた。 「逃げてください……クコ、だけでも……」 「何を言うの!?」 驚愕し、振り返ったクコは、霜月が酸素ガスボンベによりかかっているのを見た。指は開閉バルブにかかっている。 「自分は逃げられません……彼らが、怖くて……足がすくんで、動けないんです……ほら……」 幽霊も人の部類に入るのかといえば微妙なところだが、恐怖症とは、手や足、頭があって、体がある……人間の姿をしている、という記号的なものに反応するのかもしれない。 「クコだけでも……生きて……」 そのとき、バルブを握る霜月の手に、クコの手が重なった。それは言葉よりも雄弁な、クコの愛だった。 「生きるときも死ぬときも一緒よ、霜月。私は、楽しいところだけ、おいしいとこだけをいいとこ食いするような女じゃないわ」 その口元には笑みが浮かんでいる。 むしろ、死に場所が一緒であることがうれしいように。 「クコ……」 「これならあなたが先とか私が先とかなく、2人同時に死ねるわね。 愛してるわ、霜月」 そっと霜月の胸に額を押しつけると、応じるように霜月が肩を抱いて引き寄せた。 彼の感触とにおいとに満たされて。 クコと霜月は、同時にバルブを開いた。 |
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