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ホスピタル・ナイトメア2

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ホスピタル・ナイトメア2

リアクション


■ それぞれの行動 ■



 家族控室を開けて、手術室を目指す侘助はすぐに右手に曲がった。
 廊下の行き止まりにある手術室。その手前の廊下を照らす電灯は寿命を迎えそうなのか、チカチカと独特な間で明滅を繰り返していた。
 チカ、チッカ、チカ、ジジ……、ッチカ。
 足を止めた侘助に火藍も立ち止まる。見ると侘助の顔にはあのいつもの能天気さの面影は無く、ただ一点、点滅する蛍光管に釘付けになって、半ば棒立ち状態であった。
「侘助、さん?」
 動かなくなったパートナーの名を呼び、火藍はどうしたのだろうかと、その背に手を回す。
 寝間着越しでも背中が滲んだ汗でじっとりと濡れているのがわかり火藍は軽く目を瞠(みは)った。
「……怖い」
「怖い?」
「……怖い。怖い……暗い……」
 明滅する蛍光管。
 明るいのと、暗いの。
 入れ替わり交差し、白と黒を繰り返す。
 チカ、チッカ、チカ、ジジ……、ッチカ。
 チカ、チッカ、チカ、ジジ……、ジジ……ッチカ。
 チカ、ジジ……チッカ、チカ、ジジ……、ジジ……ッチカ。
「怖い。暗い、くら――」
 咄嗟に、火藍は侘助の手を取った。
「あんた多分、暗闇が駄目になってます!
 目を閉じないでいてください。目を閉じたら、闇ですよ!!」
 こんな所で動けなくなってどうするんですかと半ば強引に火藍は侘助を手術室に引っ張り込み、すぐに部屋の電気を付けた。
 煌々とした人工灯の下に照らされて、侘助は酸素を求めた肺に急かされて大きく口を開き、息を吸って、吐いた。心拍数の急激な上昇によって額に滲んだ嫌な汗を拭って、深呼吸を繰り返す。
「いいですか。絶対に目を閉じたら駄目ですよ」
 火藍が侘助に念を押す。
「俺達は夜明けまで待てないんですから」
 生きて目覚める為にも。



…※…※…※…




「それ何かな?」
 エレベーター横の人工観葉植物の影に隠れていたエースは、一般外科に行くと言っていたかつみとエドゥアルトが合流し、首を傾げた。かつみの手にアイテムが一つ増えている。病院では見慣れないそれがちょっと気にかかった。
「ああ。 ……貰った」
「俺達以外にも居るんだ」
 動いている人が。聞くエースにかつみは頷く。
「みたいだ」
 答えて、メシエに静かにするようにと手で示されて口を噤む。
 階段の方から光が見えた。コンクリートの壁の表面をちろちろと自由に動き回る丸い光。懐中電灯を持つ警備員がやっと二階に上がってきたようだ。
「ところで君達はもう一階に降りるのかい?」
 囁きよりも小さな声で聞かれエドゥアルトはメシエに首を横に振る。
「いえ、これからリネン室に」
「じゃぁ、途中まで一緒だ」
 警備員は階段をあがってすぐ左に曲がった。
「できるだけ音を立てないように」
 メシエの注意を合図に四人は動き出す。警備員が曲がった方とは反対側の廊下一番奥のリネン室、二つ隣りの循環器内科を目指して。



…※…※…※…




 家族控室のドアの前でゆかりは蹲っていた。
 気が付いたら病院の中だった。
 何か入院するような病気を患っただろうか、とか。
 任務中に大怪我をしたんじゃないのか、とか。
 そもそもただ普通に寝ていただけだったはず、とか。
 本当なら。
 いつもなら。
 冷静に状況を把握する為に情報を得ようと研ぎ澄ます五感が、今回、仇となった。
 ゆかりは今、周囲のものが兎に角怖くて堪らない。
 自分以外の人間も、病院という空間そのものも、全て……全てだ。目に見えるもの、耳に聞こえる音、肌に触れるあらゆる感覚、目に見えないもの、耳に聞こえない音、この世の全てが恐ろしい。
 まるで無菌状態のガラスケースからありとあらゆる毒に満たされた空間に追い出されたような……。恐怖と言うには息苦しく、絶望と言うには耐えがたい。
 耐え難いのだ!
「カーリー……」
 再び震えだしたゆかりにマリエッタは自分が情けない声を出しているなとやり切れなくなる。
「大丈夫よ、カーリー。怖くは……怖いかもしれないけれど、少なくともあたしはカーリーの味方よ。で、今はカーリーとあたしだけの二人っきり。ね? 怖いものは無いわ」
 自分も含めた周囲の全てに恐怖していたゆかりに何とか自分は大丈夫だからと宥め説得し、立たせ、病室から連れ出したのと同じようにマリエッタは彼女と共に家族控室を抜け出し、隣りの呼吸器内科へ移動した。
「あたしがここにいるから、安心して……」
 繋いだ手を握りしめ、共に、共にと繰り返す。気をしっかり持って欲しくて何度も暗示をかけるようにして諦めなかったのが功を奏したのか、ぎりぎり保っていた正気に縋りつくようにだが、ゆかりは自分の足で立つまでになった。
 よかったとマリエッタは安堵する。部下だけ逃して自分は、なんていう安物ヒーロー番組の主人公のような真似をさせたくない。どうせ逃げるならふたり一緒でないと嫌だ。
「逃げよう」
「……うん」
 頷く声は弱々しいが、ゆかりは携帯型酸素ボンベを抱えると呼吸器内科を後にし、こんな恐ろしい場所に長居したくないと階段へと目指す。
 廊下には誰も居ない。
 下へと続く階段は向こう。
 走って行けば……走って行けば!
「誰だお前!」
 懐中電灯の光が怒声と共にゆかりの顔を射した。
 歯科の戸締まりを確認を終えた警備員の呼び止めに、ゆかりは恐怖から大きく目を見開き、動向を収縮させ、反射的に胸に抱えた携帯型酸素ボンベを警備員の方に向かって、標準なんて考えずに、力の限り投げ放つ。
 携帯型酸素ボンベが落ちる重い音とリノリウムの床が耐えられず割れる音が二階に響き渡った。
「あああああああ!」
 それ以上に大きくて悲しいゆかりの悲鳴が隅々へと届く。
「カーリーッ!」
 恐慌を来(きた)し自分を失って死に物狂いに走りだしたゆかりをマリエッタは追いかける。
 階段を駆け下り、一階に。
「カーリー、カーリィィー!!」
 一階に踊り出たゆかりの先にデスマスクを発見して、マリエッタはただ名前を叫ぶしかできなかった。



…※…※…※…




「来るぞ」
 手術室のドアを僅かに開け、廊下に出ると火藍は隠れ身で物陰に潜み、侘助もスタンバイする。袋小路という不利を背負うが、不用意に廊下に出るわけにもいかず場所を吟味している時間が無かった。
 シン、と静まり返った廊下に響く靴音。革靴独特の音に、心臓がまるで同調するかのように脈打ち、息苦しく緊張に喉の奥が干上がっていく。舌が張り付きそうな喉の渇きに、生唾を飲み下す音すら、煩わしい。生きているだけで、こんなにも″静か″と縁遠いとは。
 侘助は、左右にそれぞれメスを握る手が滲む汗で滑るのを厭い寝間着で一度掌を擦るように汗を拭ってから、両手に金属を握り直し、現れた警備員に向かって腕を下から上に振り上げた。
 足止めしたいと放った氷術は僅かな量の氷の粒が床にバラ撒かれたのみだった。
 駆ける警備員が走っていたためそのタイミングでは避けきれずまともに氷の粒を踏み、滑った。仰向けに転倒する!
「今だ!」
 飛び出した侘助が二本のメスをその喉元目掛けて振り下ろした。医療用の良く切れる刃物が深々と肉に――。
「ぐッ」
 胴に重い衝撃を受けて侘助は横に飛んだ。
 侘助と数秒遅れて懐中電灯と鍵束を狙った火藍がこちらに向かって飛んできた侘助を、ブラインドナイブスの強襲を止めて、パートナーの体を受け止め床に膝をつける。
 反撃に思わず手放した二本のメスが廊下の向こう側へと蹴り飛ばされて、金属音を立てた。
 ゆらり、と警備員のシルエットが揺らいだ。手には懐中電灯ではなく、警棒が握られている。
 濡れて水音が混じった靴音。
 その時だった。
 ジ、ッジ、ジ、と哀れな悲鳴を残し、蛍光管が寿命を迎えた。
 開けたままの手術室からの人工灯よりも、突然光を失った衝撃のほうが大きく、暗所恐怖症の侘助にパニックが襲い掛かる。
「侘助さん!」
 火藍の警告に反応し顔を上げた直後、頬に硬い何かが食い込むのを感じたのを最後に、侘助の意識は途絶えた。