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リアクション
「ボクは最初っからこんな所、来る気なんかなかったんだ!」
わいわいがやがやと、楽しそうな声で騒がしくなっていた広間に、突然ガチャンとペン立てが床に落ちる音がして。感極まったような叫声が響いた。
雑談の声がぴたっと止まる。
「……そもそもさ、なんでエメリヤンなんかと出かけなきゃいけないんだよー!」
一体何事と全員の注目が集まった先で、エリー・チューバック(えりー・ちゅーばっく)が唇を噛み締め、小刻みにふるふる震えながら立っている。
「うー?」
エメリヤン・ロッソー(えめりやん・ろっそー)の肩に乗っていたブチアマガエルのぬいぐるみ姿のギフトロラ・ピソン・ルレアル(ろら・ぴそんるれある)が、びっくりして硬直しているエメリヤンの腕を伝って下りると――そうしないとエメリヤンとエリーでは身長差がありすぎて、届かないのだ――エリーに手を伸ばす。
「うっうー、ん〜?」
エリーちゃんどしたの? どっかいたい?
そう言わんばかりに、ぺたぺた顔に触れた。
ロラは人語はしゃべれないが表現がとても豊かで、何を言っているか十分すぎるほどに分かる。
いたいのいたいの、とんでけっ! ――ね? エリーちゃん大丈夫だよ? ゆーわなら絶対治してくれるから、だいじょーぶ! ね?
ぺたぺた、ぺたぺた。
だけどそんな気遣いも、いっぱいっぱいの今のエリーには届かない。
「うるっさいな! ひとの顔、いつまでもぺたぺたしてるなよ!」
「うっ!」
ぴたんっと机の上に投げ出されたロラを見て、エメリヤンがはっと我に返った。
「……まぁ、エ、エエ、エリー……おっ、おち、おちつい、て……?」
周囲を気にしてさらに強まった吃音で、エメリヤンはなんとかエリーを落ち着かせようとする。自分でもそれが分かったので、緊張を緩和しようと大きく深呼吸をして、言葉を続けた。
「……た、たっ……たまには、い……いいでしょ?」
エリーがなぜこんなふうになるのか、見当はついていた。つい先日、彼らのパートナーの結和・ラックスタイン(ゆうわ・らっくすたいん)が最愛の人と結婚したからだ。今回この旅行に連れ出したのは、あからさまに新婚夫婦の新居に入り浸るエリーと、強く言い出せないもののあきらかに困っている様子の結和を見かねての策だった。
「ボクは結和と一緒にいたいんだ! エメリヤンじゃないっ!」
「……う、うん……そ、それは、わ、分かる、よ……」
ちらちらとエメリヤンは周囲に視線を投げてエリーに気づいてほしがっていたが、エリーはうつむいたまま一点を見つめるだけで、全然エメリヤンを見ようともしない。
エリーも自分が何をやっているか、分かっていた。大勢の人の前でこんな……みっともない。だけど、結和と遠く離れて、不安ばかり募って。抑え込もうにも安心させてくれる結和はいない。差し伸べてくれる、あの優しい手はどこにもない。そう思ったら、もう抑えが利かなくなった。
「だって……」
一度噴き出してしまったら、それまでため込んできた分止まらない。
じんわりと目が熱くなって、視界がぼやける。
「だってっ……! もしも忘れられちゃったら、そしたら……ボクは消えちゃうかもしれないじゃないかー!!」
ぱっと両目を覆い、エリーは爆発したように叫んでいた。
だって、アリスは願望から生まれるのだもの。
結和の願望がどんなものかまでは分からないけど、それが満たされてしまったら、ボクはどうなるの?
「エリー……」
エメリヤンは少し途方に暮れた思いで視線を上に向ける。
エリーのあの過剰な甘えが、結和に忘れられるんじゃないかという不安からくるものだというのはうすうす知っていたけれど、これほどとは……。
「あの、ね、エリー」
その場にしゃがみ込み、ぽんと軽くエリーの頭に手を乗せて、エリーが自分を見るのを待って告げる。
「き、きみが……結和の、が、願望で、存在を左右される……って、いうなら……そ、それこそ、消えるわけないよ。
結和は……き、きみ、の……幸せしか……願わない。
い、1度、懐……に、入れたらさ、……な、なんでも……全力で、守ろうとする。
結和が、そう、いう……ひ、人だって……ちょっと、考えたら……わ、分かるでしょ?」
あたたかな茶色の目で見つめられて。エリーは少しずつ、引いていく怒りや不安といっものを感じながら、すん、と鼻を鳴らした。
目じりに残った涙をエメリヤンが指で拭いてあげる。
「…………でも……」
「ぼ、僕も……寂、しく、ないわけじゃな、いけど……。や、やっぱり……ほっと、してるんだ。だって……結和ってば、ず、ずーっと……うだうだし、してたもんね……。り、両思いなのに、気付かないで……。
だから、し、幸せになって、ほしい……。な、泣いたり、しょんぼりしてるのみ、見るより……ずっといい」
「……うん」
小さくうなずいたエリーに、こつんと額を合わせる。
「お、おちついた? じゃあ……分かる、よね?」
立ち上がったエメリヤンはエリーの前から身をずらした。エメリヤンが視界から消えて、その後ろから、机に座った心配そうなロラが現れる。
「ロラ……。ご、ごめんねっ、痛かった?」
「ううーっ。んー!」
エリーちゃん、だいじょぶ? もういたくない?
ぴょん、と飛びついてきたロラを受け止めて。ぎゅっと抱き締めた。
2人を見るエメリヤンの顔に笑みが広がる。
「さ、さあ……つくろう?」
「ん。
そうだよね。結和が笑ってる今の方が、ずっといいや……。それに、ずっとずっとボクは、結和の妹なんだもん」
結和の一番大切な人にはなれなかったけど、そこは譲れない。
吹っ切れた笑顔で椅子を引いて席につこうとしたエリーに、エメリヤンのちゃめっけが出た。
「ちなみに、ぼ、僕はきみより……ずっと前から、結和の弟だよ」
「……うもーっ!!」
なんでそんなこと言うのーっ! とぽかぽか背中をたたくエリーと笑うエメリヤン、そして
「んーんー! むっむっ。ろ、らー!」
ロラもね、ゆーわが大好きな、妹なんだよー!
とエリーの頭にしがみつくロラ。
笑って、机上に紙を広げ始めた3人の姿に、どうやら事態の収拾はついたようだと、割って入るタイミングを逃していたサク・ヤはひそかに胸を撫で下ろす。すると全く同時に、近くにいた遠野 歌菜(とおの・かな)も同じようにほっと胸を撫で下ろしていた。お互いそのことに気づいて顔を見合わせ「ふふっ」と笑ってしまう。
「歌菜さん、どこか分からないところとかありません?」
「あ、えーと」
訊かれて、歌菜は先にサク・ヤがした手順説明を、ひと通り頭でなぞってみた。
うん、大丈夫。
「大丈夫です」
「そう。もし何か分からないとこが出てきたら、遠慮なく訊いてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
テーブルの間を抜けて向こうへ歩いていくサク・ヤの背中を歌菜は少しあこがれの眼差しで見送る。
10年前、彼女を襲った重すぎる悲劇。それをすべて受け止めて、毅然と生きてきた彼女と、そして彼女に裏切られたと思っていながらも彼女を愛することを捨てられずにむしろ包み込むような愛情を示したカディル。
2人の絆が結ばれたあの告白シーンがまたも頭のなかで再生されて、歌菜はほうっとため息をつく。
そのとき、パッと閃いた。
「そうだ!」
(サク・ヤさんとカディルさんを中央に、島の人達がニコニコ幸せな笑顔でいる絵を描こう!)
未来の弐ノ島太守夫妻と島の皆さんが末永く幸せに暮らせますように――そんな願いを込めて。
そうと決まれば、あとは描くだけだ。
真っ白く明るい未来を感じさせる、白い紙を取って、さっとペンを走らせる。
「どうした? 何か浮かんだのか?」
それまで描きたいものが具体的に浮かばずに「うーーん……」と頭を抱えていたことを知る月崎 羽純(つきざき・はすみ)は、打って変わった歌菜の様子に筆を置いてそちらを向く。
歌菜はすばやく紙の上にかぶさって、自分の体で絵を隠した。
「何を隠す」
「だって……」
「おまえの絵の腕前は、とうに知っているが?」
平然と言われて、カッとほおが熱くなった。
「そ、そそそ、それとこれは別なのっ」
知られてたって、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいもん! 見られたくないの!
「そうか?」
首をひねる羽純に、「あ、そうだ!」と歌菜は話題を転換する。
「羽純くんはさっきから書いてるよねっ、何を書いてるの?」
「俺か」
「うん。見てもいい?」
乞われて、羽純は今しがた書き上げたばかりの青い紙を持ち上げて歌菜の方へ向ける。そこには力強く、流れるような筆遣いで『福籠(ふくろう)』との文字が書かれていた。
「福籠……どういう意味?」
「これは、鳥の梟(フクロウ)をもじって、福をカゴから逃がさないように、という意味だな」
「へえー」
感心した声を上げる歌菜は、すっかり手元がお留守になっていた。
「で、歌菜は?」
「やっ……! だから、見せないってば!」
あわてて両腕をかぶせ、腰をひねって羽純とは反対側へ隠す歌菜がかわいらしくて、羽純はこらえきれずに笑ってしまう。
完成すれば木枠に貼るのだから、見られずにすむはずもないのに。それに気づいていない歌菜は、本当にかわいらしい。
「……もー。いつまで笑ってるのっ」
赤らんだ顔で歌菜がとがめるも、羽純のくつくつ笑いは止まらなかった。
2時間ほど時間が経過したころだろうか。
上座の机の前に戻ったサク・ヤが、注目してほしいというようにパンと軽く手を打つ。
「皆さん、終わりましたでしょうか? まだ終わっていない方もいったん手を止めてください。そろそろ外でパーティーが始まるころです。天燈流しはパーティーの一番最後ですから、パーティーを楽しんでから作業に戻られても十分間に合います。
ぜひ皆さんもパーティーに参加して、楽しんできてください」
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