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ニルヴァーナのビフォアー・アフター!

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第五章:続・宮殿の改築

 朝を迎えたアディティラーヤ宮殿には続々と『匠』達が出勤してくる。

 セルシウスの『涅槃の間』にあるエリュシオンの国宝級の一品『咆哮狼』……の代わりとして置かれていたペンキまみれの北海道犬のカイは、差し込む朝日を見つめながら、一晩続けた寝ずの眼を瞬きさせる。

「(朝日か……生き別れになった妻よ、息子達よ……この試練を耐え抜き必ずお前たちを見つけてみせるぞ……!)」

 そう思わないとやってられない仕事なのだろう。もう幾度となく誓った家族奪還の想いを再度誓っていると、人の声がする。

「あー、ここだここだ」

 ガラガラと台車に載せたオブジェを運ぶ2人の作業員の姿が見える。

「おい、気をつけろよ。エリュシオンの国宝級のモノらしいからな」

「へいへい。ったく、番組のためって、こっそり偽物に取り替えて、また本物と入れ替えるなんて、そのプロデューサーも意地が悪いよな」

「……!!」

 カイが眼だけを動かし、驚愕する。

「文句言うなよ、仕事だろ。ほら、偽物を下ろすぞ」

「「……よいしょ……っと」」

 本物の『咆哮狼』がカイの座っていた場所に置かれ、今度はカイが台車に載せられる。しかし、用心深いカイはまだ『咆哮狼』のポーズのまま微動だにしない。

「で、偽物どうするんです?」

「このレプリカは、返品だとさ。プロデューサーのとこに」

「(………生き別れになった妻よ、息子達よ……私の存在意義はおまえたちのためにこそあるのだな!)」

 この世の無情を感じつつ、台車に揺られてアディティラーヤ宮殿を後にするカイ。そんなカイと入れ違いに、目の下にクマを作ったセルシウスがアディティラーヤ宮殿へとやって来る。

 彼方がセルシウスに追いつく。

「おはよー! セルシウス。今日も仕事頑張ろ……」

「(昨晩も結局眠れなかった……フッ……フフッ……流石に今回ばかりは死ぬかもしれぬな……)」

「……」

 不気味な笑みを浮かべながら歩くセルシウスに、彼方は「そっとしておこう」と思い、伸ばしかけた手を引っ込める。



 アディティラーヤ宮殿に入ったセルシウスは、ふと顔をあげる。どこからか、パンを焼く良い匂いが立ちこめているのだ。

「この匂い……一体何だ?」

 宿泊所では朝食のサービスがあったものの、時間に厳しいセルシウスは、それに一瞥もくれず出勤していたので、腹が減っている。

「……調べねばなるまい!」

 グゥ〜と鳴るお腹を押さえてセルシウスは、匂いがする方へと向かう。



「ありがとう、ダイヤモンドの騎士。キミの協力で、ボクの『絆の間』が完成したよ」

 『歩く中性脂肪の塊。色欲の塊。煩悩の化身。ストーキング歴=年齢。救いようがない残念な容姿の持ち主。会う人全てに嫌悪感を抱かせる意味では天才的な才能を持つ』……彼を語るにはあまりに残念な言葉が並ぶ。そんなビン底眼鏡がトレードマークの男、ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)は、ダイヤモンドの騎士に礼を述べる。

「礼には及びません。ブルタ殿」

 ダイヤモンドの騎士はブルタに頭を下げる。

「貴殿のアスコルド様を思うその熱き想いこそ、この『絆の間』を作ったと言えるでしょう」

「いいや、そんな事ないよ。だって……」

 ブルタは、パンを焼くオーブンを見つめる。

「このダイヤモンドのオーブンと釜は、キミの協力がなければ、完成しなかったんだから」

 ダイヤモンドの熱伝導率は高く、それが美味しいパンを焼くのに最適な材質だと考えたブルタは、ダイヤモンドの騎士に協力を要請しダイヤモンドのオーブンと釜を作っていた。

「ぬぅ!! この『間』は……」

「おや?」

 ブルタが見ると、あちこちを眺めているセルシウスが見える。

「セルシウス! やっとボクの『間』に足を運んでくれたね」

「ブルタ殿。この『間』は、一体?」

「絆の間さ」

「絆だと? この内装はパン屋そのもの。しかも我がエリュシオン帝国流の作り方ではないか」

 セルシウスの言う通り、ブルタの『絆の間』は、オーブンや釜、それにパンづくりに必要な機材や設備が置かれたパン屋そのものだし、どこか懐かしさを感じるデザインになっている。

「ボクは、大帝になる以前のアスコルド大帝は、腕の良いパン職人だったと聞いたから、パン工房のある間を作ったんだ」

「何!?」

 ブルタは、セルシウスに、VIP達が会議や謁見する間とは違い、昔をなつかしんでゆったりできる間をプロデュースしたいのだと語り、彼が『根回し』を使い、パン職人時代のアスコルド大帝のパン屋を再現するべくエリュシオンへ問い合わせて再現したのだと語る。

「……その情報、確かなのだろうな?」

「え?」

 ブルタは、いつもとは違うセルシウスの迫力を感じる。

「アスコルド様の過去を知る者など、エリュシオンでもごく僅かしかいない。しかも、シャンバラの者にそれを語る者などもっと少ない」

 セルシウスはエリュシオン帝国の人間で、アスコルド大帝の熱狂的支持者でもある。故に、友好があるとはいえ、本国の人間でもあまり知らぬ大帝の過去を根掘り葉掘り調べられるのは、石頭な彼には中々許せるものではなかったし、本国に大帝の情報を漏らす輩がいるなど認めたくなかったのだ。

「幾ら根回しなんぞを使っても……」

「……」

 黙って考えこむブルタ。言われてみれば、ちょっと安直にソースが手に入り過ぎた気もしてくる。

「ですが、セルシウス殿?」

 ダイヤモンドの騎士がセルシウスに口を開く。

「このパン工房の作り自体は、エリュシオンのそれと酷似していませんか?」

「それは認めよう。特に釜からの煙を放出する煙突の作りは、エリュシオンの数世代前の古き作り方だ。今、これを知るシャンバラの者はそうはおるまい」

 セルシウスはブルタの方を向き、

「して、貴公? 何故、このような間を?」

「パン職人としての技を継承できずに、世を去るのはアスコルド大帝の本意ではないと思ったんだ」

「技を継承だと?」

「そう。絆の間は、アスコルド大帝が、娘のアイリスと、息子の蓮田レンの二人と、親子三人が水入らずで過ごせる空間をイメージしているんだよ」

「……なるほど、故に『絆の間』か。私は、どうやら貴公の事を少々勘違いしていたかもしれぬ」

 如何せん、見た目がよろしくないブルタの事を「スパイか?」と疑っていたセルシウスは、彼に非礼を詫びる。

「いいよ、セルシウス。ボク、そういうのは慣れてるから」

 ブルタは、そう言うと、セルシウスに幾つかの小説や映像も用意したんだよ、と渡す。

「『親父とオレの1000日闘争』、『娘とデキ婚する100の方法』か……」

「パンだけじゃなく、こういうのでも親子間を円滑に出来るかなって」

「どうかな? 大帝とそのご子息の間には、我々が図り知れぬ大きな溝があるとの噂を聞いたことがあるが……」

「特に、アスコルド大帝に複雑な感情を抱いているレンだよね?」

「む?」

「レンとアスコルドの想い出の品があればそれも再現したい、って思ったんだけど、それがわからなくて……セルシウスは何か知らない?」

「ん……さぁな。私とてレン様にキチンとお会いしたことはまだ無いのだ」

 本国で仕事をする内に、アスコルドとレンに関する色々な事情を聞いていたセルシウスだが、「噂レベルの事をあまり語るのは良くないな」と言葉を飲み込む。

「そうかー。でも、このパンがあれば、きっと上手く行くって思うんだ」

 釜でまもなく焼きあがるパンを心待ちにするブルタ。

 ブルタは、アスコルドやレンだけでなく、頭のないセリヌンティウスも毎朝焼きたてのパンがあれば困らないだろうし、アスコルドのパン職人の技術の全てがレン達に継承出来れば大帝も心残りがないだろうと見ていた。さらに、パン職人の技術だけでなく、帝位継承の問題も、レンとアイリスの内、最高に美味しいパンを作れた方に帝位が譲られれば、この空間プロデュースはエリュシオンの未来を占う事になると確信しているようだ。

「……ブルタ殿。確かに、レン様とアイリス様のことは、アスコルド様の抱えられる問題であることは認めよう。しかし、アスコルド様の体調が優れぬとはいえ、我がエリュシオンの帝位継承問題まで考えるのは、些か先走っている気がするぞ」

「そう、かな?」

「アスコルド様は、世界に急激な変化をあまり望まれておらぬ……私にはそう思えるのだ」

「……」

 ブルタは、釜の中から焼きたてのパンを取り出す。きつね色の楕円形のパンは、伝統的なエリュシオンのパンだ。

「ほう! 見事な焼き上がりだな」

「そりゃ、ダイヤモンドの騎士に特注した釜だからね。パンを作るのに必要なパン酵母や小麦粉はニルヴァーナのパラ実分校の大農場で収穫したものだけど」

「うむ……1つ貰っても?」

 ブルタに許可を貰ったセルシウスは、焼きたてのパンにかぶりつく。

「ん! ……この素朴で懐かしい味。昔食べたパンを思い出す美味さだ!」

 空腹のためか、パンの味故か、ともかくセルシウスは欠食児童のようにパンを平らげる。

「ありがとう……でも、こっちが本命の看板メニューなんだ」

 ブルタが釜から取り出したパンは、目玉のようなシルエットを持つ小ぶりなパンであった。

「……これは?」

「アスコルドの目玉パン! て名前をつけようかなって思ってる」

「アスコルド大帝か、もしくはアスコルド様、として貰いたいが……こちらも美味そうだな」

「いいよ、食べてみても」

「では……モグッ……」

 咀嚼するセルシウスをブルタが見つめる。

「どう?」

「ふむ……別に普通のパンのようだが……んッ!?」

 セルシウスは体を痙攣させる。

「ぶ……ブルタ殿。このパン、一体何を仕込んだ? か、体が……」

「ハイな気分になってきた? その辺の怪しいハーブも真っ青な効き目でしょ?」

 ブルタの『アスコルドの目玉パン』には、アスコルド大帝の体内にあった謎の細胞小器官『アスコンドリア』が大量に入っていたのだ。

「うおおおぉぉぉーー!!」

 絶叫するセルシウス。体中を熱き血が駆け巡るのがわかる。

「何だ!! 先ほどまでの疲労がすっかり消え去った気がするぞ!! これがハイってやつかぁぁ、ヒャッハー!!」

「……あ、疲れも取れるんだ……アスコンドリアって」

 勿論、セルシウスだけに表れた効果なのかもしれないが。

「こうしてはおれん! この状態の続くうちに宮殿造りをしてやる! フハハ! 今の私は無敵だ!! 造りまくってやるぞぉぉ!!」

 無駄に全力ダッシュで駆けていくセルシウスを、ブルタとダイヤモンドの騎士は呆然と見送る。尚、ダイヤモンドの騎士は『アスコルドの目玉パン』を遠慮したらしい。