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星降る夜のクリスマス

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星降る夜のクリスマス
星降る夜のクリスマス 星降る夜のクリスマス

リアクション


●心も積もるホーリーナイト(2)

 源 鉄心(みなもと・てっしん)が陣取ったのは、会場の様子や人の出入りが把握しやすいポイントだった。
 まさかとは思うが、こんな状況でテロをしかけてくる連中が出没しないとは言い切れない。
 ――まぁ、まず必要はないだろうが。
 そうは思うのだがつい、保安的に重要な地点を選んで目を光らせてしまう。これは性分だな、と鉄心は半ば諦めに近い気持ちだった。
 ネクタイを弛めて杯を手にしたとき、鉄心の目によく見覚えのある人物が映った。
 彼は小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)。彼は……絡まれている。鉄心のパートナーたちに。
「メリークリスマス!」
 と最初に秀幸を驚かせたのは、ウサギの耳をひょこひょこさせたティー・ティー(てぃー・てぃー)だ。
「あら小暮さん、ご機嫌はいかがですか?」
 続けてイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)も、料理で山盛りの皿を手に秀幸に近づいて来る。
「あ……ああ、メリークリスマス」
 秀幸は、いささか硬さのある口調で挨拶を返した。
「小暮さん、今日はこんな感じで迷わずパーティに来ましたが、実はクリスマスって良く知らないので、良かったら教えてほしいのです」
「昔の聖人の誕生日を祝うお祭です。ただ、彼の生没年には所説あって、少なくとも現代では、クリスマスの時期に生まれた可能性は低いと言われていますね。なので昔ながらの冬至の祭と思ったほうが自然かもしれません」
「冬至のお祭? あらわたくしは、恋人たちが愛を深め合う日と聞いたことがありますわ……それは、お子様なティーにはまだ早いような意味で」
 イコナの言葉に秀幸はまず、かちゃりと眼鏡の位置を直してから返事した。
「それはいわゆる日本式でしょう。本来は家族や仲間と過ごすべき日ですよ」
「でも恋人も、家族や仲間といっていいのではなくって?」
「いえ、だから、恋人に限定するのが変だというだけのことであって……」
 これを遮るように、ティーが言葉を挟んだ。
「……そういえば小暮さん、クリスマスなのにパートナーさんは一緒じゃないんですか?」
「ああ、彼女は……」
 なんだか言いにくそうに「出不精ですから」と秀幸は言う。ところが、
 ――デブ症? ダイエットのために立食パーティには来れないという話なのですか……。
 悪いこと聞いちゃったかな、とティーはティーなりのに基づき残念そうな顔をしたのである。
 もしかしてこの発言は秀幸を傷つけたかもしれない、と変な気を回し、話を変えるべくティーは問うた。
「ちょりちょりは、もうすっかり元通りなんですね……?」
「ええ、お陰様で」
 秀幸は帽子を取って頭を見せた。ティーに『ちょりちょり』(※丸坊主)に刈られた頭も、今は元のスタイルに服している。
「うーん」
 またティーは残念そうな顔になってしまう。丸坊主の小暮さん、結構可愛かったのにな……。
「ところでティー、これ」
 イコナは手の皿を上げて言う。これはティーが、秀幸を見つけるや「持ってて」と彼女に預けたものなのだ。飾りつけもなにもあったものではない豪快な山盛りで、デザートもハムも揚げ物も全部一緒になっている。
 ところがこれを、イコナ自身がチョイスしたものと思ったらしく秀幸は微笑した。
「沢山食べるんですね」
「ちょ……違います! これはいわば……」
 ショックで気が動転したのか、次にイコナが告げた言葉の意味は深い謎に満ちたものとなった。
こ……粉バナナですわ!
 イコナ本人すらこの意味を理解しているのかどうかわからない。
「え? え?」
 何かの符号とでも思ったのか、秀幸は眉間にシワを寄せて考え込む。これを好機と見て、イコナはティーを捕まえた。
「はい、これ。自分でお持ちなさいな。自分で!」
 ずしゃ、と皿を手渡して続ける。
「ところでクリスマスについてティーはご存じないということですが、それなら教えて差し上げましょう。クリスマスといえば『サンタクロース』という存在が必須ですが」
「うん」
「三択ロース……ロースは、ローストに適した肉の部位を指す言葉で……」
「食べ物の話だったの!?」
「そう。上中下と三種類ある中から選ぶから『三択』というわけですわ!」
「知らなかった……」
 こらこら、と見かねて鉄心が入ってくる。
「嘘を教えるんじゃない、嘘を」
 ところが秀幸はイコナの嘘と、素直なティーが受けたらしく、はははと声に出して笑っていた。
「以前も思いましたが、どうもティー殿は食べ物のお話がお好きなようですね」
「あ……いや……そんなことは……」
 気恥ずかしくなったのか、ティーは鉄心の背後に隠れた。
「ちぇー、ですわ。信じるティーのほうが悪いんですのに……」
 ちょっとべそをかいて、イコナも鉄心の背に隠れる。
「……どうも少尉。うちの連中がご迷惑をかけてるようで」
「いえ、むしろ楽しんでいます」
 ちょうど良い機会ではある。鉄心は秀幸に、色々と訊きたいことがあった。
 だが待てよ、と考え直す。
 訊きたいのは、パーティの席では無粋だろう、というようなことばかりだ……。
 結局、世間話程度の軽い会話にとどめ、後は、
「少尉も若いのだから予定もあるだろう」
 と、まだ話したそうなティーとイコナをとどめ、彼は秀幸に別れを告げたのだった。
「いや自分は……」
 などと言いながらも、彼は送り出されていった。
「若いよなあ」
 鉄心はなんとなく、くすぐったいような顔をしてその背を見送った。
「若いとどんな予定があるんです−?」
 ティーがひょっこりと顔を出して訊いた。
「まあ、三択ロースでないことは確かだな」
 などと曖昧に告げて、鉄心はテーブルのグラスを手にするのである。

 小走りでツリーの下に向かうのは、度会 鈴鹿(わたらい・すずか)の姿だった。
 鈴鹿は当日、空京宮殿のコンサート等で警備をしていたため、到着が遅れたのだ。
「少々遅くなってしまいました……」
 息を弾ませ、ツリーの周囲を探す。鬼城 珠寿姫(きじょうの・すずひめ)の姿を。
 その頃、珠寿姫はツリーを挟んで鈴鹿のちょうど正反対側にいて、空を見上げ首をかしげていた。
「なぜ雪が……?」
 空は見事なまでの星空、雲が出ていないのに雪が、ひらひらと降ってくる。積もりはじめている。一体これはどうしたことか。
 それはともかく珠寿姫は後方から、なにやら怪しい気配を感じてもいた。
 いや、その主はわざと気配をさせているのだろう。気づいてほしくて。
「どうかしたのか?」
 声をかけると、
「おや、マスターニンジャの忍びの術に気づくとはなかなかだね」
 空とぼけながら顔を出したのは仁科耀助だった。あいかわらず飄々と、妙に愛嬌のある笑みを浮かべている。
「君こそどうしたのかな?」
「人を待っている」
「心が痛むなぁ。美人が一人、来ない待ち人を待っている姿というのは」
 だしぬけに『美人』と言うあいかわらずの軽口は、とりあえず聞き流す珠寿姫である。
「その『待ち人』はもうじき来る。自分は鈴鹿殿と待ち合わせをしているのだ」
 たまき(珠姫)は述べた。
「何しろ、クリスマスという行事を体験するのは始めてでな。見識を広げるのにも良い機会かと思い参加することにしたのだ」
「それはいい話だね。せめて鈴鹿ちゃんが来るまでご一緒させてもらおうかな」
 そう言って彼は、どこから出したか朱塗りの番傘を広げた。雪景色のなか、牡丹が咲いたようになる。
「雪よけさ」
「気にせずともよい」
「女の子を雪に埋もれさせるのは忍びないのでね」
 ふっとたまきは口元をほころばせた。耀助は軽薄なように思われているし、実際その一面は否定できないものの、こうしたさりげない優しさがあるから嫌いになれない。
 そうだ、と思いついて彼女は言う。
「クリスマスの風習について教えてくれぬか。耀助殿は地球の出身ゆえ、より詳しいこともご存知であろう?」
「はは、それはまたざっくばらんとした質問だなあ。
 ……そうだね、それではちょっとしたウンチクを。クリスマスってのは宗教行事みたいに思われているけれど、元々あった冬至の祝祭に、宗教のほうが乗っかったというのが実際みたいだよ。だからすべての人が祝って問題ない、ってわけ」
 そこから始まって、どうしてサンタが赤いか、トナカイにまつわるトリビアなど、面白そうな部分だけもってきて、耀助はたまきに簡単に説明してくれた。ツリーの下にいるので、クリスマス飾りについても色々語って、
「ほら、あそこにヤドリギ飾りがあるだろう? これは北欧神話由来らしいけど、ヤドリギは『生命力の象徴』として縁起がよいものとされているのさ」
「ほほう」
「そして十九世紀ごろに成立したルールでは、ヤドリギの下では誰にキスしてもいい、ってことになってる」
「ほほう……って、それは本当なのか?」
「嘘じゃないよ」
「奇妙な風習よなあ」
「まあ奇妙な奇妙でも伝統は守ろう、ってことで……」
 ふっと耀助はハンサム顔になる。そして顔をたまきに……。
「待て待て待て」
 たまきは耀助の耳を引っ張って止めた。
「まさかキスするつもりではなかろうな」
「あはっ、バレた?」
 ぺろっと舌を出し耀助は破顔一笑した。
「バレバレである」
「そんな真剣にとらなくても、チューしたかっただけなのに〜」
「言い方を変えてもいかんものはいかん」
 言いながらたまきもつられ笑いしてしまった。どうも、この耀助という男は自分のペースに人を巻き込むのが得意のようだ。
「お待たせしてごめんなさい」
 そこに鈴鹿がやってきた。
「こんばんは、良い夜ですね」
「ああ、こんばんは」
 鈴鹿の目から見て、耀助はいつも通りのようである。鈴鹿は少し、安堵した。
 耀助のパートナー龍杜那由他は、八岐大蛇にまつわる事件で姿を消している。彼だって、そのことに心を痛めていないはずはない。けれど少なくとも、こうやって軟派的なことをしてふざける余裕はあるようだ。
 そのことにほっとしたのだ。耀助は、耀助らしくいてくれるほうがいい。
 たまきも夕食は取らず、鈴鹿を待っていたという。それを受けて言った。
「私たち、夕食がまだなんです。よろしければご一緒しませんか?」
「美女二人のお誘いを断れるはずないよね」
 耀助は恭しく一礼した。
 会場への道すがら、クリスマスの話の続きをする。
「クリスマスは日本に渡ってきた時、楽しいお祭りのひとつに取り入れられて宗教色が薄くなったようですよ。元を辿れば、キリスト教ではない宗教の神様の誕生日や、冬至のお祭りだったとか……時代と人の流れを感じますね」
「おっ、さっきまでたまきちゃんと、ちょうどその話をしてたんだ。さすがだね」
 と言いながら、さりげなく耀助は鈴鹿の肩を抱こうとしたりするが、
「時代と人の流れか……」
 すっとその腕を妨害しつつ、感慨深い様子でたまきも言うのだった。

 こんなとき溜息をつくのは、いけないことだろうか。
 遠かった……ここまで来るのに。
 これは物理的な距離の話をしているのではない。
 クロス・クロノス(くろす・くろのす)カイン・セフィト(かいん・せふぃと)とつきあい始めたのは去年の夏の終わりから。それまでも紆余曲折なかったわけではないが、ともかく正式に恋人同士となることができた。
 だがそこからが……なんとも。
 クロスには他にもパートナーがいるので、二人っきりになれる機会が少ない。全然ないといっていい。なんと今年は、お月見の時ぐらいしか二人で出かけていないのだ。
 だから健全と言えば聞こえはいいけれど、恋人同士らしいあれやそれな雰囲気になることも……ほとんどない。
 それ自体はいいことだ。パートナーたちに囲まれ一つ屋根の下、まったりと過ごすのも、楽しくて暖かくて涙がでそうなぐらい幸せなのだから。
 でも、クロスだって大人の女性だ。恋人と二人だけで過ごしたいという想いだってあった。ずっと。
 今年のクリスマス、どうしようかと思っていたら、パートナーの一人が言ってくれた。「クリスマスイブくらい二人で出掛けて来い。皆揃ってのクリスマスは二十五日にすればいいだろ?」と。
 言葉に甘えて、そして他のパートナーたちに押し出されるようにして、クロスとカインは今日、このパーティに来ているのだった。
 だから、遠かった……という感慨とともに、クロスはパートナーたちに感謝もしているのである。
「どうだ。楽しんでいるか?」
 カインがわずかに、ネクタイを緩めながら言った。
「ええ、なかなか」
 クロスは乾杯するような仕草でグラスを上げ、これを乾した。
 それにしても、と思った。
 少し暑くなってきたような気がする。人が増えたこともあって、会場内の気温が上がっているのだろうか。食べ物飲み物や香水、その他さまざまなものの香りが混じって、空気がむっとしてきたのも感じていた。
 すると、そんな彼女の考えを見透かしたかのようにカインが言ったのである。
「なんだか暑いな。少し夜風にあたるついでに、会場そばにある大きなツリーでも観にいかないか?」
「渡りに船というやつね」
 クロスはもちろん誘いに乗った。
 外に出ると、清涼な空気に包まれたようになる。
「会場暑かったねえー。夜風がとてっも気持ちいい」
「同感だ」
 と言いながらカインはちらちらと、彼女の様子を窺っている。
 ――聞いた話では、会場の外にあるツリーには、ヤドリギも飾られているということだ。
 どうしてもそこに意識が向かう。クロスの唇を見てしまう。
 思えば、月見のときに不意打ちでクロスにキスをされたが……唇が触れたのはほんの一瞬だった。
 あれは、正式なキスとは言えないのではないか。いわば『未満』だ。足りない。
 願わくば自分から、彼女とちゃんとキスを交わしたいと思う。
 歩きながらクロスは、
「ツリー、飾り付けが沢山施されててとても綺麗だねー」
 なんて言っているのだが、もうカインは上の空だった。
「カイン?」
 返事がない。
「大丈夫?暑さでのぼせた?」
 と、クロスが彼の顔を正面からのぞき込んで、ようやくカインは気がついた。
「えっ、ああ、大丈夫だ。少し考えごとをしてて……。その、一緒に来て欲しいところがあるんだが来てくれるか?」
 むしろここからが勝負。カインはなぜか、喉がカラカラに渇くのを覚えた。
「いいけど、なにかあるの?」
「つ、着いてから話す」
 俺はもういい年だ、小僧じゃないんだぞ、と我が身に言いきかせるが、なかなかどうして、こういう緊張に年齢は関係ないものである。
 カインはクロスの手を引き、ヤドリギの下で止まった。
「なんか人の目が届きにくそうな場所だけどここになにがあるの?」
 彼女の問いを受け、おもむろに告げる。
「あー、ヤドリギにまつわる伝説は知ってるか?」
 芸能人がアフレコした映画の吹き替えみたいに生硬な口調になってしまうが、それでもなんとか話のきっかけは作れた。
「えっ! ……それは、その、まあ、人並みに知ってるよ……?」
 そうか、とクロスも悟ったようだ。同時に、顔から火が出そうになる。つまり彼が言いたいのは……。
「その、あやかる訳では無いんだが、目を瞑ってくれないか……?」
「う、うん」
 やや身構えつつも、クロスは目を閉じた。
 どうしよう――とこの瞬間思ったのは、実は二人ともだった。
 どうするって、決まっているのだが、それでもためらい、とまどうのが初々しき恋というもの。
 緊張する。体に力が入りすぎてガチガチになる。
 でも……。
 でも、この甘美な感覚に抵抗できない。いや、抵抗なんてしたくない。受け入れたい。
 カインは一度、音を立てず深呼吸した。これで少し楽になった。
 そして彼は、クロスの強張る体を抱きしめながら、彼女の唇に口づけた。
 甘美な感覚は、ここで最高潮に達した。
 柔らかい唇。愛し、愛されているという実感。
 待ちわびたときが、今ここに訪れたのだ。