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リアクション
あなたと聞く、年越しの鐘
──仮眠室。
「お疲れ様です」
ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)はマグカップを手に、視線を巡らせた。
来賓への挨拶、年越し蕎麦の配膳は終え、カウントダウンも、年越しも終わってお雑煮もお節が配られ始めた頃。賑やかな笑い声に満ちていたホールも今は少し落ち着いている。
そんな中で、壁際の一人掛け用のソファに腰を沈めている人物が、一人。
ロザリンドは近づいて、彼にマグカップを差し出した。
「ありがとう」
桜井 静香(さくらい・しずか)は微笑んで受け取ると、温かな牛乳に口を付けて、ほっと息を吐いた。
そうしてもう一口。……目を閉じている。疲れているのかな、とロザリンドは思った。
「時間が来ましたら起こしに行きますので、仮眠を取られてはいかがでしょうか」
「大丈夫だよ。今日は周囲の人たちが段取りしてくれて、挨拶回りとか最終確認くらいだ……し……」
言いつつふわぁ、と小さなあくびをしてしまう。それで眠気を自覚したのか、
「……うん、素直に従います」
と、神妙に言って、静香はラズィーヤや白百合会の役員に席を外す旨を伝えると、ホールを出て、仮眠室への道を歩き出した。
「……ごめんね、話す時間作れなくて」
「そんなことありません。校長は校長のお仕事があるんですから。だから、今なら話してもいいですか?」
「うん」
ロザリンドは廊下を歩きながら、あれこれと、今年あったことを話していく。
“原色の海”であったフラワーショーの花泥棒。プリンセスカルテットと呼ばれる留学生のこと。百合園であった事件。学食の新メニューで美味しかったもの。授業の感想。
友達とケーキ造りを頑張ったこと。最近読んだ本。可愛い雑貨を売っているお店を見つけたこと。
そんなことを話していると、ふと、静香の歩調がごくゆっくりになっていることに気付く。
「……静香さん、大丈夫ですか?」
もしや眠くて倒れるんじゃないかと心配になって慌てたロザリンドだったが、静香のそれはわざとだ。多分、なかなか話す機会がなかったことからくる、彼なりの気遣い。
「大丈夫だよ。……続けて?」
「えーと……最後に、去年も色々ありましたし、今年も色々重大な事や難しいことがあるかもしれませんが、皆と一緒に乗り越えていきましょうね」
真面目な発言に静香は感心したように返す。
「ロザリンドさんは偉いなぁ」
「いえ、一歩ずつ、出来るところからですので、大したことはしてません。
……まずは一番お仕事や負担を抱えていますラズィーヤさんの肩の荷を減らせるように頑張ってみるとかでしょうか?」
「そうだね、ラズィーヤさんは一人で何でもやっちゃうんだよね。僕も頑張らなきゃ」
仮眠室に入った二人。
その後ろ姿を見送って、何となくこっそり尾けてきたテレサ・エーメンス(てれさ・えーめんす)は、パートナーのロザリンドに見つからないよう、角を曲がって、近くの廊下にあった椅子に腰を下ろした。
すると程なくして、ホールの方から、ぽてぽてとやってきた人物が。
すっくと立ち上がってわざとらしく陽気な声を掛けようとしたテレサだったが、
「や、道に迷うたん? こっちは百合園の仮眠室や……ってあれ、どうしたの、メリッサ?」
それはもう一人のパートナーであるメリッサ・マルシアーノ(めりっさ・まるしあーの)だった。
「わたしも寝るのー。おねーちゃんと校長先生も、こっち来てたよねー?」
目を眠そうにこすりながら言うその言葉に欠伸が混じっている。そのまま通り過ぎそうになるメリッサの首根っこを、テレサは捕まえた。
「ちょ、ちょっとまったメリッサ」
「なにー?」
声がぼんやりしている。本格的に眠そうな彼女の意識を留め置くべく、テレサは声を不自然なほど明るくして、
「えー……えーと、そうそう。さっき何してたん?」
「なにって、みんなとお話したり、お蕎麦食べたりしたよ。あ、あとね、羽の生えたおにーさんとお友達になったよー」
誰でもお友達にしてしまうメリッサである。勿論その「羽根の生えたおにーさん」がメリッサを友達と思っているかどうかは定かではない。
「へー。どんな種族?」
テレサはメリッサが立ち止まったので首の後ろをぱっと話すと、いやににこにこしながら、彼女の前に回り込んだ。
頭をこくりこくりしているメリッサに、眠るなとは言えないけれど。……もうちょっとだけ。
「うーん、良く覚えてないのー」
「羽根があるんやったら守護天使かヴァルキリーかな? 名前は?」
「えーと、ア、ア……ア何とかさんだったかなー? それとも別だったかなー?」
「イケメン?」
「えーと、男の人だったー」
テレサの前で、メリッサは首をちょっと捻っている。ちゃんと覚えていた筈なのに、良く顔も思い出せない。
「ねー、眠いよー」
「はいはい、そんな眠いならこっちやなくて、寮戻ろうか。うちはテキトーにやってるから、初日の出前には起こすから。な?」
「うんー……」
メリッサの肩を支えながら、テレサは寮に戻っていく。
一方、仮眠室。
静香は付けていたアクセサリーをコトコトと外して机に仕舞い、鍵をかける。皺にならないように、ドレスからパジャマに着替えると、ベッドの用意をしていたロザリンドが振り返った。
「あ、そです、お休みになられるのでしたら、添い寝か膝枕いたしましょうか?」
「え、ええっ!?」
そんなに驚かなくても、と言いたくなるくらいに、顔を赤く染めて後ずさる静香に、ロザリンドはちょっと笑う。
「冗談ですよ」
「なんだー」
静香は胸をなでおろしてベッドに潜り込んだが、でもせっかくだからここに来て貰おうかな、と、控えめに言った。ロザリンドがベッドの端に腰掛けると静香は小さい子供のような視線で彼女を見上げて、
「ロザリンドさんは眠る前、どんな昔話をしてもらったの?」
「そうですねー。……じゃあ始めは、裏山に行く兄弟の話を……」
ロザリンドは短く息を吸うと、小さい頃よく聞かされた短い話を語っていった。こうしていると何となく懐かしい気持ちになる。
それは静香も同じなのだろうか、二人の間に、部屋に穏やかな時間と空気が流れていった。
やがて一つの話が終わって彼女が静香の方に顔を向けると、彼もまたロザリンドを見上げて。手を伸ばして──、ぷに、と彼女の頬を触ると、優しく微笑した。
「おやすみ、ロザリンドさん」
「おやすみなさい、静香さん」
ロザリンドも微笑を返すと、目を閉じて眠りに落ちる静香の顔をじっと見つめていた。そして小さな寝息が聞こえてきた頃、そっと音を立てないようにベッドを離れた。
扉を細く開け、静香の顔を一瞥すると、静かに静かに扉を閉める。
(この一年いい年でありますように)
彼女は扉の横に壁を背に立った──壁の向こうにある部屋を守るように。それはまるで姫を守る騎士のように。
(静香さんが良かったと思える年になりますように。そして私も良かったと思える年になりますように)