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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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 兵士に案内された建物の屋上でミリツァ・ミロシェヴィッチ(みりつぁ・みろしぇゔぃっち)の姿を見止めると、高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)は悲痛な程高い声を上げて彼女に駆け寄った。
「ミリツァさんっ!
 と、突然、兄さんがっ!」
 咲耶が振り返るそこには、ユージェン・カラスマ上等兵に肩を貸されたドクター・ハデス(どくたー・はです)の姿があった。欠けてしまうのではと思う程強く噛みしめられた歯や額に吹き出す脂汗で、ハデスが何かに耐えているのは分かる。
 ミリツァはその光景に眉を顰めたが、空京の街の中に友人とその兄の気配を見つけた時から、状況は理解していた。ドミトリー・チュバイス少尉に頼み、彼女達を保護するようユージェンを向けて貰ったのも他ならぬミリツァだったのだ。
 覚悟はしていたと言葉を飲み込み溢れそうな感情を押し止めるが、しかしあのハデスの様子――思ったよりも事態は深刻だ。
 咲耶の手を両手で包み込むと、彼女の不安が直接伝わってくるようだ。ミリツァは咲耶に出来るだけ真摯な瞳を向け、彼女の心を解こうと試みる。
「咲耶聞いて、ミリツァにはこの原因を探し当てる事くらいしか出来ないの。
 けれど約束するわ。私は、あなたの大切なお兄ちゃんを絶対に助ける。
 だから辛抱して」
 咲耶が頷いたのを見て、ミリツァは彼女とその兄に背を向ける。そして広げた掌で右半分を隠す様にすると、俄に左の瞳が赤紫に染まり輝きだした。
 反響が探し当てようとしているのは、生身の人間だ。動きもするし、契約者である以上そのスピードは並のものではない。スヴァローグ・トリグラフ(すゔぁろーぐ・とりぐらふ)らハインリヒの気配を追える彼のパートナー達が反響の精度を上げてくれるが、それでもミリツァの集中力が途切れてしまえばおしまいなのだ。
(早く……もっと早く、街の全てを見て、行動の先を読むのよミリツァ!)
 能力を全力で行使するミリツァの背中を祈るような気持ちで見つめている咲耶の隣で、ユージェンがハデスを地面に座らせようとする。
「――あ!」
 だがハデスはもう限界らしく、身体が拒む様にグズグズと倒れ込んでいくのに気付いた咲耶はそちらへ駆けて抱きとめた。
「咲耶さん、座って頂けますか? ここじゃ横にもなれませんから……」
 そう提案するユージェンの手を借りて膝へ兄の頭のせると、唇から絶え絶えの言葉が紡がれているのが分かる。
「……咲耶、俺が必ず助けてやるからな……」
 ハデスはの心は今、十年程過去へと溯っていた。

 当時、高天原 御雷は14歳、妹の咲耶は9歳、互いに少年少女と言える年齢の二人は、東京都墨田区にある一般的な家庭で日々を過ごしていた。
 『高天原研究所』――考古学者である祖父のパラミタ研究拠点が、一般的と言えるかどうかは定かでは無いが、伝承と考古学資料のみを元にパラミタ研究をしていた二人の祖父にとって、実際にパラミタが出現した2009年以降はまさに順風満帆。
 そういう意味では高天原家はごく一般的な、幸せな家庭だったのだろう。
 所内の一角で事故が起こったのは、そんな中のある日――
 爆発の原因は、研究所の設備の暴走だった。
 不幸にも事故現場の近くにいた二人の子供のうち一人は軽傷で済んだものの、もう一人は発見された時には既に重篤な状態であった。
 御雷と咲耶。二人の運命を分けたものは何だったのだろうか。如何に悔いても、全ては手遅れだ。大切な妹へ御雷が出来る事は――。
「――強化人間手術……」
 研究所で続けていた研究の成果があれば、咲耶の命を救う事が出来る。だがそんな夢のような技術に、リスクが無い筈が無かった。
 高天原研究所の研究によれば、此処での強化人間手術の最後には、波長の合う相手との命をかけた契約を要すると言う。だが失敗すればパートナーロストの影響で契約者自身が命を落とす事もあり得る。
 それでも御雷は咲耶の契約相手として、自ら志願した。
 妹の為ならば、命など惜しくは無かった。

「咲耶、俺が必ず助けてやるからな」

 それは、幼い咲耶へハデスが呼び掛け続けた言葉だったのだ。
 何時の間にか傍に立っていたジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)の歌が止むと、ハデスの苦悶に満ちていた表情が、僅かに緩んでいた。
「ごめんね。私の歌では、一度共鳴してしまった人を元通りにする事は、難しいみたいなの……」
 精々気持ちを落ち着けさせる程度の効果しかないのだと、ジゼルが心底済まなそうに言うのに、咲耶は薄く微笑んで返し、ハデスへ視線を落とした。
「――兄さんは、私が事故で強化人間になったあと、自分を『天才科学者』って言ったり、『秘密結社』を作ったりし始めたんです」
 ――それも全部、『普通の人間』じゃなくなった私を寂しがらせないためだったんですよ。
 そう呟く声は慈愛に満ちていた。だから背中ごしでも、ミリツァには咲耶の表情が伝わっている。
「パラミタに二人で渡ってきたのも、
 地球にいると、私が研究対象にされるからだったんです」
 淡々と綴られる思い出にジゼルは否定も肯定も感想も口にせず、ただ頷きながら咲耶の隣に腰を下ろして、咲耶と彼女の兄を横目に見ていた。
 そうして暫くの間の後、咲耶は「けど――」と、話を続けた。
「私はもう、兄さんに守ってもらうだけの小さな子どもじゃありません。
 だから『秘密結社』とか言って無理せず、
 普通の『御雷兄さん』に戻ってもらいたいんです」



「明? おい??」
 頬を軽く叩く指先は、止まらない涙でみるみるうちに濡れそぼった。
 泣きじゃくる蔵部 明(くらべ・あける)を抱えた蔵部 食人(くらべ・はみと)がいる往来に、やがて戦闘服の軍の分隊が現れる。
 寒色寄りの都市迷彩パターンの戦闘服はパッと見ただけでは素人目にはどの軍隊か見分けがつきにくいものだが、その為か彼等の腕には所属を記したワッペンがついていた。
「――プラヴダ?」
 確認し口から出た言葉に、振り返った兵士がこちらへやってくる。
「蔵部食人さん?」
 キャップの下で影になった顔は食人には覚えが無いが、向こうはこちらを知っているようだ。 
「失礼。プラヴダ所属ヴォロドィームィル・ルカシェンコ一等軍曹です」
 言って、過去作戦に参加した人間なら民間人であろうと覚えているのだと力強い笑みを見せる。
 彼等は今空京内で起こっている異変に対処しているらしい。主な目的は要救助者の救護なのだそうで、明の様子にもすぐに気がついた。
「母上、母上、ごめんなさい、出来損ないでごめんなさい、もっと頑張るから……おいていかないで母上」
 明が吐き続けるうわ言を聞き、ヴォロドィームィルは食人へ向き直る。
「被害者の方々が起こしている症状は、心的外傷後ストレス障害や急性ストレス障害に見られるフラッシュバックに近いものだと思われます。
 彼等には過去の出来事が今の起こっているように感じられているのでしょう」
 可哀想に、と同情を口にしたヴォロドィームィルが言う通り、明は彼の『思う』過去を見ていた。
 未来の時代の明の母親は、蔵部食人を殺害した罪悪感から蔵部食人のコピーを造ろうと考え明を作製した。
 だが、全く違った存在へと育ってしまい「そもそも殺した当人への贖罪など出来るはずがなかった、身勝手に作ってしまった彼はもう別の人間として生きた方が幸せだ」と悟ったかと思えば、明の前から去って行った。
 そして彼女は自殺に近い形で死亡したのだ。

 ――母上、置いていかないで。

 明は、永遠に届かない懇願を、未来の母親へ訴え続けている。
 食人はその事情を知らないが、ヴォロドィームィルの簡潔な説明を受け終えると、冷たくなりつつある身体を兵士に毛布で包んで貰う明の姿を一瞥し、静かに頷き立ち上がった。
「明の事、任せていいか?」
 献身的に看護を続けている兵士が頷くと、ヴォロドィームィルは食人の顔に張り付いた意志を見て、改めて確認した。
「――行きますか?」
「ああ。なんとかするしかないだろう」