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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション

 後方をキアラの防衛魔法に任せカガチに引き摺られる様にスヴェトラーナから逃げたアレクを待っていたのは、彼の端末のメモリからキアラが連絡をした契約者達だった。

 アレクの弟妹分である瀬島 壮太(せじま・そうた)及川 翠(おいかわ・みどり)サリア・アンドレッティ(さりあ・あんどれってぃ)は赤いペンキでも上から被ったようなアレクの姿を見て、びくりと動きを止め唾を飲み込む。
 キアラの連絡を受けた時にある程度覚悟はしていた状況だが、まさかあのお兄ちゃんがと思えば俄に信じきれず、今突然現実を突きつけられたも同然だったからだ。
 それはキアラからの呼ばれてきた国頭 武尊(くにがみ・たける)らも似たようなもので、状況を掴みきれていない彼等にキアラは知り得た情報をこれ以上無い位簡潔に説明した。
 敵――スヴェトラーナを押さえているのは簡易な魔法だから、兎に角もう時間が無いのだ。
「えっ、アレクお兄ちゃん襲われてるの……?」
「スヴェトラーナさんに襲われてるの!?」
「なんでなの?」
 翠とサリアの声は上擦って、矢継ぎ早の質問と同じく二人の動揺をそのまま現している。武尊は彼女達より物わかりがよく、持ってきた如意棒を直ぐにでも敵に立ち向かえる長さに伸ばした。
「とりあえず刃物ぶん回してるスヴェトラーナを止めりゃ良いんだよな?」
「う……うん? うん。えーと攻撃力……まず武器取り上げて、それからっスよね。なんとか拘束するかして、催眠系の魔法とか――」
 何と言うべきか分からないキアラの曖昧な考えにグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が頷くと、翠とサリアの混乱を残したまま彼等は振り返り陣形をとりだした。
 ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)ミミ・マリー(みみ・まりー)が、視線で会話を済ませてアレクの両隣に座り込む。
「――こんな時になんだけど、壮太のパートナーのミミ・マリーだよ」
 アレクの軍服のボタンを外しながら自己紹介するミミに、アレクは軽く首を傾げる。
「ジゼルが駅で暴れた時に居ただろ、覚えてる」
「記憶力いいんだね〜。壮太、おにいちゃんができて嬉しそうですよ」
 ミミは軽い口調で相手をリラックスさせようとしているし、肝心のアレクの方まで何でも無いというように受け答えをしているが、切れたTシャツの下に袈裟懸けの傷が露になるのに、壮太は表情が変わるのを隠せない。怯んでしまう感情に耐えて笑いながら、小児科のナースがやるようにぬいぐるみをアレクの前で振ってみせた。
「おにーちゃんが気に入るかと思ってさあ」
 壮太が持ってきたぬいぐるみは日本のアニメーションのキャラクターだ。白い猫のようにキュートな外見だが、しかし知っている人には分かる、端的に言えば悪役である。
 アレクは壮太が緊張を解そうとしているのを理解して「わけがわからないよ」と返した。これが礼儀だ。
「スヴェトラーナとは戦わないんだな?」
「よくわかりませんけどぉ〜、ダメなものはめっ! って叱るのも、父親さんじゃないんでしょうかぁ〜……?」
 覗き込むスノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)に、アレクは否定を口にする。
「叱るだけならな。
 ただ刀は抜けない」
「それでもし自分が死んでも?」
 壮太が真顔で聞き返したのに、アレクは間も置かずにこう言った。
「怖いから」
 裏も表も無い答えに、壮太は「協力する」と頷く。アレクが刀を抜かない理由は察しが着いた。べっとりと張り付く血の色で目立たないが、アレクの胸部と腹部には無数に傷跡が残されている。原因は恐らく、あれなのだろう。
「でもこれ以上、傷は増やさなくていいんじゃねえの?」
「そりゃ我慢出来るからって痛いのはやだよ」
 苦笑するアレクに同じ笑顔で返して、壮太は背中を向ける。
(オレらがどう思うかなんて知りもしねえんだろうなあ、ヒヤヒヤして仕方ねえっつの。
 まあそういう優しくて困ったおにーちゃんだから、オレは慕っちゃうわけなんだけどさ)
 合図する視線をパートナーに向けると、ミミはスノゥへ同じ様に視線を向ける。
「スヴェトラーナさん!」とサリアの動揺した声から、向こうの状況が分かった。彼等は仲間に加勢すべく動き出す。

「迎撃……した方がいいのかなぁ?」
 迷いをそのまま言葉と声色に出したまま、サリアは引き金に指を掛ける。発射される弾丸は『スリープリキッド』という眠気を催す液体が弾薬に含まれた特殊なものだが、それでも『敵』ではない女性へ銃を向けるのは、まともな神経では難しい事だった。
 決められた手順に則り的を撃抜くスナイパーにとって、最も必要なのは技術よりも何が有ろうと折れないメンタルである。
 サリアはギフトであり、ヘクススリンガーでもあるが、これほど迄に迷いを抱いたままでは、命中させられる筈も無かった。
 更にラセツたるスヴェトラーナと視線を通わせてしまった所為で、サリアの心臓は巨大な掌に掴まれたように竦み上がってしまう。
 勝手に外れてくれる銃弾をわざわざ避ける必要も無いと、スヴェトラーナは真っ直ぐこちらへ向かってくる。足止めにすらならないパートナーの動揺を見て、翠の中にもそれが感染した。
 いや、元々どうしたらいいのか、翠にも分かっていないのだ。
(おにーちゃんの敵……じゃないのに……どうしたらいいのかな?)
 翠の得物は、大槌である。
 普段は彼女の手そのもののように自由に動く武器が、今の彼女ではウィークポイントとなりつつあった。
 手加減をすれば巨大な槌は振り回せない。振り回してしまえば当たった際に致命傷になりかねないからだ。
 それでもスヴェトラーナに向かって振り下ろした槌の頭部がスヴェトラーナの横を掠めた瞬間、翠の方がひっと息を呑んでしまう。
 スヴェトラーナが進路の邪魔をする翠へ視線を流した瞬間、すかさずスノゥが光りの雨を降らせる事で隙を作ってくれたが、翠は体勢こそ建て直したものの、気持ち迄建て直すには至らなかった。
「いかなきゃ! そうしないとおにーちゃんが!!」
 一足飛びにスヴェトラーナの上へ行くと、大槌を無理矢理に振り下ろす。
 が。迷いは確実に、彼女の動きへ反映された。
 ズゥン……と音を立て地面へ減り込んだ頭部が、土埃を上げる。霧の様なそれが晴れて行くと、そこに居たのは無傷のスヴェトラーナだった。
「――あ」
 丸く空いたままの口から出た声は、太腿にきた衝撃で悲鳴に変わった。
 地面に減り込んだままの槌の柄を掴んだスヴェトラーナが、ポールダンスでもするかのように柄に巻き付く様にしながら回転し、翠の身体を足で打ち据えたのだ。
 此処で常ならば、アレクが翠とサリアに的確な指示を送ってくれただろう。緊張状態の中でも任務の成功の為に的確な指示を送る事は、軍隊の上に立つものとして不可欠な能力である。共に身を置いた戦いの中で『おにーちゃん』はリーダーとして『妹』たちを導いたが、今はそのアレクを守る戦いであり、指揮者は存在しないのだ。「落ち着け」と声を掛ける者も居らず、その後の指示も飛ばない事から、激しい動揺に飲まれた翠とサリアはその場に残される事になってしまった。
 しかし、彼女達が全くの役立たずだったかと言えば、勿論そうではない。
 幾ら当たらない弾と槌だとしても、そこに神経を使わない訳にはいかず、スヴェトラーナは知らず二人の方へ意識が誘導されていた。
 それを利用して、ミミの風術に壮太がしびれ粉をのせ、スヴェトラーナの進路へ散布したのだ。
 粉の混ざった空気を吸引し、スヴェトラーナの動きは彼女も気付かぬうちに鈍っている。少しすると視界がぼやけるような感覚を覚えて眉を顰めた。十数メートルは先だが、ミリアに回復されているアレクと自分の間に立つ壮太らがそれをしたのだと得心して、スヴェトラーナは敵意を鋭い視線にする。
 するとそれを受けて、武尊が唇をへの字に曲げた。
「痴情のもつれか親子喧嘩か何か知らねーが、キアラ嬢が困ってるだろ?
 やるんだったら彼女の見えない場所でやれよ!」
「勝手にきたのはあなたたちでしょう。
 邪魔です、退いて下さい」
 はっきりと意志を伝えるため、刀の切っ先を向けてきたスヴェトラーナに、壮太は腹の底から声を上げた。
「しっかりしろよスヴェトラーナ!」
「邪魔だと言っているでしょう! 何故守るんです、放っておけばそいつはジゼルを殺す!」
「そいつ……?」スヴェトラーナの言葉を繰り返し、壮太の得物を握る手へ力が篭る。彼の感情を現すようにダガーの切っ先が震えていた。
「ここにいるのはおまえの大事な『パーパ』だろうが!!」
「だから殺さなきゃいけないんだ!!」
 振り絞る声は、怒気よりも悲しみと苦悶に満ちていた。
「全部間違える前に、苦しむ前に――!」
 スヴェトラーナの中に蘇る記憶は、彼女が巡った数々の世界の中でのジゼルとの別離の瞬間だった。状況や理由は、スヴェトラーナが掻き回す所為でどれも似ていて少しずつ異なっていたが、何時も決まって同じ結果になる。
 母親の死の絶望と落胆の中にある彼女を更に苦しめたのは、殺人を犯した父の反応だった。『繰り返し』の中で、両親が迎える結末を何処か無感動に見る様になっていたスヴェトラーナは――そうしなければ身が持たなかったのもあるが――、それをパターンとして記憶していた。
 一番多かったのは、ジゼルを殺した銃でそのまま自殺してしまうパターンだったか。憎しみもなく無邪気な少女を殺さねばならなかったアレクは、その後にどの道を選んでも必ず壊れてしまうのだ。
 スヴェトラーナが巡った世界のアレクサンダル達は、スヴェトラーナの父親では無いが、それでもスヴェトラーナは彼等を父親として見ていた。
 しかしあの絶望の瞬間だけ、スヴェトラーナは父親が自分の父親で無くなったと、娘である自分を置いていってしまったのだと感じたのだ。
 ――あんな感覚を味わうくらいなら。
「私が終わらせる!!」
 地を踏みしめ、グンッと勢いをつけスヴェトラーナはアレクへ向かう。
「ツェツァ!!」
 思わず伸ばした父の手が娘に届く事は無く、スヴェトラーナの斬撃で破れたぬいぐるみの綿が地面に落ちる頃には、アレクは壮太とミミに抱えられ、ミリアと共にその場から姿を消していた。
「行かせないっスよ! Lanpa arcobaleno!
 走り出そうとするスヴェトラーナの前に、キアラが紡いだ緑色の光りが瞬き壁になる。
「今のうちに片付けるぞ! 俺が前に出るからキアラ嬢とあんた達は壁作って――」
 武尊の声に反応したグラキエスが重力に干渉する。鎖に囚われ重くなる足を引き摺って、スヴェトラーナはアレクの居た場所へ手を伸ばした。
 
「…………パーパ、私の大好きなパーパ……何時も傍にいてくれた。手を繋いで、導いてくれた。
 大好きです。あなたが居たから、寂しく無かった。私、私に流れるセイレーンの血が、ゲーリングに見つかって、利用されたって良かったんです。
 パーパが居てくれれば、良かったんです。
 どうして一人で行っちゃったんですか? どうして何時も、何も言ってくれないんですか?」