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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

リアクション

 キィ……。
 軋んだ音をたて、古い木戸が開いた。灯りのない、歳月という埃にまみれた暗い部屋は、他に人の気配はないようだ。それを確かめたのち、一人の少年がするりと細身を滑り込ませた。そして、数歩歩いたところで、手に触れた蜘蛛の巣に顔をしかめる。本体が見あたらないのは、せめてもの救いだった。
 綺麗な虫は平気だが、気持ちの悪い虫は苦手だ。古い館ということで、ある程度の覚悟はもちろんしているが、だからといって苦手であるということが変わるわけでもない。
「サトゥルヌスさん、サトゥルヌスさん。なにかありましたですか?」
 後ろについてきたナイト・フェイクドール(ないと・ふぇいくどーる)が、そう尋ねながら、赤みを帯びた紫色の瞳をくりくりさせる。
「さぁ……どうだろうね」
 二人は、南臣たちの起こした正面の騒ぎに乗じて、こっそりと屋敷に入り込んでいた。他にもそうした生徒は何人かいた。上月や、フォルケンといった面々だ。そのうち彼らと顔をあわせることもあるかもしれないが、とりあえずは別にサトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)は行動することにした。
 彼は、ここに排斥派がアジトを置いたことには、なにか理由があるのではないかと推測していた。人目につきにくいからだけか、あるいは他にも理由があるのか……。それを確かめたかったのだ。
 扉の鍵は、どれも完全に錆び付いている。石畳や石壁には、分厚く埃が積もり、うっすらとカビが生えていた。そのため、フェイクドールにとっては、かび臭さがややつらいようでもある。
 どうやらここは倉庫だったのか、壊れかけた木箱や、完全に錆び付いた武具が放置されていた。
「ひょっとしたら、隠し扉でもあるかと思ったんだけど……」
 こう誰も立ち入りしていない場所では、それも考えづらい。とりあえず、残されたものになにか情報はないか、サトゥルヌスは目をこらした。
 すると不意に、ぴくんとフェイクドールが両の犬耳を動かした。
「……誰か、近づいてくるですよ!」
「…………」
 その言葉に、にわかにルーンティアは警戒態勢になる。フェイクドールは必死に意識を集中させ、相手の正体を探ろうとしているようだ。
「吸血鬼……? でも、……?」
 ひくひく、とフェイクドールがさらに鼻を動かしたときだった。
「わ……!」
 どうやら相手もびくついていたらしい。ドアに手をかけた遠野 御影(とおの・みかげ)が、驚きにその場に尻餅をつきそうになる。
「おっと」
 金城 一騎(かねしろ・いつき)が、遠野の身体を受け止め、それから室内にいた二人に視線を向けた。
「なんだ、君か」
 ルーンティアは警戒を解く。なるほど、遠野は吸血鬼ではあるから、フェイクドールが一瞬迷ったのはそのせいだろう。
「サトゥルヌスも探索か?」
 金城の言葉に、ルーンティアは頷いた。しかし、続いて「なにか見つかったか?」という問いかけには、首を横に振る。
「ここは……倉庫か?」
「みたいだ。……って、あー!」
 言うなり、木箱を押しのけ、おおざっぱな手つきで探しだす金城に、遠野は思わず声をあげる。その後を片付けるのは、結局自分だとわかっているからだ。
 出発前に「飲んどけ!」と胃薬を手渡されたのは、おそらく金城の優しさなのだろうとはわかるし、「まったく、誰のせいだと思って!」と言いつつも、飲んではおいた。それが嬉しくなかったとはいわないが、だったら、そもそも胃薬がいらないようにもう少し自重もしてほしい。
「大丈夫だって」
「けど、物音で吸血鬼が来たら……」
「そのときは応戦するしかねぇだろ」
 あっさりと言い切られ、思わず遠野はため息をついた。
 金城は気にした様子もなく、木箱に詰まっていたがらくたを、ひとつひとつ手にとっては、その埃を吹き飛ばし、試すがめつした。そして、用なしと見てとると、そこらに放置する。舞い散った埃に、おもわずくしゅんとフェイクドールがくしゃみをした。
「まったく、もう少し丁寧に扱え」
 そう小言めいたことを口にしながら、放置されたものを片付ける遠野。そのうち、金城が一つの箱を手にして、「……お?」と呟いた。
 両手で持てるくらいの、小さな箱……といっても、木箱ではなく、革張りのやや凝ったつくりのものだ。重みはあまりないが、中には何か入っているようで、振るとかさかさと音をたてる。
「鍵がかかってるな」
 開けようとした金城が、そう呟くと小さく舌打ちをした。
「……見せて」
 ルーンティアが手を貸し、ややあって、鍵は開いた。
 中から出てきたのは、羊皮紙の束だ。
「なんだ?」
 さっそく金城がそのうちの一枚を開く。遠野とルーンティアも、残りの羊皮紙をそれぞれに開いた。
 灰緑色に褪せた文字は、湿気と時に浸食され、あまりはっきりとは残っていない。それでもかろうじて読むうちに、どうやらこれは、かつての貴族が書いた手紙らしいとわかった。
 ほとんどが、先日の食事が美味しかっただの、最近の陽気は不安定だのといったものだったが、そのうちに彼らは、気になる一文を見つけた。
『黒き迷宮は、ナラカへと通じる』
「ナラカの入り口、ってことか?」
 金城が呟いた。しかし、その前後は破れや褪色が非道く、この場ではとてもそれ以上解読することはできないようだ。
「……また、誰か来ますです!」
「長居は無用だな」
 フェイクドールの言葉に、三人は立ち上がると、羊皮紙を手にその場を引き上げることにした。



 アーダベルトは、セシルとともに、屋敷の門前にいた。アーダベルトの腕には、エーギル・アーダベルト(えーぎる・あーだべると)が、その愛らしい姿を丸め、おとなしくしている。そして、貴志 真白(きし・ましろ)も、アーダベルトを護るために傍らに佇んでいた。時折、くーんとエーギルが甘えた声をあげている。
 二人は、薔薇の学舎の生徒ではないということもあり、種は手に入れていない。しかし、あったとしても、どちらも興味はなかった。
(だって、趣味が悪いと思う)
 貴志は、そう思いながら、優しくエーギルの頭を撫でているアーダベルトの顔を見上げた。それに気づいたのか、アーダベルトの金の瞳が貴志に向けられた。
「ヴィナってイエニチェリにどうして固執しないの?」
 そう、貴志は尋ねてみた。
「それが全てじゃないから」
 アーダベルトはそう答える。貴志にはよく分からないが、彼は、なにかに足掻きたいように見えた。
「ヴィナの大事なものって?」
 再度、貴志は問いかけてみた。
「大事なのは、絆かな。あと、娘が将来の夢を選択出来る未来かな。願って手に入るものじゃないでしょ」
 ……その通りだな、と貴志は思った。
 そしてアーダベルトはそのためにも、この場を話し合いでおさめようとしているのだろう。

 同じく、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)もまた、戦いを望んではいなかった。
 まず、排斥派の吸血鬼は【テロリスト】なのか?
 以前排斥派の人達と分かり合うための糸口として文化祭を開いたはず。武力投入で掃討する事は、その融和路線と反しないか……そう、疑問だったのだ。
 自分は女王の妹君、ネフェルティティ様に仕える者であり、女王の蒼薔薇を護る者でもある。タシガンの地を害するつもりは毛頭無いのだと、彼らに伝えたかった。
「受け入れていただければ、良いのですが……」
 そう呟くシェンノートを、リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)はいささか複雑な表情で見やった。甘いな、と思わないでもないのだ。しかし、決裂したときは自分の番だと、ミエルは思っていた。
 彼らを出迎えるように現れた、黒衣のドレスをまとった吸血鬼の姿に、貴志とセシルが緊張をその身に帯びる。アーダベルトとミエルは、ともに武器は持たず、彼女の前に進み出た。
「貴様らは、生け贄か?」
 問いかけられ、答えたのはアーダベルトだった。
「いいえ。……他種族への慈愛をもって我々を迎えて頂きたいのです。俺達は、不死の存在ではなく、弱き存在であることは間違いないでしょう。けれど、それ故に見えることもある。それを、利用して下さい。俺は、あなた方を信じますよ」
「慈悲……? すでに争いを始めておいて?」
「……それは……」
 シェンノートは痛ましげに目を伏せる。しかし。
「けれども、あのとき、私たちは和平をともに望んだはずです。それを覆すほどに、黒き迷宮とは恐ろしいものなのですか?」
 『黒き迷宮』。それが、今回の騒動の根本であろうことは、察せられていた。事実、彼女はその言葉に、眉をぴくりと動かした。
 雪之丞も恐れていた所から、迷宮が開かれれば、タシガンの民だけではなくジェイダス校長自身の身にもよくない事が起こるだろうと、シェンノートには思えていた。それがなんなのか、少しでも知りたかったのだ。
「その名を口にするな、地球人」
 怒りをはらませ、彼女はそう鋭く告げる。溢れ出す殺気に、セシルと貴志は咄嗟に身構えた。
「ナラカの養分となるがいい……」
 彼女が、咆吼をあげる。途方もなく冥い……どこか、悲しみにも満ちた。
 ぞくりとシェンノートの背筋に悪寒が走る。次の瞬間、彼を庇うように、ミエルがその腕を伸ばして引き寄せた。
「リュミエール……」
「交渉は決裂のようだな」
 彼女の叫びに引き寄せられるように、魔の気配が色濃くなる。多勢に無勢と、彼らはそれ以上の交渉を諦めざるをえなくなった。
 ミエルに引かれ、館から逃れながらも、風に混じり呪詛が耳に届く。
「決して渡さぬ……決して……」
(なんだか、まるで……)
 彼らはまるで、黒き迷宮そのものに、呪われているかのようだ。
 『何か』に操られ、ただ頑なに、他者を拒む。
 悲鳴にも似た咆吼に胸を痛めつつ、シェンノートは、不意にそう感じたのだった。