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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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第三章 覚悟の薔薇

 ――どうして通じ合わないのか。わかりあえないのか。
 そう心の中で問いかけるのは、もう何度目のことだろう。
 戦いたいわけではない。けれどもそうならざるをえない。理解してくれない相手と、理解させることができない己の非力さ、そのどちらもに苛立つあまり、鬼院 尋人(きいん・ひろと)の振るう剣は、常よりもその激しさを増していた。
 共に戦う瑞江 響(みずえ・ひびき)と、アイザック・スコット(あいざっく・すこっと)にも、その心の叫びは感じられていた。
 呀 雷號(が・らいごう)が、鬼眼で敵を怯ませ、一息に距離を詰めてその喉を切り裂く。鮮血と、怒りの悲鳴が迸る。
「…………」
 薔薇の学舎の生徒達の襲撃に備えていたとあって、襲撃者の人数は多かった。彼らも傷つき、息を弾ませながらも、一人一人を切り伏せ、沈めていく。
 しかし、それでも……。
「ぐあ……ッ!」
 声をあげ、鬼院の前に倒れた吸血鬼を、鬼院はどこか虚ろな眼差しで見下ろした。……感じるのは苦しさと空しさばかりだ。
 吸血鬼の西条 霧神(さいじょう・きりがみ)や獣人の呀 雷號と手をとりあい、自分なりにタシガンの人たちとの融和に努力してきたつもりだった。それでも、争いをなくすことはできないのか。どうしても。
 種を使う気には、なれなかった。……相手を侮辱し、完全に支配すること。少年にとっては、それは和平との決別に思えた。
「今回のテストは、赤点決定だな……ウゲン様にもあきられるかな」
 そう、誰にともなく呟いた時だった。
「……たまには、屈辱という名の快楽もいいでしょう」
 西条の囁きに、鬼院は顔をあげた。
 呀とともに、最後の吸血鬼を倒した西条が、甘い声で囁く。そして、相手の血を口に含み、それごと口移しで種を飲み込ませた。
「ぅ、……、ッ!」
 吸血鬼の青白い肌に、唇から零れた赤い血がしたたり落ちる。絶望に見開かれた瞳の焦点が、消えた。
 西条が唇を離すのと、変化はほぼ同時だった。びくんと大きく吸血鬼の身体が震え、すぐさま、悪魔の蔓がその全身に這い回る。苦悶の声をあげ、のたうちながら苗床となっていく様を、西条は赤い瞳を光らせ、じっと見据えていた。
「あ……」
 その恐ろしい様から、鬼院は視線を外すことができなかった。何かがぞくりと、彼の胸の中に広がる。
 嫌悪感だけではない。なにか、なにかもっと、深く恐ろしい、そして強い、もの。
「尋人」
 薔薇の生き餌となっていく同胞から眼を反らさず、鬼院に背中を向けたまま、西条は静かに口を開いた。
「私はあなたに賭けたのです。シャンバラの国を再建するために、女王の復活のために。地球人と契約し、共にパラミタの魔物達と戦うというのはどういう事か」
 それはまさに今、彼がしていることだ。同じタシガンの民を、躊躇わずその手にかけること。それを、西条は覚悟の上で、鬼院と契約を結んだのだと、彼はその行動をもって示した。
「そして尋人、あなたもいつか地球の者を……自分の仲間をその手で倒すことがあるかもしれない。そういうことです」
「…………」
 西条の言葉を、鬼院は全身でもって聞いていた。鼓動が激しくなり、指先までも燃えるように熱く、震えていた。
 懐に忍ばせた種が、強く脈打っているように感じた。凶暴な、恐ろしいものが。この種は、試金石だ。イエニチェリとして、時に非情な指令に従わなければならないこともある。その覚悟を示せるかどうかの。ならば。
「オレに足りなかったのは、覚悟か……」
 それは、自分の手を汚す覚悟。そのための、決意。
 顔をあげた鬼院の表情は、それまでのものとは、明らかに違うものだった。強い意志を秘めつつ、深い哀しみと決意をはらんでいた。
 黒い種に、鬼院は手を伸ばす。そして。
 ……まだ息の残る吸血鬼に、彼はそれを、植えた。
(オレはもう、後戻りはできないんだ)
 赤く咲き誇る薔薇に、鬼院はそう、強く誓ったのだった。

 そんな光景を前に、スコットは瑞江へと問うた。……どちらも戦いに疲れ、傷ついた身体で。
「種を使わないのか?」
 瑞江は唇を噛んだ。西条の言葉は、彼の胸にも突き刺さった。そしてなにより、スコットもまた、同じ吸血鬼と戦うことを、自分のために躊躇わなかったのだ。しかし、それでも、瑞江にはできない。
 そんな彼の優しさを、スコットはなによりも好ましくは思うが、けれどもそれでは、イエニチェリにはなれない。
「響が出来ないなら、俺様がやる。響は見てな」
「…アイザック、何をする気だ。待て!」
「どうして止める? 言ったよな? 俺様は全力でお前を助ける」
「俺の為に…お前にそんな事をさせられるか!止めろッ」
 迷い無く種を手にしたスコットを、瑞江はひたすらに止めた。
「……分かった。じゃあ、こうするか。俺様に種を受け付ければいい」
 スコットは瑞江のほうへと振り向き、まっすぐにそう告げた。驚きに言葉をなくす瑞江の手をとると、その手のひらに種をのせ、握らせる。
 瑞江のためになるならば、それでも別にかまわない。そのために花の苗床となるならば、それは屈辱どころか、スコットにとって誇りとなるだろう。
 薄く微笑んだスコットに、瑞江はしきりに首を横に振り、混乱に声を荒げた。
「アイザック…お前、何を言ってるんだ? お前に種を植え付けるなんて、絶対に駄目だ!!」
「俺様なら響も気兼ねしないでいいだろう?響もそれなりに苦しいかもしれないが…まぁ、死なないだろ、たぶん」
「俺は自分の身が可愛くて言ってるんじゃない!」
 スコットの言葉を半ば遮るようにして、瑞江は叫んだ。そして、喘ぐように、言葉を続ける。
「……アイザック、お前だから…お前にそんなこと、させられるか……」
 瑞江は自分でも、なにを口走るつもりなのか、わからなかった。しかし、勝手に言葉は唇からこぼれ落ちてしまう。視界がぼやけるのは、涙ぐんですらいるせいだと、瑞江に自覚はなかった。
「響……今、何て言った?」
 スコットは眼を見開き、瑞江の潤んだ黒い瞳をじっと見つめる。『お前だから』その言葉の意味は、自分がずっと望んでいたものだと思って良いのだろうか。
「俺は……お前が居ないと……駄目なんだ」
 そう呟き、どこか恥じ入るように眼を閉じた瑞江を、スコットは堪らずに抱きしめた。そうせずに、いられなかったのだ。
 ……種が、瑞江の手の平からこぼれ落ち、床へと転がる。しかしそれをもう、スコットは拾い上げようとはしなかった。
 どの薔薇よりも、この腕の中の花が、なによりも望んだものだったから。


 師王 アスカ(しおう・あすか)は、ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)の置き手紙を握りしめ、荒れ果てた屋敷へと向かった。契約者である蒼灯 鴉(そうひ・からす)と、オルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)とともに。
 元々タシガン出身であったアトマイスは、テロリストとの説得を試みて、単身で夏の館に旅だったというのだ。
「ルーツの馬鹿、テロリストの説得なんて危険極まりないじゃない!
 焦る理由は、他にもある。アトマイスの名字を知ったルシフェリアが、彼の身に危険が及ぶだろうことを察知したからだ。
「それって排斥運動に参加してた筆頭貴族の一つよ! 原因不明で滅んだと記憶してたけど…。やばいわ…生き残りがいるなんて知ったら、あの子半殺しよ!」
 師王本人は、アトマイスのこれまでの人生を全て知っているわけではない。しかし、彼が両親や世間に疎外されて生き、病で死んだ双子の弟の罪を背負い、苦しんでいることは充分に知っていた。
 それなのに、この上。同胞に傷つけられることなどあったら。
「……ルーツ……!」
 切迫感に、胸が潰れそうだ。
「せめて名乗らなければ良いんだけど……」
「無理だろ。あいつのことだから、問われればご丁寧にフルネームで答えるだろうな……くそ!」
 蒼灯が悔しげに顔をしかめ、呟いた。
「どきやがれー!」
 館にたどり着くなり、彼らはそう叫び、一目散にアトマイスの姿を探した。
 元から荒れ果てた館は、頻発した争いの傷跡を残し、禍々しい血の臭いに満ちている。
(間に合え…間に合え!!)
 そう、師王は心の中で念じ続けた。しかし。
「ルーツ!!」
 吸血鬼たちに囲まれ、血を流し倒れたアトマイスの姿に、師王は頭を殴られたようなショックを受けた。
 自らの危険も顧みず、彼女はアトマイスに駆け寄ると、その身体を抱き上げた。しかし、その瞳は何も映さず、ただガラス玉のように虚空を見つめている。
「てめえら、こいつに何をした!?」
 蒼灯の問いかけに、吸血鬼たちは地を這うような低い声で答えた。
「滅びの種が、のこのこと姿を現しおって……」
「この地に仇をなすものは全て消えろ。貴様ら、地球人や裏切り者どもも同じ」
「黙れ…っ!!」
 師王の声は、いや、全身が、怒りに震えていた。
「勝手な事言わないでよ……この子が何したって言うの! ただ話し合おうとしただけじゃない!? 貴方達を助けたかっただけなのよ!」
 心までも傷つけ、嬲られたアトマイスの姿に、蒼灯もまた、全身に殺気を漲らせた。
「色んな人達に出会って、世界に触れて…少しずつ距離を縮めて、やっと生きる意味を見出せていたのに……こんな目に遭って……。ごめんね、怖かったでしょ〜?」
 美しく色の変わりゆく瞳を見つめ、その乳白金の髪を撫でながら、師王が語りかける。それから、傷ついたアトマイスの身体をルシフェイアに託すと、彼女は吸血鬼たちへと対峙した。
「排斥運動に文句は言わないわ。時間がかかっても私達地球人の事を知ってもらえばいい。『黒き迷宮』とやらだって、だってそんなに心配なら全力で止めればいいわ。けど、その前に…ルーツをここまでしてくれた礼は、全力で返させてもらうわよ!!」
 ふくれあがった怒気を隠しもせず、師王と蒼灯は、その力を解放させた。
 ――地響きが館を揺らし、天井からぱらぱらと破片と埃が舞い落ちる。
 もはや、二人を止められる者はいなかった。