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リアクション
グレッグが退室をしてから、レオは椅子に腰掛け、レオテニルが彼らに茶を振る舞った。陽だけが、ジェイダスのすぐ近くから離れずにいる。
一方で、エメは、用意していた書類を手にすると、ジェイダスの前に立った。
「ジェイダス様、こちらを」
机の上に差し出したのは、エメ自身がまとめた、ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)についての報告書だった。
「……彼が一度死んだときの理由を含め、それ以前にも、その後にも自己の利益のみを求めて、他者の行動を阻害し続けている彼の所業は、言われずともジェイダス様、ラドゥ様共に把握をしていらっしゃることかと思います。これは、私なりの調査ですが、先日の妨害行為についても、おそらくは関わりがあると思われます」
エメは静かに訴え続ける。彼の白い指先は、微かに震えていた。
「私は、彼をイエニチェリには相応しくない……そう思います。これ以上、薔薇の学舎に泥を塗り続けられる訳にはいきません」
そう強く言い切ると、しかし、エメは目を伏せる。長いまつげが、その頬に影を落とした。
「差し出がましい口をききました。私自身に関しては、どのような責でも負います」
「…………」
しかし、ジェイダスは立ち上がると、エメの隣へと向かい、その肩に手を置いた。
「思い詰めさせてすまなかった。私のジュリエット」
「……ジェイダス様」
かつて学園祭で、ジェイダス演じるロミオの相手役を演じたことを覚えており、ジェイダスはエメをそう呼んだ。その眼差しは、賛美に満ちている。
「あの者が裏になにがしか企んでいることはわかっている。しかし、今のところは、あれはあれなりに必要なのだ。……あと少しだけ、耐えてくれ。時は、近い」
エメの頬に触れ、ジェイダスは告げた。その瞳を覗き込んだエメは、一時、言葉を失う。
深い哀しみ。痛み。……そして、決意。それが、そこには滲んでいた。
彼の痛みが自らの心までも痛ませ、エメは切なさに眉をたわめる。
「そのような顔をしないでくれ、ジュリエット。おまえは、微笑んでいてこそ美しい」
「…………」
その言葉に、エメはぎこちなく、しかし穏やかに微笑んだ。
それがジェイダスの慰めとなるのならば。
その微笑みに応え、ジェイダスは頬にキスをひとつ落とす。
「校長先生……」
ジェイダスの心を感じ取ったのか、陽も躊躇いつつも、ジェイダスの背中へと寄り添った。
(…………時、か)
リアはそう考えながら、少しばかり焦ってもいた。レオテニルは今は席を外しており、エメと陽は校長に寄り添った状態だ。これはもしかして、イエニチェリとしては、自分もそうするべきなのだろうか……と、ちらと思ったからだ。
校長の望みは叶えたいとは思っている。尊敬もある。だが、それとこれとは別だ。
ちらり、とジェイダスがリアを見やる。男の色気に満ちたそれに、リアは思わず椅子から跳ねるように立ち上がった。
「……少し、外を警備に回って……きます!」
あわてて語尾を丁寧にし、リアは一旦、校長室を後にする。実際、こんなときに、逆に警備が手薄な学舎に侵入を企む者はいるかもしれないのだ。
とはいえ、……若干、逃げた感もあるにはある。
(エメはともかく、陽は……見ててこっちが照れんだよ)
まだ薔薇の学舎でのつきあいは浅いが、陽はどちらかといえばいつもおどおどとして、あまり喋った記憶もない。だが、このところジェイダスの側で、安心しきった笑みを見せることには気づいていた。
黒崎を失った痛手を、ジェイダスも陽で慰めているのかもしれないが……。
はぁ、と無意識にため息をつくと、警備を続けていたテディと目があった。
「……なにか、異常でも?」
「いや。大丈夫だ」
そう答え、リアは歩き出した。……そういえば、逆にテディは、もっと明るく積極的だった。だが今は、まるで心を殺しているかのように、痛々しい。
(みんなが幸せに、っていうのは、なかなか難しいな)
けれども、努力はし続けたい。誰も犠牲にならない未来、それを探すことを、リアは諦めたくはなかった。
ややあって、エメが退出したのを見送り、テディはそれでも、そこにいた。
今、校長室には陽とジェイダスが二人きりでいる。果たして、……何をしているのだろう。
確実なのは、自分が見たことのない笑顔を陽が浮かべているだろうことだ。
(…………)
テディは、手にした槍の柄を、指先の色がなくなるほどに強く握りしめた。
――気が狂いそうだ。今すぐ、陽をさらって、閉じこめて、自分だけのものにしてしまいたい。そんな黒い欲望が、手綱を放せば今すぐにでも暴れ出しそうだった。
だがそれを、テディは忠誠心で押さえつける。そして、なによりも。
これは罰だと、そう、わかっていた。
陽のことを、心から理解してやれなかった。見えていなかった自分への、罰だ。
苦しさを押さえ込み、テディはそう、己に言い聞かせていた。
二人きりになると、陽は待ちかねたように、ジェイダスの膝に乗る。甘えた笑顔を浮かべ、子犬のようにすり寄った。
「甘えん坊だな」
「ん、ふふ」
ジェイダスの大きな手のひらが、陽の頭を撫でる。その感触に、陽はますます嬉しげに目を細めた。
少しでも、ジェイダスが悩みを忘れてくれたらいい。そのためなら、身体ごと、喜んで捧げるつもりだった。
「ね、校長せんせー! 保健室ごっこしませんかー?」
「保健室ごっこ?」
聞き慣れない言葉に、ジェイダスが問い返す。
「そーです。怪我がないか身体を見たり、あと、悩み事を相談したりするんです」
「悩み事があるのか?」
「最近、テディとあんまり仲良く出来ないんです……だってテディは、ボクのこと、見てくれないんだもん! ボクのこと好きだなんて言って、でも全然そんなことなかったもん!」
拗ねた口調で訴えると、陽はジェイダスの胸に抱きつく。日に焼けた肌の匂いが、今は陽にとって安らぎだった。それから。
「……校長先生の悩みはなんですかー?」
あくまで遊びの延長のフリをして、陽は尋ねた。見上げると、ジェイダスは慈しみを込めた瞳で、陽を見つめていた。
「悩みはないが、……おまえのことが、気にはかかっているな」
「ボクのこと?」
……邪魔に思われたのだろうか。あるいは、飽きてしまったのか。陽は、そんな怯えを咄嗟に感じ、身体を硬くした。しかし、そうではないと言うように、ジェイダスは陽の身体を抱え込むようにして抱きしめる。
「おそらく、私はおまえを傷つけてしまう」
「校長先生……」
それは、イエニチェリが『捧げられる』ということだろうか。それならば。
「ボク、校長先生が死ねって言ってくれたら、喜んで死にます。だからどうか、ひとりで苦しまないでください。だから、今は愛して? ねぇ……ねぇ?」
陽の言葉に嘘はなかった。傷つけられてもいい。だから、今この手を離さないでほしかった。
そんないじらしい誘いを、ジェイダスは拒絶しなかった。
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