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リアクション
光一郎は、幻覚の中にいた。
美しい女性が、微笑んでいる。……しかしそれは、光一郎に向かってではない。
彼女のことを、光一郎はよく知っていた。生まれた時から、いや、生まれ落ちるその前から、側にいた。たった一人の存在だった。
「かあさん……」
光一郎の唇が、頼りなく震える。
けれども、彼女は振り向かない。『母親』ではなく、『女』の顔をして。赤く彩った唇を歪めて微笑む。光一郎以外の、男に。
(いやだ)
光一郎の心が軋む。ぎしぎしと音をたて、彼の全身を締め付けるようだった。やがてその軋みは細かな亀裂となって、痛みはさらに増していく。
(いやだいやだいやだいやだ)
――幼い時に父は死去した。母は再婚をしたが、自分の居場所を失ったようで、光一郎は家を出たのだ。そして、パラミタに辿り着いた。イエニチェリという立場も手に入れた。
けれども、今、光一郎が感じているのは。紛れもない、『絶望』だった。
「…………かあさん」
もう一度、呼び掛ける。それでも、彼女は振り向かない。手に入らない。こちらを見ない。
それなら。それならば、いっそ。
「もう、いい。……俺様は、アンタを手にかけて、自由になる。生まれ育ったトコロの重力の軛から、脱却する……!」
ゆらり、と光一郎の身体が動く。その手には、さざれ石の短刀が強く握られていた。
そのまま、彼は獣のような咆吼をあげ、幻の母の胸へ短刀を突き立てた。
赤い血が、全身に降りかかる。幻だ。幻に過ぎない。しかし。
「……かあさん……かあさんーーーーっ!!!!」
光一郎の瞳から、涙が溢れ出した。
「光一郎!!」
崩れ落ちたまま、うなされつつ涙を流す光一郎の頭を、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)が殴り倒した。
「…………」
幻覚からは衝撃で目覚めたようだが、光一郎の自我はまだ遠いところにある。光一郎の見たものを、オットーはうっすらとながら感じ取っていた。今、光一郎がどんな状態にあるのかも。
「それがしが目を離した隙にあっさり幻覚に囚われおって、この未熟者め!!」
そう罵倒をしつつも、オットーの髭は震えていた。
「大丈夫か」
辿り着いた黎とルキアは、光一郎の様子に驚きを隠せなかった。
「南臣さん、しっかりしてください!」
ルキアが膝をつき、光一郎へと呼び掛ける。だが、光一郎は虚ろな瞳から涙を流したまま、「かあさん……」と呟くばかりだ。
「仕方あるまい。……一旦、引き上げるべきであろう」
黎はそう言うと、オットーの手を借り、光一郎の腕を肩に回させると、立ち上がらせた。
「お恥ずかしい。お手を煩わせ、申し訳ない」
オットーが項垂れつつ、黎とルキアに詫びるが、ルキアは首を振った。
「いえ。僕は戦闘は不慣れですし、もともと植物の採取が目的のようなものでしたから」
「我のことも、気にするな。傷ついた仲間を見捨てていくほど、薄情ではない」
二人の言葉に、オットーは頭を下げ、それから、光一郎のことを見やった。
未だ短剣を手放さない彼の心には、幻の鮮血が、未だしたたっているようであった。
「幻覚に惑わされないとは、さすがだよねぇ」
魔鎧の身体を軋ませ、ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)が笑う。
「まったくだわ。私の茨で、あなたがたの夢を醒ましてあげようかと思っていたけど、必要はなかったようね」
スクリミール・ミュルミドーン(すくりみーる・みゅるみどーん)が、その指先に絡みついた茨を蠢かす。ステンノーラ・グライアイ(すてんのーら・ぐらいあい)は、彼らの背後で、沈黙のまま周囲を警戒していた。
「こんなことで惑わされる男だとは思わないで欲しいですね、ブルタさん」
ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)はそう答え、ブルタの姿から視線を外さずにいた。
このイエニチェリを、単独行動で動かすのは危険だ。そう考え、あえてヴィナはブルタと行動を共にしていた。
注意しているのは、彼に対してだけではない。
「どうやら、一度幻覚を見た者は、耐性がつくようね」
ザウザリアス・ラジャマハール(ざうざりあす・らじゃまはーる)が、冷静に口にする。彼女の傍らには、吸血鬼であるボア・フォルケンハイン(ぼあ・ふぉるけんはいん)の姿もあった。
「しかし、タシガンでもこのような植物は見たことがありません。ここにしかないものなのでしょう」
教導団員である彼らは、密かにブルタの監視も兼ねて、同行を願い出ていた。
その言葉をまるまる疑うというわけでもないが、その目的に関しては油断ならないとヴィナは思っている。
ブルタにしても、表面上の言葉はともかく、本心は幻覚に乗じて姿をくらますつもりだったかもしれない。だが、ヴィナとその契約者たちは、いずれも幻覚に心揺らすことなく、その原因である花を冷静に排除していた。
どうやら、一度幻覚にかかった者には、ある程度の免疫がつくようでもある。天井から不気味につり下がる花を燃やし、その根を断つ。その作業の甲斐もあり、彼らの周囲の植物はほぼ枯れ果てた
貴志 真白(きし・ましろ)は、魔鎧化をして、ヴィナの身体を守っている。こう見えてヴィナは結構無茶をする。今、危険人物とあえて行動を共にするということにしても、そうだ。
「ヴィナには、奥さんたちが見えたの?」
ブルタの近くにいるため、声をひそめ、真白は尋ねた。
「ほんの一瞬だけどもね」
「ふぅん……僕は、僕を造った悪魔だったよ。でも、あんまりはっきりとは見えなかった」
「僕は、婚約者でございました」
同じく小声ながら、そう答えたのは、ロジャー・ディルシェイド(ろじゃー・でぃるしぇいど)だ。
「やはりわずかな間でございますがね。申し訳ないと思っても詮無きこと、幻覚でも一度会わせてくれたことには、感謝をしております」
そう言いつつ、礼を述べた後に、ロジャーは花々を火術でもって焼き払っていた。
「今の僕は、あなたの為におりますので」
ふふっと笑みをもらし、ロジャーがヴィナを見やる。その言葉に、ヴィナもまた、ロジャーに微笑みを返した。
「……これで、後続の方々も大丈夫でしょう」
ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)が、周囲を確認しつつ口にした。
「いつまでもこんなものに煩わされるのも、やっかいだからねぇ」
ブルタが答え、ちらりとウィリアムを見やった。まるで、『僕のようにね。本当はそう言いたいんでしょう?』と、そう卑屈に言いたげに。
「…………」
その挑発を無視をし、ウィリアムはヴィナに向き直る。
「では、先に進みましょう」
「そうだね」
「新エネルギーね……どんな代償が必要なのかしら?」
スクリミールが、どこか嘲るような口調で呟いた。
(大きすぎる恩恵は、禁断の果実と同じ。手に入れるには、等しく大きな痛みがあるのよ)
スクリミールは、そう思っている。
「代償は、たしかに必要だと私も思いますわ。それが、13の星……かもしれませんわね」
ステンノーラにとって、その星とは、イエニチェリの命ではないかという懸念はあった。だとすれば、ブルタの身を守る盾となるつもりもある。
「まだわからないよ。……ただ、タシガンの宝とされてきた以上、薔薇の学舎がすべての権利を主張するというのは、よくないだろうね。争いは、なるべく避けたいよねぇ」
キィキィと鎧を軋ませ、ブルタが笑う。
「そうかしら。……横やりを封じるためにも、薔薇の学舎の生徒が、自分たち自身の力で、まず解決をしていかなければならないと思うわ」
ザウザリアスが、警戒をこめた視線をブルタに向けた。
「…………」
争いを避けたいというのは、ヴィナとしても同意だ。しかし、ブルタの言葉をそのままに受け止めるほど、甘いつもりもない。
新エネルギーがタシガンにあったということそのものは、ヴィナにとっては意外なことでもない。
ただ、問題は、ブルタの言うとおり、今後それをどうするかだ。
ジェイダスはあくまで中立的な組織を、と主張している。だが、理想通りに運ぶかどうかは、誰にもわからない。それを狙う者は、多すぎる。
ルドルフは今頃、アーダルヴェルトの元に行っているはずだ。本来なら、洞窟探索に参加したかったと、彼はヴィナにその思いを託していた。
どうか装置を見つけ、他の者に奪われることがないようにしてほしい、と。
彼の想いも胸に秘め、ヴィナたちはその場を後にし、さらに洞窟の奥へと進んでいった。
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