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【四州島記 巻ノ三】 東野藩 ~解明編~

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【四州島記 巻ノ三】 東野藩 ~解明編~

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第七章  エリック・グッドール

「お客様。お替りは、いかがなさいますか?」
「いや、お替りはもういいよ。これ以上は飲み過ぎだ」

 チェース・インターナショナルの東野営業所駐在員、ヴィニー・デュトーは、軽く手を上げて、ロマンスグレーのバーテンの勧めを断った。
 元の造作がいいだけに、そういうちょっとした仕草の一つ一つが、実に様になる。

「あら〜?どうしたのよヴィニー。まだ、飲み始めたばかりじゃない。この間は、浴びるほど飲んでたのに――
マスター、お替り頂戴」
「かしこまりました」

 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、マスターに、空のグラスを示すと、連れの方を横目で見た。
 セレンも、そもそもが目を見張るような美女であるだけに、ビジネススーツが実に様になっている。
 しかもちょっと酔いが回って着崩れたカンジが、絶妙な色気を醸し出していた。

「また、前回みたいに酔い潰されて置いてけぼりは、ゴメンだからね」
「そんな、置いてけぼりなんてヒドいわ〜。あなたの連れの人が『後は俺に任せろ!』って言うから、信用して帰ったのよ。
それに私だってぐでんぐでんで、帰るのも大変だったんだから」

 セレンは、ぷぅ、と頬を膨らませて怒ってみせる。

「ハッハッハ、ゴメンゴメン。今のは冗談だよ。今日はこれから仕事でね。あまりゆっくりとしてられないんだ」
「あら、これから仕事なの?そんな一昔前のジャパニーズ・ビジネスマンじゃあるまいし、働き過ぎは良くないわよ」
「そうは言っても駐在員がたった一人の営業所だからね、人手が足りないんだ」

 仕方ない、という風に肩を竦めてみせるヴィニー。

「ふぅ〜ん……。それで、こんな美女とのデートをほっぽらかしてまで行かなきゃいけないお仕事って、一体何なの?」
「……気になる?」
「別に」

 探るようなヴィニーの視線に、ツン、と拗ねたようにそっぽを向くセレン。

「おいおい、機嫌を直してくれよ、セレン」
「あら、別に機嫌が悪くなってなんていないわよ、私は。別にあなたじゃなくても、一緒にお酒飲む相手なんて、いくらでもいるもの」
「わかったわかった。それじゃこうしようセレン。この埋め合わせはきっとする。だから、次はキミも、『仕事』のコトは忘れて、僕と会ってくれ」

 仕事、という言葉に、ハッと顔を上げるセレン。
 その目がヴィニーと合った。

「……気づいてたのね」
「もちろん。キミが『調査団』の一員である事も。そして僕がチェースの人間だから、キミが声をかけて来た事もね。
こんな、外国人なんて滅多に来ない島にいるんだ。調べようと思えば、簡単に調べがつく」 

 セレンの瞳を、真っ直ぐに見つめるヴィニー。
 最初に視線を逸らしたのは、セレンの方だった。

「――ヒドいわ」
「ヒドい?」
「だってそうじゃない?気づいてたなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。私一人で上手くいってる気になって。悦に入って……これじゃ私まるで、バカみたいじゃない」

 恨みがましい目でヴィニーを見つめるセレン。

「プッ……ププッ……アッハッハ!!」

 ヴィニーは、突然吹き出したかと思うと、腹を抱えて笑い出した。

「な、何よ一体!?」
「い、いや……。やっぱり、キミはスゴいなぁ、セレン」

 必死に笑いを堪えようとして、目に涙まで溜めているヴィニー。

「こういう時は、バツの悪そうな顔をしたり、済まなそうな顔をしたりするもんだ。やってせいぜい、開き直るくらいかな。それを、騙そうとしてた相手を責めるとか――」

 クックック、ヴィニーは尚も笑い続ける。

「何よ、もう!どうせあたしは非常識よ!!」

 いつまでも笑い続けるヴィニー、セレンは顔を真っ赤にして怒っている。
 
「あ〜……。いや、ゴメンゴメン。とにかく、今度はちゃんとデートしてくれ――いいだろ?その代わり、キミに良い事を教えてあげるよ」

 急に真面目な顔になって、セレンの目を覗き込むヴィニー。
 その視線にほだされたのか、それとも『良い事』に釣られたのか――。

「う、ウン……」

 気がつくと、セレンはコクリと頷いていた。

「有難う、セレン」

 ヴィニーは、セレンの耳元に顔を近づけると、そっと、セレンに囁いた。
 セレンの顔色が、さっと変わる。

「それじゃ、セレン。また連絡するよ。今度は、もっと色っぽい服で来て欲しいな。それと……キミの素敵な恋人の監視もナシでね」
「ちょ……、ちょっと!それって一体どういう意味なの!ねぇヴィニー!」

 当惑するセレンを残し、ヴィニーはバーを後にした。


「ちょっとセレン!どういう事なの!?あなたまさか、あの男と本気でデートする気じゃないでしょうね!」

 ヴィニーが外に出たの見届けたセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が、セレンに駆け寄る。
 店の片隅で、ずっと二人を監視していたのだ。
 もちろん、盗聴付きである。

「う、ウン……」
「ウンって――……。セレン、あなたまさか本気なの?」

 予想外のセレンの返事に、あからさまにうろたえるセレアナ。
 しかしセレンはそんなセレアナには見向きもせず、何事か考えている。

「『禁断の果実』……」
「なに、それ?」
「帰り際、ヴィニーが言ったのよ。『一度禁断の果実の味を知った者は、その誘惑に抗えなくなる。不貞、詐欺、麻薬、盗み、
そして――暗殺もだ』って」
「それって……また誰かが暗殺されるってコト!?」
「多分……。でも、一体誰が……。それにどうして、ヴィニーがそんなコトを知ってるの……」

 答えを求めるように、ヴィニーのいた席を見つめるセレン。
 ヴィニーのグラスの氷が、カラン、と澄んだ音を立てた。  




「もう一度だけ訊くぞ、エリック・グッドール大尉。君が、この基地に深夜一人忍び込んで何をしていたのか、
どうしても言うつもりはないんだな」
「何度でも言いますがね、マイク・カニンガム大佐。これは全て高度な機密に関する問題であり、
俺はラングレーの司令部から、この件に関する全権を与えられているんですよ。この書類にある通りにね」

 エリックは、これまでに何度もそうしたように、彼がラングレーの海兵隊司令部から与えられた指令書を示した。
 それはエリックが、辺境の基地司令を遥かに上回る権限の元、動いている事を示していた。

「そして殊この件に関する限り、私は貴方の指揮権の下には無い。故に、貴方の質問に答える義務は無いのです」
「そんなコトはわかっとる!」

 ドン!とデスクを叩く大佐。
 基地司令官の小さな執務室一杯に、低い音が響き渡る。

「いいかエリック。これは、基地司令が自分の部下を問い質してるんじゃない。海兵(マリーン)が、同じ海兵に訊いてるんだ」
「……情に訴えても無駄ですよ、大佐。俺の答えは同じです」

 怒気をはらんだ大佐と、エリックは目を合わせようともしない。

「……そうか、わかった。もういい、出て行け」

 大佐は、まるでハエでも振り払う様に手を振ると、エリックに背を向ける。
 エリックは、その背中に蔑みの視線を送ると、指令書を引っ掴んで出ていった。

「どうやら、上手くいかんかったようだな」

 エリックと入れ替わりに入って来た宅美 浩靖(たくみ・ひろやす)が、 大佐に声をかける。

「……あいつは、マリーンじゃない」
「ん?なんじゃと?」
「神に誓ってもいい。あいつは、絶対にマリーンじゃない」

 振り返った大佐の目は、確信に満ちていた。




「また、会ったわね」
「チッ、NSAの小娘か。『二度と、俺の前に顔を見せるな』と、言っておいた筈だが」

 行く手を遮るように現れたローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)に、エリックは、機嫌の悪さを隠そうともせずに言った。

「ごめんなさい。どうしても、もう一度会って話したくて……。少し、付き合ってくれないかしら」
「……3分だけ時間をやる。ついてこい」

 エリックはローザを、基地の外れにある空き地へと連れて行った。

「それで、話ってのは?この間みたいな小言なら、お断りだぜ。ジジイに散々問い詰められて、ウンザリしてるんだ」
「私は――私はね、大尉。貴方の事を助けたいの」
「あ……?助ける?」
SMS(セキュリティ・マネジメント・サービス)チェース・インターナショナル
そして駅渡屋。みんな調査団の手が伸びてるわ。そして今度は貴方も」
「そなたが苦労して築き上げた組織は、既に崩壊寸前だ。そしてSMSもチェースも駅渡屋も、罪の減免のためならば、平気でそなたの事を売るだろう。その時、果たして組織はそなたを守ってくれるかな?」           
「身元が割れ、利用価値の無くなったスパイがどうなるか……。それは大尉。そなたも、よく知ってる筈よ」

 ローザとライザの話を、エリックはただ黙って聞いている。

「利用価値のなくなったスパイに、組織は冷たいわ。待っているのはからっぽの事務机と、ただ冗長なだけの書類仕事。復帰の嘆願は全て無視され、かつての上司は常に留守電。親友だった筈の人物は妙に余所余所しくなり、これまでのコネも使えない――昔の、私のように」
「ローザは、その様な逆境に遭った人間だ。だから、そなたに同情しておるのだ」
「それならまだいい方よ――印田での武力衝突の話、あなたも聞いているでしょう?組織は、人の命なんてなんとも思ってないわ。あなたを二重スパイに仕立て上げた上、反逆罪で殺すかもしれないのよ」
「そなたは、もう国家のために充分に尽くした。しかし、組織がその労に報いてくれるとは限らん……。エリックよ。
そなたにも、待っている家族がいるのだろう?そろそろ、家族の事を考えても良いのではないか?」

 エリックが大佐と面会している間、密かにエリックの私室に忍び込んだライザは、そこで一つの写真立てを見つけた。
 そこには、別人のように優しい笑みを浮かべたエリックが、家族と写っていた。

「今回の工作の事が公になれば、四州におけるアメリカの不利は決定的になるわ。私はそうなる前に、アメリカを救いたいの。
そしてあなたも……。お願いよ、大尉。私たちに、全てを打ち明けて。決して悪いようにはしないわ」

 理を尽くして、エリックを説得するライザ。
 必死に、エリックに訴えるローザ。

 二人のその思いが届いたのか――。

「――わかったよ」

 エリックは、ゆっくりと顔を上げる。
 しかしその顔には、ローザたちに対する嘲笑が浮かんでいた。

「出番だ、お前ら」

 エリックがそう言い放った次の瞬間、辺りが、目もくらまんばかりの光に包まれる。
 【光術】による、めくらましだ。

「ナッ――!!」
「何!?」

 完全に不意を突かれ、視力を奪われたローザたち。
 そんなローザたちをあざ笑うかのように、

「ハーッハッハッハッハ!!」

 という耳を聾(ろう)せんばかりの高笑いが響く。

「エリック・グッドールは、この悪の秘密結社オリュンポスが頂いて行く!」 

「クッ……め、目がっ……」
「大尉!エリック大尉!?」

 視力が回復しないまま、何とかエリックに近づこうとする二人。
 だがその二人目がけて、無数の黒い影が殺到する。
 ほとんど勘だけで、それを避けるローザとライザ。
 よけきれなかった手裏剣が、二人の白い肌に赤い筋を刻む。

「ローザ!?」
「大丈夫、かすり傷よ!」

 拳で血を拭いながら、物陰に隠れる二人。
 ようやく視力が回復したローザとライザの目に飛び込んできたのは、オリュンポスの大幹部ドクター・ハデス(どくたー・はです)
高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)、それにエリックをかばう様に立つデメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)の姿だった。
 デメテールは、手に【桜花手裏剣】を構えている。

「お前は……ドクター・ハデス!貴様、やはり初めから調査団を裏切るつもりだったのだな!!」
「ハッハッハ!今頃気づいたか、バカめ!全ては、我がオリュンポスによる四州征服作戦の一環よ!」
「エエッ、征服!?そんな兄さん、さっきはエリックさんを助けるためだって言ってじゃない!」
「何を言っている妹よ!『敵を欺くにはまず味方から』だ!」
「そんな!ここしばらく悪事を働かないから、『ついに兄さんの厨二病が治った!』と思って喜んでたのに……」

 あまりのショックに、へなへなと膝をつくデメテール。

「茶番はそこまでだ、オリュンポス!!」
「エリック大尉!よりにもよってそんな人たちと一緒に逃げるなんて、自殺行為よ!!」
「なにィ!自殺行為とは、どういう意味だ!!」
「言葉通りの意味よ!」

 などとハデスと言い合いながら、武器を構える二人。
 だが、一体どうしたことか、手足にまるで力が入らない。 

「こ、これは……まさか……」
「さっきの手裏剣に、毒が……」
「ふっふーん。デメテールの手裏剣は、かすっただけでも身動きがとれなくなるのだー。命まではとらないから安心してねー」

 得意げに、手裏剣をちらつかせるデメテール。
 【毒使い】であるデメテールの《桜花手裏剣》には、【しびれ粉】が塗られていたのだ。

「行くぞ、エリック。新天地が、お前を待っている!」
「――心配してくれた事は、嬉しかったよ……じゃあな」
「に、逃がすか……」
「大尉……。正気に戻って……大尉……」

 ほとんど言う事を聞かない身体を引きずるようにして、尚も追いすがろうとするローザとライザ。
 だが既に薬の回ってきた二人の身体は、もうほとんど動かない。 

「今だ咲耶!アイツ等に、トドメをさせ!」
「エエッ!だって兄さん命までは取らないって今デメテールさんが――」
「ええい!悪役の決まり文句にいちいち冷静なツッコミを入れるんじゃない!」
「咲耶、時間稼ぎよ、時間稼ぎ」

 デメテールが、咄嗟にフォローを入れる

「わ、わかりました。これも人助けと思えば……。ごめんなさい、皆さん!」
「うわぁっ!」
「きゃあァァ!」

 身動きの取れないローザとライザを、【天のいかづち】と【凍てつく炎】 が襲った。


 
「お待ちしていました。ドクター・ハデス、グッドール大尉」

 基地からほど近い所に止められた黒塗りの車から、天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)が顔を出す。
 二人を、迎えに来たのだ。

「よく決心して頂けましたね、大尉」
「ああ、流石の俺も少々心苦しくてな……。決心するまでには、随分と悩んだぜ」

 車に乗り込もうとするハデスの後頭部に、カチリ、という音と共に、冷たい鉄の塊が押し付けられる。

「冗談はよせ、エリック」

 背中に冷たいモノを感じながら、ゆっくりと両手を上げるハデス。

「生憎、俺は冗談は嫌いでね――おい、お前。車を降りろ。車のキーは、かけたままだ」
「例え我々から逃げても、調査団も海兵隊もいます。逃げおおせられると思っているのですか?」

 両手をあげたまま、ゆっくりと車を降りる十六凪。

「思ってるさ――そのまま、後ろ向きにゆっくりと歩いて行け。少しでも下手なマネをしてみろ。大幹部が、二階級特進
することになるぞ」
「我がオリュンポスは、軍隊ではない!」
「何でもいい、早く乗れ」

 エリックに促され、助手席に乗り込もうとするハデス。
 その首筋を、デメテールの桜花手裏剣が凪いだ。
 ハデスの肌に、つぷつぷと血の泡が浮かぶ。
 
「なっ、何を――」

 急速にしびれ薬の回っていくハデスが言えたのは、そこまでだった。

「ハデス!」
「安心しろ、薬で動けなくなってるだけだ。あと30数える間、向こうに向かって走り続けろ。大人しく言う事を聞いていれば、
こいつは返してやる」
「クッ……」
「いーち!」

 奥歯を、ギリッと音がするほど噛み締めながら、走り出す十六凪。
 その耳に、遠ざかっていくエンジン音が無情に響いた。

 

「ローザ、しっかりしろ!ローザ」
「ん……?」

 何かが頬を叩く感触に、けだるい瞼を必死に開こうとするローザ。
 しばしの格闘の後、ローザの目にホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)の心配気な顔が映った。

「ね、ネルソン……?」
「そうだ。大丈夫か?」
「ら、ライザは……?それにエリックが……」
「ライザは今、メディックの治療を受けてる。大丈夫だ、たいした傷じゃない」
「そう……」

 ホッと安堵の息をつくローザ。

「エリックは、今海兵隊で追跡中だ。大佐と会談する前のボディチェックで、発信機を仕掛けておいたのが、役に立った」
「捕まえられそう?」
「わからん。可能性は、五分五分といったところだ」
「それと今、大佐が基地のPCに残されていたエリックの通信記録を解析してる。何かわかるかもしれん」
「……ごめんなさい、ネルソン」
「何がだ?」
「本当なら、力づくで拘束するべきだったのに、私の甘さのせいで、逃げられてしまった。しかも、ライザにまで怪我をさせて……」
「俺は、お前を信じて契約を結んだ。今回の事は、そのお前が信じる道を選んだ結果なった事だ。文句を言う筋合いはない。ライザも、きっとそういうだろう」
「……有難う」

 ローザには、そういう事しか出来なかった。
 



(中々出てこないですね、グッドール大尉……)

 海兵隊基地からここまで、ずっとエリック・グッドールを見張っていた土雲 葉莉(つちくも・はり)は、彼が姿を消した馬小屋を、物陰からじっと見張っていた。

 エリックは、この少し手前で天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)から奪った車を、人質のドクター・ハデス(どくたー・はです)もろとも乗り捨てた後、この馬小屋に入った。
 小屋には他に人の気配はないから、ここで協力者と落ち合うという線はない。
 恐らく、ここで服を着替え、更に逃走を図る気なのだろう。

(しかし、びっくりしましたよ〜。ハデスさんたちはいきなり裏切るし、エリックさんはハデスさんたちと一緒に逃げちゃうし、
その挙句ハデスさんたちも利用するだけして切り捨てちゃうし……。本物のスパイって、やることがえげつないです〜!)

 一見、冷静に尾行を続けているように見える葉莉であるが、その実さっきからドキドキしっぱなしであった。

 先日のマイク・カニンガム大佐とのやり取りから、狙いをグッドール大尉に絞り込んだ――正確に言うと、
絞り込んだのは主である樹龍院 白姫(きりゅうりん・しろひめ)だが――葉莉は、ここ数日、ずっと大尉を尾行していたのである。

 言動こそややアレな所があるが、さり気に忍としては優秀な葉莉は、エリックに気づかれることなく、完璧に尾行をやり遂げていた。
 そして今日も、エリックは愚か、ローザたちやハデスたちにも気づかれること無く、一部始終をずっと見届けていたのである。
 これまた正確にいうならば、見届けていた――というよりは、自体のあまりの急展開に、「ど、どどどどどうしよう!!」
などとワタワタしている間に、事が進んでしまったのだけなのだが。

 しかし結果的に言えば、そうして出る機会を逸してしまったことが、こうして尾行を続ける幸運をもたらしたのだとも言える。

(そうです!幸運に恵まれることも、真に優秀な忍の条件の一つですよ!)

 などと、自分で自分にフォローを入れている内に、エリックが馬小屋から出てきた。
 一頭の馬と共に現れたエリックは、侍の装束に身を包み、笠を目深にかぶっていた。
 確かにあれなら、火急の文を携えた伝令に見える。
 きっと、ニセの通行証も用意しているのだろう。
 エリックは、周囲に人の目の無い事を確認すると、馬上の人となった。

(グッドール大尉、一体ドコまで行くつもりなのかしら……)

 葉莉は、馬の蹄の音が聞こえなくなるまで待って、無線機のスイッチを入れた。

「もしもし、大佐ですか?葉莉です。今、グッドール大尉を尾行中なんですけど――」

 葉莉は、馬小屋の捜査を依頼すると、自分はそのまま尾行を続ける旨連絡をし、スイッチを切った。
 
「さぁ〜て、もうひとっ走り、しちゃいますか〜!」

 イッチ、ニと軽く屈伸と伸びを繰り返したかと思うと、葉莉は、信じられないスピードで走りだした。
 厳しい修練の末身につけた【麒麟走りの術】を持ってすれば、馬に追いつくことなど造作もない。
 葉莉は、【隠形の術】で気配を消すと、エリックの後を追った。