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しんじたい想い

 せっかくだから薔薇の学舎の校内をこっそり見学しよう、と提案したのは志位 大地(しい・だいち)だった。だから、彼とティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)は、わざわざ薔薇学生の制服を着てお月見に参加していた。
「んー、さすがに女性が訪れているということもあって、警備はどこも厳しそうですね」
 大地は、月見の行われている真城の庭園から校舎へ行くための路の方を見やりながらこぼした。さて、どうしようか、とティエリーティアの方へと振り返る。が――
「って、ティエルさん?」
 共に歩いていたはずのティエリーティアが居ない。はぐれたか、と少々焦りながら、きょろきょろと辺りを見回していると。
「大地さーん」
 おまじないイベントが行われている一角から、ティエルが駆けてくるのが見えた。ホッと息をついてから、ティエルの方へ手を振る。
 ぱたぱたと駆けてきたティエルが勢い余って大地の胸にぼふっと突っ込んでしまってから、楽しそうに顔を上げた。
「ごめんなさいー! 面白そうなおまじないがあったので、つい夢中になっちゃって」
「いえ、こちらこそ、気づかずに置いて行ってしまい、すいませんでした。はぐれたままにならず、本当に良かった――と、そうだ。もう一つ謝っておかないと。やはり、警備が厳しいみたいで……校舎の見学は難しそうです」
 申し訳なく苦笑しながら言った大地の顔を見上げていたティエルが、んーっ、と何かを考えるようにしてから、こく、と頷いた。
 そして、ぴょんっと大地のそばを一つ離れると、パタパタと手招きをした。
「僕、良い場所を知ってるんです。えっと……この制服を貸してくれたお友達から教えてもらった場所で……校舎の見学は無理みたいですけど、せっかくだから、そこに行ってみませんか? そこで、おまじないするんです!」
 早く早く、と駆け出そうとしたティエルの手を、大地は反射的に掴んでいた。
「はえ?」
「あ」
 掴んでから、気づく。掴んでいる、と。
 一つ息をついてから。
「また、はぐれるといけませんので」
 と、大地は厳かに言った。
「そ、そうですね。またはぐれるといけませんので」
 ティエルがこくこくと頷く。
 そうして二人は、どこかぎこちない所作で手を繋ぎ直しながら、薔薇園の路を歩いていった。

「そういえば、おまじないというのは?」
 問われて、ティエリーティアは月を見上げながら微笑んだ。大地の足取りは、こちらの歩みを気遣ってゆっくりとしている。繋ぐ手は温かい。
「素敵なおまじないです」
 ――『来年も好きな人と一緒に月を眺められますように』――

 
 庭園の端に設けられた小さな噴水が細く静かに水音を立てている。
 鬼崎 朔(きざき・さく)は月夜の下で咲く薔薇の花に惹かれて立ち止まっていた。その傍らには椎堂 紗月(しどう・さつき)が居る。
 朔は、ふと――
「私が……24で、紗月が5」
 ゆっくり確認するように呟いた。
「さっきの月齢占いか」
 紗月の声に朔は彼の方へ顔を向けた。先ほど、まじないを行っていた薔薇学の生徒に声をかけられて月齢占いを行ったのだ。結果、二人の相性度は60%だと告げられた。
「相性はまずまず。んで、些細な感情の行き違いはあるけど、無理に考えを押し付け合わなければ良いパートナーになれる、だっけ?」
 紗月が思い出すように並べてから、朔の背中をぽんっと軽く叩いた。
「不安なら、どっかで40%分を埋めるようなおまじないでもしてっか?」
 紗月に笑顔で言われて朔は、少し慌てて首を振った。
「必要無い。……私と紗月はお互いを想いあってる。それは分かってるし、だから、大丈夫」
 朔の言葉に、紗月は微笑みを浮かべ、一寸間を置いてから「そうだな」と頷いた。
 彼の微笑に見惚れてしまっていた朔は――
 ふいに、スッと急に胸の奥に差し込むものを感じて、彼の顔から視線をそらすように瞳を伏せた。
 胸前で、きゅ、と拳を握り、少しだけ迷ってから、こぼす。
「……でも、確かに、ときどき不安になる」
 紗月が小首を傾げた気配。
 それで、やっぱりもう一度迷ってから、しかし朔は続けた。
「……この幸せが不意に無くなってしまうかもと……その、そんなことを考えてしまうのは私だって馬鹿馬鹿しいと思う。しかし、どうしても――」
「やっぱり、おまじないが必要かもな」
「え?」
 紗月の方へ視線を向ける。
「俺流のまじないだ。ちょっと目ぇ瞑ってろ」
 言われて、朔は、しばし逡巡してしまってから、はっ、と思った。
「大丈夫、変なことはしねーから。俺を信用して、目ぇ閉じとけ」
「……あ……ああ、分かった」
 朔は唐突に鼓動が高まった胸を必死で抑えるために一度、息の震える深呼吸をしてから言われた通りに目を閉じた。
 自らが招いた暗がりの中、かすかな水音と薔薇が香りがしていた。ぐっ、と紗月の気配が近づいて、自然、閉じている瞼と唇に力が入ってしまう。
 彼の指先が頬を掠めて耳元の髪に触れ、朔はぴくりと身体を震わせた。
 そして――
 耳に小さな感触。
「おー、いいじゃねーか。っと、もう目ぇ開けていいぜ」
「……?」
「来てみ」
 紗月に連れられて小さな噴水の方へ向かう。促されるままに、静かな噴水に薄く揺らされる水面を覗き込むと、己の耳元にひらりと閃くものが見えた。
 月と蝶を模したデザインのイヤリング。
「あー……ピアスの方が良かった、なんて言うなよ? 俺は朔の身体を傷つけたかねーんだからな」
 そう冗談めかすように言った紗月の方へ朔は振り返った。一度、二度、言葉が喉に引っかかってしまってから。
「わ、私からは……これくらいしか今は出来ないが――」
 朔は言って紗月に抱きつき、彼にキスをした。


 手入れされた生垣の路のそこ此処には、ほつほつと明かりが灯っている。
 七尾 蒼也(ななお・そうや)は、ジーナ・ユキノシタ(じーな・ゆきのした)と日本風の庭園の方へと歩いていた。
「花火大会のときは一緒に行けなくてすまなかった……」
 蒼也の言葉にジーナが振り返って、
「あ……いえ、でも、あれは……」
「帰省土産――つまらないものだが、なんとか持ってこれた」
 しわくちゃの袋を差し出す。「え?」と、ジーナがぱちくりと瞬いてから、袋をそっと受け取る。
「ありがとうございま――っしゅん!」
 礼を言いかけていたジーナが小さくクシャミを落とした。
「大丈夫か?」
 持ってきていた魔法使いのマントをジーナの肩へ、そっと掛けてやる。
「やっぱり夜は少し冷えるな」
 ジーナがしわくちゃの袋を胸に抱いた格好で、またお礼を口にし、蒼也をちろりと見上げる。
「そ――七尾、先輩は……もしかして、私にお祭りの時のことを謝るタイミングを探してて、あんまり喋らなかったんですか?」
「それも、あるけど……俺がしゃべり過ぎるとせっかくのムードが壊れてしまいそうだったから」
 ――月に照らされたジーナがとても綺麗で、頭が巧く働いて無かった。
 なんて、言えなかった。

 マントを掛けてもらった時、先輩の顔が近くにあった。
 息を呑んで。
 手の中で袋が小さく鳴った。
 あの時――花火大会の時、一人で今までを振り返って、それで、自分はずっと受身でしかなかったということに改めて気づいた。今日だって誘ってくれたのは先輩の方からだった。
 だから……だから、せめて一歩だけでも自分から踏み出そう、と決めていた。
「そ――」
 言いかけて。
「七尾、先輩は……」
 ジーナは言い直した。
 きっと、他の人から見たら、とても他愛無いことなのに。
 こんなにもドキドキとして、手が震えている。袋が大きく鳴ってしまいそうで、それを必死でこらえようとしても収まらない。
 彼がジーナの質問に応え、頭を軽く掻きながら笑ってから「行こうか」とゆっくり歩き出そうとする。
 ジーナは、助走を付けるように小さく一度、二度、息を吸って吐いてから、大きく吸って。
「蒼也先輩」
 呼んだ。
「ん?」
 彼が振り返る。小首を傾げて、しばしジーナを見やった後、彼はジーナを気遣うような調子で言った。
「疲れたなら、少し休んで行こう」
「あ……いえ、あの……何でも、ないんです」
「だが――」
「い、いえ、本当に、なんていいますか、その、本当に何でもないんです。すいません!」
「なら、いいんだけど」
 彼は少し不思議そうな顔をしていたが、やがて、また優しい笑みを浮かべてジーナの方へ手を差し出した。義手ではない、生身の右手。
 ジーナはその手を取った。
 二人、歩き出す。
 しばらくして――
「あ……そう、か。……そっか」
 彼は気づいたようだった。
 繋いでいない方の手で彼が自分の顔を抑える。彼は、少し照れているのかもしれなかった。
 こちらは今になって急激に気恥かしさが込み上げて来ていて、彼の顔の方なんて見られるはずもなかった。
 ただ真っ直ぐに路の先を見ながら、二人で歩いていく。
 熱を持った耳には、優しい琵琶の音が聞こえていた。