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だいじな気持ち

 テラス――。
 アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)は、『見せたいものがある』という蓮見 朱里(はすみ・しゅり)を待っていた。
 ふと、中の灯りで明るい窓ガラスに薄く映り込んでいた己を見やる。
 いつもの装甲は無く、細い縦縞のシャツに茶に近い渋めのネクタイ、やや灰味を帯びた黒のジャケットとスラックス――全て、以前、朱里と空京デパートで買い揃えたものだ。今日は一日、この格好で朱里とデートしていた。
 窓ガラスに映る顔が微笑む。
「少しは人間に近づけただろうか」
 と――窓ガラス越しに、こちらへ向かう朱里が見えた。
 その姿を見て、アインは思わず彼女の方へと駆け出していた。朱里は、ウェディングドレスを身に纏っていた。

「朱里」
「ア、アイン!?」
 心の準備が整う前だったので、朱里は慌ててしまった。しばし、あわあわと口元を動かしてから、
「あ……あの、皆の前でちゃんとした式を挙げるのはまだ先だって分かってるの。それに、これは、まだ仮縫いで……本当なら当日まで内緒にしておいた方が良かったかもしれないけど……でも、やっぱりアインにはちゃんと見てほしくって……――って、もう、なんで先に来ちゃうの! 待ってて言ったのに!」
「すまない。君の、その姿を見たら思わず。――綺麗だ」
 アインがまっすぐな調子で言う。そして、目元に、どこか懐かしそうな様子を浮かべ、
「君はこの一年で、とても美しく成長した」
「そ、そんなことないよ! 私、まだまだ子供だし、胸だって小さいし……このウェディングドレスだって、似合ってるかどうか、自信なくて……」
「とても似合っている」
 アインが朱里の細い身体を抱きしめ、口づけを落とす。
「本当に?」
 朱里は熱を持った顔を上げながら問いかけた。
「誇りにかけて。君の今の姿は、僕の目に映ったものの中で、最も美しいものだ」
 アインが心からそうだというように頷く。
 そして、彼はしばらくの間、何か深い想いを巡らせるように朱里を見つめてから、ゆっくりと言った。
「朱里、君を愛している。君と過ごしたこれまでと、そして、君と歩むこれから、その永遠に僕は変わらぬ愛を誓おう。二人で共に、喜びを分かち、悲しみを乗り越えて生きていくと」
「アイン……私も、あなたを――」
 と、朱里は真っ赤になった顔を振りながら、アインの身体から離れた。
 何か色々と唐突に誉められたり抱きしめられたり誓ってもらったりで、恥ずかしかったり嬉しかったり幸せだったり……一杯一杯になって許容量を超えてしまった。顔も頭も熱くて熱くて、頭の中がぐるぐるしてる。そして――
「もう、本番まで見せない!」
「何故だ?」
「わ、私が恥ずかしいから……?」
「疑問形なのか?」
「とにかくっ、着替えてくるね!」
 朱里は勢いのままスカートの裾を翻して、ぱたぱたと駆けた。
 
 でも――いつの日か教会のチャペルで、あんな風に将来を誓い合えたら、いいな……
 そう、こっそり微笑みながら、朱里は更衣室へと戻っていった。


 庭園で、西尾 桜子(にしお・さくらこ)は、西尾 トト(にしお・とと)に日本の文化を紹介しようとしていた。
「……だから、お月見というのは……」
「桜子、トトお団子食べたい! 食べさせてー!」
 キャッキャと桜子に抱きついてくるトトに桜子は、はふ、と溜息をついた。
 先ほどから一向に進んでいない。桜子が口下手なことに加え、トトが超がつくほどのマイペースなため、仕方ないといえば仕方ないのだが。
 かく、と頭を垂れてから、桜子は傍らのお団子を一つ取って、トトの口元へと差し出した。
「あーん!」
 ぱく、とトトがお団子を齧って、「おーいーしー!」と桜子に抱きつき、じゃれながら、またキャッキャとはしゃぐ。
「……静かに食べないと、喉につまらせますよ」
 桜子がトトを落ち着かせようと、その背をぽんぽんと軽く叩いてやったりするも効果は無い。
 と――
「可愛い子に、小さな子がじゃれる様というのは良いなぁ。眼福だねぇ」
 脳天気な声が聞こえて、振り向けば、八月一日 桜(ほずみ・さくら)がグラスワインを片手に立っていた。
 桜子が小首を傾げてみせると、彼は「どうも」と楽しそうな笑顔を傾けた。
「…………あの」
「うん、君をナンパしにきたんだよ」
 すこぶる堂々としている。
「なんぱ? なんぱって何ー?」
 ぎゅ、と桜子の頬に顔を寄せたトトが問いかけ、桜は何故か少し得意げな調子で、
「愛のハンティングというところだろうかなぁ」
「ハンティングー! 桜子、狩られちゃうの? だめだめー、桜子を食べれるのはトトだけだよ!」
「ほんわかとした関係だと思っていたら、存外、スリリングな間柄だったんだねぇ」
 桜が何かしら感心したような調子で頷く。
 桜子は、ゆるゆると首を振った。
「……この子は、少し変わっているので」
 そう言った刹那、桜の腕をグッと掴む手があった。
 その手は茜ケ久保 彰(あかねがくぼ・しょう)のもので、
「すいません、お借りします――桜くん、ちょっとこっちへ来てもらえますか?」
 頭を下げた彰に引っ張られ、
「って、珍しく強引?」
 桜は薔薇園の片隅へと引きずられていった。
 その様子を見送って――
「……なんだか、トトと同じくらい、マイペースな人でしたね」
 と呟いて桜子が見やったトトは、桜子の膝を枕にして、すやすや寝ていた。
 前言撤回。
 トトのマイペースさは飛び抜けている。
 桜子は小さく肩をこかしてから、そっとトトの頭を撫でた。
 そうして、その可愛らしい寝顔をしばらくの間眺めて。
(こんな調子だけど……)
 桜子は微笑み、空の月へと視線を滑らせた。
(これからの冒険を一緒に楽しくやっていけると、いいな)

 彰に引きずられて引っ張りこまれた薔薇園の片隅。
(……いきなり、こんなとこに引っ張り込んで。何だか何時もと様子が違う。これは、ひょっとすると――)
 桜は、彰の少し改まったような様子を見やりながら、考えを巡らせていた。
 そして、ふと、この月下の薔薇園が”そういう”雰囲気であることを思い出し、
(告白。……なんか、そういう空気だよねぇ、今)
 途端にドキドキしてきた。軽く喉を鳴らして、彰が何か言おうとしている言葉を待つ。
 そして、彰が――
「ええと、その、良い機会なので……言っておこうと思いまして」
「あ、ああ」
「いつも、本当にありがとうございます。桜くんには色々とお世話になっていて……感謝しています。これからも、宜しくお願いしますね」
 彰が頭を下げる。
 桜はそのまま、数秒ほど待ってしまった。
 彰が顔をあげ、桜の様子を見て、ゆっくりとした調子で小首を傾げる。
 桜は、「えっと……」こぼしてから、
「それ、だけ?」
「……え? あ、はい」
「あー……じゃあ、今のは……」
「日々の感謝です……けど?」
「いや、そうか。そうかぁ……てっきり告白とかされるのかと思ったよ」
 構えていた力が抜けて、桜は肩を落とした。
 彰の目が瞬く。
「告白、ですか?」
 彰が胸に置いた手を軽く握りながら、少し戸惑った様子で、
「いえ……そんな、僕はただ、日頃の感謝を伝えておきたくなっただけで……本当に、それだけで……」
「分かってるよ」
 その様子の意味はよく分からないが、とにかく、そんな彰が、とても可愛く思えてしまって、桜は彼の頭を撫でた。
「あの……桜くん。恥ずかしいんですけど」
「死角になってるから、大丈夫。気にしない気にしない」
 笑って言ってやりながら、
(そうか、もうずっと一緒に居たんだよな)
 感慨深くなる。それで、つい、桜は、
「こちらこそ、ありがとうな」
 なんて、明日になれば後悔してしまいそうな感謝の言葉なんぞを言ってしまっていた。


「そういえば、今日は一段と毛艶が良いみたいだね」
 の言葉に、アレフティナ・ストルイピン(あれふてぃな・すとるいぴん)が、ぴょんっと軽く跳ね上がる。
「わかりますかっ? 気合を入れて着ぐるみを洗ったんです。久しぶりにお会いできると思ったらウキウキしちゃって」
 中央の建物。そこで、アレフティナとスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)は、直と語らっていた。かれこれ結構長い間。
 アレフティナはとても嬉しそうだった。なにせ大好きな先輩である直に会えたからだ。傍目に、仲の良い親戚のお兄さんに会ってはしゃいでいる子、のように見える。
(一体、いつの間にあんな真城大好きな状態に? あれかな、クリスマスの時に親切にされて……――なんて単純な……!)
 スレヴィは、肉好きウサギことアレフティナのテンションを前に、物理的にも一歩引いたところで葡萄ジュースを飲んでいた。
 直が、微笑みながら、
「夏休みの間は元気に?」
「干からびそうでしたよ〜……実際、あんまり記憶なくて……」
 そこで、アレフティナは、ぐっと拳を握り、
「でも新たな野望を持ちました!」
「野望?」
「冷房完備ですっ」
「あはは、それは快適そうだね」
「ぜひ開発してもらわなきゃ――ということでスレヴィさん、医学の勉強はやめて機械系の勉強しませんか?」
 くるぅりと、アレフティナがこちらを向いて言う。
「何で、そこで人頼みなんだ。やだよ、自分でやれ」
 スレヴィは、口元を歪ませながら言葉を突っ返し、
「それより、そろそろ切り上げたら? 真城だって忙しいだろうし、君はもう眠そうじゃないか」
「眠くなんて、ないですよー」
 と言っているウサギの足元が、よたよたとたたらを踏む。このまま、うずくまって眠ってしまいそうな様子だ。
「仕方ないな」
 スレヴィは息を零してアレフティナに近寄り、それをおぶった。
 スレヴィの背でアレフティナが「まふー」と、なんだか まったりした声をあげる。
「優しいね」
 直が二人の様子を見やりながら零した言葉に軽く笑みを返してから――
 スレヴィはテラスに予め設置していた大きなロケットの方へと向かい、その中にアレフティナを詰め込もうとした。
「一体、いつの間にそんなものを」
 直が呆れと興味を混ぜたような声を落とす。
 アレフティナがふにゃふにゃと眠たそうな顔をロケットから覗かせて、
「月にウサギ伝説の始まりですね……って、イーヤー! なんで発射されようとしてるんですか私ー!」
「言わなかったか? 今日は月が沈むまで楽しむから、寝たらロケットで月まで打ち上げる、と」
「確かに言ってたような気がしますー……でも、本気だとはー……」
「まあ、そういうことだから。安心して眠れ」
「真城さーんー、たーすーけーてー!」


 悲痛な叫び声遠く。
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は薔薇の学舎を眺めていた。
 つい最近まで、彼はここに所属していた。シャンバラが西と東に分断されるまで。
「やはり、離れがたいかい?」
 何時の間にかそばに立っていたメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が言う。
 エースはそちらの方へ振り返った。
「用事の方は終わったのか」
「ああ、『暫く来れなくなりそうだ』と伝えてきたよ」
 メシエが言って、月を仰ぐ。
 エースは、彼と同じように月を見た。
「おまえが転校を承諾してくれるとは思ってなかった。てっきり……反対されると」
 転校は、エースの都合によるものだった。
 将来的に東西の交流が絶たれるようなことがあれば、地球に帰れなくなるかもしれない。おいそれと地球での立場を切れる身でもなく、故郷を捨てるわけにもいかなかった。そのため、不本意ではあったが薔薇の学舎を出るということを選んだのだ。
 メシエが地球側にあまり好意的では無いのは知っていた。そして、彼が何よりも故郷を大切にしているということも。
 だが、西側への転校を提案した時、彼は反論一つすることなく承諾してくれたのだった。
「帝国よりは地球の方がまだマシだ、というだけだよ。保護という名目で侵略行為を正当化した帝国の傀儡政権――こんなものは、私の求める故郷シャンバラではない。とはいえ、西側でも故郷シャンバラが地球の国々の絶大な影響下にあるのは事実だ」
 そこで、メシエは小さく笑みのようなものを零してから、
「まあ、つまり暫くの間は、エース、君に付き合ってあげようという事だね」
「……すまない。俺の我侭で……本当に感謝している」
 エースが心からの言葉を渡すと、メシエは少し間を置いてから、「もう一つ――」と零した
「理由は、もう一つある。……私は、かつて”彼女”を殺した国の下で穏やかに暮らせるほど、昔の事を忘れたわけではない」
 メシエの声は、いつもと変わらなかった。
 だが、今の彼の表情を見てはいけないような気がした。
 二人、並んで月を眺めたまま、メシエが続ける。
「月がよく似合う人で……大切な女性だった」
 おそらく、彼はその女性の墓前に『暫く来れなくなりそうだ』と伝えてきたのだろう。
 エースは瞼を閉じた。
 感じたのは、ほんの少し前まで己と共にあった、この土地の風。そして、それは、かつてメシエの故郷に吹いていた風。
「俺たちは――きっとまた戻ってくる」
 静かに、だが強く誓う。