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リアクション
ツァンダ/アイリス
アイリスは、蒼空学園の校庭で龍を降りた。
「ここをどうするんだ?
まさか校舎を破壊とかねえだろ。校長室を抑えるか」
護衛として共に来た、仮面の男が訊ねる。素性を隠した、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)である。
「……そうだね」
アイリスは校舎を見上げた。
「生徒が大勢残っているなら、龍騎士といえど苦戦するだろうとあんたが自分で来たんだろうが……瀬蓮がまた、泣くな」
ひょいと肩を竦めて、軽い口調でそう言ったトライブに、アイリスは無言である。
「護ることと悲しませないことは、全く別だと思うけどね」
「僕に不満があるなら、いつでも帰っていい。僕は一人で大丈夫だから」
「……そうつれないこと言うなよ」
悪かった、とそれすら軽口じみていたが、アイリスはそれ以上は何も言わなかった。
「ま、向こうもそう簡単には行かせてくれないようだがな」
アイリスを迎え撃つように、生徒達が飛び出して来る。
「……そうかい?」
アイリスは、それらの者達を、特に感慨の無い表情で迎えた。
「おねえちゃ――ん!」
真っ先に飛び付いてきたのは、ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)だった。
全力疾走の勢いで、その勢いのまま、飛び付く。
敵意の無い行動に、アイリスはヴァーナーを受け止めた。
「どうしてこんなことしてるですかっ。
やさしくてかっこいいおねえちゃんにもどって、百合園にかえってきてくださいです!」
ヴァーナーの言葉にふと、アイリスは目を細める。
百合園での、懐かしい、優しい日々。
暖かい記憶を懐かしむような、決して手に入らないものを羨望するような、そんな目を。
「……何故こんなところに来たんだ。ここは危険だ、離れてて」
だが、口を開いたアイリスの口調は冷たく、その表情は既に硬く乾いたものに戻っていた。
「アイリスさん、どうかヴァーナーの声を聞いてやってくださいませ」
パートナーの吸血鬼、セツカ・グラフトン(せつか・ぐらふとん)が言うと、アイリスは溜め息を吐く。
「君がついていながら、どうしてこんな危険なところに来させているんだ。
さあ、下がらせて。できれば巻き込みたくない」
「おねえちゃん!」
「戻れる場所など、無いんだ」
独り言のように、アイリスは呟いた。
「あの頃……僕には確かな翼があった。
それを失ったままでは」
一瞬、伏せた目を、振り切るように開いて、アイリスはトライブを見る。
「この子を」
トライブは、後ろからひょいとヴァーナーを抱き上げた。
「だめです! おねえちゃんといっしょに、かえるです!」
ヴァーナーは暴れるが、
「諦めな」
とトライブは囁く。
生半可な説得では、厚い氷に閉ざされた彼女の心を溶かすことなど、できはしまい。
アイリスは頑なだ。――哀れなほど。
「戦っているところに飛び出してこないように……必要なら縛っておいてもいい。――邪魔だから」
ヴァーナーはショックを受けたように固まった。
セツカがぎゅっとヴァーナーを抱きしめる。
「……私が、戦闘に手は出させないようにいたしますわ。それで良いでしょう」
固い表情で言うセツカに、トライブはよろしくと言って手を離した。
最初こそ、イコンに乗ってツァンダの町を巡っていたレン・オズワルド(れん・おずわるど)だが、アイリスが蒼空学園に向かったという報を得るなりそこに向かい、到着するやいなや、操縦席から飛び出した。
パートナーの機晶姫、メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)はそんなレンを黙って見送り、イコンを邪魔にならないところに下ろす。
「久しぶりだな」
銃を構えるレンの言葉に、アイリスは答えなかった。
レンがアイリスと会うのは、去年の夏以来だ。――その時の、アイリスと瀬蓮の笑顔を、今も憶えているというのに。
引き鉄にかかったレンの指が微かに動くのと同時、アイリスは地を蹴った。
銃弾は、アイリスがいた場所を弾く。
「くっ!」
銃を持つ相手に、初手で懐に飛び込んできた。
レンは咄嗟に左腕を構える。
龍鱗化をしたが、腕はそれごと断ち落とされた。
「チッ……!」
元より義手だ、構わない。そう思いながら右手で握っていた銃を捨て、拳で殴りかかった。
しかしそれも受け流される。
「……おまえに、言ってやりたいことがあるぜ」
レンはアイリスを睨みつけた。
「そんな迷いを持った目で戦場に立つな」
「迷い、だって?」
「本当に護りたいものから目を背けるな。今のおまえに、戦場に立つ資格は無い」
アイリスは、冷たくレンを見やり、溜め息を吐いた。
「……君、うるさいな」
――迷うものなど、何もない。
斬り捨てられ、レンは地を転がる。
メティスが駆け寄り、彼を庇うが、アイリスが見ているのは、既にレンではなかった。
「説得の届く心も無し、ということか」
両手にウルクの剣を持ち、軽蔑した口調で、松平 岩造(まつだいら・がんぞう)が言う。
「……心、だって?」
「今度こそ、決着をつけさせてもらう!」
岩造が攻め込む。
「遅いよ!」
怪力の籠手を着けて剣を持つ一撃に、ドラゴンアーツとヒロイックアサルトを重ね掛けして攻撃しようとした岩造は、それより先にアイリスの剣に一閃された。
「ああっ……」
岩造のパートナー、剣の花嫁のフェイト・シュタール(ふぇいと・しゅたーる)は、アイリスの攻撃の瞬間を狙って銃撃しようとしていたのだが、フェイトの予測よりアイリスは素早く、狙いを外してしまっていた。
「アイリスちう奴ぁ、えらい強い奴じゃのう」
「岩造様お一人では手に余る相手でしょう」
「わかっちょる。今援護に入るけえ」
パートナーの吸血鬼、カーチス・ランベルト(かーちす・らんべると)と会話しながら、戦い始める岩造達から少し離れた地面に、ルメンザ・パークレス(るめんざ・ぱーくれす)は機関銃を設置していた。岩造の援護射撃の為である。
「スプレーショットで一気に行くけえ!」
「それじゃ味方にも当たるだろうが」
銃身をアイリスへ向けて言ったルメンザに、呆れた口調でそう言ったのは、トライブだ。
はっとして、ルメンザとカーチスは身構える。
「この程度の銃撃、彼女に通用するとも思えないが、一応護衛なんでね。防がせて貰うぜ」
「邪魔はさせません!」
カーチスが魔法を撃とうとしたが、背後から、覆面で顔を隠した女――トライブのパートナー、ヴァルキリーの千石 朱鷺(せんごく・とき)が、背後からカーチスを羽交い締める。
「暫く寝てな」
苦笑じみた言葉と共に、二人は衝撃を感じた。
くらりと歪む視界で、ルメンザは岩造を捉える。
「岩造さん……きがねが……」
悔しそうに呟き、ルメンザは意識を失った。
鮮血を散らす胸を押さえてたたらを踏む岩造に、アイリスは駄目押しの一撃を与えようと、剣先を向ける。
「――アイリス!」
その時だった。
突如、その場に高原瀬蓮が現れたのは。
選帝神、白輝精に食後の紅茶を出した後、道明寺 玲(どうみょうじ・れい)は許可を貰って瀬蓮の所へ行っていた。
パートナーの剣の花嫁、イングリッド・スウィーニー(いんぐりっど・すうぃーにー)も、護衛として部屋の隅に立っている。
執事として、細々と瀬蓮の身の回りの世話をしてやり、甘いお茶を出してあげた。三人分。――それは、彼女の側につく、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とそのパートナーのヴァルキリー、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の分である。
二人は、瀬蓮を説得しに来たのだ。アイリスを説得する為に。
「……瀬蓮、これを見て欲しい」
エリュシオンに居て、瀬蓮はシャンバラの現状を、詳細には知らないのだろう、と、コハクは思っていた。
先の戦いでイコン部隊に侵攻された際に受けた、ヴァイシャリーの被害の画像を、籠手型HCに呼び出して、見せる。
瀬蓮はそれを少し見て、悲しそうな顔をし、すぐにコハクに返した。
「辛いと思う、けど、アイリスさんを止めないと、きっともっと酷いことになってしまう。
あの人はきっと今……本当にやりたいことを、見失ってしまってるんだ……」
「……でも」
瀬蓮は、俯いたまま、か細く呟く。
「でも、瀬蓮は……アイリスの気持ちも、解るの」
やめて欲しい。そんなことはずっと思っていた。
けれど止めることが出来なかったのは、アイリスの今の気持ちを、瀬蓮は正確に理解しているからだ。
アイリスの焦燥も、絶望も、諦めも、苦しみも、足掻きも。
「アイリスは、全部一人でやろうとしてるのが、よくないと思う。
だから色々勘違いしちゃってるんだと思う。
方法は他にもあるんだって、教えてあげようよ!」
美羽が力強く言って、瀬蓮は弱々しく顔を上げる。
「……できるかな」
「できるよ!」
美羽は断言した。
「行こう! 私、白輝精様に頼んでくるね!」
そして勢い良く立ち上がる。
今すぐアイリスの元へ駆け付ける為に、白輝精のテレポート能力に頼ろうというのだ。
「可能ですかな」
「一生懸命、頼んでくるから!」
玲の危惧にそう言い残して、美羽は部屋を走り出て行った。
「及ばずながら、それがしもお供いたそう」
どんな選択をしても、瀬蓮の考えを尊重する。
そう思っていたので説得する気はなく、ただ側に仕えていたのだが、けれどやはり、アイリスの迷いを晴らすことができるのは瀬蓮しかいない、と思っていたので、内心で玲は安堵する。
「瀬蓮の命は、それがしが必ず護ってみせよう」
その言葉を聞きながらイングリッドは、状況によっては、自分達は教導団と敵対することになるかもしれない、と感じていた。
けれど、それを口に出すことはしない。
懸念としてはあるが、例えそうなったところで、それが主である玲の選択した道なのだ。
そうして、瀬蓮達は、岩造と対峙するアイリスの元へ、白輝精のテレポートで送られて来たのである。
「瀬蓮!? 何故、ここへ……!!」
アイリスの表情が初めて、明らかに狼狽する。
やっとか、と、その表情を見て、トライブは思った。
固く閉ざされていたアイリスの心に、ようやく。
「アイリス……!」
並べ立てられた言葉など、必要なかった。
ただ全ての思いを込めて瀬蓮は、アイリスの名を呼ぶ。
初めて見せる、アイリスへの、強い意思。それが、悲痛な響きを伴っていることが、悲しかった。
アイリスは苦しげに表情を歪める。
心の中に渦巻く何かと、激しく葛藤するかのように。
「――瀬蓮、僕は……!」
「アイリスは、瀬蓮ちゃんの笑顔を護りたいんでしょ!?
でも、このままじゃ、余計に泣くことになっちゃうよ!」
美羽が必死に説得する。
ぎゅっと剣の柄を握り、アイリスは苦しげに首を横に振った。
「そんなことは、させない……!」
――今しかない、と、岩造は思った。
説得が通じるか通じないか、それはまた別問題だった。
アイリスと決着をつけるチャンスは、今しかない。
「アイリス!」
叫んだ岩造は、二本ある剣の一本を、アイリスに向けて投げ放った。
それが避けられても、もう一本の剣を持って特攻する――そのつもりでいたが、その前にトライブが立ちはだかった。
寸前で我に返ったアイリスは、岩造の投げた剣を弾き返していたが、ぴっ、と頬に、一本の赤い線が走る。
「アイリス!」
瀬蓮が駆け寄り、アイリスにしがみついた。
「アイリス、一旦撤退しようぜ」
トライブが言った。
アイリスは咎めるような視線をトライブに向けたが、更に被せて、朱鷺が言う。
「ツァンダは制圧できません」
その言葉で、アイリスは一気に冷静になり、ちらりと町の方を見た。
朱鷺は嘘はつかないだろう。ツァンダ各地の龍騎士達は、制圧に失敗したのだ。
港も、
ツァンダ家も――
「――撤退する」
僅かな逡巡の末、アイリスは決断した。
「瀬蓮、おいで」
瀬蓮を促して龍に乗り、飛び立つ。トライブ達もそれに続いた。
雨に濡れ、瀬蓮はあっと言う間にずぶ濡れになっている。
小さく震えながら、物も言わずにアイリスにしがみつく瀬蓮を、アイリスも黙って抱きしめていた。