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【7】

  PM 15:45
    タシガン某所



 不意に、思った。
「頭。痛いかもしれません」
 ぼー、っと神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が呟いた。どこを見ているのかよくわからない瞳。上気した頬。レイス・アデレイド(れいす・あでれいど)が怪訝そうに翡翠を見つめ、顔をずいっと近付けた。
「? レイス、どうしたんですか?」
「ちょっと顔こっち向けろ」
 ぐい、と両手を頬に当てて顔を向かせ、額と額をくっつけた。
「?? 頭突きですか?」
「いや……お前、熱いぞ、顔」
「え……そうですか?」
「どっか調子悪いとか」
「頭が痛いかもしれません。あと、ちょっとぼーっとしますねえ」
「あ〜もう。気付いてねえな? お前多分それ、風邪。流行ってるって誰かが言ってた」
「風邪、ですか。自分でもそのようなものに罹るんですねえ」
「自分でも、って。なんだそりゃ」
「運がいいので」
「よくても引くだろ、馬鹿。ふらふらじゃねえか、しょうがねえな」
 言って、レイスは翡翠を抱き上げる。翡翠が「わ、わ」と戸惑ったような声を上げた。
 珍しいなこんな反応。少し面白くて、そのまま大股で歩き出す。
「ちょっと、レイス? 動けないことはないですから……ねえ、自分で歩けますから」
 運ばれたことによって、熱で赤くした顔をさらに紅潮させた。
 しばらくそうやって「歩ける」「大丈夫」「降ろして」なんて暴れていたが、結局そのままベッドまで連行され、寝かしつけられる。
「歩けるって、言いましたが……」
「うるさい、大人しくしてろよ病人。美鈴、体温計取ってくれ!」
 不満げに呟く声を遮って、レイスは別の部屋に居る柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)に声を掛けた。「はいは〜い」とのんびりとした美鈴の声。ぱたぱたという軽い足音。
「マスター大丈夫ですか〜?」
 ひょっこりと現れて、美鈴は体温計を手渡す。そして額に手を当てられた。ひんやりと、冷たくてやわらかい手。
「あら〜、お顔真っ赤。熱いですわ、大変ですわ! レイスさん、私氷枕用意しますので〜」
「任せた。……おい、翡翠。計れってば、熱」
 ちょっとした反抗心で熱を計ろうとしなかったら、再び睨まれた。
 「大丈夫ですけど……」と、文句を言いつつも熱を計る。計っている間に、レイスは部屋を出て行った。
 少しの間。ぴぴぴぴぴ、と音が響き、体温計を取り出す。体温計には38度と表記されていて首を傾げた。平熱は確か、35度5分だった。低い、とレイスに言われた憶えがある。
 だとすると、これは高いのだろうか。風邪なんて滅多に引かないからわからない。ただ、立っていたり起きていたりすると辛い。
「ああ、でも。裏の仕事が残っていますし、寝てばかりでは」
 呟いて起き上がろうとすると、伸びてきたレイスの手によってベッドに戻された。
「あらら。見つかりました? 目敏いですね」
「褒められたってことにしておく。何度だった?」
 灰色のパジャマを渡されて、こちらは代わりに体温計を渡す。レイスの目つきが険しくなった。
「起きるな。寝ていろ」
「でも、裏の」
「ベッドに括りつけるぞ?」
 それ以上言うことはやめた。本当にされかねない。さすがに括りつけられるのは勘弁願いたいし。
 うぅ、と唸っていたら、くすくすと美鈴の笑い声。
「濡れタオルと氷枕持ってきました。ふふ、脅したら駄目ですよ? でも、心配してることも確かですから……マスターはゆっくり休んでくださいね。じゃあ、部屋を出ています」
 ふたつを渡して、再び出て行く。
「心配? ですか?」
「当たり前の事訊くな、馬鹿」
 答えが少し嬉しくて、微笑んだ。
「……笑うなよ。着替えは? できるか?」
「はい。大丈夫です、パジャマ貸して下さい」
 着替えていて、視線を感じた。なんだろう、自分の裸なんて見ていても面白くなんてないのに。
「何です?」
「その傷……あの時のせいか?」
「ええ、生まれたときから。レイスのせいかは、知らないです。痣なのかもしれないし。
 あ、そうだ……これ。大事なものですから、失くさないで近くに置いて下さい」
 言いながら、ペンダントを渡す。レイスが頷いて微笑んだ。
「了解。ゆっくり寝ておけ」
「ん……はい」
 頭を撫でられる。なんだか気分が安らいで、気付いた時には眠っていた。

 寝顔を少し眺めてから、レイスは部屋を出て行く。
「マスター、寝ましたか?」
 本を眺めていた美鈴が声を掛けてきて、頷いた。
「ようやくな。しっかし昔の傷が残るとはな……責任感じるぜ」
「それはしょうがないでしょう? 昔、あなたを庇った時の傷でしたっけ?」
「ああ」
「……転生してもそれが残るなんていうのは、珍しいですけどね」
 言い忘れたように、ぽつり、と美鈴が呟く。
「この話は終わり。ところでその本、何を読んでいたんだ?」
「料理の本ですわ。風邪引きにいい食事はなにかしら、と思って。お粥が無難なようですわね」
 どれを作るか。
 二人はレシピを見ながら、眠る翡翠のためにどれにしようこれにしようと話し合うのだった。


*...***...*


  PM 16:15
    ザンスカール某所


 フォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)が風邪を引いた。
 鬼の霍乱。そんな言葉が和原 樹(なぎはら・いつき)の頭をよぎる。
「風邪なんて、俺が引くならともかくフォルクスが引くなんてなぁ」
 思わず呟いて、右手に持った買い物袋を見る。
 果物の詰まった袋。
 ミカンを買った。イチゴも買った。栄養補給にと思ってバナナも買った。それから風邪薬だって忘れてない。
 自分が看病に回るなんて珍しいことだから、買い忘れがないかと不安になってしまう。ただ、そんな不安も含めてちょっと嬉しい。自分だって看病する側に立ってみたかったのだ。

 そうして帰宅したのは、ちょうど食事が終わった頃で。
「樹か」
 フォルクスが食器の乗ったトレイを横に押しやっていた。
「ただいま。食事終わったのか」
「うむ、ショコラッテがな」
「ちょうどいいや。デザートに何か食べるか?」
「いただこう」
 脇にあった椅子に座って、買い物袋からミカンを取り出した。丁寧に剥きながら退屈させないようにと話しかける。
「そういえばさ。さっき外で聞いた話なんだけど、百合園で風邪が流行ってるんだってさ。結構休んでる人、多いみたいなこと言ってた。まぁ、あんたのは魔術の制御に失敗したのが原因だろうけど」
 言いながら、その原因になったことを思い出す。
 月夜に輝くダイヤモンドダスト。きらきらと、月光を受けて反射して。星より眩しく月より綺麗で、手を伸ばしたら冷たくて、儚く消えて行った。その最期まで綺麗だった。
 また見たい。そう思っていたけれど。
 剥いたミカンを、口に運んでやる。
「綺麗だったよ、あれ。術者が反動で凍り付きかけてなきゃ、かっこよかったんだけどなー」
 笑いながら言うと、フォルクスは言葉を真っ直ぐいい部分だけ受け取って、嬉しそうに「そうか」と笑った。
「でもこうして風邪引いてたら駄目だろ?」
「案ずるな。術の構成を見直して、今年中には完璧にしてみせよう」
 じゃあ、また見れる? また見たいと言ってもいい?
「ショコラッテにも見せてやりたいからな」
「……ふーん」
「拗ねるな。誰に見せたいかと訊かれれば、まず浮かぶのはお前の名前だ」
「なっ……拗ねてない」
「ならばそういうことにしておこう」
 反論は諦めた。どう言っても口達者なこの相方には勝つことが難しい。なのでミカンを矢継ぎ早に入れてやった。
 むぐ、とフォルクスが呻いたとき、ドアが開いた。エプロン姿のショコラッテ・ブラウニー(しょこらって・ぶらうにー)が、きょとんとした瞳でこっちを見ている。
「樹兄さん、おかえりなさい。それと……なにやってるの? フォル兄の口から溢れそうよ、ミカン」
「ただいま、ショコラちゃん。ミカンは気にしなくていいから」
「そう? なら、いいわ。それとフォル兄の着替え、そこに置いてあるから。あと、タオルとお湯」
 言いながらショコラッテはサイドチェストに洗面器を置いた。次いで、タオルを樹に渡す。
 その樹が、じっとショコラッテを見た。
「……なあに?」
「いや、機嫌よさそうだなぁって」
「別に? ……ただ、樹兄さんがフォル兄に優しいから。私も嬉しいだけ」
 微笑んでそう言って、食器の乗ったトレイを持って部屋を出ようと歩き出す。
「綺麗にしてあげてね? 樹兄さん」
「綺麗って、えー、あー……うん」
 言い逃げされる形でそう言われて、頷かないわけにもいかない。
 よし、やるか。決めて、フォルクスに向き直る。
「じゃあフォルクス、とりあえず上脱いで」
「なんだ、つまらんな。少しは照れてもいいだろうに」
「何言ってんだか。大浴場とかいつも一緒に行ってるし。これくらいで照れないよ」
 タオルを濡らして、身体を拭く。
 とは言っても、こんなに近くでまじまじと見たことはなかったから、少し照れない……こともない。
「照れないか?」
 見透かしたように言われて、顔が赤くなる。
「ないよ。病人はおとなしく看病されてろ」
 隠すようにそう言い放って、少し強めに擦った。そのせいでバレたのかもしれない。
「では存分に看護してもらおうか。まずは薬を口移しで……」
 調子に乗られた。とりあえず叩いておく。が、手加減は忘れない。
 ただ、これから少しの間、病人というステータス異常をいいことにあれこれ言われるかもしれない。
 気疲れしてそうだ。
 樹は小さく、ため息を吐いた。
「でも正直、嫌な気分じゃないけど」
「? 何か言ったか?」
「何にも」


*...***...*


  PM 16:15
     ツァンダ某所


 青かった空が橙色になり、夕方の訪れを告げる。
 神崎 優(かんざき・ゆう)は、ベッドで眠る水無月 零(みなずき・れい)の長い髪を優しく撫でた。
 昼食にと作ったお粥を食べさせて、それから眠らせて。
 今はもうだいぶ落ち着いたが、朝は酷かった。熱は高いし汗もすごいし見ているこっちまで苦しくなりそうなほど。
 それでも優のことを気遣って「大丈夫」と言う零が心配で、学校を休んだ。
 休ませてゴメン。熱のせいもあってか涙目でそう謝ってくる彼女の頭を撫でて、気にするなと微笑んで、甘えさせて看病して。
 寝かしつけるまでの間に、手を握っていてとお願いされて、以降そのままずっと手を握っていた。昼が夕方になっても。たぶんこのまま夜になっても、こうしている。
 少しばかり退屈だけど、零が安心しきった顔で気持ちよさそうに寝息を立てているから、それも大して気にならないし。
「……ん、」
 と、零が寝返りを打って、
「……優?」
 目を開けた。
「おはよう。気分は? どこか痛くないか?」
「……うん、大丈夫……、あれ? 手、あれ?」
 そして繋いだままの手を見て、うろたえる。その様子が可愛かったから、少し意地悪く笑った。
「離してくれなかったからな」
「う。……ゴメン」
「全然。寝顔見てたから退屈でもなかったし、な。ところで零、喉乾いたりしてないか?」
「ん、少し」
「ハニージンジャーティー、作ってやる。待ってろ」
「色々作れるのね」
 感嘆したような声を上げる零に背を向けて、優は恥ずかしそうに笑った。手を繋いでいた間、読んでいた雑誌に書いてあっただけなのだ。『風邪引きさんに! ハニージンジャーティー』。それだけ。
 喜んでもらえるかな、と思って言っただけ。
 だけど、嬉しい。
「熱いからな。気を付けろよ」
「うん、ありがと」
 ふー、ふー、とマグカップを冷ます零を見て、優はもう一度微笑んだ。
 そんな優を見て、零もはにかむように笑った。


*...***...*


  PM 16:15
     ヴァイシャリー某所


「いいこと、できましたでしょうか」
 沢渡 真言(さわたり・まこと)が、不意にぽつりと呟いた。
 百合園女学院で風邪が流行っていると聞きつけた真言は、その日の授業を終えるとすぐにヴァイシャリーへと看病しに向かった。
 真言の知り合いも風邪に罹っているようだし、元気な他校生である自分が看病すれば、と思って。
 調理室を借りて卵酒を作った。
 卵一個に対して、牛乳120ml。はちみつ大匙1。日本酒を大匙2の割合で、多めに作って配って歩いた。
「ご迷惑じゃなかったでしょうか……?」
「なんだお前。珍しく弱気だな」
 呟いた真言に、マーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)が茶化すように言う。一人で配って歩いていたはずなのに、いつの間にこんな傍に来ていたのか。
「居たんですか」
「居たよ。男子禁制だったから近くで待ってただけで」
「それはわざわざありがとうございます」
「棒読みじゃなかったらもう少しありがたみもあったんだけどな。
 ――ところで、真言」
「なんです、か――!?」
 ぐい、と腕を引っ張られた。バランスを崩して、マーリンの腕の中に倒れ込む。近い。相手と自分との距離が。
「なっ、ちょ、ちょ、なんですかっ」
「お前顔赤いな?」
「そんなことないですよ!」
「声も変だよな?」
「そんなことないです!」
「風邪だとして、俺に隠すのは構わないがな? チビ共に移ったらどうすんだよ」
「……ぅ、」
 そう言われると、困った。
 事実、身体が寒く感じていたし、そのわりになんだか顔は熱いし、頭も痛いし、ぼんやりするし、風邪の諸症状と思わしきものに襲われていたけれど、そうではないと否定したかったのだ。
「看病に来たのに風邪を引いて帰るだなんて、情けない……」
「!?」
「なんて、思ってるんだろ」
「なんでそれを……」
「バーカ。お見通しだよ」
 言いながら、真言を抱き上げてマーリンは歩き出す。……まさかこのまま家まで連れて行くつもりなのだろうか。
「恥ずかしいから降ろして下さい」
「お前さ、人の為にあれこれ本気になるのはいいけど、自分の事も少しは顧みようぜー」
「聞いて下さい人の話を」
「返事は?」
「わかりましたから。私の事は放っておいてください、貴方も移りますよ」
「わかったなら、よろしい」
「だから降ろせと――」
「弱ってる時くらいはお兄さんを頼ってくれてもいいだろ?」
「…………」
 ずるい、と思った。
 そんな風に言われたら、それ以上何も言えなくなる。
「     」
「あ? 何か言った?」
「いえ、何も」
 マーリンへと呟いた言葉は、どうやら聞こえなかったらしい。
 言った後で恥ずかしくなったから、まあ、丁度いいか。
 そう思いつつ、真言はマーリンの肩に顔を埋めた。


*...***...*


  PM 16:30
     百合園女学院 学生寮


 葱を、配っていた。
 葱という名の自分が葱を配って回る。そんなことをおどけて話して、少しなごんでもらったり、葱知識を披露して「おぉ……」と感心されたり。
 風邪引きさんのためにと配る葱で、宣教もして。
「一石二鳥ってこのことだよね」
 九条 葱(くじょう・ねぎ)は一人、微笑む。
 それで、つい寮内だということを忘れてスキップしてしまった。
「こら」
 瞬間、声を掛けられて足を止めた。止めたら縺れた。そして転んだ。
「うゅ……いたたた……」
 顔面着地は、痛い。
 鼻を抑えて蹲っていると、すっと手を差し伸べられた。
「大丈夫?」
 顔を上げた先に居たのは、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)。柔らかに微笑んだ彼女が、葱を起こした。
「鼻が赤くなってますわ」
「ぶつけちゃった」
「痛いの痛いの、とんでけ〜」
「とんでけ〜?」
「飛んでった?」
「うん!」
 そんな会話をして、立ち上がる。
 葱がない。手提げ袋に入った葱がない。袋ごとない。翡翠が葱に託した葱が無い。
 おろおろとしていると、目の前にずいっと手提げ袋が突き出された。
「私の?」
「そうだよ、きみの葱」
「葱の葱?」
「葱ちゃんの、葱」
 渡してくれたセシリア・ライト(せしりあ・らいと)が微笑んだ。つられて笑う。セシリアは右手に洗濯かごを持っていて、その中にはこれでもかというほど山積みの洗濯物。すごいなあ、と思って見つめてしまう。
 と、視線を感じてくるりと顔を横に向けた。メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)と目が合って、ぺこりと頭を下げられた。
「ごめんなさい〜」
 なんだろう、と思っていたが、声でわかった。
「突然声を掛けたおねえちゃん?」
「ですぅ。びっくりさせたり、転ばせたり……なんて、思ってなかったですぅ。廊下でスキップしちゃだめー、って、やんわり注意するつもりでしたぁ……」
 しょんぼりと、なんだかこっちまで悲しくなってしまうくらいに項垂れて、メイベルが言った。
「ごめんなさいですぅ」
「大丈夫だよ! 廊下でスキップしちゃった私が悪いもん。お姉ちゃんは悪くない。あ、そうだ」
 葱は思いついた。手提げ袋の中に手を突っ込んで、葱を取り出して、渡した。
「……葱?」
「葱は風邪によく効くんだよ! 痰や鼻水を抑える効果があったりするの。予防にもなるんだよ」
「風邪に効くのは知っていたけど……予防にもなるのですかぁ?」
「うん。アリインっていう成分がね、風邪のウイルスを体内に入れないように頑張ってくれるんだ!」
 今日、しなれた説明。配り歩いている時に、同じように何回か訊かれたことだから。
 そして、へぇー、という声。ちょっと胸を張りたくなる。
「だから葱はすごいの! お姉ちゃんたちも、食べてー☆」
 そして好きになってー、と宣教。
「そうだ。お姉ちゃんたちは風邪じゃないみたいだけど、何をしているの?」
「私たちは、寮や学校の見回りをしていました〜。風邪引いているのに騒いじゃダメですぅ、って。風邪引きさんに大切なのは、栄養補給と休息なのです。ちゃんと食べて、寝て、早く元気になってもらいたいのです〜」
 そのことを心底から望んでいるというように、笑顔で話す。
「僕はメイベルについて回って、洗濯物の回収だったり食事を作って回ったり、ね」
 メイベルの言葉を引き継いで、セシリアが言う。ぴ、と左手で右手の洗濯かごを指差して、「大漁だったよ」さらに言った。
 お姉ちゃんは? と葱がフィリッパを見ると、くすり、嫣然と笑い、
「わたくしも、メイベル様とセシリアさんの二人と一緒に看病していましたわ。汗をかいた方のお身体を拭いたり、着替えを手伝ったり」
「フィリッパが口説かれちゃったり、思っていた以上に大変だったのです〜」
「病気で弱気になっている方ですから、そういう風に魔がさしてしまうことはありますわ」
 微笑むフィリッパを見て、大人だなあ、と幼いながらに葱は思う。
 いつかあんな風に笑えるのだろうか。翡翠が居ないと、まだ不安な自分に。
「お姉ちゃん、私も、お姉ちゃんみたいな綺麗で素敵なお姉さんになれますか?」
「風邪で寝込んでいる方をお見舞いしてあげる、そんな優しい方ですもの。なれますわよ」
 フィリッパは微笑んでそう言って、葱の頭を撫でてくれた。
 今日のこの出来事を、翡翠に話してあげよう。
 そう思いながら、ただこの手の感触が、くすぐったくて笑った。


*...***...*


  PM 16:45
     ヴァイシャリー某所


 軍用バイクに跨って、メモをとった住所を確認。今日はもう見慣れた、ヴァイシャリーの地図を見て場所を特定。アクセルをひねってバイクを走らせた。目的地は百合園女学院の生徒の家。
 夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)は、百合園の生徒でなければ風邪も引いていない。ごくごく健康的な一人の女性である。
 その彼女がどうして百合園女学院生徒の家に向かっているのかといえば、病院のボランティアだった。
 無理して病院へ来てもらうのではなく、こちらから出向こう。そう思って、バイクに跨って生徒の家へと向かう。
 地図は病院から借りて、生徒の住所は学校に許可をもらって聞いた。そして今日何軒目かになるか、今も家へと向かう途中だ。
 サイドカーに医薬品や食事、食材などを積み込んで、風邪薬も用意して。
 家に着いたら、希望次第で身体を拭いて、着替えをさせて、食事の準備をして、薬を飲ませて。
 必要とあらば、疲労も厭わずにナーシングや天使の救急箱を使用して。
 介護活動に勤しむ一日。
 どうしてこんなことをしているのか、と回っている先で訊かれた。
 百合園に知り合いがいるの? と。
 答えはNoだ。
 個人の立場で、医療関係のボランティアとして各地の病院の手伝いをしているだけで、別に生徒がどうの、というわけではなくて。
 ただ、百合園の生徒に友好的なのは事実で、風邪のことを聞いた時すぐに駆け付けた。
 そんな、友好的に思う相手に、一人で苦しんでもらいたくなくて。
 自分にできることがあるならば、進んでやりたくて。
 ただ、それだけ。
 でも、それだけでも。
「喜んでいただけるなら、それが何より」