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リアクション
●やってきました空京大学!
それから数時間後。舞台は、大学中庭に移動する。
「やってきました空京大学! さすが広いねえ」
説明会を聞き終え、桐生 円(きりゅう・まどか)は学内見学をはじめたところだ。もらったパンフレットを頼りにキャンパス内を練り歩く。昨夜はどす黒い雲が空を覆っていたものの、今日はそれが嘘のような好天だった。
「こんなに天気がいいと、こういう服はちと暑かったりして」
平素と変わらず円は、黒いゴシックロリィタ衣装に身を包んでいるのである。長いスカートの下もガーターベルト、見えない部分のお洒落にも抜かりはない。黒い日傘を差して太陽をさえぎり、
「えーと、心理学科は……」
と首を巡らせたところで『異変』が空から降ってきた。
最初、円はバケツの水でも浴びせられたのかと思った。それほどに冷たい液状のものが、首筋に垂れてきたのである。
「な、なにこれっ!?」
手を触れて引っ張る、つきたて餅みたいな色と手触りをした粘着性のものがこびりついていた。ひやりとした感触は首のみならず、背中全体にも及んでいて凄まじい違和感だ。このねばねば、思ったより大きいらしい。
「この……」
ぐいぐい引っ張って剥がそうとするも、白い『ひんやりねばねば』は抵抗するように身を絡めてくる。そればかりか円の後ろ髪を引き、服にしがみついてくるではないか。
「何考えてんの? 大学は来客にこんな歓迎をするの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
一瞬で頭に血が上って、円は後ろに回した腕に渾身の力を込めた。べりりと音がしてゴム状のアメーバじみた姿が体から離れるや、円はこれを背負い投げの要領で地に叩きつけた。ばしゃっ、という破裂音とともにゴム怪物(?)は、風呂敷、あるいは陸に上がった蛸のように伸びてしまう。
「大学はネタでこういう研究もしてんの!?」
むっとする匂いに円は顔をしかめた。まるで、束にした輪ゴムを鼻に押しつけられたような気分だ。円は即座に銃を抜き、こいつにありったけの弾丸を撃ち込んだ。ゴムはぴしゃぴしゃと波打って、やがて硬化し萎びてゆく。
「失礼千万よね、こいつ。誰かのイタズラなんだったらとっちめてやらなくちゃ」
誰か隠れて観察しているかも、という気になって円は周囲を見回すが、どうやら事態はそれどころではないらしい。
「……!」
声にならない悲鳴を上げ、円はヘルファイアを放射した。
なぜって背後から、同じ色の怪ゴムがわらわらと追ってきていたからである。
さてその頃、空京大学にいくつかあるカフェテリアの一つでは……。
カウンターから顔を見せるのも大変だというのに、ノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)は説明を強いられていた。背伸びして身長の低さを懸命に補いつつ声を上げた。
「私は大人です。大人!」
とはいっても、と、カフェの店員は困ったような顔をするのだが、ノルニルはその店員を引っ張り下ろすくらいの勢いで告げた。
「こう見えても成人、5001歳なんですからっ」
話の発端は、ノルニルの契約者神代 明日香(かみしろ・あすか)が大学見学を兼ね、調査レポートを作成したことにある。
レポートのテーマは、『空京大学の食堂スイーツ編』(仮題)、学部学科ごとに複数ある学食やカフェテリアを巡って、スイーツ調査をしようというものだった。甘いもの好きのノルニルに否やはない。さっそくカウンターまで赴き、アルコールを使ったアイスを注文したものの、どう見ても子どもゆえ拒否されてしまったのである。
(「いつもお酒のために大人……? をアピールするノルンちゃんは大変ですよね」)
気づいて明日香が助け船を出した。
「ノルンちゃん、東シャンバラ国民証には年齢も記載されていると思いますよ。見せれば良いのでは?」
「そうでした」
ノルニルはポケットを探り、店員に国民証を突きつけた。
「ほら、わかったでしょう?」
得意げな表情でデザート皿を奪い取る。ふん、と鼻息が聞こえるほどだ。
ノルニルが選んだのは、フローズンカクテル(カシスベース)のアイス添えだった。淡いオレンジ色のカクテルと雪白のアイスの組み合わせが目に優しい。アイスの周囲にはたっぷりとキャラメルソースがかかっている。
「ああ、この組み合わせの美しさといったら! 香りも最高ですっ」
さっきの不機嫌もどこへやら、ノルニルは夜空の星のように目を輝かせていた。いそいそと席について、さあ一口……といったところで出し抜けに、なにやらチョコレート色のものが飛び出て来て、皿から一息にフローズンカクテルを掠め取った。
「あれ?」
「ノルンちゃん!」
明日香が指したその場所に、スライムに似たゴム状の存在があった。クラゲのようにと中央部を膨らませ、奪い取ったフローズンカクテルをもしゃもしゃと咀嚼している。
「あーっ! せっかくの楽しみが!」
がたん、と席を蹴ってノルニルは立ち上がった。目には、怒りの炎が真っ赤に燃えている。
「こいつめ!」
呼ぶは雷サンダーブラスト、空気がチリチリと音を立て、コピー機の紙やカーテンなど、軽いものが稲妻に吸い寄せられ宙を舞った。室内だというのにおかまいなしで、ノルニルは最大電力を浴びせたのだ。
しかし駆け抜ける雷光もさしたる注目を集めなかった。その頃すでに、カフェテリアは大混乱に陥っていたのである。カフェテリアのほうぼうで、忽然と出現したゴム怪物たちが、カラメル味のスイーツを食べている人からこれを奪い取っているのだった。
「効かない!?」
ノルニルはたじろいだ。褐色の怪物はうにうにと収縮を繰り返しているが平気な風である。そればかりかノルニルの皿に近寄って、残るアイスも奪おうとしているかに見えた。
「楽しみにしていたアルコール分を奪った上、残る希望のアイスまで盗み食いする気ですか!? 許しません!」
ノルニルはマジカルステッキを掲げた。ゴムゆえ雷が効かないというのなら、今度は炎で焼き尽くすまで。
一方で明日香は、周囲の状況にも動じずノルニルに呼びかけていた。
「ノルンちゃん、アイス、放っておくと溶けちゃいますよ? ノルンちゃん?」
だが返事がないので、
「勿体ないですね……では、いただいてしまいましょう」
と、腰掛けてアイスを口に運ぶのである。傍らでは、ノルニルの発した火炎を怪ゴムが避けたりしているが明日香は気がつかない。
「どれどれ、シャンバラ山羊のミルクアイスに適う物はあるでしょうか」
スプーンでさくりとひとさじすくう。カラメルのかかったアイスをおもむろに口に運んだ。
さらさらしていて、新雪を口に入れたようだった。口当たりこそ軽けれど乳脂肪の割合は高く、丸みのある濃厚な甘さが舌の上で溶けていった。シャンバラ山羊のミルクアイスとはまるで性質が異なるものの、これはこれで忘れがたい、一瞬恍惚となるような味わいだった。空京大農学部の飼育牛からとったミルクを、ふんだんに使って作ったものだという。
「美味しい……」
溜息が洩れた。明日香は眼を細めていた。すぐ近くで、ノルニルが氷術を駆使して戦っていることも忘れた。
二口三口と味わううちに、ついにアイスはすべて、明日香の舌に溶けてしまったのだった。
そのときようやく、息を荒げながらノルニルが戻ってきた。不利を悟って逃げ出した怪ゴムを追って、外まで出ていたという。
「あれ? 私のアイス……」
事情を察し、ノルニルはがくりと膝を折った。
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