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第10章



 後半戦が始まった。
 両チームの攻撃も守備もそれぞれ苛烈を極めた。
 黒の陣地では「バーストダッシュ」「軽身功」を使える者達が凄まじい速さで入り乱れ、青の陣地では時折真上にボールが上がり、滞空していた黒チームの選手がそれに合わせて青のゴールにシュートを打ち込む。
 観客席から見れば、優勢なのは黒の方だった。
 前半に出された「緋双」は、使い手がサッカー部員も含めた数人がかりのマークを受けてボールが全くつながらない。が、黒チームのスキルシュート使いは他にもいる。青のゴール内には、キーパーの他にもうひとり回復要員がついて、スキルシュートをブロックした際のダメージをまめに回復するようにはしているが、続けざまにシュートを叩き込まれるプレッシャーは、スキルで回復するものではなかった。
 ボールの主導権を青が握る事があっても、反撃はことごとく潰された。ロングパスは「ダッシュ使い」によって阻まれ、ドリブルによる強行突破は進路にルカルカ・ルーが立ちふさがって「メンタルアサルト」で気勢を削ぎ、その隙に別なプレーヤーが横からボールをさらう。
 一方、黒のゴールはただでさえ守備の機動性が高くて堅固だというのに、キーパーのひとり、霧雨透乃がゴールから出て広大なペナルティエリアを自由に動き回るので、攻撃部隊は攻めあぐねた。スキルシュートをキーパー自身に叩き込んで撃退を図ろうとしてもびくともせず、累積したダメージもゴール内に待機しているヴァーナー・ヴォネガットが瞬く間に回復する。ボールを奪われないように、青の攻撃部隊がむしろ必死に守っている、という気配すらあった。
 ――こりゃあ、黒の得点も時間の問題だな。
 ――今回は、黒の勝ちか?
 そんな空気が流れ始めていた。

「……困りますね。勝手にこんなことをされては」
 浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)は、机の上に山と積まれたスナック菓子を見て嘆息した。
「その、別に悪気があったわけじゃないんだよ?」
 フラン・ミッシング(ふらん・みっしんぐ)は弁明を試みた。
「規模が前より小さくなったっては言うけど、こんな試合だもの、応援してるうちにお腹すいたり喉渇いたり、ってことも当然あると思うんだよね?
 だから、そのニーズに応えようとしただけだよ。それだけだってば」
「当たり前です、悪気なんてあってたまりますか」
 浅葱翡翠はピシャリと言い放った。
(……だから手伝いたくなんかなかったんだ)
 鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は、フランの横でゲンナリした顔をして溜息をついた。
 ──何やら面白そうなイベントがあるというので身内と連れ立って来てみたら、身内のひとりが山と持ち込んだ菓子ジュース類を「はい、これ氷雨の担当」と一方的にこちらに押し付け、客席回って小銭を稼ごうと言い出した。
 やる気なんてカケラもない状態で「じゅーすにおかし、いかがっすかー」なんてやってたら警備の人に「その販売は許可を取っておるのか?」と声をかけられて、「知りません」と応えたら「ちょっと来てもらおうかの?」と実行委員会のテントまで連れて来られ、現状に至る。
 奥の方には、この試合の準備に携わったであろう実行委員会のメンバーのほとんどが、まとめて机に突っ伏している。事前の準備や調整が相当大変だったのだろう。イビキまでかいて眠っている者達に眼を覚ます気配はなく、起きている者達も気力だけで辛うじて保っている、という案配だ。精も根も尽き果てたのだろう。
 また、「給水所」を謳っていながら、コーヒー豆やサイフォン等がやたら充実しているテントの中身にツッコミを入れる気力も、今の鏡氷雨にはない。
(うぅ……普通に試合見ていたかったよぉ)
「お客さんに飲食物を配るのが悪いわけではありません。それを有償でやるのも全くダメというわけではありません。問題なのは、どうしてこちらに話を通しておかなかったか、ということです」
 浅葱翡翠の顔は険しい。
 以前の試合で、勝手に危険なドリンクがあちこちに配られた事がある身としては、こういう件についてはどうしてもデリケートにならざるを得ない。
「万が一、万が一ですよ? そちらの用意したお菓子や飲み物を摂った人が体の不調を訴えた場合、それは私達、実行委員会の責任になるんです。仮に私達があなた方を吊るし上げて『悪いのはこの人達です、僕らは悪くありません』って言った所で、それで事は収まると思いますか?」
「いや、そしたらそしたらで、責任はこっちに……」
「お客さんが納得するはずないでしょう!?」
 ばん! と浅葱翡翠は長机を叩いた。鏡氷雨とフランは首を竦めた。
「騒ぎが大きくなれば、以後こういうイベントが開けなくなるかもしれないんです! そうなったらその責任はどうやって取るっていうんです!?」
(……フラン)
 鏡氷雨は肘でパートナーを小突くと、「すみません」頭を下げた。
「知らなかったとは言え、実行委員の皆さんにご迷惑をかけました。反省します。どうもすみません。
 フランには私からよく言って聞かせますから」
「……氷雨君、何も謝ることなんて……」
「ここは謝る所なんだよ。はい、ごめんなさいをしなさい」
 鏡氷雨はフランの頭を押さえると、無理やり頭を下げさせた。
「……『ディテクトエビル』による精査完了。ふむ、毒はないようじゃの?」
 ふたりを連れて来たアルス・ノトリアが言った。
 だから言ってるのに、とまた文句を言いたそうなフランを、鏡氷雨は睨みつける。
「何にせよ、こちらのお菓子と飲み物の山は、本日の日程終了まで預かります」
(うう……予定していた稼ぎが……)
(いいから黙ってなさい)
「代わりに、お二人には別なものを配ってもらいましょう」

「──えー、コーヒー紅茶緑茶にスポーツドリンク、お汁粉はいかがですかー!」
 にこやかな顔で、鏡氷雨は朗らかな声を出しながら観客席の通路を歩いていた。
「コーヒーは、各種ブレンド取り揃えておりまーす! もちろん“無料”でーす! お気軽にお声がけくださーい!」
「氷雨君、なんだかとっても嬉しそうだね……?」
「そりゃあそうでしょ? 実行委員のひとから怒られたのに、追い出されずに済んで、『これやったら許してあげる』っての言われたんだもの。悪いことやって、謝らせてもらえたり失地回復のチャンス与えられるってのは、喜ぶべきことなんだよ。分かるかな?」
「……本当にそれだけ?」
 鏡氷雨の後ろについて歩くフランは、紅茶・緑茶・スポーツ飲料・コーヒー各種ブレンドごとに詰められたポットをごっそりと肩から提げ、手にはお汁粉の入った大きなアルミの手提げ容器と使い捨てプラ食器の入った紙袋を持っていた。言うまでもなく、かなりの重量だ。
「もちろんそれだけだよ? ボクがフランの事、いい気味だなんて思ってるわけないじゃないか!?」
「あー、思ってるんだね? はいはい」
「思ってるわけないって言ってるでしょ?
 ほらほら、ちゃんと笑顔浮かべて、観客の皆さんにちゃんと飲み物食べ物取ってもらおうじゃないの!」
「……無料でだけどね」
「追い出されなかったってだけでこっちは値千金だよ! はい、がんばろー!」
「氷雨君、ちょっと荷物持ってくれない?」
「──えー、コーヒー紅茶緑茶にスポーツドリンク、お汁粉はいかがですかー!」
「これ、すごく重いんだけどさ」
「お気軽にお声がけくださーい!」
 客席の中、鏡氷雨の明るい声が響き渡る。


(「イルミンスールのマイト」の仕上がりは、問題がなさそうだな)
 フィールドを見ていた近藤勇は、ベンチから立ち上がるとトレパンを履き、コートを羽織った。
「ちょっと外すぞ」
 残っているアテフェフや魯粛子敬にそう告げると、彼はベンチから出た。選手入場用のゲートから一度外に出て、観客席に上った。
 通路を縫うように歩き、試合中大体の見当をつけていた辺りに出て見渡す──
(いた)
 近藤勇は、殺気と自分の気配を極力殺し、探していた相手の後に向かった。

「おらァ! 殺っちまえ! ヒャッハ……!?」
 フィールドに注視し、喚声を上げていた南鮪が突然黙り込んだのは、背後から殺気を感じたからである。
「動きたければ動いていもいい」
 背後の気配は、押し殺した声で告げた。
「ただし、動いた瞬間お前の延髄は断たれる」
「……なんだよ、あんたは?」
「通りすがりの新撰組だ。身内が世話になったようだからな、礼をしに来た」
「……な、何だよ。ちょっと試合をしただけじゃねぇか? 別に殺したわけじゃねえぜ?」
「そうか、あれが試合か。なら、俺がお前に仕掛けるのも試合だな?」
 仕掛け──その直前に「必殺」という言葉を思い浮かべ、南鮪は背筋を冷たくした。
「試合のルールは簡単だ。俺とお前、どっちが先に相手を殺すか」
「……いきなり相手の背中取って試合はねえんじゃねぇのか? 『武士道』としてどうなのよ?」
「お前が実は『根回し』をしてこの観客席一帯を手下で固めている可能性はあった。こちらは危険を踏み越えてこの優位を得た。いきなりゴブリン数十人を率いてひとりに一方的な『試合』を申し込むのに比べれば、遥かに正当な手続きだ。そうだな?」
「……」
「そうだな?」
「あぁ、そうだ。そうだともさ」
「同意を得られて何よりだ。
 さて、これからお前をどうしたものか?」

「……こちら南東方面中段観客席・神崎優。トラブル発生の気配あり。手すきの応援を求む」
「こちら実行委員本部テント、浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)。詳細をどうぞ」
「以前のサッカーでやらかしたモヒカン頭と、うちの知り合いが揉めているようだ。ふたりとも、煮詰まったら何をしでかすか分からない」
「水無月零、そちらに向かいます」「神代聖夜、応援に行く」「刹那、そっち行きます」
「御剣紫音、すまん、手が離せない」
 神崎優は、離れた位置から客席の一画を睨みながら、「知り合い」に向けて祈った。
(早まるなよ、近藤さん……!)
 こういう事があるから、俺は選手参加なんて出来ないんだ――神崎優は心中で呟いた。

「なぁ、新撰組さん……ここで騒ぎを起こしたら……」
「何だ」
「騒ぎ起こしたら……せっかくあんたの身内が活躍しているこの試合、ポシャっちまうんじゃねぇのか?」
「その心配はいらん。死体になった事さえ周囲に気づかせない殺り方というのも、心得ているつもりだ」
「勘弁してくれ……俺は試合がしたかっただけなんだ」
「なら俺の方も勘弁してくれ。俺はお前と殺し合いをして、勝ち残りたいだけなのだ」

 駆けつけてくれた応援が、配置についた。
 客席守護担当の紫月睡蓮も、フィールド内から「現場」に向けていつでも仕掛けられる態勢に入っている。
 神崎優は深呼吸をして現場に歩いていった。
 急がなければならないが、走ってもいけない。煮詰まっている当事者をうかつに刺激するのは危険だ。
「……あれ、近藤さん?」
 神崎優は何気ない風を装って、後ろから呼びかけた。
「どうしてこんな所にいるんですか? 選手だったはずでしょう?」
「む、神崎か」
 南鮪の後ろにいた近藤勇は、眼だけを向けて答える。
「ちょっと、観客席に意外な顔を見つけたものでな。身内が色々世話になった相手だから、その礼も含めて挨拶に来たまでよ」
「なるほど。ですが、仮にも選手が試合中にフィールドを抜け出す、というのはどうでしょうね? すぐ交代が必要になるかもしれませんよ。何せ試合が試合ですから」
「何、あとちょっとで済む話だ」
「一応警備も実行委員でして、円滑に日程が進むように努めなければなりません……積もるお話もあるでしょうが、ひとまずここはベンチに戻ってはくださいませんか? 観客が、『選手が身近にいる』、なんて事を知ったらまた騒ぎになりかねませんので」
「俺は大した活躍はしていない。誰にも分からんし、騒ぎにもならんさ」
「運営は常に最悪のケースを考えなければならないのですよ。ここは俺の顔を立ててはくれませんか?」
「……ふむ。そう言われては仕方がない」
 近藤勇は手を伸ばし、南鮪の肩を叩いた。
「……この試合の警備というのは、実にいい仕事をしている。観客にケガ人や死者を出さないように、気配りを絶やさない。大したものだ。
 そうは思わないか?」
「……あぁ、そう思うぜ」
「身内があそこまで仕上がったのは、どうやらお前が一因でもあるし、本人にも特に含む所もなさそうだ。その礼として、その首が胴体の上に乗っかっていることは今は許してやろう。
 ……命拾いをしたな」
 近藤勇は立ち上がり、観客席の出口に向かった。
 その姿を見送ると、神崎優も南鮪の肩を叩き、耳元で囁いた。
「何をしたかは知らないが、あの人を怒らせるのは止めた方がいい。次は命がないぞ」
 南鮪は何も答えなかった。答える余裕などなかったのだ。