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第8章



 青チームゴール前近辺では、朱桜 雨泉(すおう・めい)がコーナーキックを宣言した。
 替えのミカンボールを確保したマイト・オーバーウェルムがコーナーに立ち、「空飛ぶ魔法↑↑」で跳んでいる遠野歌菜にボールを渡す。遠野歌菜は、ボールを青ゴール前へセンタリング。
 ダリルはザカコを見ると、
「緋柱をゴール前に浮かせ」
と指示。ザカコは頷くと、緋柱陽子に「奈落の鉄鎖」を働かせ、体をセンタリングに合わせようと企む。
(……イヤな展開だな)
 葛葉翔が舌打ちした。地上からのシュートだとブロッカーの数も多いが、空中からだとそれも限られる、という判断だろう。
 青チームベンチで、クレア・シルフィアミッドがサインを出した。
 炎と稲妻がベンチの上の空間を走り、いい知らせと悪い知らせの両方を伝えてくる。
  「青チーム先取点」
  「グラスボール、青ゴール前に進行」
 そのサインが出ると同時に、風森巽から蹴り出されたグラスボールが飛鳥桜に繋がった。
「親分! もういっちょ行くよ!」
「まぁかしときぃ! 今度は決めるでぇ!」
 グラスボールが炎をまとい、ロランに渡った。

「ボールの主導権が両方黒に行っちゃったわねぇ? 青の皆さんは油断しちゃったかしら? ふ、ふ、ふ」
 刹姫が含み笑いをもらす。
「なかなか面白いゲーム展開ですね、失点直後が得点の最大のチャンスとは……上手くいけば、両方のボールをゴールにねじ込めて、逆に勝ち越せます。前半の時間も残り少ないから、青からの反撃はムリでしょう」
 エッツェルが顎に手をあてがい、ニヤリと笑う。
「前回の試合の前半にも同じような展開がありましたね……なかなか厄介なゲームバランスです」
 マザー・グースもそう言いながら、試合の流れに一層注視する。

 青のディフェンダーらは、次のように動いた。
 飛鳥桜+ロランアルトのコンビシュートには、葛葉翔、高峰結和、安芸宮和輝、安芸宮稔、セルマ、咲夜由宇がブロックに。
 そして、空からの緋柱陽子の「緋双」には、秋月桃花とミスティの守護天使ふたりと、「バーストダッシュ」でジャンプしたルータリア、「龍飛翔突」でジャンプした赤羽美央がブロックに入った。
(あらあら……これはサッカーですよ、皆さん?)
 目前に跳ぶ青のプレーヤーを見て、緋柱陽子は苦笑する。
 空から撃ち込まれるシュートに、いちいち反応して飛び上がるなんて。まるで、バレーボールのようではないか。
(邪魔なんですよ、少し眠っていなさいな!)
 「封印解凍」。
 「紅の魔眼」。
 その後、緋柱陽子は「ヒプノシス」を使った。
 敵全体を眠りへ誘う――いや、眠りへと「叩き落とす」波動が彼女より発した。
 地上では、青のゼッケンをつけた選手が次々に糸の切れた人形のように動きを止め、その場に崩折れる。
 そして、空中では飛び上がっていたブロッカーらが、惰性で空に浮いたまま、意識を失った。
 地上と空とで、それぞれ「ファイアーボルト・フルバースト」と「緋双」が青ゴールに向けて宙を貫いた。
 ふたつのボールはネットを揺らし――

(いかん!)
「全念動使い! 落ちてくる青ディフェンダーをカバーしろッ!」
 ダリルが叫ぶ。
 ダリル他、指示を受けたトマス、ザカコら黒チームの「念動使い」及び「重力使い」他、客席守護の任についていた空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)紫月 睡蓮(しづき・すいれん)らも、自由落下を始めた彼方の青チームの選手に向けて眼を凝らし、「サイコキネシス」を働かせる。
 もともと選手は、フィールドへの装備品の持ち込みが制限されている。ただひとりの例外を除けば、空で昏倒した青の選手は辛うじて軟着陸を果たした。ゴールキーパーのひとり、ルータリア・エランドクレイブにしても、防具と呼べるようなものは「ヴァンガード強化スーツ」と「怪力の籠手」程度に留まっていた。
 例外とは、赤羽美央だ。
 「コキュートスの盾」、「ヴァーチャープレート」という重装備がもたらす負荷は、数の限られた「念動使い」及び「重力使い」のカバーしうる閾値を遙かに超えていた。
 赤羽美央が昏倒から目覚めたのは、地面に激突した瞬間だった。
 最初に耳にした音は、右肩から聞こえた鈍い音だ。
 同時にそれは彼女の芯に熱気と冷気とをもたらした。
 彼女は反対側の腕で右肩を押さえ、地面の上でうずくまった。
 悲鳴は上げられなかった。口から洩れるのは歯軋りと、呻き声のみ。
 本当の痛みというのは、泣き叫ぶことさえ容易ではない。
(あれ……あのキーパー、落ち方なんだかおかしくなかった?)
(……動いているから、一応生きているんだよな?)
 一部の観客席がどよめき始め、やがてブーイングが広がり始めた。
(美央ちゃん!)
 フィールド外周を巡回していた四方天唯乃は、レッサーワイバーンを駆り、青ゴール前まで飛んだ。

 武神牙竜は一度だけ得点ホイッスルを鳴らし、地面に降り立った緋柱陽子に向けてイエローカードを差し出した。
「納得できません」
 緋柱陽子が睨んでくる。
「『ヒプノシス』が禁止スキルだなんて、聞いていませんが?」
「使い方に重大な問題がある」
 武神牙竜は答えた。
「滞空中の相手を眠らせたら、眠ったままの状態で転落する。受け身も取れずに、だ。どんなに鍛えた『契約者』だって、頭から落ちて首の骨でも折れば即死だ。本当ならレッドカードどころじゃない、殺人未遂で警察沙汰だ!」
「そうですか? ならどうぞご自由に」
 緋柱陽子の眼に、凶暴な光が宿った。
「……もっとも、そちらがそういう気ならば、こちらも大人しく言う事を聞く気はありませんよ?」
 武神牙竜はイエローカードを胸ポケットに仕舞い、指でレッドカードを探った。空いている手で、後ろ腰に下げている携行用機晶キャノン――「アームストロング砲」のグリップを掴む。
「……審判、待って欲しい」
 ダリルが割り込んだ。
「こちらの危険なプレイだったのは重々承知している。だが、競技に没頭する余り、こちらにできる事を全てやろうとした、してしまっただけだ。相手チームの選手への悪意があったわけではない」
「……ちょっと、何を勝手に話を進めて……!」
「いいからちょっと黙ってろ!」
 ダリルは緋柱陽子を一喝した。
 武神牙竜はしばらく考え、胸ポケット内の指を外に出した。
 カードは何も持っていない。
「……もちろん、その通りだろう。また、黒チーム選手による墜落者へのフォローも紳士的な態度として考慮に入れたい。
 よって、黒チームの緋柱陽子選手への処分は、イエローカードにとどめる。ゴールに入ったふたつのボールのうち、グラスボールによる得点を認める。
 なお、今後は試合中の『ヒプノシス』の使用を全面禁止とする」

「このやろーッ! ふざけんなーっ!」
「両方とも無効だ無効!」
 観客の一部が立ち上がり、スタンドの柵にに手をかけようとしていた。
「落ち着いて下さい! みなさん落ち着いて!」
 警備担当の神崎優、水無月零、神代聖夜、陰陽の書刹那、御剣紫音、綾小路風花、アルス・ノトリア、アストレイア・ロストチャイルドらは暴徒と化しつつある観客らを必死に抑える。
 が、鎮静化の気配はない。ひとりふたりならともかく、数十人単位の騒ぎを穏便に鎮める方法などそうそう思いつくはずもない。
「紫音!」
 アルスが叫んだ。
「わらわは『バニッシュ』を使うぞ! 良いな!?」
「バカ、止めろ!」
 御剣紫音は大声で制止した。
「お前の魔法は洒落にならん! 人死にが出るぞ!」
「しかし……このままでは、暴徒が、フィールドに出て……!」
 その時、柵の内側、観客席の前に『サイレントスノー』が立った。
 彼は大きく息を吸い込むと、胸の奥、腹の底から響く声で、
「静粛に!」
と怒鳴りつけた。
 騒ぎがピタリとおさまった。
 スキル「警告」を使ったのだ。
 『サイレントスノー』は言葉を続けた。
「サッカーとはもともと危険なスポーツです、負傷で中途退場は珍しくもありません。
 心配無用、赤羽美央はこの程度でどうにかなるようなやわな鍛え方はしていません」
 そう言い放つと『サイレントスノー』は青チームのベンチに戻り、再びハーブティーをすすり始めた。

(意外と人気者だったのだな、あの青チームのキーパーは)
 中原 鞆絵(なかはら・ともえ)の頭の中で声が響いた。ナラカ人として憑依状態になっている木曾 義仲(きそ・よしなか)の声である。
「あの選手は、前回のサッカーの試合で大活躍した選手ですからね。ファンも多くなった事でしょう」
(……しかし、あの騒ぎ、もったいなかったな)
「恐ろしいことを言わないで下さい。警備が我先に暴れてケガ人出すなんて恥ずかしい事、もう私は御免です」
(警備が力を揮ったとしても、今のような場合なら仕方なかろう? リカインなどはあの魔鎧が一発で騒ぎを静めた事に対して「余計な事を」などと思ってるかも知れないなぁ?)
「もしそうだったら、またクギを刺してやりますわ」

 ふたつのボールがセンターサークルまで戻された時、武神牙竜は前半終了の笛を鳴らした。