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【一 灼熱の追跡】
ツァンダ最東端に位置するバスケス領は、峻険な山岳地帯が多い他、シャンバラ大荒野と領境を接していることもあり、灼熱の岩石砂漠が地続きとなって領内の広い範囲にまで広がっている。
住み易い土地とはいい難く、領内で文化的な生活が可能であるのは、領都バスカネアの他、ダントン、ザディス、ペデディ、ブリル、シャディンといった農耕村落が点在するのみである。
だがそれでも、このバスケス領が貴族の領地として成り立っているのは、鉱山物資が豊富であり、バスケス家直轄の鉱山経営がそれなりに収益をもたらしているからに他ならない。
つまりバスケス領は緑豊かな自然には恵まれておらず、殺風景な岩と砂が視界の大半を占める、無味乾燥な大地の連鎖によって構成されているのである。
降水量は多領に比べても極端に控えめであり、加えて河川の数も驚く程に少ない。
これだけ過酷な環境でありながら、領主も領民達も、よくぞ我慢して日々の生活を送っているものであると、他領の貴族達は感心してしまうというような有様であった。
この過酷な環境というものはほとんどの一般人にとっては忌むべき存在である筈なのだが、一部の物好き達にとっては逆に、これ以上は無いという程の優秀な鍛錬場として機能しているらしい。
しかしこのバスケス領は、一歩でも文化圏の外に足を踏み出してしまうと、死と隣り合わせの厳しい現実が猛獣のように襲いかかってくる。たとえコントラクターといえども、自身の能力と装備を過信して甘く見ると、手痛いしっぺ返しを食らわされてしまう土地であった。
そんな中エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、バスケス領の脅威を十分に理解しており、決して舐めてかかっていた訳ではないのだが、それでも命の危険に接する程に衰弱し、このまま行き倒れて帰らぬひととなるのではないかという危機に瀕していた。
ザディス集落近くの鉱山道路。
ほとんど舗装らしい舗装は施されておらず、剥き出しの大地に、轍が無理矢理に路面を構成しているという岩場の合間の細い路上で、エヴァルトは容赦無く降り注ぐ灼熱の陽光にさらされ、ほとんど干上がりかかっていたといって良い。
コントラクターたる自分が、まさかこんなところでナラカの淵を覗き込もうとは思っても見なかったエヴァルトだが、現実に彼は、身動きもままならず、熱い路面上で大の字になっている。
もう何時間もこの状態が続いており、流石にもう、人生終わったか――そんな諦めの念がじわりじわりと彼の意識を蝕んでいた。
しかし、捨てる神あらば拾う神あり。
偶然通りがかった荷車の一団が、エヴァルトのミイラ化を未然に防いでくれた。
「おい、あんた、大丈夫か?」
そう問いかけられ、エヴァルトは気力を振り絞って何かを答えようとしたのだが、結局そこで意識が途切れ、後はもう、何がどうなったのか、自分でもよく覚えていなかった。
* * *
ところ変わって、シャンバラ大荒野。
バスケス領との領境を南北に伸びて形勢するバグラック砂丘を、五台のジープと二台のキャンピングカーという構成の一団が、砂丘のど真ん中に現れた石造りの建造物群に遭遇し、散開して停止した。
「……見つけたぞ。モルガディノ遺跡だ」
外門に当たる位置に止めたジープの助手席から、70歳とは思えぬ軽やかさで降車した気象研究学者クレイグ・バンホーンが、幾分緊張した声音を喉の奥から搾り出した。
強烈な陽射しの中で、バンホーン博士の目の前に屹立する石塔は、強烈な砂風と灼熱の陽光によって外装がほとんど剥げ落ちてしまっており、無残な姿を蒼い天空の下にさらしている。
渋い表情でその石塔を見上げているバンホーン博士の傍らに、叶 白竜(よう・ぱいろん)と世 羅儀(せい・らぎ)の、ふたつの長身が並んで陰を伸ばした。
ツァンダ領内にピラー出現の疑いありとの連絡を受け、教導団の災害調査部門から指示される形でバンホーン博士の調査団に加わったふたりだが、彼ら自身も少なからずピラーという特殊な巨大竜巻の存在に興味を惹かれており、積極的にバンホーン博士の調査活動に協力する姿勢を見せていた。
「ここの地下に、かつて存在した旧キマク管掌モルガディノ書庫がある筈、なのですね」
白竜の問いかけに、バンホーン博士は厳しい色を浮かべたまま、小さく頷き返す。白竜の傍らで、羅儀が厚手のライダーズグラブを外し、汗を拭いながら小さく笑う。
「それにしても、今回は地味な調査の連続だねぇ……ま、幸いにして綺麗どころが少なからず参加してくれているのには、大いに感謝しなくちゃいけないかな」
キャンピングカーから降り立つ幾つかの華奢な影に、羅儀が目を細める。白竜はやれやれと小さく肩を竦めるものの、この時になってようやく、バンホーン博士の口元に、苦笑めいた笑みが浮かんだ。
このバンホーン調査団には羅儀がいうように、女性の姿が少なからず散見される。
いずれもコントラクター達ではあったが、殺風景な絵の中では、彼女達の存在はより際立って見えた。
その女性陣の中から、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が外門前に佇むバンホーン博士達のもとへ足を急がせてきた。
「博士、貴重な資料をありがとうございました。移動中、結構な時間がありましたので、大方は読み終えることが出来ました」
礼を述べるロザリンドだが、しかしその美貌は幾分、表情が冴えない。その理由を、白竜は何となく察していた。
「それで、収穫の方は如何でしたか? 僭越ながら私が察するに、学会に発表されている以上の情報は得られなかったというところではないでしょうか」
「……流石に、おっしゃる通りですわ」
ロザリンドが逆らわずに肯定し、小さな溜息を漏らす。するとその傍らに、桐生 円(きりゅう・まどか)のか細い体躯が佇み、精一杯手を伸ばしてロザリンドの頭上に日傘を差し掛けて来た。
「ほらほらロザリン、こんな暑いところで日傘も差さずにうろうろしてたら、すぐ真っ黒になっちゃうよ」
呆れ気味にいう円だが、彼女の表情もロザリンド同様、あまり機嫌の良さそうな色には染まっていない。
実のところ、円とロザリンドはそれぞれ手分けして、これまでにピラー関連で発表されている論文や古代の文献の写しなどを、相当な時間を費やして調査していた。
勿論ふたりして同じことを調べても時間の無駄であるので、ロザリンドが聖石クロスアメジストについて、そして円がピラーに関して幾つもの論文を発表している冒険家カニンガム・リガンティと、その論文に語られるピラーそのものについて調査する、という役割分担をそれぞれに課していた。
ところが白竜がロザリンドに対して指摘したように、過去にピラーが数百年単位で、特定の地域内で発生したという事実までは把握出来たものの、それ以上の内容は十分に解析するには至っておらず、辛うじてクロスアメジストがピラーと何らかの関与を持ち、更にナラカや亡者の怨念といったキーワードが暗示的に散見される程度であるところまでしか分かっていない。
だが、全くの手詰まりという訳でもなかった。
カニンガムの論文中に、旧キマク管掌モルガディノ書庫について触れられている箇所があるのを、円とロザリンドが発見したのである。
これまでほとんど誰も注目していなかったこの古代の書庫だが、意外にも最後に発生したピラーの収束地点に近い位置にあることが判明し、ここを今まで調べていなかったのはバンホーン博士にとっては痛恨の極みだったとさえいわしめた程の発見であった。
カニンガムがクロスアメジストを発見したのも、このモルガディノ書庫近くだったのだという。
ふたりの報告から、バンホーン博士は早速調査団をモルガディノ書庫方面へと転進させ、そして今ようやくにして、目的地に辿り着いたのだ。
ここで何か新たな発見があるかも知れない……彼らの表情に期待の色が浮かぶ。
と、そこで白竜がふと、全く別の発想に思い至り、傍らのバンホーン博士に視線を落とした。
「時に博士……ピラーが自然発生の竜巻と比べて、最も大きく違うと感じられる部分はどこでしょうか」
この問いかけに、バンホーン博士は腕を組み、一瞬唸るような声を漏らした。
「まだ正確に調べ切った訳ではないのだが……ピラーが他の巨大竜巻と決定的に異なる点はただひとつ。再出現性じゃよ」
普通どれ程の巨大竜巻であろうとも、その出現はせいぜい一度か二度程度に収まるのが常識であった。しかしピラーに限っていえば、何度も続けて出現し、被害を極限にまで拡大させるという異質な特徴が指摘されているのである。
ピラーとて竜巻である以上、一度の出現に際しては、最長でも数十分程度で一旦消失する。
だが、問題はその後だ。
F5クラスの竜巻はそうそう連続して出現するものではないのだが、ピラーは全く同じ規模、同じ破壊力を維持したまま、近傍地域に何度も続けて発生し、甚大な被害を残してゆくのである。
「一度の発生だけでも壊滅的な被害を残すのに、それが何度も、か……数百年に一度とはいっても、そんなのが現れたら、それだけで伝説になっちゃうのも分かる話だね」
円が眉を顰めて、小さく呻いた。
彼女が調べた文献の中には、ピラー出現によってひとつの区域の地形が、考えられない程に変わってしまったという記録もある。酷い時には、山ひとつが完全に消えて無くなったという被害もあったらしい。
そして何よりピラーを異質な存在とひとびとにいわしめてるのが、クロスアメジストの存在であった。
「ピラー収束の後には必ずといって良い程に、クロスアメジストが発見されているとのことですが……矢張り何か関係がある、と見て良いのでしょうか」
「まぁ、そうじゃろうな。複数の文献に、関連性が記されておる以上は無視出来ん」
ピラーは亡者の怨念が創造した、ナラカへの使者……その怨念を静めるは聖石クロスアメジスト。
バンホーン博士は既に暗記してしまっているその一節を、滑らかな調子で諳んじてみせた。
その時。
「ふん、尤もらしい理屈で嗅ぎまわってるようだけど、実際のところは別の思惑があるんじゃないかい?」
挑発的な声が、一同の鼓膜を背後から打った。一斉に振り向いてみると、モルガディノ書庫に接する岩場の上に、アルパカに跨ってこちらを見下ろしている赤毛のオールバックが、強烈な陽射しの中で鋭い眼光を輝かせていた。
弁天屋 菊(べんてんや・きく)である。
彼女は、今回のピラー発生にツァンダ側が便乗して、シャンバラ大荒野に領土的野心を持って侵攻してくるのではないか……そんな危惧を抱いてバンホーン調査団の前に立ち塞がっていたのである。
パラ実生らしいといえば、これ程パラ実生の基本に則った思考もそうそう無いであろう。
ところが、パラ実生的思考法に忠実であるが為に、最も基本的なルールがすっかり抜け落ちてしまっていたのは、菊に取って失態だったというべきか、それともパラ実としての誇りを全うしたというべきか。
「いえ、それは幾らなんでも考えられない話ですわ……」
ロザリンドが、幾分困惑した面持ちで指摘する。
まず大前提として、ある六首長家の一角が、他の六首長家が治める領地に手を出そうとすれば、それだけで重大な失点に繋がる。これは六首長家の統治システムを根底から覆す行為に他ならず、そんなことをすれば確実に自滅の道へ転落の一途を辿る。
ツァンダ家が、そのような誤った判断を下そうとは、どう考えても在り得る話ではない。
ところがロザリンドの説明を受けて、菊は能面のように表情を消し去り、アルパカの背中で両の瞼を何度も瞬かせた。
「……悪いが、もう二回ぐらい、簡単な言葉に置き換えて懇切丁寧に説明し直してくれるか」
要するに、分からなかったのだ。
だが、決して恥じる必要は無い。それでこそパラ実生のパラ実生たる所以であると、むしろ誇って良いぐらいである。
ただ問題は、説明する側が非常な困難と忍耐を強いられるという、それだけの話であった。
流石にロザリンドは、困り果てた。菊を相手に、無駄な時間の浪費を強いられるのは、決して好ましい話ではなかった。
が、ここで救世主が現れた。ロザリンドにとってはラッキーだったといって良い。
「お嬢さん、こんな暑い中で難しい話ばかりでは熱中症になってしまう。俺で良ければ、涼しいところでお茶を楽しみながら分かり易く解説して差し上げるよ」
エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が一輪の花を差し出しながら、バンホーン博士と白竜の間を押し退けるような形で割り込んできた。
もう一方の手には、今の今まで作りかけていた詳細なハザードマップが握られている。
女性に対して、こういう変な一面さえ無ければ非常に優秀な分析官として機能していたのであろうが、菊の出現がエースの折角の才能を、それこそ竜巻が縦横無尽に走り抜ける如きの勢いで、ものの見事に消し飛ばしてしまった。
だが、エースの端整な面と気品に満ちた態度を見た瞬間、菊はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべて、アルパカの向きを逆に反転させた。
「……いや、やっぱり良いや。おまえの顔を見たら、何だか無性に腹が立ってきたぜ」
正直いって、菊はエースのようなタイプの男性は苦手中の苦手だった。そしてもっと端的にいえば、虫唾が走って仕方が無いのである。
対するエースは、自分がそのように嫌悪されているとは夢にも思っておらず、菊が去ろうとしているのは、単に照れているからだと、都合良く解釈してしまっていた。
「そういうことなら、ここは引き下がろう。今度こっそり携帯番号渡すから、また来てくれるかな」
「ここで堂々と宣言しといて、何がこっそりだよ」
流石の菊も、呆れてしまった。
しかし形はどうあれ、エースは菊を追い返した。そういう意味では、ロザリンドはエースにひとつ、大きな借りが出来たというべきであろう。
勿論エースにはそのような意識は微塵も無く、彼はただ、どうやって菊に携帯番号を渡そうかと、その一点にばかり思考が集中していた。
その一方で、バンホーン博士は、ひとり腕を組んで妙に感心している。学者として長い人生を送ってきた彼だが、これ程の個性集団を束ねたのは今回が初めてだったらしい。
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