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【二 予想外の壁】

 バスケス領の領都バスカネアは決して大きな街ではないが、小高い丘に建設された街区を堅牢な城壁が囲う典型的な城塞都市であり、城壁内部は住民達がそれなりに活気を見せて、日々の生活を送っている。
 職能街に鍛冶屋や工芸房が多いのは、矢張りこのバスケス領が鉱山経営を主軸にして成り立っているという要素が大きい。
 もちろん市場もある。が、領内の貧相な地質では農作物の収穫は十分であるとはいえず、他領から行商人を招いて食糧を輸入しているのが現状であった。
 中世ヨーロッパを思わせる石造りの街並みが続く中、街の中央、最も高い位置に礎を構えているのが、バスケス家の居城カルヴィン城である。
 居住を主目的としている為、城塞としての機能はほとんど備えておらず、居館と主塔、城庭が大半を構成する造りとなっている。
 このカルヴィン城の正門から真っ直ぐ居館の玄関まで抜けると、バスケス家の公室が待っている。歴代のバスケス家当主が日々執務に勤しんできた、歴史ある広間であった。
 この公室に、レティーシア・クロカス(れてぃーしあ・くろかす)ルカルカ・ルー(るかるか・るー)、そしてダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)といった顔ぶれが並んでいた。
 三人は、バスケス家の現当主ヴィーゴ・バスケスに対して、領民の避難に関する許可を取りに来ていた。
 いくら救済活動が目的とはいえ、領主の許可無く領民を移動させるのは無法であると考えての交渉である。理に適った判断であるといって良い。
 ところがヴィーゴは、三人の申し出を即座に却下した。不確定な情報によって、領民の生活に重大な支障を来たす避難行動は認められない、というのがその理由であった。
 レティーシアとルカルカはヴィーゴの拒絶に納得いかない様子であったが、ダリルはある程度予測していたのか、然程に驚いた表情は見せていない。
 むしろ、ここからが本番だといわんばかりに論戦を挑む構えを見せた。
「領主がクロカス家に、領民の安全を頼んだことにすれば良い。領民思いの領主として認定され、昇格審査に際してマイナスにはならんだろう」
「生憎だが、そういう問題ではない。そなたらコントラクターには、中々理解出来ぬかも知れんがな」
 曰く、市井の民や集落の農民達にとっては、現在の居住地こそが唯一の拠り所であり、生活の糧そのものである、という理屈であった。
 農民や鉱山労働者が大半を占めるバスケス家の領民にとって、今の土地を離れてしまえば一切の生活手段を失う。仮に避難によってピラーとの遭遇を避けられたとしても、土地そのものを失うだけで、死刑宣告を下すに等しい、とヴィーゴはいう。
「だからさ、一時的な避難だっていってるじゃない。幸い、レティーシアさんのところで受け入れ態勢を作ってくれてるんだし、そこでその後の生活設計を立て直せば良いんじゃないかな?」
 レティーシアに直接、バスケス家領民の避難受け入れ態勢を依頼したのはルカルカであった。勿論レティーシアに断る理由も無かった為、こちらはすんなり話が通った。
 ところが、肝心のヴィーゴがこの反応である。ルカルカとしては、やり切れない思いが強い。
「所詮は強者たるコントラクターの発想だな。特別な力を持たぬ一般人にとって、何が最善かという理論については、想像力が決定的に欠けていると見える」
 ピラーが発生しなかった場合、避難によって無人と化した集落に大荒野から野盗が侵入してきて、ろくな防衛も出来ずに略奪の憂き目に遭う可能性すらある。
 そういった場合の保障まで考えたことはあるのか?――ヴィーゴの指摘に、ルカルカもレティーシアも、答えられない。
 だがそれでも、ルカルカは声をあげ続けた。
「数日だけ……本当に、念の為よ。家畜の世話もあるだろうし、農作物の収穫時期とぶつかって大変だけど、人命には代えられないわ」
「……実に地球人的だな。或いはコントラクター的、というべきかな。残念だが、その人命尊重の理論は、ここでは通じぬ。領民にとっては、己の命よりも土地の方が大事なのだ。信じられぬというなら、直接訊いてみると良い」

     * * *

 ヴィーゴの言葉は、事実であった。
 バスケス領内の農村のひとつ、ペデディ集落にて避難活動を推進しようとしていた源 鉄心(みなもと・てっしん)などは、領民達から思わぬ抵抗を食らい、ほとんど全くといって良いくらいに、避難活動は難航していた。
「ピラー……つまり、壊滅的な破壊力を持つ竜巻発生の可能性が高くなっています。住民の皆さんの生命を守る為、一時避難に是非ともご協力頂きたい」
 長老を始め、集落の主だったひとびとを必死に説得しようと試みる鉄心だが、彼らは頑として動こうとはしない。
 ヴィーゴがルカルカやダリルに語ったように、領民たる彼らは命よりも土地が大事という認識を、明確に示していた。
 鉄心にはその心境が、まるで理解出来ない。だが、封建制度に於いては、この発想はむしろ自然であるといって良い。
 一所懸命、という言葉がある。
 これは中世のひとびとが、土地に対して命を懸ける心境を表した言葉だが、このひとことを見ても、封建制度に於ける土地の重要性がよく分かる。
 即ち、ひとの命などはせいぜい数十年程度の価値しか無いが、土地は数百年、数千年と亘って、一族郎党の多くの命を賄うものであり、人命以上に大切な存在であった。
 現代の地球に於いては人命こそが最も重要であるという思想が常識となっているが、これは土地を持たない市民革命家達が興した人権思想に端を発しており、地方に住む農耕民の思想は欠片にも反映されていない。
 そして、パラミタに降り立った地球生まれのコントラクターの大半は、この人権思想のもとで幼少教育を受けており、土地に対する価値観はパラミタの土着の農耕民と比べると、決定的に異なっているといって良い。
 そんな訳だから、鉄心の説得がペデディ集落のひとびとに受け入れられないのも、無理からぬ話であった。
 尤も、鉄心の避難活動が全く成果を挙げていない訳でも無い。
 というのも、土地を持たず、己の才覚だけで生活を賄っている商人や職人といったひとびとは、土地に対しては然程の執着を見せない為、ピラー発生による被害に対しては、己の命こそが大事であるという鉄心の呼びかけに、素直に反応してくれたのだ。
「あの……これが、その、竜巻の威力、というものでして……」
 鉄心の避難活動を手伝う為に、イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)が持参したノートパソコン上に、F5クラスの竜巻が発生した際の動画を再生させて、領民達に披露していた。
 ひとびとの反応は様々で、農民達は多少驚いた様子を見せながらも、それでも鉄心の説得に耳を貸そうとはしなかったが、商人や職人達は食い入るように見入っており、改めて、ペデディ集落からの避難について決意を固めるといった按配であった。
「持ち出す荷物は、手で運べる程度に収めてくださいね。どうしても荷車が必要という方は、すぐに声をあげてください。私達も出来る限り、お手伝い致します」
 ティー・ティー(てぃー・てぃー)が避難準備を進める一部の領民達に向けて呼びかけると、彼らは従順なまでに素直な態度で、指示に従う姿勢を見せた。
 しかし、避難に向けて動き出しているのは、本当にごくごく一部の領民に過ぎない。
 八割以上のひとびとは、鉄心達による避難活動に対し、冷ややかな視線を投げかけるばかりであった。
「どうして、そんなに土地が大事なんだ……死んでしまっては、元も子も無いだろうに」
 鉄心は、歯痒くて仕方が無い。
 どうすれば、避難を拒否するひとびとの心を動かすことが出来るのか――非常に難しい課題であった。

     * * *

 再び、舞台をカルヴィン城に戻す。
 完全に平行線を辿り始めたヴィーゴとルカルカ達の議論だが、不意に正門付近から、大勢のひとびとで賑わう声が響いてきた。
 何事かと不審げな視線を窓の外に向けてみると、空京からやってきたと思しきマスコミの一団が、カルヴィン城の正門に大挙して押し寄せてきていた。
 先頭に立っていたのは、閃崎 静麻(せんざき・しずま)である。
「ちっ……何だあれは」
 あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべ、ヴィーゴは足早に居館を飛び出し、自ら正門に足を向けた。ルカルカ達が慌てて後を追うと、正門前では空京のテレビ局が派遣したインタビュアーや、新聞記者といった面々がヴィーゴを取り囲み、矢継ぎ早にピラーに関する質問を投げかけている。
 だがこの時のヴィーゴの視線は、マスコミ連中の壁の向こう側で得意げに佇んでいる静麻に対してのみ、向けられている。
 静麻はヴィーゴの睨みに対し、僅かな笑みを返した。発信力のあるマスコミを駆使すれば、ヴィーゴの傲慢な態度をやり込める――そう考えての、余裕の態度であった。
 ところが次の瞬間、ヴィーゴの面に、相手を見下すかの如き不敵な笑みが浮かんだ。
 静麻のマスコミ利用など一切通じぬといわんばかりの、勝ち誇った様子である。静麻は思わず、怪訝そうに眉を顰めた。
 ヴィーゴは視線を周囲のマスコミ連中に戻し、大声で一喝した。
「貴様ら、取材の許可を取っているのか!? ここは報道の自由などという御託が罷り通る、民主主義国家ではない! 我がバスケス家の領内だ! 許可無き取材は、ツァンダ家への敵対行動を取った者として、余さず駆逐すべき害悪と見なされて然るべきであるのだ! その覚悟を持っての行為であろうな!?」
 流石にここまでいい切られると、如何に厚顔なマスコミ連中とて、尻込みせざるを得ない。
 一方の静麻も、封建制度に於ける領内権力の何たるかを、まるで考えていなかった。
 空京のマスコミを使ってバスケス家に取材攻勢を仕掛けさせるというのは、いいかえれば日本のマスコミに対して北朝鮮首脳に突撃取材を敢行しろ、といっているのに近い。
 こういう展開になってくると、静麻の表情も厳しくなる一方であった。
(うむ……流石に領内法を持ち出されると、こちらが不利か)
 如何に根回しや交渉技術を駆使しようにも、一介のコントラクターがツァンダ家に直接顔を利かせられる道理が無い。レティーシアですら、バスケス領内では単なる客人並でしかないのだ。
 ここはもう一度、裏での根回しを丁寧にやり直す必要がある――静麻は内心、そうひとりごちた。
 その時、カルヴィン城正門付近に別の一団が姿を現した。
 マスコミ連中が慌てて左右に割れると、驚いたことに、ヴィーゴですら幾分改まった調子で姿勢を正し、現れた一団の先頭に立つ妙齢の女性に、貴族の礼を以って歓迎の意を示した。
「随分、賑やかなことですわね、バスケス卿」
「これはこれはラヴィル審査官殿……このような見苦しい場面をお見せしてしまい、まことに恐縮の極みでございます」
 静麻は、すぐにピンときた。
 突然現れた仰々しい服装のこの一団こそが、ツァンダから訪れた昇格審査の為の使節団なのであろう。そして先頭に立つ凛とした美貌の女性が、この使節団の団長であろうことも、容易に理解出来た。
 ジュデット・ラヴィル
 それが、この使節団の団長を務める美女審査官の名前であるらしい。