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【六 因縁の巡り合わせ】

 デラスドーレの街では最初の山場ともいうべき激闘が、中央広場にて繰り広げられていた。
 敵はオブジェクティブの二大巨頭の一角、マーダーブレイン。
 対するはエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)火村 加夜(ひむら・かや)小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)氷室 カイ(ひむろ・かい)サー・ベディヴィア(さー・べでぃびあ)の六名。
 いずれも対オブジェクティブ戦では歴戦の勇士達と呼ぶべき、経験豊富な猛者揃いであった。
 戦闘布陣は、エヴァルト、美羽、カイが接近戦を仕掛け、コハクとベディヴィアが後方からのサポート、そして加夜が前衛に加わりつつも、負傷者が出た際には回復役も担当する中衛、という位置づけであった。
 この中でも特に、エヴァルトの闘志は他の誰よりも熱く燃え上がっていた。その理由は至極単純で、彼の中では未だに、ピラー事件は終わっていなかったのである。
「マーダーブレイン! 貴様らによって命を弄ばれた者達の無念……遺された者達の怒りと悲しみ……存分に思い知るがいい!」
 怒涛の勢いで攻撃を繰り出すエヴァルトの深紅の瞳には、怒りの炎が渦巻いている。
 柱の奏女としての過去の思念を無理矢理現在に甦らされた幼い少女の悲しい運命、そしてその運命を弄んだ(少なくともエヴァルトはそう考えている)マーダーブレインに対する憤怒の情が、彼の激情の拳の原動力となっている。
 マーダーブレインは、依然としてこの場に居る全ての者達にとって脅威であり、恐るべき強敵ではあったのだが、それでもこれまでの数々の戦いの中で身につけてきた対オブジェクティブ能力は、全く無力だった当初とは状況を大きく一変させていた。
 エヴァルトとはまた異なる因縁を持っているのが、美羽、コハク、そして加夜の三人である。
 一年前、最初にマーダーブレインが出現した際に初めてその異様な外観を目にした時、美羽は戦慄に全身がすくんだのを、今でも覚えている。
 加夜も、全く何も出来なかった最初の遭遇を、まるで昨日の様に覚えていた。
「今日こそ絶対、決着をつけるよ!」
「はいっ……もうこれ以上、多くの人達が傷つかないようにも、ここで、必ず!」
 美羽と加夜の気合も、エヴァルトに優るとも劣らない。
 コハクは、対オブジェクティブ戦の為の能力は何も身につけてはいないが、オブジェクティブ・オポウネントやバティスティーナ・エフェクトの波動が撃ち込まれた状態のマーダーブレインであれば、直接ダメージを与えることが可能であることを、ここ数ヶ月の戦いで学んでいた。
 今は、美羽や加夜を始めとして、多くの仲間達がコハクに力を貸してくれている。
「よし……これなら、いける!」
 コハクもまた、マーダーブレインとは付き合いが長い方である。もういい加減、あの不気味で醜悪な面は見たくないと思っているひとりであった。
 この日の蒼炎槍は、いつも以上にキレが鋭い。コハクの、何が何でもここで終止符を打つという気合が、彼の業に更なる鋭敏さを加えているのかも知れない。
 カイとベディヴィアは、美羽や加夜とは少し遅れてオブジェクティブと遭遇したくちではあったが、それでもかなり早い段階から、この一連の戦いに身を投じている。
 このふたりもまたマーダーブレインとの決着を強く望んでおり、ここがまさに、その場であるという認識を抱いていた。
「ベディ、奴の注意を」
「お任せを、マスター」
 カイとベディヴィアのコンビネーションの完成度は、極めて高い。感情を一切持たない筈のマーダーブレインでさえ、一瞬注意を引きつけられる程の陽動をベディヴィアが見せれば、その隙を突いてカイが効果的な一撃を加えてゆく。
 一打ごとのダメージは、正直なところ大きな手応えがあるという訳ではなかったが、しかし確実に、そして徐々にダメージは蓄積されていっているのが分かる。
 後はもう、手数の問題とスタミナの問題、そして時間の問題であった。
 電子結合映像体であるマーダーブレインには、疲労の概念が無い。一方、コントラクター達は生身の人間である以上、必ず物理的な疲弊が訪れる。
 長期戦になってしまえば、間違いなく負ける――その思いが、この場の全員の意識の中に程よい緊張感を植え付けていた。
「カイさん! 美羽さん! 回復します! 少し後ろへ!」
 加夜の指示を受けて、カイと美羽はエヴァルトとコハク、ベディヴィアに前衛を任せ、入れ替わる格好で加夜の回復術を受ける位置へと退いた。
「やっぱり、マーダーブレインは手強いね……他のオブジェクティブとは段違いだよ」
「だが、ここが踏ん張りどころだ。少しきついかも知れないが、このまま続けるぞ」
 美羽とカイは揃って、マーダーブレインの疲れ知らずな動きに視線を走らせた。
 エヴァルトの勇猛果敢な突撃に、コハクとベディヴィアが左右から補助打撃を加えるという戦術で対抗しているが、どこまでダメージを与えることが出来ているのか、まるで分からない。
「えぇい、くそったれ!」
 マーダーブレインの強烈な蹴りを浴びて吹っ飛ばされたエヴァルトが、心底腹立たしいといった鬼のような形相で、素早く立ち上がりかける。そこへ、加夜が素早く駆け寄っていった。
「無理し過ぎです! 少し、回復を!」
「十秒で頼む!」
 エヴァルトもマーダーブレインの力量をよく心得ており、回復を拒否するような愚は犯さない。加夜による回復術を素直に受けるだけの冷静さは、しっかりと残っていた。
「よし、行くか」
「うん! 流石にコハクとベディヴィアさんだけじゃ、きついもんね」
 入れ替わりに、カイと美羽が接近戦に復帰してゆく。
 このようなハイペースの戦いがいつまで続くのかは誰にも分からなかったが、少なくともコントラクター達の心情として、先に音を上げるつもりは端から無かった。

 南の街門付近では、スナイプフィンガーが猛威を振るっている。
 生ける千手観音の如き外観は、ともすればどこか穏やかな印象をひとびとに与えがちではあったが、四十本にも及ぶ腕の、全ての指先から放たれる超高熱レーザーは総数で二百本を超え、これだけの数のレーザーが一斉に放たれるというのは、それだけでひとつの壊滅を意味していた。
 このスナイプフィンガーに、果敢に挑む者達が居たのだが、オブジェクティブに対する効果的な対抗手段を持たない為、ほとんどの作戦が効果を発揮せず、苦戦を強いられているのが現状であった。
「くそっ……こいつ、本当に一体、どういう構造をしているんだ!?」
 パワードスーツ隊カタフラクトのみでスナイプフィンガーに挑みかかっていた三船 敬一(みふね・けいいち)は、パワードスーツの性能と火力さえあれば、どうにかなる、と踏んでいた。
 しかし現実は、厳しかった。
 オブジェクティブはコンピューターのクロック単位、即ちマイクロ秒の世界で誕生した怪物である。オブジェクティブ・オポウネントやトライアル・ヴェロシティといったクロックダウン能力が無ければ、ほとんどそのままの圧倒的な速度を相手に廻さなければならなくなる。
 オブジェクティブが何者で、どのような経緯で誕生したのか、という最も基本的な情報をほとんど押さえないまま戦いを挑んでしまったのは、大きな失敗であった。
「うあぁ!」
 白河 淋(しらかわ・りん)の搭乗するパワードスーツが、最初に沈黙した。
 マイクロ秒単位の行動速度というのは、コントラクターのほぼ限界速度であるミリ秒単位と比較すると、数百倍の速度に等しい。
 そのような圧倒的なスピードを相手に廻しては、如何にパワードスーツといえども、ほとんど赤子の手を捻られるような、一方的な戦いになってしまうのは自明の理であった。
 更に続けて、コンスタンティヌス・ドラガセス(こんすたんてぃぬす・どらがせす)のパワードスーツが、四肢をレーザーで撃ち抜かれて行動不能に陥った。
「ぬぅ……姿が、消えた……一体、どういうことだ?」
 コンスタンティヌスは、知らなかった。
 オブジェクティブは、存在そのものがデジタル信号の集合体なのである。彼らは表示機能のオンとオフを切り替えることで、姿を自在に非表示状態、即ち透明にしてしまうことが可能なのだ。
 圧倒的な超スピードと非表示状態機能は、いずれもオブジェクティブ・オポウネントやトライアル・ヴェロシティといった能力で無効化することが出来るのだが、残念ながら敬一達の隊には、これらの能力を持つ者は誰ひとりとして存在しない。
 いわば、情報不足による敗北が、最初から確定していたといって良かった。
「こんな……こんな一方的な話が……」
 陽動を担当し、ここまでスナイプフィンガーを誘い出す役割をきっちりとこなしたレギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)は、次々と倒されてゆく仲間達の凄惨な光景を、ただ茫然と眺めるしかなかった。
 最早、ここまでか――どうしようもない絶望感が、敬一達の胸中で鎌首をもたげ始めてきたその時。
 不意に小柄な影が細い裏路地から飛び出し、とどめを刺されようとしていた敬一のパワードスーツの前で、仁王立ちになった。
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)であった。
「こ、これ以上は……させないんだから!」
 歩の登場に、敬一達は目を剥いて驚いた。一見すれば、戦闘能力に乏しいただの少女に過ぎない歩だが、彼女には一体どのような力があるというのか。
 だが、そんな敬一達の疑問や驚きを無視するかのように、スナイプフィンガーはさっと後退して歩と距離を取った。
 明らかに、警戒している。
 パワードスーツ隊を手玉に取った恐るべき怪物が、生身のままで飛び出してきた小柄な少女に対して、最大級の警戒を見せているのである。
 それもその筈で、歩はトライアル・ヴェロシティ反応に覚醒している、数少ないコントラクターのひとりなのである。
 今の歩の力であれば、スナイプフィンガーと互角か、或いはそれ以上の戦闘能力を発揮することが出来る。
 少なくとも、それまで敬一達を苦しめていた超速度や非表示化は一切封じられ、超高熱レーザーすらも軌道を捻じ曲げられて、歩には全く届かなくなるだろう。
 歩は緊張に強張った面を、必死の思いでスナイプフィンガーに向けた。
 対するスナイプフィンガーも、歩を相手に廻してどのように仕掛けたものか、相当に迷っている様子を見せていた。
 よもや、自らがオブジェクティブに肉弾戦を挑むことになろうとは、全く予想もしていなかった歩だが、ことここに至っては、最早腹を括るしかない。
 歩は、慣れない仕草で戦闘態勢を取った。恐らく彼女の生涯では、数少ない肉弾戦のひとつに数えられることとなるだろう。

 そして因縁といえば、このオブジェクティブを忘れてはならない。
 唯一言葉を操り、コントラクター達と意思の疎通を図る能力を持つオブジェクティブスキンリパー
 そのスキンリパーに、身近なところで大勢の人々を殺された九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は、対オブジェクティブ能力を持たない身でありながら、敢えて戦いを挑む決意を固めていた。
 ジェライザ・ローズ自身、ヴァダンチェラ内に構築されたフィクショナル・リバースで、このスキンリパーに散々痛めつけられたという貸しがある。
 このまま黙って、引き下がる訳にはいかなかった。
「ひとの命を実験材料のように扱ったことは、絶対に許せません。たとえ仮想のものだったとしても、あの苦痛は忘れられようもないのですから……」
 ヴァダンチェラ突入口近くの大通りで、スキンリパーと対峙するジェライザ・ローズは、自分自身に対する宣告のように、低い声音を絞り出した。
 対するスキンリパーは、いつもの掴みどころのない能面のような無表情で、ジェライザ・ローズの端正な面をじっと見つめてきている。
「では君は……いや、君達は、再び試練を受けようというのだな」
 スキンリパーが声を投じた相手は、ジェライザ・ローズだけではなかった。
 同じく対オブジェクティブ能力を持たないアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)、そしてセレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)といった顔ぶれが、ジェライザ・ローズをサポートする形で左右に展開していた。
 実のところ、アキラ達もヴァダンチェラ内でスキンリパーの脅威を目の当たりにした経験がある。そういう意味ではジェライザ・ローズと同様、ある種の因縁があるといっても良い。
 このうち、ルシェイメアとセレスティアは緊張感に満ちた表情でスキンリパーを睨みつけていたが、どういう訳かアキラだけは、妙に落ち込んだ表情で全身から精気がすっかり抜け落ちているような様相を見せていた。
 実はこのアキラ、オブジェクティブがコントラクターの脳波を収集している事実を逆手に取り、ある特殊な脳波を送り込んでやろうとしたのだが、その目論見が全く通用せず、はっきりいってしまえば完全にシカトされてしまった為、精神的に大ダメージを受けてしまっていたのである。
 要するに単なる作戦失敗なのだが、この時アキラが受けたショックは、余人が計り知れない程に、相当大きなものであったらしい。
「全く……いつまで落ち込んでおるのじゃ。しゃきっとせい、しゃきっと」
「ん? あぁ、うん、そうだ、な……」
 ルシェイメアの叱責を受けても尚、アキラの表情はまるで冴えようとはしない。それ程までに、彼が受けた精神的ダメージは底知れないというところなのだろうが、しかし実際のところ、彼が試みようとした策を他の者が知れば、恐らくは呆れてしまって開いた口が塞がらなくなるだろう。
 ルシェイメアとアキラのやり取りなどまるで眼中に無い様子で、スキンリパーがつと、動いた。
 仕掛けてくるか――ジェライザ・ローズは表情を険しくし、腰を低く落として身構えた。
 この場に居るコントラクター達は誰ひとりとして、オブジェクティブ戦に於ける有効な対応能力は持っていなかったのだが、これまでの経験で我知らずのうちに、スキンリパーを相手に廻すのが最も効果的であろうということを、己の意識の外で理解していた。
 スキンリパーが、猛然と突進してきた。だが、その踏み込むスピードは決して、対応出来ないというレベルのものではない。
 ジェライザ・ローズは、基本的には医師である。
 が、彼女は体術に於いても十分に優れたコントラクターであり、スキンリパーが対応可能な速度しか見せていない今、力不足という表現は当てはまらなかった。
 それは、アキラ達にも同様のことがいえる。
「あれ……このオブジェクティブ、意外と見えます、よ?」
 回復担当を仰せつかっているセレスティアが、幾分拍子抜けしたかのような面持ちで、ジェライザ・ローズとの肉弾戦に入ったスキンリパーに、不思議そうな視線を送った。
 ここでルシェイメアが成る程、と小さく頷いた。オブジェクティブとの接触した経験から、スキンリパーの特性をほとんど一瞬で見抜いていた。
「このスキンリパーは、他のオブジェクティブとはまるでタイプが異なる……わしらとの意思疎通能力を実現する為に、本来の速度を犠牲にしているのじゃ。恐らく透明化も、持っておらんじゃろう」
 ルシェイメアの予測は、的中していた。
 スキンリパーはコントラクターとの会話能力を成立させる為に、自らのクロックを永久的にダウンした状態で誕生したオブジェクティブであった。
 クロックを操れないということは即ち、デジタル信号の表示切替も出来ないということである。
 要するに、スキンリパーは特別な能力を持たずして戦える、数少ないオブジェクティブなのである。
 その事実を、これまでの対オブジェクティブ戦にて意識の外で認識していたジェライザ・ローズの直感は、流石というしかない。