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リアクション
【八 地下の最終防衛ライン】
デラスドーレの地下に広がる古代要塞遺跡ヴァダンチェラの、最も奥深い一角。
ラーミラの体内から魔導暗号鍵を摘出する為の施設人工解魔房のひとつ手前のブロックに、桐生 円(きりゅう・まどか)、オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)達の姿があった。
これまで円は、人工解魔房の最終防衛ラインを構築する一方で、過去の対オブジェクティブ戦から得られたデータを解析し、街中で戦っている仲間達に逐一送り届けていた。
それらの解析データが果たして、どこまで有効活用されているのかは円自身にも知り得なかったが、しかし対オブジェクティブ戦用の特殊な能力を持たない円達にとっては、今、この時点で可能な最大の仕事であった。
円達だけでは情報解析に手間取ってしまった為、月見里 九十九(やまなし・つくも)が急遽、人工解魔房前に引っ張り出されて、円の作業を手伝っていた。
九十九自身もオブジェクティブとの戦いを希望しており、円がまとめ上げようとしている解析データは、自分自身の戦いのヒントにもなるように思え、決して無駄な作業ではないと確信を抱くようになっていた。
「それにしても、なーんか、暇ー」
しっかり前衛で戦う気満々のミネルバが、あからさまに退屈そうな表情でその辺をうろうろ歩いている。
この局面になっても『らしさ』を失わないミネルバに、円とオリヴィアは互いに苦笑を浮かべ合った。
「もう、ミネルバったら……ここに関しては、暇なのが一番、良いことなのよ」
オリヴィアがなだめようとするも、ミネルバは依然として頬をぷっと膨らませ、拗ねたように唇を尖らせている。
「だーってぇー、暇なんだもーん」
「ボクは、暇な方がありがたいんだけどね……」
流石に円も、幾分困った様子で頭を掻いた。
この最終防衛ラインが忙しくなるということは、つまり最も切迫した状況に陥っているということでもあるのである。
恐らくミネルバはそこまで考えてはいないだろうが、もう少し緊張感を持って欲しい、というのが円の素直な心情であった。
ところがその時、ストーンウェル長官から借りていた無線機から、突然甲高い声が鳴り響いてきた。
『円ちゃん、大変!』
声の主は、月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)である。
同じツァンダ・ワイヴァーンズに所属する者同士、声を間違える筈も無かった。
「どうしたんだい? 何か問題発生?」
幾分緊張した面持ちで、円は無線機を手に取った。
『えぇっと、あのねー、そっちにストームテイルとマーシィリップスがいっちゃったよぉー』
凄まじく呑気な声で、とんでもない非常事態を告げてきたのはひっつきむし おなもみ(ひっつきむし・おなもみ)であった。
ふたりとも、つい今の今までマーシィリップスを相手に廻して何とか持ちこたえていたのであるが、ストームテイルの登場で戦局が一変し、手に負えなくなってしまったらしい。
その後、マーシィリップスとストームテイルはあゆみとおなもみを捨て置いて良いと判断したのか、いきなり転進してヴァダンチェラ内へと侵入した、というのである。
『ギブソンさんの話じゃ、フィクショナル・リバースを構築させない為の装置じゃ、オブジェクティブの侵入そのものを防ぐのは無理なんだって。今、あゆみ達もそっちに向かってるけど、何とか頑張って〜。あ、肉まんも持っていくからね〜』
再びあゆみが、無線機の向こうから、焦っているのかいないのか、よく分からない声を流してきた。
肉まん云々をいっているということは、恐らく緊張感の欠片も無いのかも知れないが。
ともあれ、オブジェクティブがいきなり二体も、こちらに向かってきているのだという。
円とオリヴィア、そして九十九の三人は一瞬にして表情を引き締めた。
「遂に、来るか……!」
以前はオブジェクティブの圧倒的な戦闘力に、ただただ怖気づくばかりの九十九であったが、今回は違う。
たとえ敵わなくても、一矢報いてやろうという気概が、その表情に気合となって表れている。俗にひとはこれを、闘志と呼ぶ。
それから数分と経たぬうちに、ストームテイルとマーシィリップスの異形が揃って、人工解魔房前の開けた空間に姿を現した。
敵の接近を前にして、円や九十九達は一様に緊張したが、ミネルバだけはようやく退屈から解放されると知って、ひとり嬉々とした表情を浮かべていた。
ところが、人工解魔房前に姿を見せたのは、二体のオブジェクティブだけではなかった。
そのすぐ後を追うようにして、ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)、レヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)、エルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)といった面々が、一斉に雪崩れ込んできたきたのである。
この五人はいずれも、ヴァダンチェラへと繋がる街中の入り口付近で防衛陣地を構えていたのだが、二体のオブジェクティブの襲撃を受けて、突破を許す格好となってしまったのである。
勿論、ただ突破を許しただけでは終わらず、ここまで追いかけてきたのではあるが。
「てめぇ! よくも、グラキエスを!」
深紅の髪をたなびかせ、まさに狂獣と化したロアが、マーシィリップス目がけて突進してゆく。
「ロア! 調子に乗るな! 単独で斬り込むのは無謀だ!」
レヴィシュタールの必死に諌める声は、ロアの耳には届いていない。彼はただ、地上でグラキエスが傷つけられた事実のみに執着し、他は一切視界に入っていなかった。
ロアの暴走を危惧しているのは、何もレヴィシュタールだけではない。ゴルガイスもグラキエスの体を案じる一方で、ロアの尋常ならざる発狂ぶりに、危うさを感じていたひとりである。
その思いは、グラキエスも同様であった。
「駄目だ……あのままじゃ、ロアが……ロアの精神が、狂獣化に蝕まれてしまう……」
グラキエスは、ただでさえ消耗し切っている今の自分自身を顧みず、全ての魔力を開放する覚悟を決めた。
「エルデネスト……頼む」
「はっ、承知致しました、グラキエス様」
グラキエスとエルデネストのこの短いやり取りに、それまでロアの身を案じていたゴルガイスが獰猛な怒りを発して、エルデネストに向かって吼えた。
「貴公……何を考えている!? 何故、グラキエスを止めんのだ!? 今の状態で魔力を解放するなど……!」
ところが、ゴルガイスのこの怒りに対し、エルデネストはさらりと涼やかな笑顔で受け流す。
「何を怒っているのですか、ゴルガイス。私がグラキエス様をお止めするなど、とんでもない」
ここまであっさりといい切られてしまうと、ゴルガイスも最早、それ以上口を挟むことなど出来ないと悟らざるを得なかった。
であれば、グラキエスの身に迫る危機を排除しつつ、思い通りにやらせてやるしかない――ゴルガイスはこの時ようやく、自らの腹を括った。
ロアがマーシィリップスに接近戦を挑み、その後方から、グラキエスのありったけの魔力を注ぎ込んだ数々の攻撃魔法が飛来する。
これ程の攻撃を受けてしまっては、流石にマーシィリップスも無視する訳にはいかなくなったのか、その異形を人工解魔房からロア達へと向け直し、迎撃の態勢を取った。
一方、ストームテイルに対しては九十九とミネルバ、そしてオリヴィアといった面々が、その前に立ち塞がった。
ここから先は一歩も通さないという気概が、三人のどの顔にもよく表れている。
「さぁ、始めようか。たとえ一秒しか時間を稼げなかったとしても、ひとりの命を助けることに繋がれば、十分価値のある一秒だ!」
九十九の気合に満ちた咆哮に応じたのは、意外にも、後方の円であった。
「……大丈夫だよ、ここにはボク達も居るから。四人合わせれば、せめて四秒は持つんじゃないかな」
決して冗談などではなく、円は本気で、自分達の命を懸けてでも四秒を稼ごうと考えていた。
今の彼女達に出来るのは実際、そこまでなのである。
ところが、その時。
「へいへいへーい! 四秒だなんてケチ臭いことは、いわせないよ〜!」
底抜けに明るい声が、陰鬱な空間を賑やかに響かせた。
「おなもみー! 今は普通に見えちゃってるから、遠慮なくやっておしまーい!」
「おけおけ〜」
ピンクレンズマン、満を持して登場。
「さぁみんなー! ご褒美の肉まんが待ってるよ〜!」
あゆみは本当に、蒸し上げたばかりの肉まんをタッパーに押し込め、リュックサックの中に詰め込んで背負ってきている。
いつどこででも味わえるようにとの考えだが、まさかここまで持参してこようとは、円達にも予想外ではあった。
だがそれはともかく、あゆみがこの場に現れた。
ということは、オブジェクティブ・オポウネントによるクロック低下機能がストームテイルとマーシィリップスに襲いかかっているということであり、それは即ち、対オブジェクティブ戦能力を持たない者でも、容易に倒し得る環境が整った、という事実に繋がる。
勝機は、今しかない――コントラクター達は一斉に、二体のオブジェクティブ目がけて攻撃を開始した。
「みんなー、しっぽを立てろー。しっぽっていっても、心のしっぽで良いからねー」
おなもみが、意味不明な掛け声をあげながらストームテイルに殺到する。丁度、オリヴィアやミネルバ、九十九達と共に、敵を挟み撃ちにする格好になっている。
一方、マーシィリップスに対してもオブジェクティブ・オポウネントの弱体化は絶大な効果を発揮しており、狂獣と化したロアと、圧倒的な魔力を放出するグラキエスのコンビによって、早くも会心の一撃を連続して叩き込んでいた。
「みんな、クリアー・エーテル! このまま一気に押し切るよ〜!」
あゆみの号令を待たずとも、コントラクター達は二体のオブジェクティブに対し、完全に優勢な勢いを維持したまま、一気呵成の攻勢に出ていた。
最初に、マーシィリップスが電離崩壊を始めた。
「消えちまえ、この野郎!」
ありとあらゆる肉体攻撃を仕掛けるロアの獰猛な声が、あゆみの底抜けに明るい声とは極めて対照的なカラーを響かせる。
やがてマーシィリップスは、グラキエスの魔力総出の連続攻撃を浴びて、ほとんど一瞬にして光の粒子と化した後、何もない空間中に霧散してしまった。
それとほぼ同時に、ストームテイルも円のタルタロスを浴びて半身が消滅した後、あゆみ、おなもみ、そして九十九の容赦ない袋叩きに遭い、こちらもマーシィリップスと同様の現象を見せて光粒子化した後、そのまま空間中に霧散してしまった。
「や、やった……勝ったぞ……!」
ストームテイルが消滅した空間を、九十九は信じられないといわんばかりの茫漠とした表情で、じっと見つめていた。
自分は決して非力でもなければ、臆病でもない――そんな思いが、彼の心の中に満足感となって、じわじわと込み上げつつあった。
ところがその一方で、ロアとゴルガイスの悲痛な声が、一同の鼓膜を打った。
見ると、魔力をほとんど使い切ったグラキエスが、死人のように真っ青な顔色で冷たい石床の上に仰臥し、虫の息になりつつあったのである。
「グラキエス! しっかりしろ!」
ロアの声は、辛うじて届いているらしい。
グラキエスは弱々しい笑みを僅かに湛えて、微かに頷き返した。
だが、声は出せない。声帯に力が及ばない程に、グラキエスの消耗は激しかったのだ。
「エルデネスト、グラキエスは、大丈夫なのか!?」
ゴルガイスの問いかけに、エルデネストは珍しく渋い表情を浮かべながらも、小さく首肯した。
「今日一杯は、何とか持ちます。それまでに人工解魔房を起動させることが出来れば、狂った魔力の核を排除して、私の魔力制御にてグラキエス様をお救いすることが出来ます」
エルデネストのこの応えに、嘘は無い。
実際このエルデネストも、人工解魔房で狂った魔力の核を排除した後にグラキエスを支配することを、楽しみにしているのである。
ここで死なれてしまっては、その計画も全て潰れてしまう。だからこそ、エルデネストもグラキエスの延命の為に、必死で魔力を注ぎ込んでいるのである。
「もう少しの、辛抱でございます」
エルデネストの微小に、グラキエスは弱々しく、そして無邪気なまでに透き通った笑みを返した。
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