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リアクション
【八 若崎源次郎】
東側の第三空調制御室。
レオン率いるA班は、ここに立て籠もる男を捕縛する為に強行突入しようとしていたのだが、ここで別のヘッドマッシャーが姿を現し、乱戦となった。
このヘッドマッシャーはメルテッディンであったが、他のヘッドマッシャーとは異なり、ひとりの同行者を随伴していた。
辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)である。
もともとは単独で行動していたのだが、赤涙鬼の数が余りにも多く、且つその身体能力が想像を遥かに越えていた為、やむなくヘッドマッシャーの一体と共に移動する破目になっていた。
彼女はある人物から、屍躁菌の菌株回収を命じられていた。
当初は若崎源次郎のDNA流出を防ぐ為に指示を受けることを想定していたのだが、実際に送られてきた指令の内容は、若干異なっていた。
DNAなどは守る必要は無く、とにかく菌株だけを持ち帰れ、ということであった。
どういう意図でこの命令が出されたのかは、刹那には分からない。
だが刹那自身は、鏖殺寺院側の意図をあれこれ詮索するつもりはなく、ただいわれた通りの任務をこなすことに、頭を切り替えていた。
「ヘッドマッシャーは足止めで良い! まずはとにかく、若崎の身柄を確保するんだ!」
レオンの指示に従い、数名のコントラクターがメルテッディンとの戦いに身を投じたが、残りの班員は全て、空調制御室の扉を破壊する方に力を割いた。
果たして、空調制御室の鉄製扉は程無くして破壊され、大勢のコントラクターが室内へと飛び込んでゆく。
少し遅れてから、葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)、コルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)、イングラハム・カニンガム(いんぐらはむ・かにんがむ)の三人も空調制御室に飛び込んでいった。
「むっ……ヘッドマッシャー?」
室内に飛び込んでまず目についたのが、天井に達する程の長身を誇る、漆黒の巨漢である。
吹雪が疑問に思ったのは、そのヘッドマッシャーの傍らに、眼鏡をかけた中肉中背の男性が、おどおどとした顔つきで佇んでいることであった。
しかしヘッドマッシャーはその眼鏡の男性に襲いかかる訳でもなく、突入してきたA班の面々に対し、戦闘態勢を取ろうとしていた。
「おかしいわね……ヘッドマッシャーは、若崎容疑者を殺害しに来たんじゃなかったの?」
コルセアは訝しげに呟いたが、だがそれ以前に、この眼鏡の男性が若崎源次郎ではないのは、ひと目見て分かった。
「どういう訳だ? ここに若崎容疑者が居る筈ではなかったのか?」
イングラハムも、疑問の声を漏らした。
ノーブルレディの急な投下実施から、若崎源次郎とは似ても似つかぬ人物の登場――何から何まで、全てがおかしい。
実はこの中で、その疑問について大体の情報を握っている者が居る。
刹那であった。
彼女は、命令を下してきた者から、今回の計画の概要を既に聞かされており、目の前で怯えている眼鏡の男性が何者であるのかも知っていた。
刹那はこの眼鏡の男から、屍躁菌の菌株を受け取るよう指示を受けていたのである。
「ちょっとこれ、どういうこと!? どう見ても、若崎容疑者とは別人だよ!?」
A班副長の美羽が、驚きを隠せない様子で短く叫んだ。
そこへ、ヘッドマッシャーとの戦いを目的としてモール内に突入し、途中でA班と合流していた詩穂が、A班員の甚五郎、羽純、ホリイ、ブリジット、コハクといった面々と肩を並べて、室内のヘッドマッシャーと対峙する。
このヘッドマッシャーがどのタイプであるのかは、戦ってみるまで分からない。
が、これだけの人数が揃っている上、スティミュレーターとメルテッディンに対する戦い方は、ある程度確立されつつある。
負ける要素は、以前よりも随分と少なくなっているのではないか。
「前回は色々と準備不足で手こずったけど、今回はそうはいかないよ!」
詩穂の声に応じて、甚五郎やコハクがさっと左右に散った。
ところがその時、思わぬ声が水を差してきた。
「おぅ、磯部。こんなとこにおったんか」
その場に居た誰もが、耳を、そして己の目を疑った。
詩穂が自己責任で同伴を許していた大柄な一般市民『磯部正種』が、いつの間にか詩穂達の背後に佇んでいたのである。
が、首から上は、それまで詩穂が見て知っていた磯部正種のそれではなかった。
「わ……若崎、源次郎」
美羽が、磯部正種だった巨漢を指差して、両目を大きく見開いている。
つい今の今まで、全く別人だった筈のその巨漢は、今は間違いなく、若崎源次郎の顔立ちを見せていた。
そんな中、誰よりも驚いていたのは詩穂自身であった。
「若崎源次郎!」
そこへ、レオンも慌てて飛び込んでくる。
まさか自分達が探し求めていた容疑者が、顔を変えて部隊に同行していたなどと、一体誰が予想し得ただろうか。
しかし当の若崎源次郎は周囲の驚愕と警戒の念などまるで無視して、目の前の眼鏡の男性――磯部正種に不敵な笑みを送っている。
「お前ら、ほんまエエ加減にせなあかんで。ひとの商売道具を勝手に持ち出して、こんなしょうもない茶番に使いやがって……これで買い手がつかんようになったら、どないしてくれんねん」
「そ、それは分かっている……だからこうして、菌株は返却することにしたんだ」
本物の磯部正種は、相変わらず怯えた表情で周囲をきょろきょろと見廻しながら、背後の床に見え隠れするジュラルミンケースを指差した。
若崎源次郎は一瞬、面倒臭そうな表情で眉をしかめたが、すぐに思い直したのか、長い黒髪が伸び放題の頭をぼりぼりと掻きながら、ヘッドマッシャーの脇を通ってジュラルミンケースに近づいていこうとする。
その後ろ姿に、レオンがアサルトライフルの銃口を向けて怒声を放った。
「動くな、若崎源次郎! 貴様を細菌テロ容疑で逮捕する!」
「はいはいはい。逮捕でも何でも、好きにせぇや」
若崎源次郎はまるで動じた様子も無く、呑気な調子でジュラルミンケース脇にしゃがみ込んだ。
と、そこへ刹那が慌てて駆け寄ってくる。彼女も、屍躁菌の菌株を回収するよう指示を受けていたのだ。
刹那が傍らに立ったのを見て、若崎源次郎は一瞬間の抜けた顔を見せたが、すぐにあぁそうか、と小さく笑った。
「いやぁ、ごめんごめん。そっちにも2サンプル、渡す約束やったな。忘れとったわ」
いいながら、その場でジュラルミンケースを広げる。誰がどう見ても、全くの無防備であった。
ここはチャンスだ――甚五郎とコハクが、ヘッドマッシャーから若崎源次郎に標的を変え、揃って突っ込んでいく。
ところが気づいた時には、甚五郎もコハクも、若崎源次郎を背にして、突撃を終えた姿勢であらぬ方角に向いていた。
その光景を見ていた筈の美羽や詩穂にも、その瞬間、何が起きたのか理解出来なかった。
いや、そもそも甚五郎とコハクの突撃が本当にあったのかどうかも、よく分からなかった。
「今のが……ヘッドマッシャー・ディクテーターモデルの時空圧縮……」
「おう、よう知っとるな」
刹那の呟きに、源次郎は飄々と笑った。緊張感の欠片も無い、無垢な笑顔である。
だが、刹那のひと言は周囲にただならぬ衝撃を与えた。
彼女は、源次郎がヘッドマッシャーだ、といっているのである。
「ヘ……ヘッドマッシャーだって!?」
詩穂が慌てて魔銃ケルベロスの銃口を、若崎源次郎に向けた。
すると若崎源次郎は、刹那に屍躁菌の菌株2サンプルが入った小瓶を手渡してから、ジュラルミンケースを閉じてのっそりと立ち上がった。
その太い手首から、詩穂もよく知っているブレードロッドの切っ先が、僅かに覗いている。
ということは矢張り、この若崎源次郎はヘッドマッシャーなのか。
「自分ら知らんやろうけどな、ヘッドマッシャーには三体だけ、完成品っちゅうのがおってな。仲間内では、ディクテーターって呼ばれとんねん」
人間としての外観や精神状態を維持したまま、ヘッドマッシャーとしての肉体と能力の獲得に成功した完成体――それがディクテーター(独裁者)と呼ばれるモデルなのだという。
若崎源次郎がヘッドマッシャーであるというのであれば、最早手加減などしていられる状況ではない。
コントラクター達は全力を持って若崎源次郎を捕縛し、そのDNAを奪取しなければならない。
だが、先程見せた謎の能力――甚五郎とコハクが、突撃したにも関わらず、いつの間にか通り過ぎた位置に佇んでいた現象は、一体何なのか。
刹那の言葉を借りれば、あれがディクテーターの能力時空圧縮というものらしいが。
「皆、気をつけて……何かとんでもなく、悪い予感がするよ……」
詩穂が珍しく、真剣な表情で警鐘を鳴らした。
これに対し若崎源次郎は、幾分困ったような表情で頭を掻いた。
「自分ら、遊んでる場合ちゃうやろうに。ノーブルレディが飛んでくるんとちゃうんかいな。早う逃げた方が、エエんとちゃうか?」
「……君のDNAを貰ったら、ね」
美羽が、いつも以上にトーンを落とした低い声音でいい放った。
他の面々も、若崎源次郎と傍らのヘッドマッシャーに対して、臨戦態勢を取っている。誰ひとりとして、引き下がるつもりは無かった。
「生憎な、わしゃ自分より弱い奴は相手にせん主義やねん。やるだけ時間の無駄やから、さっさと帰りぃな」
「問答無用!」
不意に甚五郎が、若崎源次郎の背後に殺到しようとした。が、出来なかった。
次に意識した瞬間、甚五郎の鳩尾に若崎源次郎の膝蹴りが叩き込まれていたのである。今回もまた、誰も若崎源次郎の攻撃の瞬間を見ていなかった。
あるのはただ、若崎源次郎が甚五郎に膝蹴りを食らわしたという、その結果のみであった。
「まさか……」
詩穂が、ごくりと息を呑んだ。
「時空圧縮っていうのはその名の通り……ある瞬間の時間を圧縮する、ってこと……?」
「そやで」
若崎源次郎は軽く答えたが、これは全く恐ろしい事実であった。
時空圧縮にかかれば、若崎源次郎は自身に命中する筈の攻撃を、『命中する瞬間』の時間を圧縮することで、その事実そのものを『無かったこと』にしてしまえるのである。
逆をいえば、若崎源次郎からの攻撃を受ける者は、『かわす瞬間』の時間を圧縮されてしまえば、攻撃回避の事実が無かったものとされ、問答無用に回避が失敗してしまうということになる。
つまり若崎源次郎と戦う者は、自らの攻撃は全て回避され、逆に防御は全て失敗することを前提に、戦術を考えなければならないのである。
実に一方的で、且つ絶望的なハンデであった。
「あんたらの攻撃は、全部外れる。んで、わしの攻撃は全部当たる。さぁ、どうやって戦おうかねぇ?」
他人事のように笑いながらいい放つ若崎源次郎に、コントラクター達は戦慄を覚えた。
本当に、戦う手段が無いのである。
少なくとも、現時点では。
だが、ここで若崎源次郎のDNAを採取出来なければ、このスーパーモール内に居る全てのひとびとの希望が摘み取られることになってしまう。
それだけは、絶対に避けなければならない。
誰もが次の一手を失ってしまったその時、吹雪とコルセアの構えた銃口がそれぞれ火を噴いた。
黙っていても事態は解決しないというのであれば、少しでも可能性を模索して行動すべきだ、というのがふたりの答えであった。
勿論、若崎源次郎に命中する筈だった弾丸は、次の瞬間には彼を通り過ぎて、射線上の向こう側へと消し飛んでしまっている。
更にイングラハムが気配を消し、不意打ちを仕掛けようとしたものの、その攻撃の瞬間さえ、無かったことにされてしまっていた。
若崎源次郎は、う〜んとしかめっ面を作り、首を捻る。
「せやから、無理やっちゅてんのに」
だが、もう流石にこれ以上は相手にしている暇はない、と考えたのか、若崎源次郎は包囲するコントラクター達など見向きもせず、すたすたと歩き始めていた。
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