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震える森:E.V.H.

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震える森:E.V.H.

リアクション


【一 深緑戦線】

 オレンジ色の陽光が斜めに突き刺さる、深緑の樹海。
 なだらかな丘陵や山地、或いは渓谷といった様々な地形が織りなす広大な森林地帯の奥深くで、もう何度となく、紅蓮の炎や黒い爆煙がそこかしこで立ち上り、ところ構わず銃声や炸裂音が鳴り響く。
 イルミンスールの広大な森の奥深く――地元ではベルゲンシュタットジャングルと称されるその一角だけが、激烈な森林戦の舞台と化していた。
「衛生兵! こっちだ!」
 森の中の戦場で、パニッシュ・コープス対策部局所属の第七中隊にて旗下第二小隊を率いるレオン・ダンドリオン(れおん・たんどりおん)中尉が、声を嗄らして背後を振り向いた。
 彼の腕の中では深手を負った教導団一般兵が苦しげな息を漏らし、時折己の血で何度も咳き込んでいる。
 そもそも、シャンバラ国軍は全部が全部、コントラクターだけで構成されている訳ではない。
 寧ろその大半はシャンバラ国民たる一般人によって構成されており、教導団所属のコントラクターが中心戦力として君臨している、というだけに過ぎない。
 勿論、軍人としての訓練は受けているのだが、コントラクターのように無敵の存在という訳ではなかった。
 今、レオンに抱きかかえられている負傷兵なども、そういった一般兵のひとりである。
 更にいえば、今回ベルゲンシュタットジャングルに派遣された第七中隊は、その九割以上が一般兵によって構成されていた。
 しかも、多くは森林戦が未経験だというお粗末さである。
 レオン率いる第二小隊が、守備を受け持つ第二ラインで崩壊の危機に陥っているといっても、決して誰ひとりとして責めを受けるような話ではなかった。
 ともあれ、この苦境を何とかして脱しなければならない。
 レオンは再度、衛生兵を声高に呼びつけた。
 果たして、第二小隊所属の年若い衛生兵が、森林戦の装備に身を包んだセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の両名に左右を防護される形で、生い茂る下生えを掻き分けながら、必死に駆け込んできた。
「良いところに来た。Dポイントの守備は、どうなっている?」
「どうもこうも、無茶苦茶よ。防衛ラインの体を成してないわね」
 顔面に塗りたくった森林迷彩の緑と黒のラインが汗や血で半ば取れかかっているセレンフィリティが、吐き捨てるように答える。
 セレアナも、重いSAW(分隊支援火器)を抱え直しながら、やれやれと小さくかぶりを振った。
「ある程度はゲリラ戦術でどうにか敵の出足を止めてるところだけど、やっぱり数が違い過ぎるのよ。こっちがひとりふたり仕留めている間に、向こうは十数人って規模で迫ってくるんだから、話にならないわ」
「それに……」
 と、更にセレンフィリティがセレアナに続いて、表情を曇らせる。
 いつもの能天気な彼女からはとても想像も出来ない程の深刻な調子で、セレンフィリティは声のトーンを僅かに落とした。
「あいつら……こっちの仕掛けた罠を、まるでポイントを全部見抜いているみたいに、上手く回避してきてるのよね。でもそんなのは、まだ序の口。問題は、あいつらの顔よ」
「……顔? 顔が、どうかしたのか?」
 セレンフィリティが発した意外なひと言に、レオンは眉間に皺を寄せた。
 これに対してセレンフィリティは、セレアナをちらりと一瞥してから、渋い色を見せる。
「ソレムの住民のこと、覚えてるでしょ? レイビーズS3に感染して戦闘マシーンと化した、あの住民達……今、あたし達が相手に廻してる連中も全く同じような、表情の無い顔をしているのよ」
 まさか、とレオンは息を呑んだ。
 だが実際に、至近距離で接敵したセレンフィリティとセレアナの観察に、異論を挟める余地もない。
 セレアナは更に表情を厳しくして、出来ればあまり口にはしたくない推論を、半ば意を決した様子で、しかしはっきりと断言した。
「多分、あいつら……自分達に屍躁菌を投与して、レイビーズS3で肉体と身体能力を強化してる……しかも自我が消えてる状態だから、恐怖心の欠片もないわ。ある意味、最も理想的な兵士かも、ね」
 レイビーズS3の感染者は、単なる一般市民から、コントラクターに肉迫する程の強靭な能力の持ち主へと変貌することが、既に先般のソレムでの市街戦に於いて実証されている。
 それが今度は、パニッシュ・コープスの兵員が銃火器と森林戦装備を充実させた上で、投与してきているというのである。
 ただでさえ数で圧倒されているというのに、これではもうほとんど、全滅するのを待つだけの絶望的な状況に等しいといって良かった。
「でも……生きて帰るわよ。全員、ね」
 宣言してから、セレンフィリティはゆっくりと立ち上がった。
 瓦解しかかっているDポイントの守備ラインへ、再び戻ろうというのである。
 当然、セレアナも同じく腰を上げ、セレンフィリティと肩を並べた。

 セレンフィリティとセレアナがDポイントへと引き返してくると、思いのほか、防衛線が上手く機能して敵の侵攻を食い止めている。
 どうやら、別ポイントから増援として駆けつけてきていた夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)草薙 羽純(くさなぎ・はすみ)ホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)ブリジット・コイル(ぶりじっと・こいる)の四人が、先にセレンフィリティ達が仕掛けていた罠を再利用して、更に手の込んだ仕掛けとして防衛線を再構築していたらしい。
「おぉ、帰ってきたか。おぬしらの不発に終わった罠を使わせて貰ったぞ、お蔭で向こうも、少々出足が鈍ってきているようだ」
 褒められているのか馬鹿にされているのか、何とも微妙ないい回しに、セレンフィリティとセレアナは顔を見合わせて苦笑するばかりである。
 だが少なくとも、この四人の中で罠設置を担当しているブリジットなどは、本気でセレンフィリティ達の残していった罠の存在を有り難いと思っている様子だった。
「御二方の罠が敵の注意を引いてくれたお蔭で、ワタシの罠も上手く機能することが出来ました。このDポイントの防衛線は、これで当面は持ち堪えられるでしょう」
 だが、それだけでは敵の進撃を完全に止めることは出来ない。
 矢張りこちらからも打って出る必要性がある、と甚五郎は渋い表情でいい放った。
「わしとホリイで、奇襲をかける。羽純にはここに残って連絡役をさせるが、おぬし達もこちらの連絡網に加えて良いか?」
「勿論よ」
 セレンフィリティの応答は竹を割ったように単純明快で、心地の良い響きを残した。
 彼女達にしても、孤立無援のゲリラ戦には限界を感じてきており、そういう意味では甚五郎達の加勢は渡りに船であったともいえる。
「では、ワタシと甚五郎さんで先に出ますね。それでも突破してきた敵の始末をお願い出来ますか?」
「任せといて」
 ホリイの提案に、セレンフィリティは力強く頷いた。
 その時、羽純が表情を引き締めて、間に割って入ってくる。
「和んでいるところを悪いが、敵が再び動き出したようだ。手始めに罠を発動させてみたが、連中は気にもせんらしい」
「では、参ろうか」
 森林戦用に支給されたアサルトライフルを構え直し、甚五郎は打って出る他の三人に目くばせし、小さく頷きかけた。
「もし仮にヘッドマッシャーと遭遇した場合は、必ず数で勝るよう連携を取り合いたい。その折は、羽純から連絡が飛ぶ手筈になっておる」
「了解したわ……まぁ本当にヘッドマッシャーが出てきたら、それこそナンバーテンどころじゃないかも知れないわね」
 冗談めいたひと言を放ってから、セレンフィリティはセレアナが抱えていたSAWをブリジットに預けた。
 重火器は奇襲戦ではただの邪魔者に過ぎない――であれば、後方支援を担当するブリジットが受け持つ方が、遥かに有用であった。
「気付いてると思うけど、あいつら、多分レイビーズS3で強化してるわ。ただのテロリストだと甘く見ちゃいけないわよ」
「成る程……だから奴らは、あれ程までの戦闘能力を発揮しておった訳か」
 セレアナの忠告に、甚五郎はうむ、と納得したように二度三度、頷き返した。
 ホリイも同じく、合点がいったとばかりに両掌を軽く打ち合わせている。
「コントラクターを相手に廻すぐらいの気合が必要、という訳ですね」
「では尚更、密な連絡が重要となろう。こちらからのテレパシーには常に、気を張っておいて貰いたい」
 羽純の指示を受けてから、まず甚五郎とホリイが正面の敵を迂回するように、右方向の深い緑の間へと滑り込んでゆく。
 セレンフィリティとセレアナは、罠で構築した防衛線から少し敵側に寄った辺りの位置で、甚五郎達の攻撃をすり抜けてきた敵の始末を受け持つことになっていた。
「多分、あたし達でも全部は捌き切れないわ。罠が機能しても完全には抑えられないと思うから、残りの敵はそのSAWで始末してね」
「了解しました」
 ブリジットの応えを背に受けながら、セレンフィリティはセレアナと連れだって、予定のポイントへと歩を進めていった。
 直後、更に前方の樹々の間から、銃声音や刃物を切り結ぶ音が聞こえてきた。
 恐らく、甚五郎とホリイが接敵したのだろう。


     * * *


 激戦が続く前線から後方に下がること、およそ10キロメートル。
 ベルゲンシュタットジャングルの中でも比較的森林密度の薄い、どちらかといえば開けているとも表現できる緑の中に一角に、幾つもの軍用テントが設置され、軍用ジープや装甲車、ハンヴィーなどで周囲を固める臨時指令所が、そこにあった。
 パニッシュ・コープス対策部局の現地司令部として設営されている臨時指令所は、およそ一時間程前から、酷く慌ただしい雰囲気に包まれていた。
 司令官であるレブロン・スタークス少佐の命により、前線で苦戦を強いられている第七中隊を救援する為の部隊編成が急ピッチで進められており、準備の出来た小隊から随時出撃するという運びになっていた。
「少佐、私、行きます」
 まるで一兵卒の如く、森林戦用の装備で全身を固めたルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、指令本部テントからのっそりと姿を現したスタークス少佐に向かって、強い口調で宣言した。
 対するスタークス少佐は、ルカルカの単独出撃に近しい意気込みに、半ば面喰った様子で目を白黒させた。
「どうした大尉……部隊編成もなしに、ひとりで向かうつもりか?」
「その方が却って動き易い、という部分もあります」
 厳密にいえば、ルカルカひとりで向かうという訳ではなく、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)も同行する。
 尚、夏侯 淵(かこう・えん)はルカルカ達との連絡係として、臨時指揮所にひとり居残りを命じられていた。
「私はてっきり、一個小隊程度を率いて向かうものだとばかり思っておったのだが」
「それも最初は考えたのですが……」
 ルカルカは神妙な面持ちで、僅かに視線を傾けた。
 そんな彼女の心境を代弁するが如く、ダリルがルカルカの後方から説明を買って出た。
「ルカでなくとも、有能な指揮官は他に大勢居る。ならば俺達はコントラクターとしてのフットワークを活かして少しでも早く前線に到達し、後続の為の露払い役を担った方が良い、という結論に達した訳だ」
「そうそう。小隊といえども部隊は部隊、やっぱりどうしても足が遅くなるからな」
 カルキノスがダリルに続いて、少人数での隠密急行移動の理を説いた。
 要するにルカルカ達は、船頭多くして船山に上る、という状況を回避したかった訳だ。
 彼らの理論には、スタークス少佐も確かに、と頷かざるを得ない。
 実際、今回の増援には他にも数名、将校クラスが参加している。下手に指揮官クラスの頭数だけを増やしても混乱をきたすばかりであろう。
 ならば、単独行動での能力に秀でたルカルカ達が先遣隊として第七中隊のもとへ向かうのは、理に適っているといって良い。
 スタークス少佐はそれ以上何もいわず、ルカルカ達三人の少人数編成を許可した。
 許しが出た以上は、ここでのんびりしていなければならない道理はない。
 ルカルカ達三人は森林戦仕様の軍用バイクにまたがると、即座に臨時指令所を飛び出していった。
 何となく不思議そうな面持ちでルカルカ達を見送るスタークス少佐と、淵の両名。
 周辺では相変わらず、部隊編成の為に大勢の国軍兵達が慌ただしく駆け回っているのだが、ふたりのいるその空間だけは、妙に落ち着いた雰囲気が漂っていた。
「それはそうと少佐……獅子身中の虫については、対応の程は如何な状況で?」
 淵がふと、思い出したように水を向けると、スタークス少佐はうむ、と渋い表情で小さく頷いた。
「内偵は進めているが、結果の方はあまり宜しくないな。まぁひとことでいえば、決定打はない、ということになる」
 スタークス少佐の微妙ないい回しに、淵は内心でピンとくるものがあった。
「それはつまり……当たりはある程度つけている、という解釈で宜しいか?」
「今の時点ではまだ、はっきりとは答えられんのだが、まぁそういう風に取って貰って構わない」
 淵はスタークス少佐が言外に含んだ意図を察し、それ以上問いただすのはやめた。
(壁に耳あり、か。恐らく少佐は、この場にも敵への内通者が居る可能性を考慮しているのだな)
 だがそれはそれで、困った話でもあった。
 天下の国軍が、常に内通者の目と耳に怯えなければならないというのである。
 全くもって、論外な話であった。
(こういう状況を一刻も早く打破しなければな……しかし今は、あまりに情報が少な過ぎる。今回の前線での情報収集が、ある程度の成果を出してくれれば良いが)
 淵はダリルが戦闘を主目的にしているのではなく、パニッシュ・コープスとの接触で何らかの情報を仕入れることを優先して行動しようとしていることを、早くから聞かされていた。
 これまでは対ヘッドマッシャー戦や屍躁菌感染者との戦いばかりを強いられてきており、直接パニッシュ・コープスの本隊と接触する機会は皆無に等しかった。
 そういう意味では、今回の接触は数少ない情報収集の機会であるともいえるのである。
 敢えて部隊を編制せずに少人数での接敵を望んだのも、実はそういう事情があったのだ。
(後は……例の巨大な影、か。あれが何者で、どういった意図で動いているのか……その動向如何によっては、またこちらの戦略が覆るかも知れんな)
 淵は、何となく滅入った気分になってきて、小さな溜息を漏らした。