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冬のとある日

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冬のとある日

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【11】


 クリスマスも終わり、浮き足立っていた世間の空気も落ち着いていた静かなこの日。ルカルカ・ルー(るかるか・るー)はプラヴダの基地を訪れていた。
 教導団員として訓練でも手伝う事が有ればと思っていたのだが、案内の兵士に説明を受けている最中に出迎えたのがジゼルだったから、結局殆ど動く事もなく話しに花を咲かせてしまう――そんな折りだった。
「Hallo Suesse! Wie geht es ihnen?(*やあズュース、ご機嫌如何が?)」
「Heinz!(*ハインツ!)」
 正面からやってきたハインリヒ・シュヴァルツェンベルクにジゼルは駆け寄って行った。抱き合って頬にキスする一連の挨拶を済ませて早々、ハインリヒが「Essen wir zu Mittag!(*昼ご飯行こうよ)」と言うのに、ジゼルは小首を傾げた。
「Kann ich bitte sie, auch?(*彼女もいい?)」
「Klar, warum nicht.(*勿論いいよ)」
 承諾を受け取って、ジゼルは後ろを振り返りルカルカへ提案する。
「ルカ、外に出ない?」


「僕の車、二人しか乗れないんです。借りものだと慣れなくて、余り乗り心地よくないかもしれないですけど、そこは容赦してくれると嬉しいな」
 端末を耳から離しながら言うハインリヒの説明を受け、三人駐車スペースへ向かう。そこで待ち受けていた人影は、こちらに気付くと何かを放り投げてそのまま踵を返し、建物の奥へ消えてしまった。ハインリヒがスイッチを押すと、車の解錠音が響く。先程彼が人影からキャッチしたのは車のキーのようだ。
「さっきのアレク?」
「さっき電話した時僕が車運転貸してって頼んだから不安だったですよ。でも君の顔を見て安心したみたいだ」
 安心とはどういう意味なのか。ルカルカはそれを問いかける前に、体感する事になった。助手席のジゼルが「しゅっぱーつ!」と声を上げた直後、車は急加速し、駐車スペースを飛び出した。振り返れば今居た筈の基地はもう影も形も無い。このスピードでは並の契約者は耐えきれず粗相をしてしまうだろう。上からとか、下からとか。
 だが、助手席に座っているのは異常な程バランス感覚がよく深海の水圧にも耐えられる兵器セイレーンで有り、後部座席に座っているのは教導団の超加速兵器と呼ばれる並外れた女性だ。
「何時もの車なのにハインツがそこに座ってると、なんだか新鮮ね。ふふふっ」
「気持ち良いっ。もっと飛ばしてー♪」
 と、笑う声が聞こえるから、ハインリヒは機嫌良く更にアクセルを踏み抜いた。


 空京のカフェで軽い昼食を済ませると、そんな胃を持って乗り込むにはいよいよ危険な車の扉を躊躇なく閉めて、ジゼルは後部座席に上半身ごと乗り出した。
「ねえ、これから時間はある? もうちょっとルカと遊びたいな」
 甘える声に頷いて、ルカルカは運転席を見る。
「僕は今日はお嬢様方の馬として何処へでも向かいます」という戯けた返事に、クスリと笑い声が漏れてしまう。軍服すら着込んでいなかった所を見るに、もしかしてハインリヒはジゼルと同じように、基地で遊んでいただけなのかもしれないと思ったのだ。
「時間はだいじょぶだよ。ちょっち足を伸ばしてヴァイシャリーでお洒落な雑貨とか買物しても良いね。あとスイーツも食べたいよね」
「スイーツならもう少し時間置きたいわね」
 ジゼルが今し方いっぱいになったばかりのお腹をさするのに、ルカルカは暫し考え込む。ふと、先程のハインリヒの言葉が思い当たった。
「ルカの家でも良いよ。ヒラニプラの郊外でね。馬も三頭飼ってるの」
 

 ルカルカの提案を受け、一行はヒニプラ郊外へと車を走らせた。森の中の洋館が、彼女とパートナーの自宅らしい。
「――あそこがルカの部屋のある場所。それからあっちが『ダリルの区画』って言われてて、ダリルのコンピュータ室と研究室と私室と寝室があるんだよ」
 車から降りて数歩後ろへ戻りながらルカルカが指差して説明をするのに、ジゼルが何かに気付いてぴょんぴょん跳ねながら両手を天高く振り回す。
「だりるー! だーりーるーっ!!」
 大きなアクションと声に気がついて、見知らぬ車が玄関についた時点で客人の顔を見ようと窓の傍に立っていたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がこちらへ反応を示している。
 まだ跳ねているジゼルの肩に両手を置いて、ルカルカはハインリヒに向き直った。
「ジゼル、ハインリヒさん。馬に乗ってみません?」


 厩舎から白毛の馬の手綱を引いて、ルカルカが戻ってくる。間近で見る馬は思ったよりも大きい生き物で、ジゼルが慌ててハインリヒの背中の後ろに入った後、スポーツコートが引っ張られるような感触を覚えてハインリヒはルカルカと眉を下げながら目配せした。
「ジゼル、近くにきて見てご覧よ。大人しいいい子よ。それにルカが付いてるわ」
 主人がそう言うのに、馬もジゼルを怯えさせまいと余計な動きはせずにそこに佇んでいる。かなりしっかり調教された、頭の良い馬のようだ。
「カナンの馬です」
「なるほどね」
「カナン――ってこの間お兄ちゃんがお仕事で行ってきたところね」
 ルカルカとハインリヒの間で交わされたやり取りにジゼルが一人小首を傾げていると、ハインリヒがもう一頭の栗毛に視線をやりながらジゼルの疑問に答えた。
「東カナンは騎馬軍団も居る有名な馬の産地なんだよ。確か領主様の馬だけ――」
「グラニですね。これからくるもう一頭と違って、完全な黒馬」
「青毛は元々珍しいけど、あちらでは特に珍しいんだって聞いてます」
「詳しいんですね。ハインリヒさんも、馬を飼ってるんですか?」
「うん、地球に。ダルメシアンみたいな斑のシャラツと栗毛のシャルコリヤって――名前はアレクがつけたんです、元々一頭はアレクのなんだけど……。あいつら元気にしてるかな」
 そんな会話の折、馬丁が手綱を引いてきた三頭目の馬を見て、ルカルカの眉がぴくっと反応する。
「ちょっと興奮してるみたいです」
「申し訳ありません。何時もはこんな馬じゃ――」
 馬丁が客人に頭を下げると同時に、突如馬が馬丁を振り払う様に嘶き前足を上げる。
 その迫力にハインリヒの背中の後ろから小さな悲鳴が上がった。その瞬間、素早く馬と彼等の間に入ったダリルが手綱を掴み、声と手の仕草だけで馬を落ち着かせる。
 青毛に額の白斑を持ったこの馬は、ダリルの愛馬なのだろう。
「ルカ、客人がくるのなら事前に連絡くらい入れろ」
「ごめーんえへへ」
 馬の鼻先を撫でてながらダリルが眉を顰めるのに、ルカルカは「でもサプライズのほうが楽しいでしょ♪」と舌を出している。
「恐らくジゼルの香りに興奮したんだろう、馬の嗅覚は人の感情を読み取るとまで言われる程優れているからな」
 ダリルの分析にジゼルはハッとした。感情が昂ると防衛本能から無自覚に蠱惑能力を行使しているらしい事は、パートナーに指摘されるまで彼女も気付かなかった事実だ。能力を制御出来ていない己の未熟さに、ジゼルの顔が真っ赤に染まる。
 ジゼルは第一印象で大きな馬を怖いと感じたのだが、馬のほうも得体の知れない少女を恐れたのだろう。
「ごめんなさい!!」
 反射的に馬に向かってぺこりと頭を下げたジゼルに、三人が吹き出してしまう。ジゼルと馬はこれで一応の仲直りが出来たようだが、未だ緊張している様子のジゼルを一人で馬に乗せるには心許ないと誰もが感じていた。
「俺が後ろに乗ろう」
 言いながらダリルは素早く鐙(あぶみ)に足を掛けると鞍の上に股がって、ジゼルに手を伸ばした。馬と、ダリルの手、両方を交互に見て、ジゼルはおずおずと手を取りダリルに鞍の前に持ち上げられる。
 手綱を持つダリルと馬の首に挟まれる形で横乗りになったジゼルは、不安そうにダリルを見上げた。
「私が後ろじゃなくていいの?」
 バイクを思い出して言うジゼルに、ダリルは首を横に振って否定する。
「馬は後ろの方が揺れる。前の方が乗り心地がいい」
「そうなんだ。……でもお馬さん、平気かな? 二人で乗って重くないかな?」
「元々は軍馬から選別されて城の厩舎に居るのを売ってもらったんだ。
 ジゼルを乗せるくらい文字通り軽いだろう、そうだな」
 ダリルが愛馬の背を掌で叩くと、白斑の黒馬は主人に答える様に嘶いてみせた。


 乗馬用のコースを軽く流した後に、森の遊歩道を抜け湖畔を一周して引き返すと、客間に通されてアフタヌーンティーを振る舞われる。と、言ってもグラスに注がれたのは、発泡しブドウの香りを漂わせる薄琥珀色の液体だ。
「大丈夫よ。シャンパン風のジュースだから」
「それは残念」
「帰り運転出来なくなるよ」
 ジゼルがハインリヒを嗜めている間に、ダリルが切り分けられたケーキをサーブし終えた。
 オペラと呼ばれる定番のチョコレートケーキは、ダリルのお手製だ。生地とガナッシュやモカシロップを何層にも重ねた上をチョコレートで覆い、その上に金箔が散りばめられた繊細な葉の形のチョコレート細工がのっている。一言で言えば、上品だった。
「かわいいっ」と、女子高生が悲鳴を上げるのに続いて、「これは凄いですね」とハインリヒが賞賛を送るのに、ダリルは笑った。
「手慰みだよ」
 当人はそう言っているが、オペラは数あるケーキのレシピの中でも、時間と技量を必要とする。下手に素人が手を出せばふにゃんと力の抜けた情けない形になってしまうのを、ジゼルは一度目のトライで経験していたから、此れだけの完成度で仕上げるには相当な腕がいるだろうと感心しきっていた。
「今日はこれを作っていたの?」
 ケーキを食べる手を止めてこちらを見てくるジゼルに、ダリルは頷き答える。
「午前中に少し時間が余ったからな。さっきまでは教導団員の健康診断と体力検査の結果のチェックをしていた」
「ダリルは家に仕事を持ち帰り過ぎ」
 ルカルカの咎めるような眼差しに目を反らして、ダリルはジゼルに向き直る。それはまさに彼女がフォークを口に入れた瞬間で、目が合うとジゼルは「美味しい」と言えない代わりににこりと微笑んで返した。
「気に入ったなら帰りに包もう。アレクと半分にして食べると良い」


* * * * *



「――と、まあそんな感じかな。
 疲れたんじゃないかって心配してくれて帰りに飛空艇で送るって言われたけど、折角違う車種乗れるからね、運転したかったしそのまま帰って来た」
 結局実際疲れていた方のジゼルは帰路の途中眠ってしまった。駐車スペースから運んできた彼女をアレクの膝の上に降ろして、ハインリヒは指に引っ掛けていた袋をテーブルの上に置く。
「君にお土産だって。ケーキ」
 名前だけで甘い香りの漂うそれに思いきり眉を顰めたアレクにハインリヒはけろっとした顔で「チョコレートは食べられたよね」と付け足した。そして棚のマグカップに手を伸ばした瞬間、短い髪が風で舞い上がる程の力で扉が開く。
ケーキと聞いて!!
 息を切らせたスヴェトラーナが目を輝かせて現れた。
 この勢いだとアレクが苦手な甘味にトライする事もなく、むにゃむにゃ言っているジゼルが起きるよりも前に、チョコレートケーキはこの世から跡形も無く消えるだろう。
「………取り敢えず――、コーヒー飲む?」
 振り返るハインリヒに、アレクは表情を変えずに頷いた。