リアクション
* * * * * この寒い中で立ち話も何だという訳で、姫星は休憩所に向かう事なくミリツァと手近なファーストフード店に入る事にした。 席について初めに会話を切り出したのは姫星の方だ。 「そういえば、葦原島に越してきたんでしたね」 「此処から歩いて25分くらいのところよ」 「そんなに! 今日はどうしたんですか?」 驚く姫星に、ミリツァは何でも無いというように首を振る。 「散歩が日課なの。最近……ジゼルの働いているお店のあおぞらというところがあるのだけれど――、姫星あなた知っていて?」 「私あそこの改装工事のアルバイトやった事あるんですよ」 姫星の話にミリツァが興味を示した為暫し会話が横道に逸れた後、話は戻る。 「あのお店で手伝いをしているのだけれど、それが無い日はこうして散歩したり、人と話したりして、それをお兄ちゃんとお話する、そういう約束なのよ」 ミリツァは数年の間、姫星が発見した棺の中で眠り続けていた。しかし目覚める前も人と触れ合おうとしなかった為、未だにコミュニケーションにたどたどしい部分がある。例えば先程姫星が後ろから彼女の名を呼んだ時も、ミリツァは姫星を認識するまでの一瞬の間、此方を睨みつけるような視線を送っていたのだ。幼い日から彼女の中に積もっていった警戒心と不信感は、簡単に解かれるものではないのだろう。 兄との約束の散歩や会話は単純に公用語に慣れる為の目的の他に、いわばまともな社会生活へ復帰する為のリハビリのようなものだった。だから姫星とのこのふれあいも、二人は気付いていないがミリツァの糧とになっているのだ。 「こちらの暮らしには慣れましたか?」 「ええ、普通の生活は慣れてきたわ。ただ葦原は文化が独特で……Japanski(*日本の)……というにはおかしいと思うわ」 眉を顰めるミリツァに姫星も何となく頷いてしまう。 アルバイトに通っていて思ったが、この付近ははあの変わり者の校長が創立した明倫館と同じくなんちゃって感の溢れる部分も多いのだ。地球人からすると、此処は少々不思議な街だった。 「――パラミタって本当に不思議なところね。 子供の頃お兄ちゃんに読んで貰ったどの外国の童話の本の世界よりも、一番に不思議よ。 この間もチェストにしまっていたパンツが消えたのよ。そういう悪戯をする妖精でも居るのかしら」 「えっ、パンツが消えるチェスト? いや、いくらパラミタでもそれは――」 言いかけた姫星はとある人物を思い当たり「あー」と言葉を作る為の声を伸ばした。 犯人は分かっている。姫星自身も彼女に妙な事を言われた事があったからだ。 (スヴェトラーナさんか……) くすりと笑って、姫星は人差し指を立ててみせた。 「寝たフリや出かけたフリをして『反響』使って探れば、原因の正体がわかるかもしれませんよ?」 「そうなの?」 「はい」 姫星のアドヴァイスに、ミリツァは「今晩やってみるわ」と頷いているが、犯人は無事に確保されるのだろうか。 「あ、そうだ。ミリツァさん、あとで七面鳥やローストビーフ買って行きませんか? 私さっきのところの近くでクリスマスのお惣菜売ってるんです」 「ああ。そういえば外国ではクリスマスには七面鳥を食べるのだったわね」 「ミリツァさんの国では食べないんですか?」 「クリスマスまでの六週間、肉や乳製品は食べないわ」 「ええっ!」 ポーズでは無く本気で驚いている姫星に、ミリツァはこれについては説明をするべきだと判断した。どうも自分の知っているクリスマスと、皆のクリスマスはズレがある。 「イブは家族だけで過ごすの。部屋の隅にくるみを置いて、藁をしいて、夕方にやっぱり肉を抜いた料理を頂いてお祈りをして、すぐに寝るわ。次の日というか12時を回ったら礼拝があるから」 「そうなんですか……」 感嘆混じりにそう返す姫星に、ミリツァは「定番と言う程の料理は無いけれど、一応お祝いはするわよ」と付け加えた。 「でも、じゃあ……七面鳥やケーキはマズいですね」 「そうは言ってもそこまで厳しく戒律を守ったりする人は敬虔な人だけね。 出来るだけ避けて、大体はイブの夜だけという人も多いわ。 私の家は守っていたけれど――」 ミリツァは続けた。 「今はAmerikanka(*アメリカ人)のトゥリンと、ほとんど……Ruskinja(*ロシア人)のツェツァと一緒だから。 生活について個人の意見は通り難いのよ。 だって料理をするのは殆どトゥリンだもの。お肉料理の買い物のメモを渡された日に、クリスマスの前にこんなもの食べていいのって聞いたら『バッカじゃないのだったら自分で作れ』って言われたわ」 情景が浮かぶような話しに姫星は苦笑する。 「でもそれでいいのかしらと思ってお兄ちゃんに聞いたら、『そんな戒律とっくに忘れた。ベジタリアン向けの料理なんか食ってたら訓練中に死ぬ』って言われたわ。 それから『40日もジゼルに飯の事で頭悩ませたく無い』というのも理由の一つのようよ。 それで私が『だったらお兄ちゃんが作ればいいのではなくて』と言ったら、『そんな長い間ジゼルの飯食えないなら俺は50口径咥えて自分の頭吹っ飛ばす』――お兄ちゃんこんな事言っていて別の戦地に派遣されたらどうするつもりなのかしらね。 ……兎に角、アレクは戒律を守ったら死ぬのね、と分かったわ。お兄ちゃんは色々なものに毒され過ぎだと思うけど、ミリツァもそんなにキビシイ! のでは無いのよ。 それにクリスマスと言っても私の国では12月25日では無く1月7日なのだわ。まだまだ日はあるのよ」 遠回しだったがそれは姫星のところで買い物をするという意味だった。 「スヴェトラーナさんきっと喜ぶと思いますよ」 姫星の笑顔に、「あの子を満足させるだけ買うなら、帰りはバスね」とミリツァは困った笑顔で答える。 さて、そろそろ休憩時間も終了だ。時計を見やってどちらともなく立ち上がり、二人は姫星のアルバイト先へと向かった。 総菜の入った袋をミリツァに渡しながら、姫星はにっこり笑う。 「クリスマスですから、皆さんでご馳走囲んで団欒を楽しんでください」 「そうね、ちょっと早いけれど――」茶目っ気のある表情で、ミリツァは「Hristos se rodi!」と微笑んだ。 (*Hristos se rodi!:クリスマスの挨拶の呼びかけ側「主はお生まれになった」) |
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