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壊れた心の行方

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壊れた心の行方

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アプローチ4

 ゴダートは首を振ってなにか言いかけたが、そこに通りかかった黒崎 天音(くろさき・あまね)ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)がゴダートに声をかけてきた。
「ああ、ここにいたんだな。光条世界の探索隊の情報をアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)教授に聞きに行こうと思うんだが、あんたも一緒に来ないか?
 日本には『幽霊の正体見たり枯れ尾花』っていう言葉があるんだけど……光条世界はどうだろうね?」
「枯れ尾花?」
「ああ、怖い怖いと思っていると、枯れたススキもお化けに見えるって言うたとえ話だよ。
 ススキってのは――日本の野原に良くある植物で、穂が弓のように弧を描いててね。冬枯れの中、風に吹かれてその残った穂がおいでおいでしてるような動きをするんだ」
「……もう光条世界と交戦しているという噂だけは聞いている。状況だけでも聞いてみるか……」
ルカルカと優は微かに頷いて天音らにゴダートをゆだねた。
 アクリトは以前からの気に入りらしいカフェのテーブルで何かのデータに関する意見書を作成していたようだった。適当に座って少し待っていてくれといい、手早く書き上げたものを送信すると言った。
「すまんね。これでひと段落だ」
ブルーズがすぐに全員から飲み物のオーダーを取り、程なく飲み物を手に戻ってくる。奇しくも全員がタシガンコーヒーをオーダーしていた。手早く飲み物を配り終わったブルーズガアクリトに尋ねる。
「メルヴィア少佐が指揮をとった光条世界の探索隊や、霊峰の調査結果は教授の元に届いているのだろう?
 まず気になるのは発見されたシャンバラに関する物品の事、それに霊峰で確認されたビアーの体と思われるものについてだが、アレについてはどう思われる?」
「幾つかの仮説を考えてはいるが、未だ確信に至るものはない。
 まずビアーの体だが、あれは打ち捨てられたものと考えて良いだろう。重要なのはその中身が何処へ消えたかだ。
 我々が得ている情報から考えれば、ビアーは、光条世界の在り方に対して肯定的ではなさそうなのだがな……。
 そして――光条世界にあった、我々の世界に存在するモノ。あれ自体はなんというものでもない。
 だが、シャンバラに存在するものが光条世界で発見されたことそこに何かカギがあると思う。
 あの存在こそが光条世界という空間、そして、“創造主”と呼ばれる何かの謎を解くのに重要な意味を持っているのではないかと考えている」
アクリトは考え深げに言った。。
「山葉を操った光条世界の存在ティーラおじさんについては……その脅威はどんなものなのでしょうね?」
天音が光条世界にすでに契約者たちが足を踏み入れ、なおかつ生還していることを示す情報を、目を丸くして聞いているのを横目に尋ねる。
「ティーラおじさん、か……非常に興味深い存在だな。
 山葉涼司の身体を乗っ取って、この世界へ現れようとしていたことを考えれば、自力でこちらの世界にやってくる事はできないようだな。
 ……報告を聞いただけだが、彼はエルキナらとは違う存在のようにも思える。はっきりした論理的根拠はまだ見つかってはいないのだがね」
「光条世界に……行ったのか……」
ゴダートが呆然と呟く。その背中をポンと叩いて、ブルーズが言った。
「そら、しょぼくれている場合ではないぞ。お前の目的は、地球や人々を救う事だったのだろう?
 回り道をしたかも知れんが、まだ間に合わんという事はない」
「あ……ああ……」

 シャンバラ教導団情報科所属の大尉として、一連の事件に関する調査を命ぜられた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)とともに三人のうち、性格が自分に近いレーネ――旧名:ベータ――と接触することにした。とはいえ、レーネは薬で老化を抑制され、気が付いたら少なくとも十数年の時間を失っていたのだ。その恐ろしさ、不安と心痛は想像するだけでも相当なものだろうと思う。
「……任務は別に急がなくてもいいわ。今はそれよりもレーネさんの気持ちを少しでも前向きにするのが先決だわ。
 やはり趣味の話がいいわよね。以前ほど楽しめない状態かも知れないけど、好きなことなら多少でも関心を持ち続けてはいると思うし」
ゆかりが言った。
「そうだね。会話の糸口にはなると思う、少なくとも、ね」
マリエッタも頷いた。あらかじめレーネの愛読書などはデータを送ってもらってあり、ゆかりはそれらの書籍に目を通していた。
 レーネは窓辺に佇んでいた。長い黒髪を編み下げにして、地味なワンピースを纏っている。その姿はどこか年齢不詳に見えた。
「私は水原ゆかり。こちらはパートナーのマリエッタよ、よろしくね。マリエッタは私をカーリーって呼んでいるの。
 レーネさん、読書がお好きなのよね? 私も本が好きなのよ」
「あら、そうなの……。どういうジャンルのものをよく読まれるのかしら? あたしはロマンスもの以外は大体なんでも読むかなぁ」
3人はしばらく最近読んだ本の感想や、ストーリーについてあれこれと談義を交わした。マリエッタは最近てに入れたいと思っている魔道書の稀覯本についても話しはじめた。広範に興味を持つのか、レーネは多少質問を交えながらマリエッタとも会話が弾んでいるようだ。訪れた当初ゆかりは話を聞きださねばならないかと思っていたが、レーネの社交的な態度に驚いた。だが、マリエッタがそっとゆかりをつついて耳打ちした。
「一見元気そうに見えるけど、大人だから表にいろいろ出してないだけなのよ。瞳を見たらわかるよ。時々苦痛が過ぎってる」
それからレーネに向かい、ズバリと言った。
「レーネさん。失われた時間はもう取り返せないけど、これからの時間は自分のものだから、まだ時間はたっぷりあるのよ?」
「まだ、時間がある……か、そうね……」
レーネが憂わしげな表情をする。
「カーリーもね、今年でめでたくアラサーだから。30なんてまだ若い若い」
「ちょっ、何を言うのよいきなり!」
 そこに同居のスポーンが来客を告げた。大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)とそのパートナー、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)だ。
「悪いけど、後半の話が耳に入ってしもた。レーネはんは策を弄するより、ストレートにお話したほうがよさそうな方でんな。僕らは音楽療法なんかどうかと思って来てみたんやけどな」
泰輔が言った。
「音楽……療法ですか……」
「10代から30代にワープしたんは、辛かったかもしれん。
 けど心のあり様は『実際の体験』でなくとも切磋琢磨はしうるもんや。読書ってそうやろ?
 自分では体験しえない他者の人生をなぞったり、先人の思索の糸を辿ったり。いわば人生のある部分のシミュレート、疑似体験やろ?
 そういうもんは思考の仕方やらどう行動すべきかなてことのヒントにもなる。
 恋愛もそうやないのかなー? そういったもろもろを、芸術によって体験させる事は出来んやろかと思うてな?」
「昇華ですか……」
レーネが言った。普段会話の苦手なレイチェルが遠慮がちに言葉をつむぐ。
「その、私、昔犯してもいない罪に問われて……周囲の人がそれをきっかけに離れて行っってしまったんです……」
「それは辛かったでしょうね……ひどいわ」
レーネが怒りのこもった口調で言う。
「でも、今、皆に会えて、いろいろ変わりました。信じる心も、もう一度得ることができました」
レーネは頷いた。
「……レーネさん、昔は、どんな夢を持っていたかとか何が好きだったかとか、ありませんか?」
「アレが起きる前も、あまり楽しい生活ではなかったから……特に何かになりたい、とかはなかったわ。でも、愛する人と共に、思いを分かち合いたい。
 そういう気持ちは常にあったわね……いえ、今もあるわ。遅いかもしれないけれど……」
シューベルトが流れる水のように滔々と語りだす。
「いやいや、恋にも愛にも年齢なんぞ関係はない! 
 そして音楽。音楽は、人の心を揺さぶって、魂の奥に無意識にためこんでる『イメージ』にも働き掛けることができる。
 情緒、感覚。それらをつむぎだす、そうして心に、少しでもいい、さざ波が立てばいいんだ。はじめは小さくても、波紋は重なり干渉しあい、うねりをも生み出す! このフランツ・シューベルトの名にかけて、『何も感じない』ようなことにはさせないよ。
 レーネさんの物語を紡ごう。体験できなかったことすらも『体験』するだろう。
 これは芸術にしかできない……理屈で行なえるのではない業なのだよ、これは」
「人生二十にして心朽ちたり、とか抜かした詩人もおるやろ? レーネはんにもできんはずはないて」
泰輔が言った。すでにシューベルトは忙しく曲のイメージを描き出していた。
「いや、これは……そう、これでいい。……うん、よし」
泰助とレイチェルを呼び、しばし打ち合わせの後、レーネのための、彼女だけの曲を3人が演奏し始めた。柔らかでやさしい、けれど明るい旋律が、部屋いっぱいに流れる。そこはすでにレーネの部屋ではなかった。真の音楽のパワーは聞くものの心にビジョンを描き出すことができる。しばし部屋にいた面々は別世界を漂った。しばしの沈黙の後、レーネが言った。
「ありがとう」
レイチェルがぎこちなく進み出た。
「あの、お友達になれるといいのですが。その、もちろん…レーネさんが御迷惑でなければ……」
「ありがとう。また遊びにいらしてくださいな」
レーネは微笑んだ。