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リアクション
2章
1.
「皆様、ようこそ薔薇園へ。私は本日のご案内人、ワルドと申します」
漆黒のスーツに身を包んだ黒髪の吸血鬼は、そう挨拶をすると一礼をした。
「久しぶりだな、ワルド」
「ジェイダス様は、だいぶお変わりになられたようで。……ラドゥ様は今回はいらっしゃらなかったのですね。ご挨拶をさせていただきたかったのですが」
「伝えておこう」
どうやら、ジェイダスとラドゥとは知己の仲のようだ。
「ルドルフ様も、今後ともよしなに」
「今日は、世話になるよ」
ルドルフとも挨拶を済ませ、ワルドは早速、生徒達をバラ園へと案内した。
秋は、春と並ぶ薔薇の見頃だ。また、一説によれば、秋の薔薇はとくに香りが豊かともいわれている。タシガンには本来薔薇の種類も多く、地球とはまた違う花も見ることができた。
「当園では昔ながらに、広い敷地でのびのびと薔薇を育てています。ですから、より薔薇の本来の美しさや豊かさを感じていただけるかと存じます」
ワルドがそう説明を添えた。【旅のしおり】にも同様の文章があり、とくに秋に美しく咲く薔薇の種類が数点、写真付きで説明されている。
薔薇のアーチをくぐり、広いバラ園に一歩を踏み出すと、誰もが息を飲む。それほどに、青空の下には、多種多様な色彩が溢れていた。
「あの」
それぞれに生徒たちが散っていく中、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)がワルドを呼び止めた。
「いかがいたしましたか? お嬢様」
「ここに、恋を叶える薔薇があるって聞いたんだけど、本物を見せてもらえないかな?」
誌穂の必死な表情に、ワルドは微笑んだ。
「秘密の薔薇というぐらいですから、希少価値は高いのではないでしょうか? もし、見学者が恋を叶えるエッセンスを作りたいと申し出たときに、秘密の薔薇は種として存続できるぐらい数が咲いているものなのでしょうか?」
セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)も、丁寧にそう尋ねる。
「本物……ですか。そうですね、あいにく、今お嬢様方に、こちらですと見せてさしあげることはできかねます」
「では、本当は存在しないと?」
「いえ。そういう意味ではありません。ただ、とてもとても、数は少ないのです。けれども、お嬢様が本心から、愛する人のことを思い探すのならば、その薔薇はきっと、見つかることでしょう」
「……愛する人のことを思って……」
最愛の女王の姿を心の中に思い描き、誌穂はそっと胸元で手のひらを握りしめた。
恋が叶う秘密の薔薇の存在については、【旅のしおり】でも触れられている。
興味を持つ生徒も、誌穂だけではなく、同様に多かった。
グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)も、その一人だ。
「すごいな。こんなに沢山の薔薇、初めて見た」
エンドロアが感嘆をこめて口にする。ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)は、手入れの行き届いた秋薔薇と、そして同じくらいに美しく愛しい弟の姿に目を細めた。
「お前も気に入ったか、グラキエス。私の家の庭にも美しい薔薇が咲いていたのだが……。お前がこんなに薔薇に興味を持つなら、僕に庭だけでも手入れさせておくべきだったな」
私の家、と簡単に口にするが、ベルテハイトの場合は「城」のほうが正しいだろう。
「ベルハイトは、薔薇が好きなんだ?」
「ああ。美しいからな」
「そうか……」
グラキエスは、その答えにしばし口を噤んだ。ややあって、ベルテハイトから少し離れると、共にこの旅行に参加しているゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)にこっそりと話しかける。
「ゴルガイス、特別な薔薇を探しに行こう。ベルテハイトは薔薇が好きだろう? 特別な薔薇を見せたら喜ぶと思うんだ。ああ、それと」
一旦言葉を切り、グラキエスは身につけていた銀装飾の黒いロングコートにそっと触れると、囁いた。
「アウレウスは、ここで待っていてくれ」
ロングコートを脱ぎ捨て、そう命じられ、アウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)は人型をとると慌てたように訴える。
「主よ、私を置いて行かれるのですか?! 私は御身を守るための鎧だと言うのに、何故です!」
「ベルテハイトが俺を捜しに来ないよう足止めして欲しいんだ」
「ベルテハイトの足止め?」
「そうだ。頼んだぞ」
「…………」
みるみるうちに、アウレウスの褐色の頬が紅潮する。
(主が俺に「頼む」とおっしゃられた……!)
その喜びに酔いしれたまま、アウレウスは力強くグラキエスへと答えた。
「お任せ下さい主よ、必要となれば全力をもってベルテハイトを足止めします!」
その言葉に頷くと、念のためグラキエスはベルテハイトへも声をかけた。
「少し、ここで待っててくれないか?」
「……? わかった、待っていよう」
やや不思議そうにではあったが、ベルテハイトは素直に頷いた。可愛い弟の頼みならば、無下にはできない。
そうしてから、グラキエスはゴルガイスを伴い、薔薇を探しに離れたのだった。
バラ園の中は、迷路のようになっている。
薔薇そのものは、腰の高さくらいまでなのだが、全体に高低差もある上に、生け垣状にいくつかつる薔薇が仕立ててあるため、少し離れるとすぐに迷ってしまいそうだ。
香りと色彩に溢れた、花の迷宮といったところか。
「それにしても、すごい数の薔薇だな」
とりどりの薔薇を、時に覗き込み、注意深く【特別な薔薇】を探す。
恋を叶える云々についてはよくわかっていなかったが、おそらく特別に綺麗で珍しいものだろうと思った。だからこそ、ベルテハイトに見せたいと思ったのだ。
「以前は花を愛でる余裕などなかったから、こんな薔薇を見るのは初めてであろう?」
ゴルガイスが尋ねる。
「……そうだな。同じ薔薇でも色も匂いも、形まで違っていて面白い」
グラキエスには記憶障害があるため、本当に初めてかどうかは自分でもわからない。だが、不思議と心惹かれるし、なによりも。
「甘いのに、不思議と心地よくて……。……いい匂いだ……」
「む?」
顔を近づけ、香りを嗅ぐうちに、次第にグラキエスの目がとろんと潤んでくる。しきりに目を擦るが、目のふちが赤く染まるばかりだ。
「何か……ねむくなってきた……」
「眠いのか?」
頷くグラキエスの腕をとり、ゴルガイスは自らにもたれかからせてやる。すると、よほど眠気を催していたのだろう。あっというまにグラキエスの身体が重みを増した。
(ふ……妙な所が似たものだ)
子供のように眠ってしまったパートナーの身体を、ゴルガイスは軽々と抱き上げた。薔薇を見つけられなかったのは残念だが、おそらく、そろそろベルテハイトがグラキエスがいないことに大騒ぎをはじめてもおかしくない時分だ。戻ったほうが、なにかと良いだろう。
そう思いながら、眠り込んだグラキエスを見つめ、ゴルガイスは心の中で呟いた。
(我が友も、薔薇の香りは眠くなるのだと言っていた。いずれお前の記憶が戻る事があったら話してやろう。我が友の存在は、お前の過去の数少ない救いになるはずだ)
確信をこめた、しかしそれは、どこか祈りにも似た思いだった。
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