校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
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●チェスの駒(1) 視点を、空京ロイヤルホテルから遠ざけよう。 しかしロイヤルホテルが中央にあることはそのまま。ただし、ホテルを外から眺めている視点でこれをぐっと引く。尖塔のようなロイヤルホテルの外観がどんどん小さくなるところを想像してほしい。 ある程度引いたところで、小さくなったホテルの姿が奥、手前には水平の鉄骨……つまりビルの建築資材が見える位置で止まる。 建築現場なのだ。空京の発展は日進月歩、こうして建造中の建物は街中の至るところにある。この場所も、老朽化した建物が撤去され、新たな高層ビルが組み上げられている途中なのであった。 連日突貫で行われている建築工事もさすがに元旦は休みだ。 午後の陽差し差す中、地上数十メートルはある骨組みの頂上付近に、白い丸テーブルが置かれていた。 あまりにもこの場所にそぐわない光景だ。テーブルの上にチェス盤が置かれているとあれば尚更だろう。鉄骨は太いとはいえ、ゆっくり休めるスペースはない。椅子が置かれているが、椅子のひき方を一つでも間違えば、椅子ごと真っ逆さまに落下しかねない。 そんな危うい状況でありながら、椅子に座る人物は悠然と紅茶を淹れ、飲みながら一人でチェスを差していた。白黒交互に駒を動かし、有名な棋譜を再現している。 彼女はクランジΘ(シータ)。紫のスーツ、今日はスカートだ。ストッキングに包まれた長い脚を組んでいた。ゴーグル状の眼鏡をかけ、栗毛の髪をやはり紫の帽子から覗かせている。 「明けましておめでとう。親愛なる頭でっかちさん」 彼女の頭上から声がした。 「来ると思っていたよ。誰かが、ね。だからティーカップも二つ用意してある」 シータは見上げた。鉄骨に足でぶら下がり、蝙蝠のような姿でゆらゆらと揺れる人影があった。 「きみだったか。どうぞ、正面の席でよければ座りたまえ」 シータが声をかけると、坂上 来栖(さかがみ・くるす)は音もなく飛び降りた。 「あのホテルを視界に入れることができ、なおかつ他の人間に姿を見られない場所……少し探したよ。色々な条件をつけていくと、結局はここしかなかったけどね」 来栖は椅子を引いて浅く腰掛けた。 来栖はフード付きのコートで全身を包んでいる。軽装のシータに比べるといくらかは温かそうである。 下ろしたフードの奥、顔は影がさして暗いが、その両眼はじっとシータを見つめている。 「それで?」 「それで……だと」 気色ばむ来栖を見ても動じず、シータはチェス盤の駒を動かした。 「ここでポーンを前進させておくと、ちょうど二十手先で驚くべき使い道がでてくる。わかるかい?」 「そんな話を聞きに来たわけじゃないよ」 「わかってるよ。話があるのはそっちなんだろう? だから『それで?』と言った。話す気がない人なら、とうに私を攻撃しているだろうからね」 あいかわらず慇懃無礼な口ぶりのシータである。とはいえどこか、楽しんでいるようでもあった。 来栖は落ち着きを取り戻したように、座り直して口を開いた。 「クランジΘ。あんたがが殺戮兵器だの、国家を作ろうとしてるだの、そんな事は心底どうでもいい。ただ、あんたは私をコケにした、この私を……! 受けた辱めは万倍返しだ……これは願望でも希望でもない」 「確定事項、ってことかい?」 「その通り」 「じゃあ私にビール会社のロゴが入ったワンピース水着でも着せて、赤いハイヒールで給仕させるかい? 『ご注文をどうぞ』とか言わせたりしてね。恥辱度合いとしたら結構なもんだと思うよ」 「そんな世迷い言ばかり言ってたらイラスト化するよ? ……というのはともかく、今日はせっかくの正月だからね。世間話で終わらせたいと思う。いいかい?」 「世間話、それは結構」 「あ、催眠術とか小細工なしね、額に口を増やしたくはないでしょう?」 「本当に使って、今すぐ私の額がパックリ割れておにぎりでも食べるところを見せてあげたいけれど、ここまで用心されている相手にはそうそう催眠術は効かないんだ。ごめんね」 「まったく。ああ言えばこう言う……」 来栖は腕組みした。だが、こういう言葉の応酬は嫌いではない。来栖は右方向を向き、空京ロイヤルホテルを指した。 「それでさ、あそこ、知ってる? 知ってるとは思うけど」 「何か、やってるらしいね」 などととぼけるシータに、言葉だけは合わせて来栖は続けた。 「今頃パーティーですよ。やだね〜セレブってのは、お金ば〜っか使って」 「うらやましいなら行けばいいじゃないか」 「冗談、高いお金払って馬鹿馬鹿しい……別に思ったより高かったとかじゃありません」 シータはうなずいて先を促した。来栖はニヤリと笑って言った。 「でも、あんたみたいな人を舐めくさったヤツは、こういう機会を逃さないと思って姿を探させてもらったよ。そしたら……ビンゴ」 パン、と指を立ててシータを撃つ仕草をしてみせた。 シータは、微笑した。 「おめでとう。でも、賞品は出ないよ」 「本当に気に入らないよ。あんたみたいなヤツ」 じろりと来栖の目が鋭さを増した。来栖は続ける。 「あんたみたいなのは、自分が追われ狙われる立場だとしても堂々と出てくるんですよ。ポケットに最低限の用意を突っ込んで、日課の散歩ですと言わんばかりに出てくるんだ。分かるんですよ……よく知ってるんだ」 「そりゃあ、そうだろう」 バラバラとチェスの駒が崩れた。散った駒は白黒問わず、鉄骨から落ちて地面に降る。 シータがテーブルに身を乗りだしたのだ。 前のめりになった来栖の、数センチ先まで顔を寄せ、クランジ特有の機械仕掛けになった瞳を歪め口が裂けるような笑みを見せた。 来栖は引かなかった。むしろ顔を寄せた。 どちらかが舌を出せば、ふれあえるくらいの位置。 恋人同士のように、宿敵同士のように、目と目、にらみあったままシータは言った。 「知ってるに決まっているさ。どうやら私たちは、同じタイプらしいからね!」 ぷっ、と吹きだしたのは来栖のほうだった。同じくシータもくすくす笑いから、身を仰け反らせて爆笑した。二人が笑うとテーブルが揺れて、チェスの駒がまた落ちていった。チェス盤も。 十何秒か、二人は狂ったように笑ったが、来栖はやがて立ち上がっていた。 「今日は、話せて良かったよ」 くいと指先をシータに向けると、落ちたはずの駒が浮き上がって戻ってきた。風術だ。 「けど、一つ否定させてもらいたい。あんたと私は似てるかもしれないけど、決定的に違うところがある。それは私が、あんたの野望になんかてんで興味がないというところ」 微調整が効かず、駒はまた地面目指して落ちていった。 シータは大仰な動作で、笑いすぎで涙が出ていた目を拭い眼鏡をかけ直した。 「そうかい。じゃ、せっかくだから教えてあげよう。実はね、パーティ会場となっていあるあのホテル……あそこに爆弾を仕掛けてあるんだ。大量にね」 「ふーん」 来栖は興味なさげな眼をする。シータは手を開き、握っていた黒い駒を来栖に示した。 「この駒、黒のナイトね? これが起爆装置になっているんだよ。この駒が強い衝撃を受けたらドカンさ。セレブどもは全員、自分が死んだことすら気づく暇もなく吹っ飛ぶ」 「冗談でしょ?」 「冗談だよ」 ――と、言った瞬間にシータは立ち上がり駒をテーブルに叩きつけた。 反射的に来栖は飛びだす。 間一髪、駒は来栖の手に収まっていた。 同時に、シータの姿も消えていた。 「?」 来栖は周囲を見回し、舌打ちして手を開いた。 嘘だったのだ。駒は木製、電子部品が組み込まれているにしては軽すぎる。 逆さにしてみると、黒のナイトの中には小さな紙が仕込んであった。 「爆弾話のところから仕掛けだったわけさ。 考えてもごらんよ、御神楽環菜みたいな食えない女が、ホテルが吹き飛ぶほど大量の爆弾仕掛けられて気がつかないわけがないだろう? 大げさな前振りだったことは謝る。けれどきみのように用心深い相手には、これくらいやらないと催眠術は効かないんだ。面倒だね。 また会おう。楽しみにしてるよ。」 文末に手書きで大きく、『Θ』と記号が記してあった。 「ああ、そう」 まるでラブレターのように、丁寧に手紙を折り畳んで懐にしまうと、来栖はフードを被り直してもういちど笑った。 「楽しみだよ。本当にね。……次会ったときは必ず泣かす!」 来栖は誓った。