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リアクション
「ああ、金ちゃん。ちょうどいいところに来ましたわ。蛍光灯の交換を手伝ってくださいませんこと?」
庶務課の部屋を出た金ちゃんは、さっそく捕まっていた。脚立や修理道具を手に社内の雑務を引き受けて回っていた庶務二課の女子社員の崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が人手を探していたのだ。
どうやらこの会社の庶務には、他に庶務二課と呼ばれている部署があるらしく、亜璃珠はそこの所属しているらしい。庶務二課は社内の掃き溜めなどと呼ばれているらしいが、目の前の女性はそんな部署にいるほど出来が悪そうには見えなかった。むしろ優秀で仕事が出来そうな感じだ。だから、きっとカムフラージュか何かなのだろう、と金ちゃんは判断した。庶務と見せかけて、他に何か重要で特殊な任務についているのかもしれない。
亜璃珠は庶務二課の重要な人物の一人で、主に社内で誰もやりたがらないような雑務をこなしている。縦巻きロールの髪型にミニスカタイトのスーツ姿はある意味シュールだ。そのけしからんナイスバディと、くらくらしそうなフェロモンは、本来なら別の場所で使われるべきだろう。世間知らずのお嬢様が問題を起こすと危ないってことで、庶務二課に放り込まれたのだが、亜璃珠は今のところ従順に雑用をこなしている。ここで会ったのも何かの縁なのだろう。
「金ちゃん、大石社長を捜しているんでしょう? だったら社内を雑用して回れば、そのうちに手掛かりをつかめますことよ」
どうしてこの男が社内をふらふらしているのだろう、スタジアムの建設現場に行っているはずでは? と亜璃珠は一瞬思ったが、使えるものは何でも使ってしまうことにした。何より、連れていくと色々と面白いかもしれない。そんな悪戯っぽい考えも彼女の脳裏を少しよぎる。
「社長が、そんな簡単に目の前に現れるとは思っていないのだが」
金ちゃんは答えた。
「そうでもないわ。大石って、自分の権勢をひけらかすかの如く大勢の手下をひきつれて社内を練り歩いてますもの。私は別口を当るつもりですけど、少しくらいなら案内して差し上げますわ」
「なるほど。だが、私は課長にも用を頼まれていてな。そちらを先に済ませなければならない」
「あら、金ちゃんほどの人が、仕事の同時並行は出来ないってこと? 案外、事務処理能力が残念だったりして……」
「むっ!?」
亜璃珠のあからさまな挑発に、金ちゃんはあっさり反応した。結構素直な男なのかもしれない。任せておけ、とばかりにやる気を込めた口調で言ってくる。
「この私がパラミタでの地位とプライドに凝り固まって雑務などこなすことの出来ないひ弱な男と思っているようだな。よかろう、手伝ってやろう」
「さすが、頼りになりますわ」
本当は一人でできるんですけどね、と見えないところでチロリと舌を出すと、亜璃珠は金ちゃんに荷物を持たせて手下のごとく引連れ、まずは営業部へと向かってみることにした。きっと蛍光灯の調子がおかしいだろう、強引に直してしまおう。この当たりの部署なら、大石の息のかかったエリート社員がとかがいるに違いない。そう考えてのことだが。
その道すがら……。
「あれ、亜璃珠さんってば、もう男拾ったの? 手ェ早いじゃん……、ってなんだ金ちゃんだし。何をしているのよ、あなた?」
給湯室から出てきた、同じく庶務二課の雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)とぶつかった。彼女も、セクシー秘書生活が送れるとわくわくしていたが、肉食女が社内で暴走したら仕事にならないとクレームがついたらしく庶務二課に飛ばされた、とかいう口で、見ての通り目もくらむような色香を振りまいている。そのミニスカートの裾の詰めっぷりは、むしゃぶりつきたくなるようなデンジャラスさだ。特技は狩り、というところだろう。リナリエッタはリナリエッタで、情報収集のために社内を雑務して回っていたのだが、偶然はち合わせてしまったらしい。
「電球を取り換えるふりして給湯室に盗聴器を仕掛けてるしぃ。女子社員たちがよくたむろして噂話をする名スポットじゃん、ここって。盗み聞きには持って来いってわけよ」
「まずは地道に糸を垂らして魚が掛かるのを待つってわけですわね」
亜璃珠のセリフにリナエッタは微笑んで頷いてから、
「金ちゃんもついてきていいよ。どうせしばらくは暇なんでしょ?」
「なぜそうなる。私はスタジアムの建設現場へ出向く前に敵の情報を」
「まあ、そうつれない事を言うもんじゃないですわ」
本来の目的とは違うのだが……、亜璃珠は強引に金ちゃんの脇に両腕を回し、ふうっと耳の後ろから息を吹きかけてみる。
「むうっ!?」
金ちゃんは、正面を向いたまま器用に耳だけをピクリと動かす。表情も姿勢もそのままなのに。こんな技を秘めているとは、さすが侮れない男だ。
「何をしている?」
「ナニをするなら、場所を変えましょうってことですわよ」
亜璃珠は、乗り掛かった船だとばかりに、金ちゃんを連れ出す。ターゲットの大石派の人間で見本を見せてあげるとしましょう、と決めたのだ。
「ちょっと面白そうだしぃ」
リナリエッタと二人で両脇を抱えるように挟み込み、まるで強制連行だ。
「ぬう……っ、このような暴挙さすがに看過できn」
ぼいんぼいんぷにぷにと弾力に挟まれながら、金ちゃんはその場から連れ去られていった……。ちなみに、脚立は置き去りだ。
これも、社長である大石の一派を探り当て情報を得るため、サラリーマンの仕事の一つ……なのだろう。
「……じゃあ、そういうことで、よろしくお願いするわ」
電話を切って、書類を抱えたまま次の部署へと走る。
会長秘書として配属されていたルカルカは、膨大な仕事に追いまわされていた。各種手配からスタジアムの情報入手、人員配置や関係部署への根回しまで、目の回るような忙しさだ。秘書として山場会長を社長派から守りながら、同時に金ちゃんがいつでも動けるように下準備を整えておかなければならない。しかも、今回の事件だけではない。山場会長は通常業務もあるのだ。その手伝いもしないといけない。
金ちゃんは、今は事務仕事(?)に勤しんではいるが、それは時期を見計らっているのだということくらい彼女は十分に承知していた。団長に対する全幅の信頼。彼は、きっと容易く全てを片付け何事もなかったかのようにパラミタに戻るだろう。その時のために……。団長からもらった全幅の信頼。彼はルカルカに下準備を期待している。その期待を裏切るわけにはいかない。絶対に、だ。
(一緒に頑張りましょうね、団長……)
心の中で呟いて、自分への励みにする。
と。その団長が……、いや金ちゃんが、廊下の向こうからやってくるのが見えた。
「あ、金ちゃ……」
思わず声をかけそうになって……。
「……はい?」
ルカルカは目を疑う。
ぼいんぼいん、と金ちゃんは両脇からむっちりむんむんナイスバディに挟まれて連行されてくるではないか。
「うむ、ご苦労」
ルカルカの姿を認めた金ちゃんは、動揺することなく堂々と頷いてみせる。キリリと引き締まったいつもの頼りになる団長の顔だ。その泰然自若ぶりは本来ならとても頼もしいのだが、どういうわけか全身がぐんにゃりしていて力が入っていないようだった。一体何があったのだろうか。
「な……なにをやっているのよ……?」
「あら、会長秘書さんではありませんこと? お忙しくて大変ですわね」
おほほほほ……、と笑ったのは亜璃珠だった。胸がたゆゆんと豊満なたわみを見せる。
「私たち、これから社内で雑務があるしぃ、秘書さんには関係のないことだしぃ……」
ニンマリとしながらルカルカを見つめるリナリエッタ。胸がたゆゆんと豊満なたわみを見せる。
「ふっ、愚劣な……、色仕掛けごときがこの私に通用するとでも思っているのか」
金ちゃんは、両側からたわわな弾力を押し付けてくる亜璃珠とリナリエッタにちらりと交互に視線をやり、見る者を恐れさせるような冷たい笑みを浮かべた。
つつーっ、と鼻から鼻血が流れているのは内緒だが。
「あの……団長、顔もセリフもかっこいいんですけど……鼻血でてます……」
ルカルカが指摘すると、金ちゃんは静かに眼を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。愚問だ、とでも言いたげだった。
「うむ、失敬。どうやら少々疲れているらしい。だが、作戦行動には支障はない」
金ちゃんは、ポケットからちり紙を取り出すとおもむろに鼻につめる。
「これでよし」
「……」
ルカルカはしばらく唖然と見つめていたが、眉根を吊り上げる。
「今すぐ団長を放しなさい! 愚弄すると許さないわよ!」
「団長……? そんな人どこにいますの? サラリーマンの金ちゃんですわ」
「愚弄なんかしていないしぃ、これスキンシップだしぃ……」
また好き勝手なことを……!
「――っ!」
ビキリ! とルカルカの何かが切れかけた時だった。
「じゃまだ、どけ」
不意に……、向こうの角から忙しそうに足早にやってきた人物がルカルカを突き飛ばした。完全に虚を突かれた形で、ルカルカは怒りも吹っ飛び、きゃっと尻もちをつく。それまで抱えていた書類がバサバサと床に落ち散らばった。
邪魔な障害物を排除して立ち去って行こうとしていた人物は、ん? とようやく気付いた様子で立ち止まり振り返る。
「……なんだ、廊下でピーチクさえずっているのがいると思えば、会長の出来の悪い新人秘書か……。人の進路を塞ぐことしかできないなら部屋の外から出るんじゃない」
ギロリとルカルカを睨み下ろしたのは、社長秘書の一人で平等院鳳凰堂 レオだった。彼は、敵対する会長派の秘書であるルカルカを冷たい視線に投げかけ、冷笑を浮かべる。
「ふん、山場の爺さんももうこんな娘を雇うほどの力しか残っていないのか? 早くも勝負は決したようだな」
「う……」
嫌な感じの流れだが、何も言い返さずに我慢して書類を拾い集めるルカルカ。
その書類をぐしゃりと靴で踏みつけておいてから、レオはぼいんぼいんに挟まれたまま自分を見つめている男に向き直る。ズボンの裾あたりから小さなUSBメモリがこぼれ落ちたが、彼は気づいていないようだった。ルカルカは書類とともにそれを拾い上げる。彼女はレオに苛められ泣きながら(?)走り去っていくようにどこかに行ってしまった。
それをフンと鼻で笑って見送ってから、レオはもう一度金ちゃんに目を向ける。
「なんだ、お前は?」
「金鋭峰だ」
「ああ……、お前があの山場の爺さんのお気に入りと言われている、庶務課の鉛筆削り君か。昼間から働きもせずにいいご身分だ」
「すでに働いている。一ヵ月後には成果が出るであろうから、その時に報告する」
「ふっ……、期待せずに待っていよう」
レオは冷酷に微笑むと、金ちゃんには興味を失ったように反対側を向いた。もう一人、向こうから歩いてくる男に恭しく声をかける。
「お疲れ様です、ジュニア。社長はお待ちかねです」
「ああ、わざわざ迎えに来てくれたんだね、平等院鳳凰堂クン。君の忠誠と働きぶりには感謝しているよ」
レオにジュニアと呼ばれた男は、社長の大石権造の息子で大石慎一郎(おおいししんいちろう)だった。彼は、レオとは雰囲気の違ういかにも苦労知らずの二代目ボンボンといった男で、年齢的には三十代半ばのはずだが、ずいぶんと若く見える。現在営業本部長を務める、社内のエースだ。当然、次期社長と目されている。レオが丁重に扱うのも無理はなかった。
「ずいぶんと面白そうな男が出てきたものですわね。大石ジュニアとは、盲点でしたわ」
亜璃珠は、慎一郎に視線をやりながらうっそりと微笑む。
「設楽専務を追い出した後、あのジュニアが専務になるのは見えてるしぃ。そしていずれは、大石が会長に、ジュニアが社長になって、乗っ取り完了じゃん」
リナリエッタは亜璃珠に耳打ちする、と見せかけて金ちゃんに耳打ちする。
「よく見ると結構お坊ちゃまで優男ですし、キーパーソンの一人ですわね。……アレにしましょうか」
亜璃珠はリナリエッタに耳打ちする、と見せかけて金ちゃんに耳打ちする。
「状況はわかった。ところでそろそろ耳に息を吹きかけるのをやめてほしいのだが。どういうわけか背中がぞわりとする。こんな経験、初めてだ……」
金ちゃんは、小声で、だが威厳のある口調で告げる。鼻にちり紙をつめ、顔が少々赤くなっているが、そこはさすがに彼だ。表情は変えない。その貫禄十分の態度にさすがに恐れ入ったのか、亜璃珠とリナリエッタは金ちゃんをようやく離した。
二人は目配せしあうと、レオとともにジュニアが去っていった方向にこっそりと後をつけていく。なにかやらかすつもりのようだが、その成果が現れるのは、後の話になるだろう。
「……」
金ちゃんは、その場に佇む。なんだか単に置き去りにされただけのような気がしたが、それはきっと勘ぐりに違いない。
廊下に置きっぱなしにしてきた脚立を回収しに金ちゃんが元来た廊下を引き返していると、さっきリナリエッタが何か仕掛けていた給湯室で、ルカルカが一人ぐぐっっとかみ締めるように何かを我慢しているのを見つけた。
「……」
給湯室に入っていった金ちゃんは、わかっている何も言うなとばかりに、ルカルカの肩にポンと手を乗せる。ルカルカは、ぱあっと表情を明るくして元気に言った。
「大丈夫ですよ、団長。団長が頑張っているのに、ルカが負けるわけにはいきませんから」
「……」
金ちゃんは、そんなルカルカを見つめ頷く。頼りにしているとその目は言っていた。
「ええ。お互い、しばらくトラブル続きでしょうけど、味方はたくさんいるんだから」
ルカルカは励ますように言ってから、ふと気になって我慢できなくなって突っ込んでみる。普段の団長ならありえない所業だ。
「あの……、金ちゃん? そろそろ、鼻のちり紙取ってもいい頃だと思うんだけど」
なんということだろう。いくらサラリーマン金ちゃんとはいえ、大切な団長が弄ばれているような気がして悔しくなってきた。さっきの光景……、金ちゃんは豊満な二人に挟まれて所在無さげな少年のようだった。だいたいあの色気とおっぱいはなんなんだ? いや胸の大きさではルカルカだって負けてはいないのだが……、そう断じて! 負けず嫌い気質のルカルカにむくむくと競争心のようなものがわきあがってくる。
彼女の知っている団長とは違い、ちり紙を処分しているちょっと頼りなさげな金ちゃん。平常なら決して口にしないような言葉がつい出てしまう。
「ねえ、さっきの二人と私……どっちがおおきいのかな?」
自分の胸元に視線を落としながらルカルカ。
「その……、さっきみたいな状況で、団長がどうしてもって言うなら……団長相手なら……、ちょっとくらいなら……私のだって、触っていいのよ……? 私だって、負けてないんだから……」
「……」
「……って、なに言ってんだろ、私。ごめん、金ちゃん今のもちろん冗談よ冗談……」
「……」
「え?」
振り返った金ちゃんの真剣な眼差しに、ルカルカはゴクリと喉を鳴らす。彼はルカルカをじっと見つめている。沈黙……。なんだろう、この異様な感じは……。
「い、いやねえ、どうしたの金ちゃん。気にしないでって。さ、仕事仕事……」
「……」
金ちゃんの顔がゆっくりと近づいてくる。その瞳に、射すくめられたようにうっと硬直するルカルカ。
「え、そんなちょっと待って、だめです団長! なにをやって」
息が吹きかかるほどの距離、金ちゃんはルカルカの耳元でぽそりと囁く。
「この給湯室、盗聴器が仕掛けられているそうだ。気をつけたほうがいい」
「……。……え?」
なんか、呆気にとられたルカルカが目をぱちくりする。
「そうか、冗談か。こんなのも……たまには面白い」
それだけ言うと、金ちゃんはくるりと身を翻し、給湯室から出て行った。脚立を回収し何事もなかったように去っていく。
「……」
え、盗聴器? もっと早く教えてくれたっていいいのに、っていうか誰かに聞かれているかもしれないのに何を一人大きな声で口走って……。
「うわあああああっっ!?」
ルカルカの叫び声が背後から聞こえたような気がした。
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