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サラリーマン 金鋭峰

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サラリーマン 金鋭峰

リアクション

「うむ、わざわざ東京まで出てきてもらってすまん。もはや社内で密談できる状況ではないのでな」
 山場会長の連絡で、金ちゃんたちは大宮を離れ東京の銀座までやってきていた。
 ここに知る人ぞ知る高級クラブがある。クラブ「飛鳥〜Asuka〜」。山場会長の行き着けのクラブらしい。
「ここはちょっとまずいかもしれません」
 人事部長の風見友人(かざみともひと:風祭 優斗(かざまつり・ゆうと))の紹介で山場会長と設楽専務を相手に商談することになっていた御神楽 陽太(みかぐら・ようた)は店の看板を見上げたまま立ち尽くす。
 ずいぶんと敷居の高そうなクラブだった。いや……少々高くともお代の心配はないのだが、そもそも最愛の妻がいるのにこんなところに来てもいいのだろうか。
「心配せんでもここに来とる紳士たちは皆妻子もちだ。浮気するでもなし、みなよくわかっておる。話の場を借りるだけだ。尻込みしなくてもいいだろう」
「いや、ここじゃなくてもスペースはいっぱいあるはずでs」
 陽太は山場会長と設楽専務に半ば連行されるような形で店に入った。金ちゃんはその後からゆっくりとついてくる。なんか陽太の姿を見て少し愉快そうだった。そんな性格ではないはずなのだが、何か嫌なことでもあったのだろうか。
「あら、山場会長いらっしゃいませ。ずいぶんとかわいらしい子たちを連れてきたのね」
 出迎えてくれたのは、この高級クラブ「飛鳥〜Asuka〜」のママ、真田未鈴(さなだみすず:師王 アスカ(しおう・あすか))だった。
「うむ、今日は少し込み入った話をしたくてな。あまり気を使ってもらわんでもいいぞい」
 深刻な声で言う割には山場会長の顔は幾分にやけていた。ママの未鈴にデロデロになっているのは一目でわかる。それくらい未鈴はいい女だった。美人というだけでなく、包み込んでくれるような柔らかな雰囲気を身にまとい、見るものを落ち着かせてくれる。
 内装はお客様がリラックス且つ有意義にできるようにと優雅なアンティーク調にしつらえてあり、照明も暖かなセピア色で、ずいぶんとしっとりとしたいい感じのクラブだ。
 なんでも、この会員制クラブで会員の紹介があれば入店可能らしいが、客層が半端でない。政財界の大物やセレブの御用達なのである。
 未鈴は察して、防音・盗聴防止設備のいきとどいたVIPルームへ案内してくれる。これまた、極上の作りながらも嫌味のない室内で、落ち着いて話すにはもってこいの作りだった。
「金鋭峰さんとおっしゃるの、初めての方ですわね……? 気張らずにリラックスしてくださいね」
 未鈴はやわらかく微笑んだ。金ちゃんがいささか硬くなっているのを悟って緊張を和らげる。うむ、と頷いて金ちゃんはゆっくりと座った。
 彼らが席に着くなり、さっそくホステスたちがやってくる。
「ほらやっぱり、女の人いっぱい来ました。もうだめです、妻に顔向けできません。場所を変えましょう」
 陽太は逃げ腰になったが、金ちゃんにその手を握って止められる。
「逃げてはだめだ。私もここ数日のサラリーマン生活の中でこんな修羅場を潜り抜けてきた。その結果、一回り成長した気がする」
「もう金さん、早くもかつての威厳ある団長の面影残してないじゃないですか。だめですよ、それは成長とはいいません。鉛筆削りしかしていないし、劣化してませんか?」
 陽太の言葉に、パロディとはいえ本当に鉛筆削りをさせられた金ちゃんは、首を横に振る。大丈夫だ、明日から本気出すし。
「今は私の有様について語る場ではないだろう。山さんも設楽専務も君の助けが必要なんだ。頼むから話をしてあげてほしい」
「確かに打ち合わせにはきましたが……」
 陽太は少々面食らった。まさか金ちゃんがこんなに熱意を込めて口説いてくるとは思ってもいなかったからだ。
「仕方ないですね」
 女性接近禁止の約束をしてから、陽太は腰を落ち着ける。
「まず、金さんにも聞いてほしいのですが」
 資料を手に口を開いたのは風見部長だった。風見部長は、表向きは社長の大石派の人物だ。だから排除されずに重要な地位を占めていられる。そんな彼が山場派の二人と昵懇の仲のごとく社内で打ち合わせをするわけにはいかなかったからだ。それが、場所を変えた理由のひとつでもある。
「現在山場建設には会長と、社長、そして専務も合わせて25人の取締役がいるのですが、その23人までが大石派になりました」
「反対の2人というのは、私と専務だけということか」
 山場会長は沈痛な口調で確認する。そうです、と頷く風見部長。
「さらに、現在の持ち株数で考えても、大石派が会長個人の保有数を遥かに越えています。彼自身はそれほど株を持ってはいませんが、コネのある銀行筋や政治家、官僚、資産家などを含めると間もなく30%を越えるものと思われます」
「危ないな。もうそんなに集められたのか……」
 株数が半数を超えると(51%以上)、実質上会社を支配することができる。株主総会を開き、賛成過半数以上で決議を通せるからだ。これまでは、いくら大石が社内で権勢を振るっているからといって、保有株数はまだ少なかった。だからまだ抑えがきいたのだ。が、大石側が株数でも大幅に上回るとなると、この山場建設は完全に大石のものになる。
「ただ、まだ負けと決まったわけではりません。キャスティングボードとなる方が海外におられるのですが」
 風見は資料を見ながら言う。
「ドイツの大富豪で一人……、山場建設の株を20%近く保有している方がいるのですが、その方が山場会長側についてくれれば、あるいは……」
「ああ、彼なら私が創業当時に出資してもらった覚えがある。それから数十年、株を持っているだけで特に何も言ってはこなかったが、いよいよ動き出したということか」
「そのお嬢様が今、父上の委任状を持って日本に向かっておられます。まもなくこちらに現れるでしょう」
「なんとか説得できればいいが」
 設楽も頭を悩ませるように言った。大株主が味方についてくれれば心強いのだが、説得の材料がないのだ。なにしろ、株価は低迷している上にスタジアムの建設は滞っている。まともな大株主なら、味方になってくれるどころか、むしろ山場会長と設楽専務の責任を追及するだろう。
「人事部としましても、株主の動きまでは止めることはできません。ただ、いくらか仕掛けるつもりではありまして」
「それで御神楽陽太を呼んだというわけか」
 ホステスに両側から挟まれて身動きが取れないまま、金ちゃんは平常の口調で言う。
「今回、我が『カゲノ鉄道』はスタジアムの建設に事業提携したいと考えております。420万Gの資金援助も計画には入っており、事業提携を見据えた社員交流という名目で労働力提供、スタジアムの基礎工事部分の補強でもって、建設に協力します」
「それはすごい……」
 設楽専務は想像以上の規模に面食らっているようだった。
「まあ、すごい……」
 やっぱり本物、あの御神楽環菜の夫!? カワイイ〜! とホステスたちは一斉に陽太に近寄ってくる。
「来るな!」
 恐ろしい勢いで威嚇してから、陽太は説明を続ける。
「ただ、俺はあくまで外部の人間なので山場建設の内部抗争には関わりませんし関わりたくありません。持ち株比率などもあくまでそちらで対応していただきたいです」
「それはもちろんだ」
 と山場会長は頷く。
 陽太の言う『カゲノ鉄道』は、パラミタ横断鉄道、『ジャンパラウェイズ』の下請け的に地道な開発やその他の庶作業を多角に引き受けている企業らしい。そこと組むなら、箔もつくというものだ。
「……」
 金ちゃんは何も言わなかった。いや、ホステスたちにぷにぷにと肉弾攻撃を食らって苦しんでいる。彼の強靭な精神が肉感的な刺激と懸命に戦っているようだった。
「可愛い人ですね、眉間に皺を寄せて……、力を抜いて、何でも言ってくれていいのですよ」
 未鈴は、金ちゃんの眉間に指を這わせてイジっていたが、もう一人重要な客がやってきたのに気づき、優雅にお辞儀をして、一旦その場を離れる。
「よろしくお願いいたします」
 山場会長と設楽専務は、陽太と硬い握手を交わし、その後風見部長とともに帰っていく。
「頑張ってね〜、会長ぉ・金ちゃん♪」
 未鈴が見送ってくれる。会長たちも手を振りながら去っていった。
「……今の、教導団の金鋭峰じゃないか!? やはり来ていたのか……!」
 未鈴が出迎えていたもう一人の重要な客は、驚いた様子でそちらに視線をやった。
「今はサラリーマンの金ちゃんらしいですわ、大田黒(おおたぐろ)幹事長」
 未鈴に幹事長と呼ばれた男は椅子に座りながらも気になっているらしかった。
「知っている、例の潜入捜査の件だろう。あれは政治家まで絡んでいる日本の汚点だ。まとめてきれいに片付けたいところだが……」
 ふふ、と未鈴は微笑んだ。真剣な表情の男の人はやはり可愛いものだ……。



 
 本社でのとりあえずの前準備は一段落つきつつあった。明日にでもスタジアムに向かう事が出来るだろう。そんな仕事帰りの夜のこと。
「あ、金ちゃんさん、こっちですわ〜」
 金ちゃんと関羽、そして羅英照はイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)ティー・ティー(てぃー・てぃー)の案内で、会社近くに構えている屋台のラーメン屋にやってきていた。
 イコナのマスターである源 鉄心(みなもと・てっしん)は、すでに一足先にこの地に入り込み、テロリストと奴らが扱うイコンの情報を探っていた。その進捗の報告らしい。
「お疲れ、団長。先にやっているよ」
 すでにラーメンをすすっていた鉄心は、端っこに寄り席を空けてくれる。金ちゃんたちは、並んで腰かけた。ラーメン屋特有のにおいが漂っている。どうやらここは豚骨らしい。
「この私に拉麺(ラーメン)とはいい度胸だ、鉄心。私は拉麺に関しては少々うるさい。生まれ育ちも本場だからな。地球にいたころ食べまくったことがある」
 ニヤリと笑みを浮かべて値踏みをしようとする金ちゃん。
「ら、らーめんをひとつ……ほっとでお願いしますわ」
 ギシギシときしみそうな安手の椅子に腰かけて、イコナは恐る恐る言う。冷たいのが出てきたらどうしようか、と警戒してのことだろう。
「マスター、私もいつものやつを」
 ティーが常連ぶってみると、ラーメン屋のおやじは、へいよっ! と威勢のいい返事をして受けてくれた。
「いいねぇ、嬢ちゃんたち。屋台のラーメン屋ってのは一種類しかメニューがねえんだ。椅子に座りゃ、何も言わなくてもラーメンが出てくる。そっちの兄さんみたいにガタガタ蘊蓄垂れようなんざぁ、野暮ってもんよ」
 おやじがカカカッと笑うと、金ちゃんはブスッとした表情になった。
 代金は先払い。鉄心が数枚の千円札をカウンターに置くと、おやじは小銭わし掴みでお釣りをくれる。その手で調理だ。なんという衛生観念のなさ。だが、これが屋台ラーメンだ。
「小規模だが、スタジアムでまたテロがあった。工作員は捕まえたが下っ端らしい。今のところ爆弾が主でイコンは出てきていないが……」
 おやじが麺をザルに放り込み茹でているのを眺めながら、鉄心は言う。
「うむ、すまない。こちらはこちらで忙しくてな。明日にはそちらに赴けるだろう」
「寺院としても団長を仕留めるチャンスだろう。関羽殿もそれを分かっているから張り付いているんだろうが」
 うん、なかなかの味だ。屋台のラーメン屋にしてはチャーシューの燻り方に凝っている。ゆで卵もしゃっきりしていて悪くない。ジューシーな食感を楽しみながら鉄心が続けると、関羽も不機嫌そうな表情で答えた。
「こっちは鉛筆削りと、社長の護衛だ。まだ何も進んではいない」
「だが、団長が現場に出てくるとなると一気に進展するだろう。そこで提案なんだが……」
 鉄心が言いかけた時、へいお待ちっ、とばかりにラーメンが出てくる。早い。さすがは日本に根付いたファーストフードだ。
 白乳色のスープに細めの麺。上に乗っているのは半切りゆで卵とネギときくらげ、あとは海苔とチャーシューという簡素さだった。
 パチンッと割り箸を割って、早速口をつけてみる。レンゲなんて当然ついていない。お冷や? セルフに決まっている。不衛生そうなコップが並んでいるからそこの冷水機から勝手に注いでくれ。屋台ラーメンは素でかき込むのが一番だ。
 ずるり、とすすってみて、金ちゃんは、むう……と唸る。粗野で粘っこい、屋台の美味さだ。上品さは微塵もないが、染み込んでくるような風味がたまらない。
「普段は毒見したような料理しか食べていないからな。このいかにも身体に悪そうな脂ぎった味付けは病みつきになりそうだ」
 金ちゃんに並んで、関羽と英照もラーメンをすすり始める。はふはふずるずると、普段の彼らの威厳ある姿を見ている教導団の信奉者たちが見れば目を疑うような乱れた食べっぷりだ。だが、この食べ方が一番おいしいことを彼らは知っていた。
「このらーめんを作ったのはだれですの!」
 不意に、イコナがガタリと立ち上がって叫ぶ。美味しかったらしい。
「おう、オレでいっ」
 おやじも胸をはる。なかなかにノリのいいラーメン屋だった。
「俺も替え玉もらおうかな」
 鉄心は話を中断して、麺のお代わりを注文する。スープだけを残しておくのはこのためだ。これは、しばらく大切な話をする雰囲気ではなさそうだった。
 鉄心も、出てきた替え玉をどんぶりに放り込むと、ずるずるとかき込み始めた。後は、無言だ。一心に屋台ラーメンを食べる金ちゃんたち。完全にくたびれた街並みに溶け込んでいた。ぷはーっとスープを流し込むと、げっぷが出そうになるギトギトな下品さも屋台ラーメンの味の一つだった。
「実のところ、いくつか候補は絞れたんだが、さすがに硬い。分散させている可能性もあるが、全て同時に抑えるとなると時間も人でも足りないのが現状だ」
 一息つくと、鉄心は話を続ける。さらにもういっぱい注文しようか悩んでいる関羽に視線を向けて伝えた。
「現場に向かうときに関羽不在と言うことになれば、やつらもこれがチャンスとばかりに食いついてくる可能性もあるだろう」
「関羽ならすでに別任務に従事中だ。現場には私一人が行く。問題ない」
「報告書はここにまとめてある。逐一報告するから、また来てほしい」
 鉄心は封筒を差し出してくる。受け取った金ちゃんは、爪楊枝を口に挟みつつ満足げに立ち上がる。その姿は完全に仕事帰りの安サラリーマンだ。
「おやじ、ごちそうさん。たびたび通うことになりそうだ」
「おう、兄ちゃんも仕事がんばんな。オレは難しいことわかんねえし何もしちゃやれんが、美味いラーメンだけはいつでも食わせてやるぜ」
「ああ」
 金ちゃんたちは帰っていく。
 とても楽しそうでよかった……、鉄心はそんな彼らの後姿を見送っていた。