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サラリーマン 金鋭峰

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サラリーマン 金鋭峰

リアクション

 その日の終業後……。
「『新人さん、いらっしゃ〜い!親睦会』を開催するぜ!」
 朝霧 垂(あさぎり・しづり)は、現場の労働者たちを全て集めてそう宣言していた。
 既に工事が始まっている作業現場に新人が入るんだから、仲良くなる場を設けた方が良いだろうとの考えだった。新入社員と古参社員との親睦を深めるのは宴会を開くのが一番。と言うわけで、垂は現場近くの居酒屋をすでに予約で押さえ、なるべく多くの人に声をかけて回る。どうやら、慰労が必要だったようで、大勢が参加を表明してくれた。
「私は行きません。それ、仕事じゃないでしょう。飲み会まで強制される必要性を感じませんから」
 クレアはさっさと帰ってしまう。もう皆わかっているようで、お疲れ様でしたと見送った。
 周囲を警備していたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)までが英照を連れてやってきた。
「慰労会か。月崎、お前も来いよ」
 ダリルは、現場を盛り上げた歌菜と羽純にも声をかける。
「もちろんよ、また歌披露しちゃうから」
 彼女らも親睦会に来てくれるらしい。これは楽しみになってきた、と皆が目を輝かせる。
 垂は、一人帰ろうとしていた金ちゃんにも当然声をかける。
「ねえ、金ちゃんも」
「だが断る」
 彼は、バカバカしいにも程があるといった表情で断固と拒否した。明日も仕事があるのだ。帰るぞ、と身を翻す。
 垂は、回り込んだ。何か聞き間違えたかなとばかりにもう一度言う。
「懇親会をするぜ!」
「だが断る」
「……」
 垂と歌菜は顔を見合わせる。一つ頷いて。
「というわけで、全員で楽しくやりましょう」
「いい加減にしろ、私は行かないといってい」
 金ちゃんは、垂と歌菜に両脇を抱えられそのまま連れて行かれてしまった。

 とはいえ、とりあえず集まりはしたものの、居酒屋にしけこんだ労働者達はいまひとつ盛り上がっていないようだった。酒は飲むが、口を突いて出るのは不平不満ばかり。中にはやけ酒とばかりにぐびぐびと煽る者やグチグチと絡み始める者までいる。どよ〜んと澱んだ空気になってきそうだ。
「はいは〜い、お酒とお料理きたよ。みんな回してね」
 垂は、そんな彼らを明るく励ましながら、接待して回る。メイドとしての振る舞いや心遣いで場の雰囲気を和らげていく。
 カラオケの置いてあるステージでは、早くも歌菜が歌を披露し始めている。
「お疲れ〜、遅くなってごめんね」
 本社からルカルカや関羽までがこの居酒屋にやってきた。どういうわけか、庶務課の課長、鳥耕筰まで連れてきたらしい。彼らは、程なく輪の中に入ってきてわいわいと飲み始める。
 金ちゃんはもはや居酒屋の雰囲気を珍しそうに眺めたりはしなかった。サラリーマンとして大衆の生活に慣れてきているようで、騒々しい空気に嫌な顔一つせずに、くいっと焼酎をたしなんでいた。
「金さん、あの……シャンパンありますけど、お酌しますね」
 蓮華が英照からもらってきたシャンパンを注ごうとすると、金ちゃんは野暮だな、という視線を向けた。
「こういう店では安酒の方がいい。シャンパンだのワインだのは、帰ってからいくらでも飲めるだろう。英照も空気を読んでほしいものだ」
「あ、失礼しました」
 蓮華がシュンと引っ込めると、金ちゃんはふっ、と笑みを浮かべる。楽しげな穏やかな笑みだ。
「サラリーマンをやってわかったことがある。私も……、25歳のただの一人の青年だということだ。当たり前のことなのにな」
「……」
 蓮華は意外そうな目で金ちゃんを見た。団長がそんなことを言うとは思ってもみなかったからだ。
「私の周りには全てがある。高級な料理や酒、品位の高い調度品に衣装に書籍、そして優秀で勇敢な教導団の部下達。私は多くの尊敬と忠誠を一身に受け、なすべきことはたくさんあり日々充実している。国軍は安定し精強だ。私はとても幸せなのだろう。だが……友と肩を組んで笑いあったことも、みなとバカ騒ぎしながら安酒を飲んだこともなかったのだ。……だからせめて、焼酎くらいは静かに飲ませてくれ」
「……」
 蓮華は上手い言葉が出なかった。尊敬し慕ってやまない偉大なる指揮官。その彼からわずかに覗き見える孤独。並ぶ者がいないからこそ頼れる者もいない。だからこそ強くあるしかない、そんななんとも言えない寂しさを感じ取って、蓮華は涙ぐみそうになった。
「あ……」
「なに、聞き流せばいいことだ。居酒屋にふさわしくクダを巻いてみるのも面白い」
 あくまで何事もない平静な口調の金ちゃんに、蓮華のパートナーのスティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)が話しかけてくる。
「あまり酷な台詞を吐かれちゃ困るな。蓮華が夜も眠れなくなるじゃねえか」
「何のことだ?」
「全く……もてる男はこれだから。考えちまうだろう、色々と。蓮華はね、金鋭峰の事ばかり楽しそうに話すんだよ。パートナーとしては複雑なところだね」
「そうなのか?」
 金ちゃんが蓮華に視線をやると、彼女はかぁっと真っ赤になって、席を立ちあがった。少しそうしていたかと思うと、彼女はダダダッッとフロアの片隅に鎮座するカラオケへと走っていった。マイクを引っつかんで宣言する。
「一番、董蓮華。”サラリーマン賛歌”歌います!」
 おおおおっっ、となんだかよくわからないものの、飲んでいた客達は歓声を上げた。
 いいぞ〜ねえちゃん、いけいけ。とヤジが飛ぶ中、蓮華は小指をたてて歌詞をシャウトし始める。
「なにか始まったな」
 不思議そうな目で見つめる金ちゃんに、スティンガーが尋ねる。
「で、ここだけの話、実際のところどうなのよ。少しは脈がありそうなのか?」
「それはつまり、好意を抱いているかということか?」
 金ちゃんは、これまでそんなことを考えたことがないというような表情をした。
「女性としては興味がない」
「……それはそれは」
「よく言われるのだが、そもそも私はもてるのか? そんな兆候はほとんどといっていいほどないのだが」
「……これは全く……凄い台詞を吐いてくれるよねぇ。……本当、大物だわ」
 ダメージを受けたようにかすれた声になりつつも、スティンガーは、金ちゃんに一緒に一曲歌わないかと誘う。
「いや、いい。私はここでグラスを傾けながら見ているとしよう」
 金ちゃんは言う。が……まもなく労働者たちをケアしていた垂がやってくる。
「そうはいかない。金ちゃん、何か一発芸やってくれよ」
「だが断る」
「なんでもいいからさ」
「だが断r」
 金ちゃんは、垂にむりやりステージまで引っ張られていった。
 団長になにしやがるんだ! とブーイングが飛ぶ中、垂は気を取り直して労働者達のケアを続ける。マイクを持って笑いかけた。
「さあ、盛り上がってまいりました!」
「もりあがってねえよ!」とのヤジ。
「ではここで、金ちゃんに一発芸を見せてもらいましょう!」
「どうしてそうなる」
 金ちゃんはあからさまに嫌そうな表情だ。いや、よく付き合っているものだ。これが普段の団長とは違うところだろう。
 が、金ちゃんが何かを披露してくれるとなると、雰囲気が一変した。いけない、でも見たい。
 わあああっっ、という歓声。皆が期待の視線を向ける。金ちゃん、金ちゃん、と手拍子まで鳴り始めた。
「だが断る」
「サラリーマンなんだろ、金ちゃん。サラリーマンならここで何か芸を披露するのは常識だ。それとも、やっぱり口だけなのか?」
 垂ががっかりした表情になると、金ちゃんは、むぅと考える表情になった。何かに思い当たったようで、真剣なまなざしで聞いてくる。
「……本当にやっていいのだな? 後悔しても知らないぞ」
「おかしな言い方をするな。どんな芸でもやっていいに決まってるだろ」
「大切なことなのでもう一度聞く。本当にやっていいのだな?」
「くどい。それとも、そうやってはぐらかそうとしているのかよ?」
「ならば見るがいい」
 どうやら、やる気になったらしい。よく見ると少しほろ酔い気味になっているようだった。
「せっかく日本に来たのだから、日本の踊りを披露しよう」
「日本の踊りって……、知ってるのかよ?」
「あれは……十年以上前の話だ。私がまだ地球にいた時に映像で見たことのある奇妙な踊りだ。……関羽、英照、来い」
 金ちゃんは、向こうでダリルたちと飲んでいた関羽と英照を呼ぶ。
「え!?」
 と英照が真っ青になる。彼らしくもない、激しく恐れているようだった。
「やるのか、アレを……。いやだ、やりたくない!」
「なら今すぐパラミタへ帰れ! 君には失望した、処遇を考えなければならない。サラリーマンをなめるな!」
 金ちゃんが威厳を込めた団長の声色で叱責する。ただ事ではなかった。ざわり、と辺りがざわめく。
 くっ……、とうめきながら英照がしぶしぶステージへやってきた。関羽は諦観を漂わせた無表情だ。
 何が始まるのだ……、全員がゴクリと唾を飲む中、金ちゃんと関羽、英照は横に並んで立つ。
 三人は両手を招き猫のように曲げ頭の上辺りでかざし、そのままウサギの耳のマネのように上下に小刻みに降り始めた。
「題して、『金鋭峰と関羽雲長と羅英照がスーツ姿でうまうまを踊ってみた』だ」
 金ちゃんは、キリッとタイトルを言う。
「え?」
 と皆が目を丸くしたところで。
「ウッーウッー」
 金ちゃんは真顔で、関羽は無表情で、英照は引きつった笑みを口元に浮かべゾンビのような顔色で。股は閉じ腰を左右に降り始めた。
「え?」
 ともう一度、見ている者たちは絶句する。
「ウッーウッー」
「……」
 なんとも言いがたい沈黙。
 いや確かに……、垂も歌菜も、一応昔の動画を見たことくらいはあるが、まさか2022年になってまでやるとは思わなかった……。これがはやっていた頃、彼女らは何歳だっただろうか……。
「ウッーウッー」
 金ちゃん達は、一心に腰を左右に振る。とんでもなく恐ろしいものを見た、と金ちゃんの関係者たちが凍りつく。
 一方、ノリのいい一般労働者たちは懐かしがってやんやの拍手喝采だ。両手を頭の横に持っていき、一緒に腰を左右に振って踊りだす者もいる。
「ウッーウッー」
 が、やがて事態を把握した教導団メンバーが大慌てで金ちゃんたちを止めに入る。
「ウッーウッー」
「団長、お願いですから本当にもうやめてください! 教導団の威信が!」
 提案した垂までもが、思わずマイクをポロリと落として唖然としている。一体、誰得なんだろうか、これは……。が、そこはさすが彼女だ。すぐにマイクを拾いなおしニッコリ笑って締めくくる。
「こんな堅物くんから、まさかのうまうまでした〜」
 教導団のメンバーが必死で金ちゃんを取り押さえる中、見ていた労働者たちは大喜びだ。
 これで何でもありになったらしく、それぞれが一芸を披露したり歌い始めたりする。しばらくの間は過酷な労働環境を忘れ楽しいひと時を過ごせるだろう。
「面白かった」
 金ちゃんは、満足げな口調で言う。
「本当に、みんなに感謝の言葉を述べる。明日から頑張ろう」
 だが、そんな彼に、不意に頭からビールをまるごとぶっかける者がいた。誰かが酔っぱらってハメを外しすぎたわけではない。
 背後からガラの悪い巨漢の男たちがドカドカとやってくる。
「うるせーんだよ、静かにしろよ、この店はてめーらの貸し切りか?」
 一気に店内が不穏な空気に包まれる。地元のヤクザと思しき男たちが、金ちゃんを取り囲み因縁をつけてきたのだ。
「……」
 全員が固唾をのんで見守る中、金ちゃんは隣のテーブルからビール瓶をつかみ上げる。
「喧嘩……売られたらしいな」
 いきなり、バキィッとヤクザの頭をぶん殴る。ヤクザはそのまま撃沈し動かなくなった。店内から悲鳴が上がる。
「てめぇ!」
 ヤクザは一斉に襲い掛かってきた。もちろん、金ちゃんたちにとっては取るに足りぬ相手だ。あっという間にボコボコにしてつまみだしてやったのだが……。
「まあ、やられたらやり返すのが当然かもしれねぇが、後が大変だぜ、こりゃ……」
 労働者の一人が、そう呟く。
 またヤクザか。いやな感じだ、面倒くさいな……といった雰囲気が充満する。
 微妙な空気の中、宴会はお開きになった……。